2014/1/24

2871:試聴  

 丸椅子には背もたれが無い。脚を組んで少し前のめり気味の姿勢で音楽を聴いた。交響曲、オペラ、ヴァイオリンソナタ、ピアノ曲が流れた。

 とても60年前のスピーカーとは思えない生気あふれる音である。そのコンパクトなキャビネットから予想される以上の低音の量感である。

 高域にはモニター・レッドで時折感じるようなしゃくれもなく艶やかな質感である。帯域は狭いはずであるが、不足感はそれほど感じない。

 そして、こんな悪い試聴環境であっても空間の広がり感はしっかりと感じられる。その潜在能力の高さは思いのほか高いことが窺えた。

 「アンプは何をお使いですか?」

 店主が曲の合間に訊いてきた。

 「QUADです。」

 「QUADですか・・・QUADならもう少し太い音がするでしょうね・・・MarantzはEL34ですから・・・QUADのKT66なら、もう少し太くなるんですよね・・・このEL34はテレフンケン製です。とても繊細な音がします。」

 「EL34・・・良いですよね。その見た目もすらっとしていて高貴な雰囲気を持ってます。KT66はシルエットがぽっちゃり型で、音もそんな感じでしょうか・・・まったり系・・・」

 「プリにMarantz7を持ってくると更に良くなるんですが・・・今整備中なんですよ。ヴィンテージ機器は整備が絶対に必要なんです。万全のコンディションものは少ないですからね・・・」

 「Marantzの黄金コンビでアナログを聴いてみたかったですね・・・」

 「それなら間違いないでしょう・・・でもMarantzもTANNOYも高くなりました。特に最近為替の影響で苦労しています・・・」

 「急に円安になりましたからね・・・」

 そんな話を交わしながら、音を確認し、合間にスピーカーのすぐ傍に行ってキャビネットのコンディションを詳細に検証したりした。

 「このコーナー・カンタベリーは買いだろう・・・確かに価格は高い。しかし、このキャビネットの素晴らしいコンディションに、希少価値の高いモニター・シルバー・・・」

 そんなことが頭の中を行ったり来たりしていた。

 キャビネットを見ていて気になったことが一つあった。それはエンブレムである。我が家にあったCHATSWORTHに付いていたものとは違い、真鍮製かと思われるしっかりとした金属のプレートに「TANNOY」と彫り込まれている。これはシルバーの時代のエンブレムなのであろうか・・・レッドやゴールドの時代のエンブレムとは違う。そのエンブレムは60年という長い時間の経過により鈍く輝いていた。

 「このエンブレム、かっこいいな・・・」

 そのエンブレムをしげしげと見ている時であった。曲はショパンの「雨だれ」がかかっていた。左側のスピーカーのエンブレムが、下の長辺を支点として手前にすっと開いた。

 不意を突かれて、驚いてその様子を凝視した。エンブレムの奥にはそのエンブレムよりも一回り小さな長方形の穴が開いていた。その四角い暗部からは一つの黒い塊がもぞもぞと這い出してきた。

 「蜘蛛だ・・・」

 蜘蛛はその穴の周囲を一回り二回りした。そしてまたその穴のなかに戻っていった。エンブレムは蜘蛛の姿が見えなくなると、静かに閉まった。その後は何にも無かったかのようにエンブレムは鈍く光っていた。

 店主の顔を確かめた。店主の表情にはなんら変化はなかった。皺の多いその顔つきは穏やかなままであった。

 「蜘蛛の存在には全く気付かなかったのであろうか・・・もしかして、その蜘蛛は私の目だけに見えていたのであろうか・・・」少し気分が悪くなってきた。

 私は店主に礼を言い、そそくさと外に出た。車に戻った。「疲れているのであろう・・・仕事のしすぎか・・・」ブレーキペダルを踏んでエンジンボタンを押した。乾いたディーゼルエンジンの音が吹き上がった。この乾いたエンジン音にも最近はすっかりと慣れた。



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