2014/6/10  20:29

東大生が見た社会の「裏」  ずいぶん前の話

高校の頃、クラスに教育実習生がきた。

東大から。

まぁ、いちおうは教員免許もとっておこうか…って感じのヤツなんだろう。

物腰もしゃべり方も、一事が万事気に食わないヤツだった。

ウチの高校の卒業生だってこともあるのか、妙にいばってるし。

あるとき、そいつが「世の中には、まだまだ君たちの知らない『裏』がある」と語りだした。

「例えば、パチンコ。みんなは知らないだろうけど、あれ、人からは見えにくい裏の方で、こっそりお金に換えてるんですよ!」

「ぼくも最近それを知って本当に驚いたんですが、このように、みんなの身の回りにも社会の裏が潜んでいるんです」とかなんとか。

いやいや、コッチは、今までそれを知らなかったアンタに驚きだよ。

東大に行くようなヤツは「自分だけが知らない」っていうシチュエーションなんて、ハナから想定してないんだろうな。

こんなヤツが「東大出の先生」ってことで、もてはやされたりするのかよ……って、思ったな。

高校〜大学時代の友人知人を振り返っても、「学校の先生」を職業として選んだヤツのほとんどが「コイツにだけは先生になってほしくないな」ってタイプだった。

そういうこともあってか、いまだに「学校の先生」に関しては、なかなか信用も信頼もできないのです。

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尾木 直樹

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2012/5/22  20:31

目は塗装じゃなく電飾で  ずいぶん前の話

昨日眺めていた小松崎茂の画集。

バンダイボックスアートコレクション 小松崎茂
バンダイボックスアートコレクション 小松崎茂

巻末に対談記事が掲載されていて、そこで池田憲章さんが「同じ時期に『テレビマガジン』や『テレビランド』でもイラストの時代が終わるんですよ。そして一斉にセル画に変わるんです」とおっしゃっていた。



「同じ時期」というのは、「宇宙戦艦ヤマト」がブームになり、「機動戦士ガンダム」が始まるあたりの頃のこと。

そう、オリジナルのイラストがだんだん減っていって、セル画やスチル主体になってゆく流れ。

小学生だった自分も、それを歓迎していた。

たぶんその頃は多くの子供がそういう好みで、実際、アンケートなんかにもそれが反映されていたんだろうなぁと思う。

当時、オリジナルイラストがメインの記事が掲載されていると、「何だコレ、似てないよ」とか「こういう絵、好きじゃない」とか、どうしても否定的に見てしまっていた自分。

「テレビとは違う絵」が掲載されていることにかなりの違和感があったのだ。

それと、イラストだと何となく「安手の子供だまし」風に感じたりもして(パチもんのメンコをもらったときのような、いわゆる“コレジャナイ”感)。

掲載されているコミカライズ作品についても同様で、石森章太郎や永井豪本人ではなく、プロダクション名義だったり、あまり聞いたことのない人が描いていたりで、その絵柄に関しても、テレビで放映しているものとはかなりのギャップがあった(当時は「弟子」が描いているんだから「ヘタ」なのもしょうがないか…なんて思っていましたが)。

ほとんどの場合、ストーリーも超単純。

コミカライズだと、アニメよりも実写作品のほうが違和感が大きくて、「何だよこの子供みたいな本郷猛…」という感じで、よくガッカリさせられた。

後年、村枝賢一さんの「仮面ライダーSPIRITS」の連載が始まって、最初に読んだとき、めちゃめちゃ感動したのは、「映像作品がそのまま再現されたような絵柄」だったこと。

「俺の求めていたライダーの漫画って、こういう絵柄のヤツだよ!」と狂喜した。

新 仮面ライダーSPIRITS(3) (KCデラックス)
新 仮面ライダーSPIRITS(3) (KCデラックス)

それまでのライダー漫画は、石森章太郎先生の原作版のデザインが根底にあったせいか、ライダーアンテナは「昆虫の触角(単体だとミミズのようにも見える)」風に描かれることがほとんどだった。

仮面ライダー (1) (中公文庫―コミック版)

「スーツのしわ」の描写なんて全然なくて。

いわゆる「テレビに出てくるままのマスクやスーツ」の形で描かれてはいなかった。

「仮面ライダーSPIRITS」だと、本郷猛や一文字隼人も、実際の役者さんに似せて、かつ、カッコよく描かれてるんだもんなぁ…アレはうれしかった。

あれれ、でも…ちょっと違うケースもあるな。

俺、「ザ・ウルトラマン」に代表される内山まもる先生のウルトラ兄弟の漫画もめちゃくちゃ好きだ。

ザ・ウルトラマン (3) (小学館コロコロ文庫)
ザ・ウルトラマン (3) (小学館コロコロ文庫)

