だいぶ前の話になりますが・・
2007年9月16日。
壮大な計画が実行された。。。
構想10年。
その計画とは・・・・
tep-peiと行く!
郡山から会津若松まで。
いにしゑの旧会津街道うぉーく!!
「そんなに壮大じゃねぇじゃん」とかゆうな〜。
参加希望者は何人かいたものの、一人消え、二人消え。。。
最後に残ったのが、俺とほってぃとひでかっちゃんの独身男三人だけだった。。。
雨の予報も、朝起きると、天気。
多少がっかりしつつ、7時に奥州街道と会津街道の分岐点、現在の旧国道4号、ライブハウス#9の所から、意気揚々と出発。
右に行くと奥州街道。仙台へと続く。
左に行くと會津へと。。
目標は会津若松。果たしていけるのか??
まずは、国道4号を横切り、奥羽大の方へと進む。
奥羽大の手前に第一越後街道踏み切りとの表示。
間違いなくこの道^^
奥羽大を越え、セブンイレブンで朝飯と飲み物を買う。
昔の人はコンビニなんてないだろうから、宿でおにぎりでも作ってもらったのだろうか。
八山田に着いたのが8時。車で行くとあっという間だが、1時間もかかった。
歩くと距離感が変わる。
R4バイパスをくぐり、しばらく行くとバス停が。
「一茶屋」
昔は一軒の茶屋があったのだろうか?
奥州街道を出てから一時間半。ちょうど一休みしたいところかも。
東北道の近く。石碑。

たしか、有栖川親王という名前が書いてあったと思う。
この辺を開拓したとか。うろ覚えだけど^^;
神社。

新しくなっていたが、いにしえの人たちはここで旅の安全を祈願したのだろうか。
昔に比べ道幅は拡張され、勾配もなくなっている。
極力、昔の道と思われる所を通る。
第二越後街道踏切。

右側に新しい道ができているが、左折し喜久田のほうに向かう。
喜久田の町並みへ。

風情のある建物が残る。
喜久田駅についたのが8時50分。
喜久田駅を過ぎると、左に曲がりR49へ向かう道と直進する道に分かれる。
どちらか迷うが、直進することに。
左折する道が旧道のようだったが、楽そうな方を選んでしまう。もう趣旨がゆるくなる。
あは。
9月とは思えないくらいの天気。
のどかな風景の中歩いていると、疲れも薄れていく。

同じような田んぼでも、イナゴがビシバシ跳ぶ田んぼと、まったくいない田んぼが隣りあっていたりする。
農薬の量なんだろうが、農業の現状もかいま見た気がした。
歩くといろんなものが見えてくる。

ひっそりとたたずむ石碑たち。
いにしえの匂いがした。
しばらく行くと、左から合流する道が。
登ってみると、踏切があった。
第三越後街道踏切。
R49につながっているよで、やはり、向こう側が旧道だったようだ。
踏切より我々会津ウォーカーたちを撮る。
話しながら歩く。だんだんくだらないことがおかしくなってくる。
10時。安子ヶ島の町並みへ。
いかにも街道筋というような町並み。
R49が離れたことで、昔ながらの町並みが残されたのだろう。
開発されること。
残されること。
住む方としては便利になった方がいいのだろうが、開発から逃れたことで、古き良きものが残される。
どちらがいいのだろうか。
郡山から7時に出発して、安子ヶ島が10時。
ちょうど10時の休憩時。
街道を整備するにあたり、距離的にちょうどいい場所に町並みをつくったのだろうか。
それとも、自然発生的にできた町を整備したのだろうか。
どちらにしても、歩くことを基準にできた町。車で走っていては分からないことが実感としてわかってくる。

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