2019/4/30

4796:バトルモード  

 穏やかな巡航ペースで富士スバルラインを上り続けて3kmほど走った頃であった。リーダーともう一人のメンバーが後ろに追いついてきた。

 そして、ややあってペースを上げて右脇を抜けていった。その遠ざかろうとする背中を見ながら、少し迷った。

 「このまま、巡航ペースでのんびり行くか、ペースを上げて前を行く2名に付いていくか・・・」

 もちろん前者の方が楽であるが、人間楽な方ばかりを選択するとは限らないものである。少しの間逡巡したが、すぐに結論を出して、クランクを回すペースを上げた。2名のすぐ後ろに貼りついて走った。

 サイコンに表示されるパワーは200Wから240Wの間を行ったりきたりという具合の高めの負荷で推移した。ついさっきまでののんびりモードから一気にバトルモードに突入した。

 まだまだ先は長い。この高めの負荷で10km以上のヒルクライムを続けなくてはならない。「厳しいヒルクライムになりそうだ・・・」そう思いながら、前を行くメンバーの背中に視線を集めた。

 幸いなのは、富士スバルラインは比較的斜度が緩めであるということである。先週バトルモードで走った塩山側から上る柳沢峠の方が斜度が厳しい。

 斜度が上がると、サイコンに表示されるパワーも上がる。240ワット以上の数値になることもあった。そうなると前を行くメンバーとの間に空隙ができる。その後斜度が緩むとその空隙を埋めるべくペースを上げた。

 そのようなことを繰り返しながら、どうにかこうにか前を行く2名に付いていった。ここまで既に100km以上の距離を走ってきているので脚の余力はないはずであるが、意外と脚が回った。

 3合目を越えたあたりでリーダーがさらにペースを上げて、単独で走ってきていたローディーの背中をロックオンして追走し始めた。

 私ともう一人のメンバーはペースを維持したまま連結状態で残り距離を走り続けた。途中で私が先頭交代して前を引いて残りの行程を走っていくと、4合目の大沢駐車場の手前1km程から駐車場に入れない車が渋滞して長い行列を形成していた。

 その左脇を抜けていこうとしたが、大型バスが停まっていて左側の空間が狭く通り抜けるには危険を伴った。道の左側は深い溝があり、ふらついて落下すると大怪我をする危険性があった。

 そこで、2名は車の列の右側に出て反対車線を上っていった。車の隊列は延々と続いていた。大沢駐車場は5合目の駐車場と違いそれほど収納力はない。それ故生じた渋滞のようであった。

 車の渋滞の脇をゆっくりと抜けていき、ようやく大沢駐車場に到着した。4合目の天気は下から見上げた時と違い霧に包まれていた。陽光は全く届かず、富士山の頂上も真っ白な雲に覆われていて望むことはできなかった。

 そしてとても寒かった。上り終えた直後は体の発熱でしのげたが、その熱もすぐさま奪われた。ウィンドブレーカーを羽織ったが焼け石に水といった感じであった。

 10分もしないうちに体は寒さで小刻みに震え始めた。「寒い・・・予想以上に寒い・・・」山中湖のコンビニ休憩時に青い空をバックにくっきりと浮かぶ富士山を眺めていた時の楽観的な予測は一気に瓦解した。 

クリックすると元のサイズで表示します

2019/4/29

4795:富士スバルライン  

 「久保の吊り橋」で一息入れた後、リスタートした。次は「道の駅 どうし」へ向かった。道志みちは相変わらず上り基調で続いている。

 この道志みちは来年に行われる東京オリンピックのロードレースの舞台でもある。コースは、東京都武蔵野の森公園をスタート会場とし、道志みちを通過して、静岡県富士スピードウェイでゴールするものである。

 「道の駅 どうし」に到着すると、そのオリンピック効果からか、サイクルラックがこれでもかと置いてあった。

 ゴールデンウィーク真っ只中、道の駅は家族連れやサイクリスト、バイカーたちで溢れていた。そんな中、地元の大学生がサイクリスト向けにアンケートをしていたので、メンバー全員で協力した。アンケートに答えるとミネラルウォーターが1本もらえた。
 
