連休2日目。
午前中はうだうだと過ごし。
午後、
郡山市美術館へと。。。
墨粋会書展のポスターとフライヤーをおいてもらいがてら、久しぶりに行ってきました。
ちょうど、
『林原美術館名品展 華麗なる能装束』
が開催されていました。
すごいかった。
絢爛な衣装。細かい刺繍。
あれだけの刺繍をするのにどれくらいの時間と手間がかかってるのだろう。
色鮮やかなんだけど、不思議と優しい。
天然染料を使ってるからなのかな。
お面もなんとも言えない、引き込まれるような深い表情をたたえ。。
桃山時代から、江戸時代にかけての衣装が残っているのもすごい。
あれだけの技と美を引き継いでいく。。
現代の資本主義社会ではむずかしいのかな。
昔は藩の特産品として保護されていたわけだし。
今は、いくら良い物でも売れないとどうしようもない。。。
匠の技を受け継ぐにはそれを取り巻く環境、モノを買う我々の意識も関わってくるんですよね。
かといって、厳選された材料で手間をかけた良いものはどうしても高価になる。
我々の手には届かない。。。。
ジレンマ。。
帰りに駅前を通ったら、出店と山車が出ていた。
お祭りらしい。。。
安積國造神社のお祭り。
郡山では開成山大神宮とならぶ神社です。
ご祭神
和久産巣日神
(わくむすひのかみ) (農業の生産を掌る神)
御本殿
天湯津彦命
(あめのゆつひこのみこと) (比止祢命の祖神)
比止禰命
(ひとねのみこと) (安積国の開祖)
誉田別命
(ほむだわけのみこと) (応神天皇・八幡大神)
倉稲魂命
(うかのみたまのみこと) (稲荷大神)
ご由緒
古代の安積国は、今の郡山市、二本松市、安達郡、田村郡に当たる大領であり、大和朝廷による陸奥国経営の根拠地であった。
第十三代成務(せいむ)天皇の御在位五年(今から千八百六十余年前)、比止祢命(ひとねのみこと)は、勅命により初代安積国造(あさかくにのみやつこ)に任ぜられ、労苦尽くして荒野を開き、安積国を建国された。
比止祢命はまず初めに、赤木山(現赤木町)にお社を御創建、和久産巣日神、天湯津彦命(邇芸速日命(にぎはやひのみこと)天降りの時供奉された神 十世孫が比止祢命)をお祭りされて、開拓の成功と国の安泰、人々の幸福を祈願された。
これが安積國造神社の起源である。
御本殿 比止祢命は、神去られた後も偉大な霊力を畏敬され、比止祢命のご神霊が本神社に合祀された。
延暦十九年、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)将軍は、東征の砌(みぎり)、本神社に八幡大神をお祭りし、旗と弓矢を寄贈した。
これ以来、八幡宮とも奉称されている。
武人の崇敬篤く、源頼義・義家が戦勝祈願している。
天和(てんな)三年、本神社は、赤木山から現在鎮座地(清水台)に奉遷された。この時、中世安積領主伊東摂津守(いとうせっつのかみ)城内に古来(むかしから)鎮座されていた稲荷神社も当地へ奉遷された。
二本松藩主丹羽(にわ)侯は本神社を格社(かくしゃ)と奉称され祭典には神饌幣帛(しんせんへいはく)を献ぜられた。
古来、郡山総鎮守、旧社格県社(けんしゃ)。国造の子孫は、本神社宮司として累代神明奉仕している。
秋季例大祭(しゅうきれいたいさい)
九月二十七日、二十八日、二十九日 五穀豊穣をご神恩(しんおん)に感謝する。
市内神輿渡御(みこしとぎょ)。
駅前大通りはお祭り広場となり、二十八日の山車(だし)祭りでは八幡ばやしを奏でた二十台の山車が集まり、二十九日の神輿還御(みこしかんぎょ)では、三十五社の神輿が担がれる。
(安積國造神社HPより)
小さい頃は学校が半日になって、リヤカーに太鼓をのせた山車を引いたっけ。
団地だったから子ども会だけのお祭り。。。
最近じゃ、身近じゃない。
ちょっと寂しい。
祭り大好きなんだが。。
地域の人じゃないと『祭り』って感じはしないよね。
祭りのある地域の人がうらやましいなあ。

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