【世界一周旅行記】として始めたこのブログですが、最近は私「ユミコ」の日々の日記と化しています。
ちなみに世界一周旅行をしていたのは2006年3月〜10月の7ヶ月間です。
旅行について読みたい方は昔の日記を見てみてください☆
※レーシックの割引券希望の方は、一番最近の日記にコメントを残してください〜☆
(最新の日記のコメントじゃないと、気づかないことがあるので・・・)
2007/6/30
予定より一週間遅れで「指輪が出来上がりました」という連絡が入った。
そう!
婚約指輪と結婚指輪が出来上がったの☆
さっそくお店に行ってみると、キラキラ輝くエンゲージリングと、
シンプルだけど、デザインの可愛いマリッジリングが。
彼と二人ではめてみる。
「いいね!いいね!」
と、お互いの指輪を見比べる。
婚約指輪の内側には、彼が私に内緒でお店に連絡してくれたメッセージが入ってた。
ちょっと、ジーンとする。
「付けていきますか?」
って聞かれたけど、もったいなくて可愛いケースにしまってもらった。
「来週の入籍の日だけつけて、あとは結婚式までしまっておこうか?」
って、どこまでももったいないがりな私たち(笑
その足で、結婚式の2次会の場所も予約しに行った。
先週いくつか下見に行って、印象の良かった方にした。
プロフィールも作りたいね!ってことで、セントラルの地下にある、紙のコーナーを物色。
何種類か紙を買って帰る。
うまく作れるか分からないけどね・・・