 天気は良かった。陽光を浴びていると「これなら、富士スバルラインの下りも予想よりは寒くないかも・・・」とそんな楽観的な考えも浮かんだ。

 「道の駅 どうし」をスタートして、山伏峠を目指した。山伏峠を越えるとその先は山中湖に続いている。隊列が長かったので、3分割して車が横を抜きやすいように小集団になって走った。

 道志みちは道志川に沿って続いている。時折川沿いにキャンプ場の看板が見えた。子供たちが小さかった頃には、こういった川沿いのキャンプ場に来たことを思い出した。

 長い上りを淡々としたペースを上り続けた。山伏峠の頂上は山伏トンネルである。ようやくその山伏トンネルが見えてきた。

クリックすると元のサイズで表示します

 山伏トンネルを背景として記念撮影を済ませて、トンネルを潜り山中湖へ下っていった。山中湖周辺は爽やかな空気に包まれていた。テニスコートを併設した民宿が道沿いに多く見えた。

 山中湖に近いセブンイレブンに立ち寄って、補給食を購入した。それをコンビニの隣の公園の芝生の上に座って食した。

 ここからは富士山がくっきりと見える。「ここでUターンして帰れば、気持ちの良いロングライドで終われるが・・・」と少しばかり、さぼり心も出てくる。

 次なる目的地は富士スバルラインの料金所である。富士スバルラインへ向かう道は、周囲が広々していて気持ちの良いものであった。時折、富士山が見えた。青い空を背景に白い富士山の頭が見えていた。

クリックすると元のサイズで表示します

 爽やかな空気の中走り続けて、富士スバルラインの料金所にたどり着いた。料金所の職員に確認すると、通行止めで5合目までは行けないが、4合目の大沢駐車場までは行けるとのことであった。

 予定よりは少し短いが、約17kmほどのヒルクライムとなる。「バトルモードで走るのか、巡航ペースで走るのか・・・今日は巡航ペースで行こうかな・・・」とスタート時点では思っていた。

 先週の塩山側からの柳沢峠ヒルクライムはバトルモードで走って、疲弊しきった経験があった。その時の辛い経験が頭をよぎった。

クリックすると元のサイズで表示します

 そして、スタートした。ゆったりとしたペースで走り始めた。サイコンのパワーの数値をチェックして150ワットから160ワットという脚にそれほど負荷のかからない範囲で走り続けた。その緩やかな巡航ペース3km程走った。

2019/4/28

4794:道志道  

 先週は塩山まで行き、走行距離は204kmであった。今日も200kmを超えるコースを走る予定であった。そのコースは富士スバルラインまで自走で行き、富士スバルラインでの長いヒルクライムにチェレンジして、戻ってくるというもの。

 予定されている走行距離は250kmほどである。しかし、心配な情報が入っていた。昨日、季節外れの寒さにより富士山には雪が積もったようで、通行止めで途中までしか走れない可能性が高かったのである。

 2週続けての「超ロング」(チーム内では200km以上走るロングライドを「超ロング」と呼んでいる)は、初めてかもしれない。

 「超ロング」の朝はとても早い。小平市在住のメンバーはバイクルプラザに朝の5時に集合し、東大和市在住のメンバーは、府中街道の「競馬場西門入口交差点」に5時半まで行き、本隊と合流することになっていた。

 合流地点までは自宅から45分程度で着く。4時45分に自宅を後にした。空は既に明るくなっていた。LOOK 785 HUEZ RSに跨って、まだまだ冷たい早朝の空気を切り裂きながら走った。

 今日は冬用のサイクルジャージに身を包んでいた。昨日の土曜日はとても寒かったが、今日もこの時期としては気温が低いとの予報であった。さらに富士スバルラインを5合目から下る時のことを考えると、冬用のサイクルジャージしかないと思えた。

