2005年10月の写真。癸卯雑識の
“大谷口 0033” のところで、伊東孝氏の『日本の近代化遺産』(岩波新書 2000年)から、駒沢給水所に関する次のような記述を引用した。
配水塔に設置された銘版から、主に東日本の上水道敷設に貢献のあった中島鋭治が顧問としてかかわり、主任技師仲田聡治郎・技手吉田篤三が中心になって設計・監督したことがわかる。
上の写真がおそらくその銘版であろうと考えられる。中島鋭治の“島”が“嶋”になっているが、そのあたりは両方あるということで、ご容赦ねがいたい。なお銘版は、二基あるうちの北側の第二配水塔に設置されてあった。写真を見れば判読できると思うが、念のため銘版に記されている内容を書き写しておく。
澁谷町水道
配水塔
大正十二年
三月成
顧問
工學博士 中嶋鋭治
主任技師 仲田聰治郎
技手 吉田篤三
“顧問”といったら、フツーはおエライさんが名前を出しているだけ、というふうに理解するものだと思うが、この駒沢の配水塔の設計者は中島鋭治博士であるというどこかのブログかなんかの記事を鵜呑みにして疑わないヒトはたくさんいる。そういうヒトがまた自分のブログかなんかで、同種の情報をタレ流すわけである。