2020/7/11

5238:Mimizuku  

 地下鉄の改札を出てから10数分歩いた。見慣れた古いビルは、灰色の雲をバックにほんのりとくすんだ白い色を示していた。

 5階建ての古いビルは昭和の香りを色濃く残してる。40年以上の時間が経過していると思われるそのビルの1階に入っているのが、喫茶店「Mimizuku」である。

 個人経営の喫茶店はその多くが時代から取り残された存在になっている。「Mimizuku」も例外ではない。コロナ禍が蔓延する前から、この店の来客数はじり貧状態であった。

 店の木製の扉を開けた。扉の上部には鈴が取り付けられている。梅雨の湿った空気のせいかその鈴の音もいつもよりも重く感じられた。

 「いらっしゃい・・・」一人でこの小さな喫茶店を切り盛りしている女主人は静かに口にした。店内には4人掛けのテーブル席が二つ、2人掛けのテーブル席が一つ、そしてカウンター席が4席ある。14名の客が入ったら全ての椅子が埋まることになるが、そんな光景は見たことはない。

 店内に入っていつものようにカウンター席に向かうと、そこには先客がいた。「ゆみちゃん」である。

 「こんにちわ・・・」と挨拶をして一番奥のカウンター席に座った。「ゆみちゃん」は一番手前に座っているのでカウンター席二つ分の空間が二人の間にはあった。

 彼女の前にはノートパソコンが置かれていた。「もしかして、仕事してるの・・・?」と彼女に訊くと「そうなんです・・・テレワークです・・・自宅で仕事しているとどうしてもだらけてしまって・・・効率が悪いので、午前中は自宅で、午後からはこの店で仕事しているんです・・・やっぱりここのほうが集中できるんですよね・・・」と彼女は答えた。

 腕時計の時刻は4時半であった。カウンターの右端に置かれているオレンジ色をしたCORAL製のパタパタ時計は「PM5:15」を示していた。

 この店の中では時間の正確性はそれほど重要なことではないようであった。「ゆみちゃん」と私以外には奥まったところに置かれている2人掛けのテーブル席に初老の男性客が一人座っていた。新聞を読んでいた。テーブルに置かれているコーヒーカップにはもうコーヒーは残っていないようであった。

 「神田猿楽町のレコード屋さんに寄って、レコード買ってきたんだ・・・これこれ・・・」と私は今日購入した10インチレコードを彼女に見せた。
 
 彼女は「あれ、これって少し小さいですね・・・シングルレコードですか・・・?」と反応した。

 「シングルよりも少し大きい・・・穴も普通の大きさ・・・シングルは7インチでこれは10インチ・・・LPレコードは12インチ・・・これは回転数も33で、旧い時代のものなんだ・・・」と説明した。

 「あまり見かけないものですね・・・」と彼女はしばしそのレコードのジャケットを眺めていた。「確かにこのジャケット、時代を感じますね・・・」と続けた。

 「1960年くらいかな・・・もう60年も前のレコード・・・レーベルはTELEFUNKENだから、ドイツのレコード・・・そういえば、最近良いレコードあった・・・?」と彼女に質問した。

 実は彼女も年齢に似合わずレコード好きである。自宅にはYAMAHA製のレコードプレーヤーが置いてある。1970年代の日本のポップスがメインジャンルである。



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