上が私のエンゲージリング☆
下がマリッジリング。左が私ので右が彼の。最近のハヤリは、同じデザインで、女の人の方にダイヤが入ってるものなんだって♪

0
2007/6/28
仕事から帰ると、とってもビックリな出来事が!!
なんとなんと!
長らく会っていない人から、結婚のお祝いが届いていた!!
よくよく考えると、その人とは15年ほど会ってない。
15年前に、出会った場所は病院。
私は当時、高校一年生。
15歳から16歳になる冬。
冬休みに入っていたのか、それとも直前だったのか、今では思い出せないけど、確か友達の家でクリスマスパーティーをしよう!っていう日から入院したはず。
だいぶ前からそのクリスマスパーティーを楽しみにしていたから、凄く悲しくて、そこだけはよく覚えてる。
原因は喘息の発作。
最初は近所の病院に入院して、次の日には手におえません!みたいな感じで、なんと救急車で町なかの大きな病院に運ばれた。
救急車に乗ってる間も、着いてからもずっと、酸素マスクみたいの付けられて、”大げさだな〜”って思っていたけど、後から聞いた話では、結構体調は良くなかったらしい。
今でも時々、お母さんは当時を振り返って
「あの時”この子はこれから、一生入退院を繰り返す人生なんだ・・・でも、生きてればいいや、もう勉強とか出来なくてもいいや”って思ったよ」
と、話す。
(その前までは結構「勉強しなさい!」って怒られてたけど、それから言われなくなった。で、私はまんまと全く勉強をせずどんどん成績が落ち込んだ(笑)
不思議なことに、喘息の発作なんてなったのはその時だけで、それ以来なったことがない。
本当にアレはなんだったんだろう??
既に高校生だけど小児喘息だったのかな?(小児喘息だったら、大人になったら治るって言うよね?)
今となっては不思議でたまらない。
だって、今なんてナイル川で泳いでも、アマゾンで泳いでも、どこの料理を食べても全然大丈夫なくらい元気なんだよ?
でも、高校時代の友達の私のイメージは、この入院があったせいで、ちょっと「病弱」だったかもしれない。
突然具合悪くなって、1ヶ月近く入院して(でも、冬休み中だったから学校はちょうど休めなくて残念だった覚えが・・・)退院して、普通の生活に戻った。
今思うと、本当に不思議な一ヶ月だった。
しかも、ずっと寝てばっかりで体は痩せて、体力も落ちた。
元気な時は、痩せたいな〜〜って思うけど、実際あの時は何をしなくても痩せて、でもその代わり、少し歩くだけでゼエゼエするほど体力がなくなってた。
40℃近い高熱もあったため、夜中に悪夢を見て泣きながら起きたこともあった。
その時の私は、体の酸素の量が他の人に比べて著しく低下してるから、常に指に酸素の量を測る機械をはめていないといけなかった。
でも一定の値を下回ると「ピーピー!」ってスゴイ音がして、その音が鳴るのが、熱と喘息でまいってる私には相当ストレスだったらしい。
だからかどうかは分からないけど、悪夢の内容は「そのピーピー鳴る機械を持った看護婦さんの集団が追いかけてくる」というものだった。
その夢を見たときも、他の悪夢を見たときも、飛び起きて横の簡易ベッドで寝ているお母さんに泣きついた気がする。
突然入院した私にお母さんが付っきりで病院に寝泊りしたため、私が退院する頃には家に居た家族が栄養失調のように痩せ細っていた。
(いや、モトモトどっちかというとうちの家族はみんなぽっちゃりな方なので、「普通」の体型になっていたのかも(笑)
話が飛んじゃったけど・・・
救急車で運ばれた先の病院の同じ部屋に入院していたのが、今回お祝いを贈ってくれたMさん。
当時Mさんは一人目のお子さんを妊娠中で、やっぱり喘息で入院してた。
今思うと、きっと当時のMさんは今の私よりだいぶ若かったんじゃないかな〜?
そのMさんと、退院してからずっと年賀状だけはやり取りを続けている。
一年に一度の年賀状。
でも、それも15年続いているって、自分で言うのもおかしいけど、何だか凄いな〜って思う。
その間に、私は高校を卒業し、大学生になって、アルバイトに明け暮れたり、ワーホリでオーストラリアに行ったり、就職活動しつつ、大学も卒業し、社会人になって転職したり、誰かと付き合ったり別れたり、世界一周したりした。
15年だもん、かなり盛りだくさんな内容が詰まった時間を過ごした。
Mさんも、お子さんの学校のPTAとかをやったりして、忙しく過ごしてて、最近お子さんの手が離れてまた仕事を始めたらしい。
それぞれ、年齢も違えば、この過ごしてきた15年も全然違う。
でも、15年前のあの時、同じ部屋で過ごしたことによって今でも繋がりがある。
こういう縁があったのなら、あの時の入院も悪いことばかりではなかったのかもとも思う。
今ではそこら辺の誰よりも、逞しいと思われている私。
でも、私も入院した時は、一生病院と家の往復みたいな生活かと思った。
人間30年も生きてれば、元気な時も、具合が悪い時も、遊びまわりたい時も、誰にも会いたくない時も、いろんな時期がある。
つらい時は無理をせず休養し、元気な時は思う存分遊ぶ。
それでいいんじゃないかな?
最後に・・・
Mさん、本当にステキなプレゼント、ありがとうございました。