 府中街道を南下していると、同じ東大和市在住のメンバーの背中が前に見えた。そこでペースを上げて追いついた。

 挨拶を交わして、2台のロードバイクは連結して走った。集合地点に着いてしばし待っているともう1名のメンバーが集合地点に着いた。3名で待っていると6両編成のトレインが停車した。

 それに合流して9両編成となった。さらにこの先の町田街道でもう一人のメンバーと合流する予定であった。

 府中街道を走っていって、南多摩尾根幹線道路に達した。通称「尾根幹」を走った。この道は定期的にアップダウンが繰り返される。ここで「夜錬」をしているメンバーもいる。

 町田街道に達して予定通り1名のメンバーと合流した。10両編成となったトレインは津久井湖方面へ向かった。

 津久井湖を右に眺めながらやり過ごし、何度か左折右折を繰り返し「道志道」に入っていった。「道志道」に入っていくと道の雰囲気はがらっと変わる。

クリックすると元のサイズで表示します

 急に緑の支配力がアップするのである。空気も良くなった。やはり自然は偉大である。「道志道」は上り基調である。時折しっかりとした斜度の短い上りも入る。

 無理のないペースで走っていったが、疲労はどんどんと溜まっていった。やがて「久保の吊り橋」に到着した。ここで一息入れた。

クリックすると元のサイズで表示します

2019/4/27

4793:イコライザーカーブ  

 まず最初にZYX Airy monoの針先が降り立ったのは、ラウテンバッハのヴァイオリンによるヘンデルのヴァイオリンソナタが納められたレコードであった。

 伴奏はチェンバロとヴィオラダガンバで、もちろんモノラル盤である。ヨーロッパのモノラル盤はイコライザーカーブが煩雑である。小暮さんは、この盤は「RIAA」であることをリストで確認していた。

 LEAK POINT ONEのイコライザーポジションが「RIAA」になっていることを確かめてから、リフターの小さなノブは下に下ろされた。

 古い録音のモノラル盤であるので、サーフェスノイズは大きめであるが、演奏が始まると、そういったものは、さっと後方へ飛び去ってしまう。

 モノラルらしい密度感のある音がLsndsdownから放たれた。正面に据えられた1本のみのスピーカーから音が直球勝負で向かって来るのは、潔く心地良い。

 全身にその音楽シャワーを浴びながら、「モノラル盤の本来的な聴き方は、こうあるべきなのかもしれない・・・」と感じた。

 このレコードのA面には、ヘンデルのヴァイオリンソナタ第3番が収録されている。4つの楽章を通して聴いた。

 最終楽章が終わり、リフターの操作により針先がレコードから浮き上がって離れた。その際ふっと風が吹くような音がした。

 「良いですね・・・モノラル盤はこうやって聴くべきだと、しみじみ思いました・・・もちろん現実的にはレコードコレクションはモノラル盤ばかりではないので、そういうわけでにはいきませんが・・・」

 小暮さんは、納品時にこのLEAKのアンプも持参して、QUAD QC2とQUAD 2のペアとの比較試聴をするとのことである。どちらも定評のあるアンプである。できることなら、その比較試聴の現場に立ち会いたいものである。

 上手く行けば、TANNOY Landsdownとともに、LEAK POINT ONEとLEAK TL-12 Plusのペアもお買い上げということになる・・・その可能性は高いと思えた。なかなか商売上手である。

 続いてROKSAN XERXES 10のターンテーブルの上に乗ったレコードは、スティッヒランダルのソプラノによる歌曲集であった。A面にはモーツァルト、B面にはシューベルトの歌曲が収められている。

 小暮さんは、B面を上にしてレコードをゆっくりと設置した。そしてLEAK POINT ONEのイコライザーポジションを「NAB」に設定した。

 このレコードは我が家でも頻繁にDELPHI6のターンテーブルに乗る。1950年代のフランス録音である。1950年代のフランス盤には独特の輝きがある。エスプリと評したくなるような何かがレコードに付加されているように感じられる。

