2006/9/28

増幅のツボ  

 昨晩はNHK BS HIVISIONで深夜の1時から、クラシック倶楽部 −池田昭子 オーボエ・リサイタル−を見た。プログラムは次のとおり。

「オーボエ・ソナタ ト短調 Wq.135」カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ
「アダージョとアレグロ 変イ長調 作品70」シューマン
「エピタフ」ルトスワフスキ
「サロン風小品 作品228」カリヴォダ
「ソナタ ト短調 BWV1030b」ヨハン・セバスティアン・バッハ
「ヴァーティカル・レイン」茂木大輔
(オーボエ)池田 昭子
(チェンバロ)大塚 直哉
(ピアノ)石田三和子

 オーボエの澄んでいてしかも暖かみのある音色に心が癒される思いがした。人生それなりの年数を生きてくると、その途中で様々な出来事を経験しているもの。もちろん嬉しい体験も多くしているわけであるが、思い出すと古傷が痛むように感じられる「イタイ」体験も数多いものだ。それらは心の中に小さなひび割れのようになって痕跡を残している。そして人生も40年を経過するとその傷の数もそれなりの多さとなってくる。

 今日聞いた池田昭子さんのオーボエの音は、そんな心のあちこちに点在するひび割れた傷跡に染み入り、癒してくれるような印象を受けた。特に「ソナタ ト短調 BWV1030b」ヨハン・セバスティアン・バッハを聞いた時、その感を強くした。心にすっと染み入ってくる、そして何時しか静かな喜びの感情で満たされる・・・現実に体験したり、見聞きするネガティブなものを浄化し洗い流してくれる・・・そんな印象である。

 もちろん立派なオーディオ装置で聞いているわけではない。32型の薄型テレビで見ているというか、聞いているのである。しかし、音楽に深く癒され感動することができた。音楽を受け入れるあるいは必要としている心の状態がそうさせたのか、あるいはオーディオを聞けない状況が比較的長く続いているので音に飢えていただけなのかもしれない。

 オーディオ装置がなくても音楽に感動することはできる。では高価なオーディオ装置の必要性は本当にあるのか?という疑問も当然生まれる。

 以前リフォーム工事の打ち合わせの際に来ていただいた松浦さんから、打ち合わせ後の食事の際に「オーディオは感動の増幅装置だ。」という趣旨の話を聞いて強く心に残った。つまり、ラジカセで聞いても音楽に感動することはできる、オーディオはその感動を増幅し、より精緻で力強いものにするためにある。

 とても分かりやすく良い話だと感じ入った。そして人それぞれ効率良く増幅できるツボがあり、自分自身のツボを把握し、オーディオ装置やセッティングをそのツボに合わせていくことが重要だとも教わった。まだ明確にというわけではないが、私自身の増幅のツボが分かり始めてきた。しかし、そのツボにセッティング等をあわせていくのは、まだまだこれからということであろう。そのツボは十人十色であるから、人のツボを真似てもいまいちな結果となるので、その見極めが重要なのであろう。



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