あれは決して「映像作品に忠実な絵柄」ではなかった。

レオはよく口を開けてしゃべってたし、エースはわりとおふざけキャラだったような印象がある。

でも、“コレジャナイ”感は全然なかったな。

というか、テレビとは違う独自の作品世界にとことんしびれていた。

うーん、そうか。

必ずしも「映像に忠実だからイイ」ってことでもないのか。

やっぱり、「カッコいい」と思えるかどうかってことか。

確かに、その頃の小学館の「てれびくん」だと、ウルトラ兄弟のスチルが載ってても、「安っぽいプラスチックみたいな素材で、まっ黄色に塗られた目のマスク」だったりしたんだよね。

スーツも筋肉部分の盛り上げなんかほとんどない平板なヤツで。

実際にそうだったのかは知らないが、その手の写真を見るたびに、「アトラク用(のスーツ)かよ…」なんて、覚えたての言葉でマニアックにガッカリしていたもんだ。

しかし、当時、好きじゃなかった描きおろしのオリジナルイラストを今見ると、宝物のように思えるのは、どういうことなんだろう。

懐古趣味のおっさんになっただけっていう話なのかな!?
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2011/4/3  4:01

ぼくの好きな先生  ずいぶん前の話

録画していた金八先生スペシャル。

何日か前、ようやく見た。

見たといっても、テキトーに超早送りで。

お目当ては最後の20分間ぐらいの歴代生徒集結シーンだけだったから。

杉田かおると鶴見辰吾の第1シリーズ。

沖田浩之と直江喜一の第2シリーズ。

この2つは再放送を含め、何度も何度も見た。

クラスの他の生徒たちも、はっきり、くっきりと印象に残っている。

その生徒たちの現在の姿。

あららら…こうなりますか…(しばし絶句)。

この生徒たちは、今、ほとんどの人が40代のなかばあたりだろう。

このあたりから、「老け方」にかなりの個人差が出てくるのかもしれない。

「同窓会」というものに縁のない自分は、「きっと、同窓会に出るとこういう気持ちになるんだろうな」と思った。

社会的な地位とか、職業とかを気にせずに話ができるというのは、学生時代のクラスメート同士だけの特権なのかもしれないな。

たまにはそういう関係性の中に入ってみたい。

それと、同窓会には、できれば「先生」もいてくれるといい。

自分は転校が多かったせいで「担任」と名のつく人は人よりも多い。

その中で「恩師」とよべる先生はおふたり。

一人は小学校3年生の後半と5年生のときの担任だったO先生(男性。当時30歳前後)。

国語の時間に宮沢賢治の童話をたくさん読んでくれたことや、「差別」ということに対してものすごく厳しかったことが強く心に残っている。

時代が時代だっただけに、鉄拳制裁もあったけれど、クラスのみんなはO先生のことがとても好きだった。

小・中・高を通してみても、5年生の一年間が一番幸せだったように思う。

でも、5年生が終わって、遠くに転校した自分は、その後、先生との連絡も途絶えさせてしまい、今、O先生の消息は全くわからない。

そして、もう一人が高校1年と3年のときに担任だったY先生(男性。当時30歳そこそこ)。

スーツに白いソックスを履き、ガニマタで歩く、何ともあかぬけない姿。

70年代の思想や文学などについて熱く語ることも多かった。

校則には結構うるさくて、Y先生からチェックされ、改善命令を出されたクラスメートの不満の声もしょっちゅう聞こえてきた。

ひとめでわかるパーマをかけていた自分も、本来なら、改善命令が出されて当たり前。

なのに、Y先生は、俺には改善命令を出さなかった。

「何で月見家だけその頭でOKなんだ!? おかしくないか? 何でYは月見家にだけは何も言わないんだ!?」と、当時よく言われたものだ。

高校2年のときは、Y先生ではなく、別の先生が担任だったが、この教師と俺は絶望的に反りが合わなかった。

しょっちゅう衝突していた。

生徒に対して、あんなにあからさまに嫌悪感を示す教師がいていいのだろうか。

今でもそう思う。

そのイヤな担任教師からは、事あるごとにいびられていたのだが、あるとき、俺がその日に提出しなければならないプリントを持ってくるのを忘れたことがあって、その教師は「放課後家まで取りに帰って、今日中に提出しろ」と言うのだった。