 モニターシルバーは、12インチであっても、やはりモニターシルバーである。品格の高さを感じさせてくれた。

 B面を通して聴いた。実はモノラル盤を1本のスピーカーで聴くのは、初めての体験である。何故かしらしみじみと聴いた。

 1枚のレコード、1台のプリアンプ、1台のパワーアンプ、そして1台のTANNOYで奏でられた音楽は、遮るものがなく私の心に響くようであった。

2019/4/26

4792:モノラル仕様  

 金属製の扉を3回ノックすると、「どうそ・・・」という声がドア越しに聞こえた。手に冷たい感触のあるドアノブを回して扉を開けた。

 玄関口で靴を脱いでスリッパに履き替えた。ここは事務所仕様の室内構造になっていて、ほぼワンルームである。広さは15,6畳はあるであろうか、別にトイレに小さな洗面所がある。

 リスニングポイントに置かれた三人掛けのソファに座った。すぐ正面の壁の真ん中の位置にTANNOY Landsdownは置かれていた。

 Landsdownはいわゆるコーナー型ではない。上から見ると変形六角形をしている。背面はまっすぐになっていて、その背面が後ろの壁と平行になる。スピーカーの背面と後ろの壁の距離により低音の出方などが変わってくるのであろう。

 正面から見ると、GRFの高さを3分の2ぐらいにして脚をつけたような印象を持つ形状である。ソファに座ると耳の位置よりも若干下にユニットの中心点がある。

 小暮さんはイギリスからこのスピーカーが届いた際に入っていたというその当時のカタログを見せてくれた。カラーではなく、白黒で印刷されたものである。

クリックすると元のサイズで表示します

 そこには「Landsdown」「Autograph」「York」が載っていた。Landsdownは一番上にあり、その当時のTANNOYのラインナップにおいては、一般家庭向きの製品であったようである。

 そのLandsdownを真正面に向かえ、一対一の関係でじっくりと眺めていると、その存在感は大きさの割にしっかりとしたものがあるような気がした。

 「このスピーカーは、1本のみをこうやって壁の真ん中に据えて、向かい合ってモノラルで聴くのが正しい・・・」そう思えてくるから不思議である。

 小暮さんが淹れてくれた珈琲を飲みながら、しばしのオーディオ談議で時間を過ごした。このスピーカーは来週には幸福なオーナーの元に納品される予定である。

 その購入者は、「モノラル愛好家」とのことで、他に二つのスピーカーを有しているとのことであるが、そのいずれも1本のみである。

 元大学教授とのことで、当然古い時代のレコードを大量にコレクションしていて、レコードプレーヤはTHORENS TD-124、アンプはQUADの真空管式のものを使っていることが小暮さんとの話で分かった。

 「そういったモノラル専用のオーディオセットって・・・なんだかいかにも趣味人的な趣があって良いな・・・」そんな感想を持った。

 しばしの雑談の後、TANNOY Landsdownでのモノラル演奏を聴くことになった。駆動するアンプはLEAK POINT ONEとLEAK TL-12 Plusのペアであった。スピーカーに合わせてモノラル仕様のアンプである。レコードプレーヤはいつものROKSAN XERXES 10であるが、カートリッジはZYX製のモノラル仕様のものがArtemizの先端に装着されていた。

2019/4/25

4791:Landsdown  

 「モニターシルバー、新しいのが入ったよ・・・イギリスから3日前に着いてね・・・12インチで、ペアではなく1本だけだけど・・・モノラル愛好家の依頼で探していたものでね・・・聴きに来る?」

 という内容のメールが「オーディオショップ・グレン」の小暮さんから来たのは、月曜日のことであった。

 今日はちょうど近くの顧問先の会社に行く予定があったので、打ち合わせが終わった後、車で中野坂上へ向かった。

 12インチのモニターシルバー搭載のスピーカーは、いままで二つ聴いたことがある。Corner ChatsworthとCorner Canterburyである。

 どちらもペアであった。今回のものは、残念ながらペアではなく1本であるので、必然的にモノラルとなる。

 モニターシルバーが製造されたのは1954年から1957年・・・モノラルの時代であった。1958年になってステレオの時代になるとモニターレッドに切り替わる。

 なので、1本のみでモノラルを聴くというのが、モニターシルバーの搭載されたスピーカーの本来の姿なのかもしれない。

 小暮さんのメールにはそのスピーカーの製品名が「Landsdown」と記載されていた。Landsdownは1954〜61年頃まで製造されていたモデルのようで、1957年までは12インチのモニターシルバー、1958年以降は12インチのモニターレッドが搭載されていたようである。

