ひさしぶりにMacを起動。
ひさしぶりにiTunes起動。
ひさしぶりに
iTMS
に行ってみた。
で、大塚愛のプラネタリウム

とやらを買ってみた。
\150-のがひさしぶりだったからつい。
あと、キリンジの『ロマンティック街道』

というのも、\200-でちょっと高いほうの価格設定だったけど買ってしもた。
ま、それはそれでいいです。
何がひっかかったかいうと、『プラネタリウム』のレビューのところ。
FF10のパクリ
とかかいてあるんです。
なんでも、コレは結構前から話題になってたそうで…。
私が知ったのはついさっきなんですけどね。
リアル世界にひきこもってたおかげで、すっかり見落としてたみたいです。
ということで、Google で 大塚愛 プラネタリウム FF10 で検索ってみました。
で、いろいろ読んでみました。
***
個人的な感情としては、ハードの能力を見せつけるだけに落ち着いてきたFFシリーズの後半作品のことなので、どーでもいいや、ってなもんでした。
むしろ、「FF10大好きなのにー」とかいう意見がイヤでイヤで、モゥ…。
FFシリーズは私の中では1で完結してますので。
FFで一番好きなのはFF1。これはゆずれない。1はいまでも名ゲーとおもう。
かろうじて2。
あとのはどうでもいいです。
それを差し置いて「10サイコー!」とか抜かすとはなにごとぞ。
7からもはやゲームではなく、ゲームの要素を取り入れたCG作品という印象しかない。
ゲームというのは自分で次の行動を選択する能動的な遊びなのです。だからこそ面白いと感じる。
例えば、麻雀をやるとき。いまツモってきた牌をどう処理するか。思わずトイツになってしまった白をそのまま残すのか。はたまたそのまますててあくまで当初の予定通りタンヤオにするのか。
この脳内処理を、自分の背後にいるベテランプレーヤーのいわれるがままに、「その牌は捨てた方がいいよ」「それは捨てない方がいいよ、場をよくみてみろよ」と指示通りプレイしていったのでは、だれが麻雀をプレイしてるんですかっての。
FF7から、どうもプレイヤーの選択の自由度がなく、一本道のストーリーをただただ追わされてるだけ、という印象が強くて、8までしかやってないんですよね…。
(一本道ストーリーだからこそ、途中でアイテム取り残したりするともう手に入らない、とかなっちゃって、コンプリートマニアが攻略本を買いあさる訳ですよ)
ハードの性能で過剰演出のほうにカネがかかるあたり、いつからか能動参加ではなく、性能をみせつけられるだけの受動参加に転向。ゲーム本来の能動参加がなされないのなら、もうそれはゲームとしては3流以下なわけでして…。
という思いから、後半のシリーズはどうでもいいや、ってなっちゃうんですが、それをベタボメしてる意見をみるとやっぱ、マニュアル人生しか歩めないからこそ、ニートフリーターの道を受動的に「選ぶ」んだろうな…と若者の職業意識を垣間みてみたり。
***
ただの、パクリがテーマで始まった検索&記事読みだったはずなのに、なぜかニートフリーター増加の一因を結論付けて、とりとめもなくこれにて閉廷。
感情論なんだからそれでもイイよね!(※ダメです。



0