そのプリントの内容は、別にその日に提出しなければいけない緊急のものではない。

ただ、「先週一週間、家では何をどのぐらい勉強したか」ということを記録するだけのものなのだ。

ハンコがいるとかお金がからむとか、そんなことは何もない。

学校から自宅までは、自転車を思いっきり早くこいだとしても、30分以上はかかる。

俺は「あんなプリント、いちいち取りに帰っていられるか」と思い、校内でそのプリントがどこかに余っていないか探索することにした。

他のクラスも回り、いろいろと手を尽くしたものの、結局、収穫はゼロ。

あきらめて、とぼとぼと廊下を歩いていたら、1年生のときの担任のY先生に遭遇した。

「あっ、先生。あのプリント、先生のところに余ってない?」と聞いてみた。

「あ、あれ、余ってるよ。何で? 何かに使うの?」

「いやぁ、俺、今日持ってくるの忘れたらさ、あいつ(当時の担任)に今から取りに帰れって言われてるんだよね…だからさ、どこかに余ってるやつあったら、それに書いて出しちゃおうと思ってさ…」

「うーん、まぁ、だったらいいや。あげるけど、俺があげたって言わないでね」

「やったー! ありがとう! もちろん内緒にするし、取りに帰ったフリして、これから40分ぐらいしてから出すよ。ホント、恩に着るよ」

Y先生からプリントを受けとり、テキトーに記入し、40分ぐらい時間をつぶしてから、職員室にいる担任のところに出しに行った。

「プリント持ってきました」

「ん!? やけに早いな…おまえ、本当に取りに帰ったのか」

「もちろん。取りに帰りましたよ」

「ウソつくな! どこかからプリント持ってきたんだろ!」

「はぁ!? 取りに帰ったっつってんだろ! はい、ここ置くよ。これで終わり…と」

「待て!ダメだ。これは受けとらない。お前が取りに帰るわけがない。お前は校内のどこかからこのプリントを持ってきたんだろう!」

「うるせぇな…一体何なんだよ。プリント出せっつうから出してんのに。意味わかんねぇ文句ばっかし言ってんじゃねぇよ」

ここでもう、職員室はただならぬ空気。

一触即発。

そこで我々の間に割って入ったのがY先生。

当時の俺の担任に対して、「すみません。先生、自分がプリントを渡しました」と頭を下げたのだ。

「な〜にぃ〜! アンタ、よけいなコトするんじゃないよ!」

当時の担任が顔を真っ赤にして怒る。

俺は「ちょっ…Y先生には関係ないっすから! 俺が勝手にもらっただけだから! 文句あるなら俺に言えよ!」と、しどろもどろになりつつ、虚勢を張ったが、後の祭り。

結局、そのプリントは受けとられずじまい。

その後、廊下でY先生のことを待ち、出てきたY先生に謝った。

「先生、本当にごめんなさい。俺のせいで先生に迷惑かけちゃって…」

「あぁ、そんな…別にいいよ。気にせんで。ぼくがあげたのは事実やし。しかし、月見家くんも大変やね…」

俺はそのとき、「自分に親切にしてくれた人に迷惑をかけてしまった」ということに関して深く深く反省する一方で、「大変やね」と言ってくれた心遣いに涙が出るほどのうれしさを感じていた。

俺はこのときの恩は一生忘れない。


高校を卒業してから十数年経ち、30歳を越えた頃。

ある夜、Y先生が夢に出てきた。

30過ぎの俺といっしょに飲みに行く夢だ。

目が覚めて、「あぁ…Y先生か。懐かしいな。今飲みに行ったら何て言うだろうな」なんて思いながら会社に行ったのを覚えている。

その翌日、めずらしく母親から電話があった。

「Y先生が亡くなったよ」

「えっ…」

絶句した。

ウソだろ! まだ若いのに! ちょうど昨日夢で会ったばっかりなのに…。

後日、九州にある先生のお墓にお参りに行った。

案内してくれた同級生に、先生が夢に出てきたことを話した。

同級生は「あぁ、月見家のことは気になってたんだろうね。だから、最後にようすを見に行ったんだろう。そんな気がする」と言った。

先生のお墓に缶ピールとタバコを供えながら、胸が一杯になって、同級生に返事ができなかった。

Y先生、生意気な口をきいたり、迷惑ばかりかけたりして、ごめんなさい。そして…本当にどうもありがとうございました。


以下は最近知った話。

40代の若さで病魔に冒された先生は、告知を望み、余命を知り、娘さんや周囲の人たちに膨大な遺書を遺されたとのこと。

本当に尊敬できる「ぼくの好きな先生」だ。
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2011/2/14  23:11

