叔父に、最後に会いに、青森へ行った時のこと。
といってもついこの間、去年の12月15日である。
そして次の日、叔父は永眠した。
私は、いとこに、叔父の最後の言葉は、
「ユーモアを忘れずに」
だった、と、確かに聞いたのだった。
なんて簡潔で、奥行きのアルセリフなんだ、と、胸の詰まる状況も手伝って、あまりの叔父さんらしさに涙が出るほど笑った。
のか、泣きながら笑ったのか、今となっては定かではないが、
この言葉を私はきちんと伝えたはずなのに、ある人のブログでは、
「ユーモアを忘れずにな」
となっていた。
重要な言葉は一文字違うだけでも響きや趣が異なってくるもので、
「あれ?」
と、思った。
後日、別な、いとこのサイトに親戚の書き込みがあって、ーあの言葉忘れません。ーとあった。ここには何と、
「ユーモアを大切に」
と、なっていた。
この言葉を直に聞いたのは恐らくいとこ一人か、いとこ含め一緒にいた3人か、であったと思われるが、ここから発せられたこのセリフは、100人が100通りの言葉で聞いたのかもしれない。
この言葉を始め、入院生活の全てはいとこ達の手によって記されているので、確認できないことではないが、私はあえて確認しない。
言葉は人伝に伝え、伝えられ、風に乗って飛び、さすらい、これからも幾多の言葉を生み出し、もしくは幾多の言葉として生まれ変わり、何十年も経てば記されたノートも何処かになくなり、言葉以上の生きた、言霊として人々の胸に代々語り継がれていくんだろう。
きっと何百年もたって、残された言葉は何千通りにも膨れ上がっても、その言葉に宿った遺志は更に輝きを増し、人々に磨かれ、まさに玉のようになって光を放つんだろう。

0