2018/10/29

4612:中華街  

 「その金額、振り込んでもらっても良いですけど、オマケのようなものですから、その金額を使って一緒に食事でもしませんか・・・」

 「寧々ちゃん」の声は、スマホの小さなスピーカーからさらさらと流れるように私の耳に届いた。その声の抑揚には特別な感情の内包は感じられなかった。

 「その金額」とは、彼女の亡くなった夫が随分以前に使っていたプリメインアンプ ONKYO Integra A7をヤフオクで売却した金額のことである。

 相続税の申告を済ませたのちに階段下の物置から出てきたささやかな「遺品」であるIntegra A7の売却代金は9,000円ほどであった。

 この時代の日本製のプリメインアンプの売却額の相場は2,000円ほどであるが、このIntegra A7は、傷や錆が全くなく、保存状態がとても良かった。過去に2度メンテナンスを受けていたのも良かったようで、予想された金額よりも相当高い金額で落札された。

 その経緯と落札金額を口座に振り込む旨を彼女に連絡した時に、彼女は「その金額で、一緒に食事でもしませんか・・・」と返答したのである。

 一瞬の間があった。「ということは、〇〇さんの奢りということですね・・・」と私が話すと、「そういうことになるかもしれないけど、そのお金は本当はないものだったんですから・・・奢りというほどのことでもないかも・・・」と、彼女は少し笑いながら話した。

 彼女とは10年ほど前にゴルフスクールで知り合った。様々な経緯を経て、一時私達二人は「特殊関係人」となった。

 その関係は数年続いたであろうか。その後その関係はきれいに清算された。そしてその関係がすっかり過去のものとなろうとしていた時に、彼女から連絡が入った。

 スマホ画面に表示された彼女の名前を訝し気な目で眺めながら出てみると、彼女の夫がくも膜下出血で亡くなり、その相続に関する手続きが全く手つかずで困っているとのことであった。

 私は相続関連の手続きに関してアドバイスし、彼女の夫が遺した膨大な量のレコードと高価なオーディオシステムの処分も行った。

 それらの手続きは順調に進み、不動産や金融資産の相続手続きや相続税の申告・納税も期限内に済んだ。

 不動産の相続手続きは知り合いの司法書士に頼み、相続税の申告手続きは私がやり、報酬もしっかりともらった。

 膨大な量のレコードは「ディスクユニオン」で処分した。高価なオーディオ機器は「オーディオショップ・グレン」の小暮さんにすべて引き取ってもらった。

 彼女の夫は比較的潤沢な生命保険に入っていて、さらに務めていた会社から高額な死亡退職金も出たので、経済的には今後全く不安のない状態となった。

 「もちろん、食事だけですよ・・・」彼女は含みを持たせた言葉を続けた。「了解です・・・もうそういう年齢でもないですからね・・・」私はゆっくりとそう答えた。
 
 私は既に55歳となり、彼女もちょうど50歳である。二人ともいい歳になった。ある意味いい塩梅に枯れてきたともいえる。

 「お薦めはありますか・・・?」彼女は続けた。「予算は9,000円ですよね・・・少し考えさせてください・・・」私はそう返答した。

 そんな会話を交わしたのが先週のことであった。そして、今日二人は横浜の中華街の朝陽門で待ち合わせをした。平日の夜であるが、中華街は思っていたよりも多くの人がいた。 



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