約1年半ぶりにブログを更新します。
きっかけは・・・
「家族」のことです。
先日のゴールデンウイークの後半、両親と姉貴家族、そして俺と、俺の最愛なる相棒と共に、草津温泉に2泊3日の旅行に行ってきました(^^)

今年、姉貴の一人娘が大学に合格し、そして親父が昨年末、脱サラして45年、10代の頃に仕事始めてから約70年間の仕事納めを記念して、今回の旅行を姉貴と共に企画しました(^^♪

内輪の話しになりますが、昨年の秋口くらいから、84歳になる親父が認知症を発症し、昨年一杯で細々続けていた個人営業の仕事も廃業したのですが、仕事の事後処理もできなくなるほどの症状の進みようで、俺自身も微力ながらも仕事を休みつつ実家に顔出しながら、親父の仕事の手伝いをしてきました。

神経質で、人一倍自尊心が強く、頑固で細かく、世間体を一番に考える、俺からしてみれば厄介な親父でね(>_<)
それが今は、今まで本当に親不孝してた俺のこと、その事象すら忘れかけていてさ・・・
良いような悪いような、そんな現実がとうとう来たようなさ・・・

皆で行ったのは、草津温泉♪
姉貴がたまたまゴールデンウイークの真っ只中の中で空きを見つけてくれて、皆が無理をして予定を組んでの強行軍でした(^^;)

そう、言ってみれば「家族旅行」なんて、記憶にないくらいの何十年ぶりかのことだったなぁ・・・
姉貴が結婚して20年・・・
俺が離婚して20年・・・
親父がこんなことにならなければ、変な意味、実現してなかったかもしれない・・・

親父は9人兄弟の末っ子。
一人は戦後間もなく病で亡くなったらしいけど、上の7人は例外なくみんなボケてしまっててね(笑)(^^;)
それでも「波木井家」は長寿の家系みたいで、ほとんどの親父の兄姉は90歳以上まで長生きでさ(^^)
そりゃあ支えていく人は大変だったと思うけど、俺の親父だけは、絶対にボケないと皆がタカをくくってたようなところがあってね。

昨年の11月くらいに、「康夫、もう請求書が作れなくなってしまって・・・。手伝ってくれないか」と電話があって、仕事を休んで実家に行った時の親父の今までと違う現状に愕然としてしまって・・・
あれだけ細かかった人が、これほどまで何も出来なくなってしまうとは・・・と・・・
一緒に仕事をしていた時は、重箱の隅を楊枝でほじくるように俺を罵倒するように言っていた人だったのに、全く何も出来なくなっているどころか、メインのお得意さんの電話番号すらわからなくなっていて・・・

悲しくなったのではなく、
寂しくなった・・・
あの親父がと・・・・・・・
俺は、親父が大嫌いだった。
親父の仕事を継ぎ、一生懸命やっている「つもり」だった。
結婚もし、自分の家庭も築き、自分なりの野望も抱いてた「つもり」だった。
それでも「男同士」の、
いや・・・
親子の「上司関係」は、俺が無理だった・・・

最後は、俺が親父を殴る寸前でお袋が「もうやめて!!!」と止められ、俺は半ば「家出」状態で家を飛び出した・・・
それからと言うもの、
10年近く、実家とは疎遠になった・・・
「なった」と言うか、俺が「疎遠にした」・・・

いい歳をした男が、年老いた両親をほったらかしにしたのだ。
親を捨てるように、家を飛び出した・・・
もちろん、
両親だって、「あんな息子!」と思っていただろうさ。

それが、
昨年末くらいからの親父の認知症の著しい進行具合から、
両親の「こんな俺」への依頼度が高くなってきて、
俺はなんとなく、自分の不甲斐なさと、両親への・・・
そうだなぁ・・・、申し訳なさみたいなものが、
心から感じられてね・・・・・

俺は、今のいい相棒にも恵まれ、そして勇気付けられ、
俺一人では決して成し遂げられなかったであろう、今回の家族で旅行が実現出来たのだと思っているよ・・・

思い返せば、動物嫌いだった親父が、お袋の猫好きの思いに負けて、初めて実家で飼った猫。
その命を全うし、最期の最期まで、仕事も休み、看取ったのも親父だった。
まだトイレも自分でできるし、お風呂も自分で入れるし、もう車も手放したけど運転だってしようと思えば出来るであろうし、俺や家族のこともまだ覚えてるし。

今回の旅行の最後の車で、いみじくも親父が言った。
「来年の今頃でも、俺がこれ以上ボケが進んでなければ、またみんなで今回のような旅行がしたいなぁ」と・・・
「彼が」今、一番望んでいることは、
今までできたことが普通に出来ることではなく、
周りにいる、自分の大切な人に迷惑をかけず、
でも、自尊心はほんの少しだけ残し、
それでも進行する認知症に負ける前に、
・・・
自分の愛する人たちとの大切な時間を、
身に焼き付けていくことなんだろうなぁ・・・

お袋も大変だろうけど、
親父
いや、
お父ちゃん
長生きしてくれな!

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