近頃、論文捏造など
科学者の不正行為の話題(ソウル大の黄教授のES細胞、東大のRNA研究者、これはそれほど話題になっていないが、京大の教授が助手の論文から無断引用した事件など)が連続してニュースとして採り上げられている。
こうした動きにも先日のマンションの耐震強度偽装問題と同じ匂いを感じる。
論文捏造などの科学者の不正行為に関しては90年代以降、科学社会学などの分野で関心が高まっていた。80年代には次第に認知され始めはしたが、年間20〜30程度しかこの問題については文献が書かれなかったが、90年代にはいると急激に数が増えているのだ。1年あたり100くらいは出ている。(参考;山崎茂明『科学者の不正行為』p.170)
この急速な変化を単一の要因に帰することは妥当とは考えないが、やはり「グローバル化」による
競争の激化やそれと結びついた予算獲得に関する問題が大きいように思われる。ジョン・ザイマン[1994]も指摘するように、
科学知識が商品化される中で、同時に科学研究に対して支払われる研究費の予算は欧米でも日本でも頭打ちになっている。
つまり、個々の研究者にとっては予算が獲得しにくい状況になってきているのである。基本的にはこの
予算獲得競争の圧力が、不正行為の温床の一つであることは確かであるように思われる。このことについては、村上陽一郎も『科学・技術と社会』において触れているが、予算獲得のしやすさには
「マタイ効果」が働いている。一度研究費を獲得し、何らかの成果を挙げれば、それが信用となって、次も研究費がとりやすくなるが、チャンスが得られなければ成果も上がらず、信用も得られなくなるという状況である。
こうしたマタイ効果による
「機会および結果両面における不平等」と
「参加主体の地位の不安定性」は、いわゆる自由競争の弊害の最たるものであろう。
こうした状況下にありながら、それに加えて、科学によって得られたある成果が、将来的にどの程度の技術的利用が可能であるかということは基本的にはア・ポステリオリにしか確定できない。そのため、
研究者たちは自らの研究を行う予算獲得のために「自分の研究がどれほど見込みがあるか」ということを研究資金の提供者に訴えなければならない状況に置かれる。そのためにどうしても過去の業績の大きさが判断基準のひとつとなってしまう。
ただ、こうした
競争圧力自体に目を転じれば、それは企業の経済活動に帰着する。政府が科学技術研究にこれほど投資するのも自国の企業の競争力を維持する、または高めるためという面が非常に強い(それだけとまでは言わないが)。
科学研究の内部について、世界中の経済動向について、この両面についてもう少し論じたいところだが、今日はそこまで体力が続かないようだ。(近頃の寒さのせいか、風邪ひいた。)機会があれば書くことにする。

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