2012年12月の写真。
“三鷹 0001” の跨線橋の上から撮影した。なるほどここからは電車がたくさん見えるし、都営アパートの給水塔も見えて、すこぶるいいながめである。とはいえ、あの太宰治もテツや給水塔マニアだったにちがいない、と速断するわけにはいかないだろう。当該給水塔に接近を試みてそのプレートを確認したところ、この物件の建設年月は“58年3月”と記されていた。
太宰治の没年は1948年(昭和23年)であるから、かりに“58年”が1958年だったとしても、没後10年が経過しているということになる。これが昭和58年(1983年)だったら、没後35年だ。幕末の1858年にすでに都営アパートの給水塔が整備されていたとしたら話は別だが、常識的に考えて、太宰治がこの給水塔を見ていたと判断することは困難である。