0
2007/6/20
結婚式に出たことのある人なら分かるかもしれないけど、プロフィールビデオとか、紙に印刷されたプロフィール、アレを作ろうか〜!ってことになって、昨日からアルバムを見返す作業を続けてる。
今まで片付けの時とか、試験の前の日とかに、意味もなく見ていたのとは違い、今回は真剣に見返してる。
そうすると、、、出てくる出てくる。
一体どれだけ出てくるんだ??ってくらい写真が大量!
私は両親にとって、一番最初の子供だったので、小さい頃の写真の量も半端じゃない!
見てる途中で入ってきた弟は、自分の小さい頃の写真の量との違いに驚いてた!
写ってる写真の中で、お母さんもお父さんも、とっても若くて(当たり前。25歳くらいだもん)その二人に囲まれて、屈託なく笑う私は、とっても大事に育ててもらったんだな〜って思えて、既にジーンとしてきて泣けそうだった。
誕生日のたびにちゃんと部屋を飾り付けてお祝いをしてもらって、毎週どこかに遊びに連れて行ってもらって、そのうち家族に弟と妹が加わって、毎年おばあちゃんちに遊びに行って親戚一堂集まって真っ黒に日焼けするまで毎日プールに通って、お墓参りに行って、みんな少しずつ大きくなって、その分少しずつお父さんとかお母さんとかおじいちゃん、おばあちゃんが写真の中で年老いていって、、、
私のアルバムの中の写真は、私の歴史なんだけど、私に関わる人たちみんなの歴史も詰まってる。
香川のおじいちゃんとおばあちゃんがとっても元気だったときの写真・・・
優しくて、いつもいっぱい遊んでくれた仙台のおじさんの写真・・・
とっても美人だった友達が私の家に泊まりにきてくれた時の写真・・・
今はもういなくなってしまった人たちも、写真の中では元気に私と一緒に笑ってる。
生まれたばかりの私が、写真の中で少しずつ大きくなって、ハイハイを始め、歩き始め、幼稚園に入り、小学校に入り、中学校に入り、高校生になり、女子大生になり、社会人になって、その間に出会った人の数はものすごくて、もちろん今もずっと連絡を取っている人から、この人なんていう名前だったっけ?っていう人まで、、、
でも、みんな私と何らかの関わりを持ってこのアルバムの中の写真に一緒に写ってる。
こんなちっぽけな私の30年の歴史の中に、こんなにも多くの人が関わってることに驚くとともに感謝した。
こんなにたくさんの人達との出会いの上に、今の私があるんだな〜って思った。
そんな感じでちょっとセンチメンタルな今日の私。
ちなみにまだ写真は全部見終わらない。
現像してアルバムに整理されてる写真は見終わったんだけど、デジカメになってからの写真はこれから。
だから、まだ折り返し地点。
でも、今日はもう寝よう。気付けばam2時だし。。。

なんだか、背景が古臭くて、時代を感じるよね(笑

0
2007/6/15
結婚すると決めた時から
「いつ籍入れる〜?」
と話していて、覚えやすいし、ちょうどいいし、
「7月7日の七夕でいいんじゃない?」
ってことになった。
もう、作ってもらってる結婚指輪にも7月7日っていう文字が入れられてるはず。
7月7日って、全然遠いと思っていたら、結構すぐだって事に昨日気付いた。
で、ふと「婚姻届って、ただ持って行けばいいのかな?」って疑問が湧いた。
私の住む札幌市のHPを見てみると、、、
「届け出をする区に本籍のない方の場合は、
その方の戸籍謄本(戸籍全部事項証明書)」
が必要らしい!
あ・・あぶない!
私の本籍は父の実家のある香川県だよ!
私たち、何も考えないまま当日に婚姻届だけ持って行って、受け付けてもらえなくて焦るところだったよ!!
で、受理されないから指輪に掘った7月7日と違う結婚記念日になっちゃうところだった。
まぁ、それはそれで思い出に残るからいいかもしれないけどね。
そんなわけで、慌てて郵送で戸籍謄本を取り寄せてます。
もっとギリギリに気付かなくてよかった★
そうそう、話は飛んで、今日は高校時代の友達8人で飲んでました。
私ともう一人の友達が9月に結婚式をするため、お祝いしてくれたの♪♪♪
しばらく会ってない友達も居て、話が弾んで楽しかった☆
気付けば、一気に時間が過ぎてました。。。
みんなも結婚式に来てくれるって♪♪

気持ちだけは高校時代と変わらない私たち♪♪♪

0
2007/6/8

仕事が終わってから、高校時代からの友達と待ち合わせて飲みに行った。
高校の時と、何も変らないつもりでも、お互いを取り巻く環境はかなり変わった。
私が結婚を決めて以来で会うからって、お花を買ってきてくれた☆
お花って、もらうと何だか幸せな気分になる♪♪
しかも、このお花をくれた友達も、同じ9月に結婚式がある。
将来、お互いに子供とか出来たりして、もっと歳をとったりして、そのうちちょっと足腰弱ったりしても、会うといつでも高校時代に戻れるのって、なんかいいよね★


0
1 | 《前のページ | 次のページ》