今年が始まって、もう4月になった。
いろーんな事があったんだけど、振り返る間もなく、次のステージへ突入する。
今は束の間の休日。久しぶりのゴールデンウィークだ。
3月の高瀬さんのワークショップを経て、再びラグナーフライダンク氏のワークショップがあった。今年は何と合宿ワークショップ!
4月17日から20日まで、長野県高遠で、自然と仲間と融合したワークショップをやってきた。なんかもう、今思い出しても全てが奇跡で信じられない。
帰りのバスで新宿の街並みが見えてきた。
ラグナーさんに、「It's reary world.」と、うなだれて言ったら、ラグナーさんは「Takatoo is reary world.」と、言って、笑顔をくれた。
一日あいて、21日から24日まで、ワークショップin東京が開催された。高遠組の他に、御馴染みメンバーや、新しいメンバーも増え、刺激的な毎日だった。私は役者仲間の矢部さんを誘った。もうかれこれ10年の付き合いで、今またこうして同じ現場の空気を吸えるなんて、とっても嬉しかった。
私は高遠で、相手役として高瀬さんと組んだ。これはなんだかとっても興奮する出来事で、帰ってきてから暫く色んな感覚が残ったままで、すっごい不思議だった。お互いに電流が流れているときは、全身が満たされててすっごいこうふんしたよ。
今日は久しぶりの完全オフで、また5月1日から高瀬さんたちとのワークが始まる。5月5日には岡部企画の早春賦稽古初日、5月11日には、再演「エクスタシー」の稽古初日を迎える。
「私は今を生きているの。私は意志を持っていて、それを押し通すことが出来る。死んだ後の幸福なんて誰が保証してくれるの?」
これはラグナーワークショップで取り組んでいる「ブレーメンの自由」という戯曲の台詞。きっとすごい面白い戯曲。私は共感したり迷ったり、この女の主張に一喜一憂する毎日。だった。
ところで、Susan BoyleのYou Tubuもう観ましたか?
高遠から帰って来て社会ニュースと全く隔絶されていたので(何しろ携帯は繋がらない、テレビなんかない。…それにすぐに慣れて、要らない情報は全くいらなかったけど。)とりあえずニュース見たいと思ってテレビつけたら彼女のニュースをやっていたの。アメリカンアイドル(新人アイドル発掘オーディション番組)は、面白くてみてたから、そのイギリス版の話だと言うことはすぐにわかった。
なんかきっと奇跡が起きてるに違いないと思ってYou Tubuみて、私も泣いてしまった。
泣く事だけが賛辞だとはもちろんおもってない。
彼女は世界的オーディション番組の出場者。47歳。満員の観客が苦笑する中、彼女は歌った。(レ・ミゼラブルというミュージカルの、「夢破れて」という歌。)
私は、これがほんとのことだと思う。彼女がこの歌を歌ったから、私はこの歌が理解できたし(ロンドンでレ・ミゼラブル観たけど、意味わかんなかった。英語わかんないからかもしれないけど。)、いま、世界で彼女以上にこの歌を表現できる人はいないと思う。彼女個人だけの話じゃなくて、このオーディション会場という舞台、とか、審査員、観客の存在も含めて。だから、見てよかった。作品て、それだと思う。これがいい、なんて決まっているものじゃなくて、いま、この時代に、誰が一番それを表現できるのか、そこにとっても素敵なものが出現して、人に感動を与える。それは決まっているものじゃないし、ましてやこのレベル以上、なんて誰かが決める物じゃない。この時代に一緒に生きてた人たちが、時代の流れと価値観の流れの中で判断していくべき物。
ところで、私は今年に入ってようやく映画に目覚めました。友人で映画好きとかいたけど、よく解らなかったの。私観たい物とかなかったし。
今年ね、見たい作品があって、それを今の経済状況で観るには…と計算して、そうしたら、正規の値段なら私には観られなかった物が観られることに気がついたの。(千円の日が、色んなところに一杯あった。)
今はまっているのは「ダウト」です。この作品はロスで舞台で見た。舞台はトニー賞とか一杯賞取ってるけど、よく解らなかったの。(英語解らなくても、エンバーズとか、面白いと思えるものは沢山あったのにね。)