雪だから  ずいぶん前の話

若かりし頃在籍していた会社(パチ屋のコトではありません)。

常識外れというか、野武士的というか、結構ユニークなことが多かった。

いろいろあったが、今も「アレはよかったよなぁ」と、しみじみ思うのが、「当日休む場合も、真っ当な理由づけは不要」ということ。

例えば「何だか電車遅れてるから、もう今日は休むわ」とか、「有休消化したいので休みます」とか。

超正直。

ごく普通な感じで、それが通用する(ただし、無断欠勤はさすがにダメ)。

まぁ、ほとんど「休みたいから休む」と言ってるようなものだ(実際にはそう言わないにせよ)。

特に、朝から、台風だったり雪だったりする場合、課長以上のみなさんの出勤率は3割程度だったように思う。

課長以上ともなると、みんなごく当たり前に「台風だから休む」「雪だから休む」という感じで堂々と電話をかけてきていた。

さすがに、そんなときでも、若いヒラは9割ぐらい出勤してきていた(休むヤツがいないワケではありません)。

だって、自分たちまで休んじゃうと、ヘタすりゃ会社が空っぽになりかねないワケで。

今日みたいに、夜、こんな状況(絶賛積雪中!)だと、やめたあの会社を懐かしく思い出す。



↓今日、カミさんからもらったチョコレート。もったいなくて開けられない。
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2011/1/10  0:26

育て方、育てられ方  ずいぶん前の話

今、次男は幼稚園の年長。

まだこのくらいの歳だと、親と手をつないで歩くことに抵抗はないようだ。

でも、小学校に入るとどうかな…と思う。

いずれにせよ、こんな感じで子供とふれあえる期間なんてあっという間に過ぎてしまうもの。

その時期ならではの幸せな時間というやつである。


次男と手をつないで歩きながら、自分の母親のことを思い出す。

ウチの母親は幼稚園時代の俺と手をつないで歩くことを拒否していた。

絶対つながないというワケではないが、やむを得ずつなぐことがあったりすると、その後すぐ
「あんたの手はやわらかすぎて気持ち悪い。ふにゃふにゃで骨がないみたい。だからさわりたくない」
とか言うのである(一度や二度の話ではない)。

今、あらためて考えても、冗談のつもりだったのか、本気でいやだったのか、母親の真意はわからないが、当時の自分は
「あぁ、ぼくの手は人と違ってふにゃふにゃすぎて気持ち悪いんだな」
と、思い込んでいた。

実際、母親は一つ下の俺の弟とは普通に手をつないでたワケで…。

他にもいろいろある。

自分は、幼稚園の年長の頃、誰にいわれるともなく、自主的に「絵日記」をつけていた。

その絵日記の中に「はじめてワンタンメンをたべておいしかった」ということを書いたときの母親の反応。

「何これ、あんたの字『クソタンメン』にしか読めないよ。『クソタンメン』だって!笑っちゃう。あんたの字はヘタなんだよ。もっと練習しなさい」
と、きたもんだ。

そりゃあ、幼稚園の年長児が書くカタカナだもの。

「ワ」や「ン」が「ク」や「ソ」に見えてしまうこともあるだろう。

しかし、実の親がそれを「バカにして笑う」ということがあってよいのだろうか。

このときも、自分は
「ぼくは字がへたくそすぎてはずかしい」
という気持ちになっていたのだった。


小学校一年生のとき、自分は、漢字をとてもたくさん知っているということで、「1ねん4くみの漢字はかせ賞」という賞状をもらった。

それをウチに持って帰り、報告したときの反応。

「ふーん、あんた、先生にえこひいきされてんじゃないの」
と、きたもんだ。

さすがにこれはショックだった。

「おれ(一人称変更)は、せんせいにひいきされてて、この賞も『ズル』でもらったのか…」

自分が「おれはこの家の本当の子供じゃないんじゃないか」と思い始めたのはその頃からだったような気がする。

いまだに、なぜあんなに冷たくあしらわれていたのかわからない。

かといって、今さら問いただす気もないけど。

ただ、こういう育てられ方が今の自分の性格形成に大いに作用しているということは否めないな…とも思う。
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