2007/9/26  13:39


高校生の頃、友人にA面がラモーンズ、B面にジョニー・サンダース&ハートブレイカーズのナンバーが収録されているカセットテープをもらった(友人のオリジナル編集)。

「すげぇカッコいいよ」という友人の言葉は本当だった。

無論、当時(85年頃)はアナログレコードの時代。

陳列スペースのせいもあるのかもしれないが、いまの「CDショップ」に比べると、当時の「レコード屋」の品揃えは、イマイチ貧弱だったような印象がある。

よくRCなんかを買っていたレコード屋でも、ラモーンズやジョニー・サンダースは置かれていなかった。

結局、「輸入盤屋」(←当時はそう呼んでいた)でラモーンズのアルバムにめぐり合うことはできたのだが、ジョニー・サンダースは見つけられなかった。

エンド・オブ・ザ・センチュリー (紙ジャケットCD)
エンド・オブ・ザ・センチュリー (紙ジャケットCD)


やっぱりジョニー・サンダースってマイナーなのかなぁ…なんて思いつつ、しばらく時は過ぎる。

L.A.M.F.: The Lost '77 Mixes
L.A.M.F.: The Lost '77 Mixes


で、バイト時代。

世の中はバブル絶頂期。

ユーロビートとか。

ポロシャツえり立てセカンドバッグ金鎖の男とか。

スキーとか。

自分が全然なじめなかった時代。

でも、バイトの仲間にはロックな人も多かった。

そこでは毎日、「ブラック・サバス」とか「ジャック・ブルース」とか「T.レックス」とか…時間が止まったようなロック話が飛び交っていた。

自分より5,6歳年上だったカウンターの女の人。

その人はジョニー・サンダースが来日すると「追っかけ」と化していた。

駅のホームで撮ったジョニー・サンダースの写真を引き伸ばしてフレームに入れたものを見せられたりして。

「すげぇ…バイト先にジョニー・サンダースの追っかけがいるなんて…」

と、当時は妙に感心したものだ。

で、ジョニーはあっという間に亡くなってしまった。

その人の落ち込みっぷりもすごかった。

でも、その人はしばらくしてからまた別の大スターを追っかけて今度はブラジルにまで飛んだ。

ちなみに、ブラジルに行ったときの費用は「ローン」だったそうで。

帰ってきてからは、返済のために一生懸命バイトしていた。

でも、また同じことが起こってしまう。

その人がブラジルまで追っかけたのは「アイルトン・セナ」だったのだ。

アイルトン・セナに捧ぐ~アイルトン・セナ・オフィシャル・トリビュート・アルバム
アイルトン・セナに捧ぐ~アイルトン・セナ・オフィシャル・トリビュート・アルバム



セナの事故の後、セナのことについて話しかけようとしたら、

「ぁーもういい!何言おうとしてるかわかる。言わなくていい!その話はやめてくれ!」

って言ってたな…。

ジョニー・サンダースといえば、その人のことを思い出す。
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