時(とき)。
日曜日に、「なんでも鑑定団」で、和洋時計というものが出ていた。
片面が洋時計。もう片面が和時計になっているのだが。。
洋時計というのは、今のように12の文字盤があって、1日を24時間に分けて、針がまわり、時を刻むもの。
和時計が、面白い。
江戸時代。
時間は
日の出と日の入りを基準に決めていた。
(図 http://ammo.jp/monthly/0211/index.htmlより。)
それを基準に、昼、夜、それぞれ6等分していた。
これを「
不定時法」というそう。
だから、夏は昼の一刻の長さが長い。逆に冬は一刻の長さが短くなる。
だので、時計を作る際、一定のメモリじゃ、ずれてしまう。
そこで、江戸の職人たちはいろいろと工夫したのだ。
この時計で使われていた方法は、文字盤が回るようになっていて、
時刻を示す数字のほうを動かす作り。
日の出と日の入りをあわせた後、六等分になるように数字の部品を動かす方法。
なるほどなと。
和時計についてはこちらに詳しく書かれていました。
http://ammo.jp/monthly/0211/index.html
ちょっと、考えた。
江戸時代は、仕事をするにも、待ち合わせするにも、会議を始めるにも、何をするにも、おてんとさま(太陽)が基準。
何時に集合、と言っても、
実に曖昧な時間。
それでも世の中はスムーズに回っていた。
西洋的デジタル社会になってきている今。
待ち合わせも一分一秒単位。
それはそれで、効率的にまわして行くには便利だし、悪いものではないと思うけれども。
江戸時代なら、10分くらいは誤差の範囲。
気持ちもそれだけ余裕があったのではないでしょうか。
昔ながらのアナログをもっと見直してみませんか?
善か悪か、1か0かではなく。
きちっとすることも大切だけれども、
もっと、曖昧な部分の感覚を磨いていく。
そうすれば、人にも優しくなれるんじゃないかな。
あいまいなものを、自分で、五感で、判断していく。
うまく言えないけれど、そういうことが大切なんじゃないかな。
曖昧。いい意味でのあいまいの大切さ。
ぴんとはったベルトはすぐ切れてしまう。
かならずある『
あそび』の部分。
そういう許容範囲というか、
アソビの部分が、人を許す心に通じるんじゃないかと思うんだよな。

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