・正月からはやいもので、もう一月終わっちゃいそうです。最近工事を終えた写真を載せます。安城市の現場で、家の中の壁を、「中霧島壁」という火山灰が原料の左官材料を使って塗りました。
下に五木寛之の講演会の話を書いたので、よかったら読んでって下さい
・先週の土日、一泊二日で東京に行ってきました。
目的は五木寛之の講演会と、世田谷で一人暮らしをしている妹をのぞきに行くことでした。
土曜日は朝の新幹線で、10時ごろ東京に着きました。講演会の前に、昼ごはんで銀座にある久兵衛というすし屋に行きました。別館に通されて、そこは10人座れる掘りごたつ式の、半円カウンターになってました。店はいっぱいで、一人のぼくは、ご婦人と貴婦人の間に座らされました。
2人の職人が立って、分かれて5人を相手にするようです。突き出しにはナマコのゆず酢和えが出されました。中トロが握られて、カウンターに載っている、焼き物の皿に置かれます。にぎりを手にとって、自分の盆の上まで運んで、口に入れる。するとまた次を、一貫ずつ皿に握ってくれる。ウニは、こんなに甘いのかってぐらい甘い。くるまえびは塩だけでうまい。卵焼きは雲のように感触がないです。
店内、時間の流れがゆるやかなため、講演会を遅刻しそうになりました。ちょうど司会者のあいさつをしていました。まず松原泰道さんという101歳になる「南無の会」会長という人が話しました。仏教の教えを広く伝えるために、活動している方のようで、こんかい始めて知りました。たとえ話が多くて、すごく分かりやすく、ためになる事を教えられました。
そして五木寛之さんが出ました。生ではじめて見た印象は、想像と違っていました。76歳にも関わらず若く見えました。スタスタと壇上にあがり、背筋が伸びて、あいさつの声がとても鮮明なことに、パワーを感じてすぐに引き込まれました。
講演会のテーマは「今をどう生きる」という内容でした。まず、今の社会情勢は100年に一度の事ではない、500年に一度の大転機であると言いました。明治と昭和をさかのぼって、その時に感じていただろう人の心理について話しました。
その中で現代について語ったことが心に残りました。明治・昭和が「爽」の時代であれば現在は「鬱」の時代である。という分け方でした。自殺者が毎年増える、うつ病患者が後を絶たない、犯罪行為が異常である。現代人は、物質的に豊かになった変わりに、精神を満たす方法を見失ってしまった。こういう話でした。「ウツ」という言葉がキーワードのようです。
鬱というのは悪い言葉ではない、むしろ良いはずだと。鬱蒼という言葉、木がみどりでモリモリ茂る状態。鬱然という言葉は、物事が盛んになっている様。エネルギーが働いていて、奥底から盛り上がるような状態。
ともに病的には思えず、ウツ病とのつながりが見えない。しかしこの状態にフタをすると・・・。フタをして、光が届かないようにして、伸びることができず、盛り上がることもできなくする。とたんに、伸びて行く方向を見失う。エネルギーの行き場が無くなる。何をしても無力感に変わる。まじめな人ほど、フタを壊そうとあがく。グイグイと首を伸ばそうとして、そのうち痩せた心がポキンと折れる。こういう状態の人が多いんじゃないか。
今のじだい、仏教の考えを取り入れる事が大切ではないか。能力主義、自己責任が叫ばれて、自力で解決しなければならない状況に追いやられている。しかし社会の大きな流れに逆らうことは容易ではない。この時こそ仏教の「他力」を学ぶべきだと説いていました。
他力とは、他人任せの他力本願とは違うようです。運命とか宿命とかそういうニュアンスでした。他の大いなるものから加えられる力。サブプライムローンとかTOYOTAとかオバマとか、そういうものとは関係ないようです。世界が大きな河だとすると、すべてのものは、その河の一部だという考え方のようです。
河の流れに身を任せて、じたばたせずに、流されてみる事の大切さ。無力と思わず、闇が明けて光明が射すのを待つ。行動を必要と思わず、停滞の必要性を知る。止まって物を見るときにこそ、本当の物が見える。
まだあまり理解していないので、ここらへんまでしか書けませんけど、こんな感じだという講演会でした!仏教奥深し・・・。五木寛之、すばらしい人でした・・・。

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