安倍晋三の圧勝と言われている、このくだらないパフォーマンスにうんざりしている人も多いことだろう。
書きたいことはいろいろあるが、まとめて書く時間がないので、2,3の覚書だけをしたためておきたい。
まず、
「争点」として「靖国参拝」が見事に外されているということだ。これが争点から外れることは誰にとって都合が良いか。
これは参拝という「宗教的」行為ではなく、結局は歴史認識を問われる問題である。そして、その認識が外交や企業の経済活動にも絡んでくる問題である。それを放置している。歴史的事実を証拠を伴いながら激しく議論すればよいものを、それを曖昧にすることを許している。
マスコミにしばしばこれらの政治家が登場しているが、その際にも決してこの問題には触れないようにしているのがわかる。これらの政治家たちは水面下での調整なしに現れることが出来ない
臆病者であり、自らの論では
まともに人びとを説得できないということをわかっているということなのだろう。もちろん、
マスメディアの事大的な態度も気に入らない。
次いで、以上の点とも関係することだが、
安倍晋三は自称「戦う政治家」だそうだ。笑止である。むしろ、
安倍晋三は都合の悪い事に向き合わない人間であることは明白である。靖国参拝は明言しない。自分が行ったかどうかも明言しないで逃げる。95年の村山首相談話の踏襲も明言しない。
つまり、自分に都合の悪いことからは常に逃げの姿勢しかとっていない。これでは「闘う政治家」どころか
「逃げる政治家」ないしは
「お茶を濁す政治家」である。そして、総裁に就任した暁には
「責任をとらずに逃げる政治家」になるであろう。
私が見る限り、政治家・安倍晋三の最大の問題点は
他人の意見に対して全く聞く耳を持たないことである。少なくとも、彼のここまでの言動を見る限り、「国民」の意見を聞くのではなく、自分の意見を「国民」に刷り込むことしか考えていないと言って良いだろう。
さて、もう一つメモしておくべきこと(第三点)は、安倍、麻生、谷垣の三者がそろって
小沢一郎に対して
「古い自民党」という
レッテルを貼ったことである。私としてはこの言葉には強い違和感を覚えた。
余談になるが、レッテル貼りで相手を貶めようとすること自体、彼らが小沢を恐れているという心理をうかがわせる。レッテル貼りという行為は、まともに正面から「批判critics」を行うのではなく、単なる「非難blame」の言葉を投げるだけの行為であり、正面きって相手と「戦う」自信がないときにしばしば見られる行為だからである。(ここでも安倍は「戦う政治家」ではなかったようだ。爆笑)
このレッテルに私が違和感を感じるのは、そもそも
小泉が実践したネオリベ路線自体が、13年も前に小沢が言っていたことにすぎないからである。むしろ、小沢は、今の
「自民党の先駆者」という方が正しいと私には思われるのである。
ネオリベ路線の誤りに気づき、修正の方向性を明示できるならば、私は次の選挙では民主党を支持しても良いと思っている。ただ、どうやら、そこまでは行けていないらしい、というのが現時点での観測である。どのような政策や戦略を打ち出していくのかという点について、これから1年ほどは民主党に注目すべきだろう。
(ただし、その場合にも、民主党だけに注目して「保守二大政党制」を強化するべきではなく、国民新党、共産党や社民党の動きにも注目が必要である。共闘できる点は幾つかある。そこできちんと手を結べるかどうか、そこに日本の政治の未来がかかっているように思われる。)

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