10月29日は私にとって特別な日だ。
何を隠そう、去年の今日、私は長旅を終え、日本へと帰ってきた。
今日は私の帰国記念日。
あれから一年。
ピッタリ一年。
長いようで短いようで、でもやっぱりこの一年はいろんなことがあって、思い出に残る一年だったから思い出の多さから言うと長かったかも。
旅の終わり、7ヶ月もの間、放浪生活をしていたから、日本に帰ってきたら腑抜けになるかと思っていた。
”やばいな〜、社会復帰は無理かも”っても思ってた。
実は私より、お母さんの方が、そうなるんじゃないかと、いい歳の娘の心配をしていたようだ。
でもラッキーなことに腑抜けになる暇もなく、帰国して少ししたら働き始めたため、あまりギャップを感じずに普通の生活に馴染んでいた。
日本でのいつもの生活に馴染んでしまうのは、何だかもったいない気もしたけれど、でもそれまでの”いつもの日常”と旅行から帰ってきたあとの”いつもの日常”は少しだけ感じ方が変わった気もした。
何がどう変わったというほど変わってはいないのかもしれないけど、本当にちょっとしたこと、ふと感じる何かが自分の中で変化した。
そう、例えばこの前書いた「道端でもらえるティッシュ」とか「当たり前に整備されている道」とか「キレイな車」(途上国での移動の車は廃車のような車が多かったから。ハンドルをガムテープで止めてたり、窓が割れてたりが当たり前だった)、「お風呂」、「気を張ってなくてもいい町歩き(笑)」(日本に帰ってきて、男の子がズボンのポケットに当たり前のように長財布を入れて歩いていることに改めて驚いた!ちなみにダンナがそうやって歩いている時、スッと抜き取ってみたら、気付かなかった!!危ないから〜〜!!!でも私は私で困った癖が・・・。斜めがけのバッグを後ろにまわせなくなった。いつでもどこでも、気付けば前で抱えてる・・・しかもちゃんとチャック押さえてる・・・)。
今までそれが当たり前だったことが、ちょっとだけありがたく感じたり、やっぱり恵まれた環境に自分はいるんだな・・・と実感したり。
他にも、一年経った今では普通の光景になったけど、久々に朝の電車に乗った時、通勤風景は何だか新鮮で面白かった。
みんな無言で、真面目な顔して早足で乗り換えて会社に向かっていく、その姿が何だかとっても不思議だった。
まぁ、今となっては私もその一部なんだけど、しばらくそういう風景から離れていた人間から見ると、とっても不思議な風景に見えるものなんです。
あと、旅行は今も変わらず大好きだし、どこでもいつでもチャンスがあれば行きたいんだけど、前ほど旅行のことばかり考えていないかも。
本当に旅行に行く前は、四六時中”○○に行きたい〜””△△にも行きたい〜〜”って考え続けていたから。。。
一つには去年の旅行で少し自分の中で満足する部分があったのがあると思う。
私にとっては一世一代の大決心の末の大冒険だったから、旅行してる時も充実感があったし、帰ってきたときもやり終えた感があったし。
もう一つは、結婚したことが大きく関わってる気がする。
一人の生活と二人の生活は、大きく違う。
一人の時は、自己責任に於いて、自分勝手に何でも決めれたけど、二人の生活をする!と決めた以上、自分勝手な決断は出来ない。
二人とも自分勝手に自分の好きなことばかりし合っていたらその関係はすぐに壊れてしまうだろうし、我慢ばかりしていてもやっぱりいつか不満が爆発してしまう気がする。
きっと要はバランス。
理想は、二人のしたいこととかが全く一緒だったらいいんだろうけど、それは現実では難しいから、お互い半分づつくらいの主張を通す。
(でもきっと、私はわがままなので、今のところ6〜7割は私の主張を通してもらっているかも。。。ありがたや〜ありがたや〜〜)
今年は、旅行中持ち歩いていた訪れた場所とかを書き込んだ小さなカレンダーを時々眺めては”去年の今日は砂漠にいたんだ〜”とか”おお〜、去年の今日はアルゼンチンか〜”とかって、密かに一人で楽しんでた。
どこにいても何をしてても、要は自分が納得して、充実した日々を送れていて、他人から見てもし可哀想に見えても、自分が”幸せ”って感じてたら、それは幸せであって、世間の理想の幸せに合わせる必要もなければ、勝手に悲観する必要もない。
私は時々それを見失いがちで、周りに比べて私は・・・とか、意味もなく悲観したりすることがある。でも、人は人、自分は自分。
それを忘れずに日々を過ごせば、毎日がもっと特別になるはず。
そう、言い聞かせた帰国記念日。

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