2008/2/29

さしもの切り裂きジャックも餌となる。
始めて南米に来て釣りした時なんかこんなゾリンゲンの刃もたじたじな
生けた剃刀を呑んで大丈夫なのかと思った。
今となってはごく普通のこととなってしまった。
小学生の時、隣りの市に自転車でバスを釣りに行くことすら冒険だった。
行動範囲が広がり、行きなれた場所は近くに感じてしまう。
自転車がバイクになり、車になり飛行機になった。
ふと振り返った時、高校生の自分は小学生の時の自分を懐かしんだりしていた。
こんな近くの場所でどきどきしていたのか、と。
今となっては地球の裏側でさえそう遠くに思わなくなった。
「旅は麻薬である。」
そう言った人がいた。
その時は何言ってやがるんだと思っていたがあながち間違いないのかもしれない。
刺激が欲しい。脳の芯から揺るがす刺激が欲しい。
こう思っていることも事実だし、もう軽い刺激では効かないというのもある。
ゴールはどこにも見えないし、ないとも思う。
釣りにも意味はないし、探すだけ無駄なことであると思う。
意味のないことに意味があるとも思う。
心を無にして心の針が振れる方に進んできただけのことだ。
今俺は地球の真裏の大河の船の上に立ち、ピラニアに針を突き刺して投げた。
こんな自分を昔に想像しただろうか。
こんなに魚が渦巻く大河で釣りしていようと思ったであろうか。

(一瞬でピラーニャにピラーニャがヤられる。何度投げても同じ。)
ターゲットのナマズのポイントよりピラーニャのこないポイントを探さなければならない。
自然は偉大だ。
世界にはこんな場所がある。
そのテリトリーに入っていける自分は幸せなのだ。
日は昇りまた沈む
私はその地球の歴史に現れたほんのちょっと、見えないほどの一点にすぎない。

もう夜が来る。
地球は無言の真実で心を洗ってくれるのだ。

投稿者:TERU
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