さて、(2)の点、「中国への無駄なODA」に話を移そう。
ここでも「無駄な」という形容詞が登場するが、これについてはすでに述べた。大抵の場合、この言葉にはあまり意味がなく、情緒的でイメージ先行の決まり文句に過ぎない。そこで「中国へのODA」が問題となる。
まず、なぜ「中国」が名指しされるのか?ここには
ナショナリズムが見え隠れする。これを論じるとはなしが拡散してしまうので、ここではこのことも基本的に無視する。
では、本題として残るのは、増税をする前に「ODA」をやめろ、という議論は成り立つのだろうか?ということである。私見では、もちろん否である。
ここでも「素朴な意見」の持ち主は、いわば「日本政府の財布」しか見ていない。それも短期的な見方でしか見ていない。
例えば、この議論ではODAでの支出が税収として返ってくる可能性などを全く考慮していない。特に、中国について言えば、「世界の市場」とも言われるこの地域をめぐる情勢も考慮に入っていないようである。ODAを通して日本の企業やNGOの類が進出することにより、それらの集団が利益を得た場合、法人所得税に反映される可能性がある。また、中国に進出することは、今後拡大局面を続けると思われる、この地域の経済活動に参入を続けるチャンスにも結びつく。今回はこれらには詳論はしない。
しかし、そうした可能性を考慮に入れず、短絡的に「支出を抑えれば黒字になる」という程度の発想になっているのではないか?
それは月々の(つまり、短期的な)家計の経営を、そのまま財政という(家計とは)役割も性質も異なる経済主体に当てはめた「誤った類推である」というのが私見である。
(3)「中韓への立て続けの過剰な賠償」については、
そもそも問題になるほどの金額の補償があったのかどうか、私は知らない。もちろん、ある程度の金額を支払っていたとしても、継続性という観点からもこれを持ち出すのは疑問である。
しかし、いずれにせよ、数兆から数十兆円規模の継続的な歳入・歳出に関する問題を、それとは比較にならないほど小さな額の(一時的な?)支出を引き合いに出して議論することにはさして意味はないであろう。現実的な効果の問題や論理的な筋道の問題ではなく、排外的な心理やそれをもたらす構造の問題がここに露呈していると思われる。しかし、今日はそれを論じることは主題ではない。
(4)もこれまでの議論と同様に批判される。その人によると「生活保護として支出する無駄な金額」は、具体的には日本国籍を持たない者への受給制度であるという。ここでも「無駄な」保護があるという。
日本国籍を持たない者が受給することが「無駄」だというのはほとんど理解不可能である。では、日本国籍がない者は日本で納税していないのか?中国や韓国への言及なども考えに入れると、この人は、かなり
「排外的な思考をしている」と考えられる。これは特に政治や社会についての言説を見る限り、現在の日本ではかなり一般に流布しているため、
この人が特に「変り種」であるために排外主義者であると考えるわけにはいかない。
(5)「宗教法人等特定の非営利法人への課税の優遇」についても、債務が大きいために特定の(種類の?)非営利法人に対して課税するべきだ、ということには必ずしもならない。
同じように課税することが不公平な場合もありうるからである。それはちょうど「自由競争」というルールを同じく守ることが、すべての人にとって公平であるとは限らない、ということと同じである。(このルールは、自由競争開始時に有利な状態にある人にとって有利なやり方であり、そうでないほとんどすべての人にとって不利である。)
(6)パチンコ等のギャンブルにおいて授受する金額に対する謎の不課税についても、増税しない理由にはなるまい。課税の公平性という観点から見て、闇経済の存在が望ましくはないことには同意するが、
それと財政の逼迫や増税回避とは別の問題である。それは単に
">「自分からとられるのは嫌だから、他の人からとれ」と言っているだけの「他者に負担を押し付けるだけの自己中心的な主張」に「あたかももっともらしく」装いを凝らしているにすぎない。
(7)外国人犯罪者の強制送還(収容所における歳出を抑える意味)についても
排外主義が見える。大した財政効果があるとは思えないのに挙げられている点にもそれは伺える。ここで一応、主題とは外れるが指摘しておくべきは、(6)とも通じる見方として、この人にとっては
「送還される相手国のことなど眼中にない」ということである。
(8)社会保険基金への税金による補填に関しては、社会保険料の大幅な値上げよりは税金(増税)による補填の方がマシだと答えるほかない。すべての日本国籍保有者ないし日本国内在住者が同じ社会保険に加入しているならば、社会保険料の値上げで行ってもよいのかもしれない。
しかし、現行の日本の制度では国民健康保険などは税で補填されなければ成り立たないのはそもそもの制度的な問題が大きい。この問題は、根本的には国民負担や財政のあり方と社会的厚生を総合的に考えた上で、社会保険制度をどのように構築するべきかという問題であり、増税回避の理由とはいえまい。
(9)「議員年金や公務員全体の俸給の見直しと削減」これについては、
「あんた、外国に行ったことないの?」というのが一つの問題提起となるだろう。というのは、
警察官や行政官にチップや賄賂を払って何かをしてもらわなければならない社会がどのようなものか、もう少し考えてもらう必要があるからである。
さらに言えば、仮に、
財政の逼迫によって増税が必要だとされているのだとすれば、まずは、その原因を見極め、そこにある問題を取り除くようにすることが第一義的な問題解決法であるはずである。公務員や議員の給与削減という発想は、この点に全く触れない安易なやり方であり、さらに言えば、(6)と同じく、
「他者に負担を押し付けるだけの自己中心的な主張」に「あたかももっともらしく」装いを凝らしているにすぎない、というほかないであろう。
本当に問題なのは、何なのか?
まず、中央政府と地方政府の債務の増大ということについて言えば、その原因といえるものは、現在の債務の多くはアメリカの外圧による過剰な(すなわち、需要を超えた)公共投資の要求であり、また、それまでの日本経済の基本的な要件であった冷戦構造の崩壊による地政学的な位置の変化(国際的な経済における日本経済の重要度の低下)である。
他国の政治的干渉に対する耐性と世界経済の中における地政学的な地位の低下防止が取り組むべき課題である。それは、東アジアの経済的な統合(とまではいかずとも、緊密な連携)や、政治的にも緊密な関係を構築するという課題に取り組むことによって改善されるべきはずのものである。
さらに、
「財政危機=増税または緊縮財政」という議論にも問題があるという、きわめてもっともな観点からすれば、上で述べたような
地政学的および経済的な情勢の変化に対して、国内の税制をどのように適応させていくのか、という観点から望ましい税制のあり方について議論されるべきであろう。
差し当たり、低下傾向にある地政学的地位に伴う経済的撹乱(不平等の拡大として現象している)によるダメージを最小化するような所得再配分の重要性が認識される必要がある。この点に関しては(地政学的な観点は明示的には含めなかったが)既に簡単に触れたので今日は敢えて書く必要はないであろう。

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