さ〜て。
本日の旅は。。。
会津若松〜。
会津磐梯山、白虎隊でお馴染みです。
正確には会津磐梯山は、会津若松ではないのですが。。。まあいいべ。
R49を西へ。。
猪苗代湖を左に見て、右には磐梯山。
野口英世の生家を通り過ぎ。。
強清水へと。
ここは、まんじゅうの天ぷらが有名なのだ。
2つ買い、1万円を支払う。
店の人に嫌がられた^^;
そりゃあ、140円くらいを買ってねえ。。
1万円って。
やっぱ美味いな〜。これ。
そこから、旧49号線を進む。
滝沢峠といい、白虎隊が出陣した道。
旧道フェチの俺としては進まねばならぬ。
『ならぬものはならぬ』
は会津人に脈々と受け継がれている精神。
ぎょ!
車の中にカメムシが!
でてけ、でてけ。
会津若松につく途中。一本古桜がみえてくる。
畑の真ん中に一本。存在感がある。
ちょっと進むと、『滝沢本陣』
見逃してしまいそうな小さなところ。
茅葺屋根の家が見えてくる。
300円を払い中へ入る。。
滝沢本陣。。。
『本陣』とは、藩主(とのさま)が江戸に参勤交代で行くときなどに、泊まったり、休んだりする場所。
『滝沢本陣』は、白河街道沿いにあり、滝沢峠の入り口にあたる。
戊辰戦争のとき、白虎隊は、藩主松平容保の護衛として、ここに立ち寄る。
白虎隊にも、たくさんの隊があるんだが、ここでは省略。
ちなみに、飯盛山の悲劇は、士中二番隊である。
中に入ると、明らかにここのご主人が吹き込んだであろうテープが流れてくる。
『たぎざわほんずんは〜。 びらびら(紙をめくる音)』
(笑)
立派な庭園を望む室内には、生々しく、刀傷や銃弾痕が残されている。
雪隠裏。
殿様も人の子。
うん○をします。
ここで松平容保公が用をたしたと考えると、感慨深いものがあります。
引き出して、肥料にしたのでしょう。
そして、桜舞う城下町を、会津若松城、通称
『鶴ヶ城』へ。。
ふらりふらり女子高生を、いや桜を見ながら、写真を撮りながら、回っていると、
お侍様!!
なにやら撮影をしていたらしい。
鶴ヶ城。。。
葦名直盛が黒川城を創営し、ここから600年の歴史が始まる。
以後、伊達政宗、蒲生氏郷、上杉景勝ら、そうそうたる武将が城主となる。
江戸時代には、信州(長野)高遠藩、山形を経て、保科正之が移る。(ちなみに、高遠そばが会津にあるのはこのためでしょう。)
この保科正之。徳川家光の異母弟。秀忠の実子としては認められていなかったが、家光にかわいがられたことが、後の悲劇へとつながっていく。(徳川家への忠誠心)
さらに、最後の藩主となった松平容保は、養子であった。聡明だったが最後まで幕府に忠誠を誓ったのは、それも大きかっただろう。
それでは、鶴ヶ城の桜を下の記事でどうぞ。。。

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