2004年11月の写真。
今回は
“大谷口 0046” のつづきみたいなことになる。『日本の近代化遺産』(岩波新書 2000年)の著者伊東孝氏は、社団法人日本土木工業協会の機関誌「CE 建設業界」の2005年7月号に、“近代水道事業を彩る三人の先駆者(その三)”というタイトルの文章を寄稿し、中島鋭治、吉村長策、佐野藤次郎の三人をとりあげている。伊東氏がこの三人の氏名をそれぞれ入力してグーグルで検索したところ、ヒットした件数は中島鋭治氏がダントツに多かったとのことである。そしてこのように述べている。
リストには、給水塔との関連で中島鋭治の名前が多くあがっていた。給水塔は、街のランドマーク、景観的なシンボルとして紹介され、中島自身は直接構造物を設計していなくても、プロジェクトの代表者として最初に名前があがる。
そういうものかと思って伊東氏のマネをしてグーグルの窓に“中島鋭治”と入れて検索をかけてみたら、やはり中島鋭治氏を駒沢、野方、大谷口の3物件の設計者としているものばかりではないか。“中島鋭治は水道事業のプロジェクトの代表者であって配水塔の直接の設計者ではない”などという記述はどのサイトにあるのだろう。伊東氏の書きぶりには、誤解や早トチリにもとづく巷説などは取るに足らぬものとして黙殺する、というある種の潔さを感じ取ることはできる。とはいえ web 上のどアホな現実は厳然として存在しているのだ。こんなことでぶうぶういうのは時間のムダだということぐらいはわかっている。それでも性懲りなくぶうぶういってしまうのである。