最初の行革推進法案への対案に戻れば、民主党は自民党との違いとして
「地方分権」を持ち出している。しかし、彼らはこれが自分たちも自民党を攻める際に問題にしていた
「格差」の拡大に深く加担することになることに気づいていないようである。(結果の不平等としての所得格差と機会の不平等としての雇用・就業機会の格差のいずれも拡大する。)
恐らく民主党が「国家公務員」を20%削減できると言うのは、リストラとか民営化のような手段というよりも、「地方分権」と謳っていることから推測すると、自治体に業務を移管することなどを考え、
国家公務員を地方公務員にしてしまうことで解決しようとしているのではないか?
そうやって仕事の配置換えと合わせて権限を自治体に下ろし、「地方分権」を進めようという考えであるように見える。しかし、「地方分権」は現在でも既に存在している様々な
「地域間格差」を拡大することに繋がる。就業機会の格差、所得格差、教育を受ける機会の格差、情報の格差などなど、現時点でも既に様々な点で「地域間格差」が存在している。
これらが「低い」地域というのは、その地域に住む住民が「怠けていた」から、就業機会が少なく、所得が低く、教育も受けにくいわけではないし、逆もまた然りである。
例えば、東京都は「国会」や「中央省庁」を自らの努力で誘致したわけでは全くない。しかし、一度それが東京に置かれてしまえば、それに合わせて様々な企業や団体が本部を東京近郊に置くことになる。当然、そこでは就業機会も(少なくとも他の地域よりは)増える。所得も高くなる。
東京とその周辺出身の人間は、単にそこで生まれ、両親がそこに住んでいるというだけの理由で、他の地域出身者よりも有利な競争条件に置かれることになる。仮に親の所得階層が同じ程度であっても、就学機会や就業機会は過疎地とは大きく異なる。
例えば、過疎地にはいわゆる「良い学校」(進学校)が存在しないことさえあるし、高校生くらいになると「良い学校」に行くためにわざわざ他市町村で下宿生活をしなければならないことだってある。首都圏出身であればこうした苦労は恐らくそれほど必要ないのではないか?
「地方分権」という10年前の流行はこうした格差の拡大を容認することになる。もし地方分権を本気で行うつもりならば、
分権を行う前に中央政府のなすべきナショナル・ミニマムの事務を確定し、その事務を中央政府が行うように事務配分した後で、ミニマム水準とはあまり関わりのない種類の公共サービスを提供する主体として自治体を位置づけ直す必要があるだろう。
現在の日本では生活の最低保障を行う事務のほとんどの実行主体は自治体になっており、それを中央政府からの補助金や交付税によって保障することで担保する形になっている。構造改革(行政改革)は、事務の内容を切り詰めることで住民への負担や痛みを押し付けながら、同時にそれ以上の歳出切り下げを行って自治体を破綻に追い込みつつある。
自治体財政が破綻すれば、その地域の行政水準はさらに下がり、「地域間格差」はますます拡大するのは自明のことである。
まだまだ書き足りないが、とにかく
「行革推進」という新自由主義的政策は様々な意味で「格差を拡大する」。
そして、現在の「保守二大政党体制」の下で自民党と民主党が
新自由主義政策を競い合うことは、「悪い方向」へと社会が進むことをますます加速してしまうことを意味するのである。
これは政党間だけでなく、自民党内部での「改革の競争」でも同じであるということを付け加えておく。
そもそも二大政党体制を維持させている
小選挙区制は直ちに廃止すべきであるが、それがすぐにできない場合でも、
政策にはより多様な選択肢がなければならない。
例えば、現在であれば、
「規制『緩和』の見直し」、「格差を拡大しないための所得再配分」(税体系と社会保障、教育制度、公共投資のあり方)、「近隣諸国との関係改善を基調とし、同時にアメリカへの従属関係を変える外交政策」などを打ち出す
「確かな野党が必要」であろう。
どのみち、民主党が自民党と似たような路線を打ち出して選挙に勝てる見込みはない。小手先のキャッチフレーズだけ変えてみても無駄である。
民主党はこの際、メール事件というスキャンダルを機として、大きく政策転換すべきである。
どのみち既に有権者たちの信頼は完全に失っている。もはや失うものは何もないはずだ。だからこそ、ここで大きく舵を切ることが可能なのであり、また、そうすべきなのだ!

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