でも、あの時舞台で観て解らなかったから、字幕つきで何の話してたかみたいなーと思って観に行ったの。大好きなメリルストリープだったし。で、観に行ったらすっごい面白かった。私はこの面白さを誰かに伝えたくて、実家に行った時母に全役演じて伝えたら、「すっごい面白かった。でも今観たからいいや。」と言われた。こんなんじゃないんだってば。
とにかく面白くて、私としては違例の、映画館に二回観に行った。もう少し観ると思う。
私の祖母(実家の)が老人ホームに入った。母と見に行ったら、「ねえ、いつ出られるの?二、三日かと思ってた。こんなとこやだ。どうせ動けなくても自分の家の天井見てるほうがいいよー」と、言っていた。その少し前(実家にいるとき)には、「どっか入りたい。こんな家で人の世話になるのはいやだ。田舎でも遠くでもいいから施設に入れてくれ」と言っていた。ホームに入った日は上機嫌だったそうだ。(ホームは実家のすぐ近くで凄くいい施設。祖父の通った学校の近くだし、私や父の通学路の近く。そこに入れるなんて奇跡みたいな物だそうだ。近所の人でもう何年も待ってる人がたくさんいるという。)
…で、最近読んだ本で、感銘を受けたものを紹介します。「20世紀イギリス短編集」下巻より。「あいつらのジャズ」作:ジーン・リース。何でこの本を読んだかというと、何か芝居が始まるとき、参考に関連書籍を読むんです。「エクスタシー」は、イギリス70から80年代の話で、その頃の風俗、暮らしが知りたくて、再演だから、新しい刺激が欲しいと思って、図書館で、その時代を描いた小説もしくはその時代に流行った作家を探したんです。司書の方に相談したけど芳しくなくて、見つからなくて、海外文学の棚を一冊ずつみていたら、見つけたわけです。
とても良くて、旦那に朗読で最初から最後まで聞かせて、その後一人で何度も読み返してしまった。
ジーン・リースはかなり自由で孤独な人生だったらしい。この原題は、「Let Them Call it Jazz」です。このほうがしっくりくるし、的を得ていると思う。今年今の所一番好きな小説です。機会があったら読んでみてください。私の知り合いには、ご希望なら私が製本してあげます。へへへ。
イギリスで、この時代に、なんか流されてるような、なんか巧くいかないフラストレーションのような、モノを感じて生きてた主人公の女。アパートを追い出されたり、見知らぬ男のアパートに住まわせてもらったり。運命の波だかなんだかにもまれて、刑務所に訳も解らず入れられたり。そこで、ある女囚が、歌を歌っているのを聴く。こんな所で歌う人がいるんだ。と思う。こんな所で歌う気が起きるんだ、と。(いつかこの歌がトランペットで聞こえてきて、この壁が崩れ落ちるときが来るのかもしれない!!)
出獄して、普通に暮らして、何かのパーティで、不意にその歌を口ずさんでしまう。誰かが聞いてくる。「それ、何て歌?」彼女は、歌ってみる。そのホームパーティの会場にはピアノがあって、彼女の歌を、その誰かがジャズのようにピアノで弾く。みんなは盛り上がっている。でも、彼女は言う。「そうじゃない。そんな曲じゃないわ。」やがてそんなことも忘れてしまう。ある日、そのパーティでピアノを弾いた男から手紙が届く。「あの曲が売れました。これはほんのお礼です。」彼女は泣く。あの曲は、そんな曲じゃなかった。あれは、刑務所で、ある女が、私の為に歌ってくれた曲だった。刑務所で歌っていた女は、私に向って私のために歌っていたんだ。私が刑務所にいたのはそれが運命だったからだ。あの歌を聴いたのは、それが運命だったからだ。
でも、そんなことも気にならなくなる。どうせ私からは何でも取り上げられてしまうのだ。私には何も与えられないのだ。でも、そんな思想も全部くだらないことだと考え直す。たとえ、彼らがあの曲を素晴らしく演奏しようが、もしくは私の思ったとおりに正確に演奏しようが…たとえ彼らがトランペットで吹いたって、私の望みどおりに演奏してくれたって、どんな壁だって簡単に崩れはしないのだ!
「それならジャズだと言わせておけ」(Let Them Call it Jazz)と、私は思うのだ。「違う歌のままにさせておけ。だからと言って私の聴いた歌がかわるわけではない。」

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