 「オーディオショップ・グレン」に新たにやってきたのはモニターシルバー搭載の初期型のモデルのようである。

 我が家のGRFに搭載されているモニターシルバーは15インチである。キャビネットは英国オリジナル。モノラルの時代に製造販売されたものであるので、1本のみで販売されていたはずである。

 その後ステレオの時代になり、スピーカーが2本必要になったので、当初このスピーカーを購入したオーナーは同じものをもう1本購入したのであろう。

 同じGRFではあるが、製造された年は違うようで、左右でエンブレムの形状が違う。キャビネットの造りにも細かな点では左右で違いがあるのかもしれない。

 小暮さんはメールの最後に参考資料として、1956年のHiFi Years Bookに記載されていたTANNOYのラインナップを載せてくれていた。

 TANNOY Autograph(15in) £150.3
 TANNOY GRF(15in) £116.10
 TANNOY York(15in) £71.8
 TANNOY Landsdown(12in) £68.5

 1956年におけるTANNOYのラインナップはこの4つであったようである。Landsdownはエントリーモデルの位置づけであった。

 1956年であるので、価格は1本の値段である。15インチを搭載した大型のモデルはどちらかというと大広間などの広い空間に相応しいもので、一般的な家庭ではLandsdownで必要にして十分であったはず。

 我が家のように8畳の部屋にGRFを押し込むのは、本来は相応しいのではなく、Landsdownが、丁度いいものであったのであろう。そういう意味合いにおいても、Landsdownは聴いてみたくなる存在である。

 いつも車を置くコインパーキングに車を停めて少し歩いた。天気予報はにわか雨の心配を伝えていたが、その兆候は窺えなかった。

 古いビルの1階には喫茶店が入っている。ここにもよく来る。店名は「Mimizuku」。ビルと同じく古い店で時代に取り残された感のある喫茶店である。

 窓ガラスから店内の様子をちらっと覗いた。平日の夕刻、客の姿はなかった。いつものように店内では独特の時間がゆったりと流れていて、外の時間とははっきりとずれているようであった。

 ビルの脇にある階段を登った。直角に折れ曲がる踊り場を何度か過ぎ去って、4階に着いた。灰色の金属製のドアには小さな看板が掲げられていた。

2019/4/24

4790:204km  

 柳沢峠の標高は、1,472mである。気温は低い。ゴールしてしばらくすると大量にかいた汗が冷えてきた。サイクルジャージの背面ポケットに入れておいたウィンドブレーカーを取り出して着込んだ。

 順次ゴールしたメンバーは一様に「きつかった・・・」と口にした。極度の疲労で体調を崩してしまったメンバーもいて、長めの休息を取った。

 ここからは下りが大半とはいえ、まだまだ相当な距離を走る必要がある。体調を崩したメンバーが最後まで走り切れるかどうか少し心配であった。

 恒例の記念撮影を済ませてから、下り始めることにした。いつもよりはペースを落として、下っていった。

 下りは強い風が体に当たる。熱を奪われるので筋肉が強張りがちになる。私は数年前この柳沢峠の下りで落車したことがある。慎重に下っていった。標高が下がってくるにしたがって、寒さも和らいできた。

 順調に柳沢峠を下りきった。「道の駅 たばやま」が近づいてきた。普段であれば「道の駅 たばやま」では休憩せずに奥多摩湖の駐車場まで走るが、今日はこまめに休憩をするため、立ち寄ることになった。

 夕刻の時間帯、「道の駅 たばやま」はがらんとしていた。ここでトイレを済ませ、暖かい飲み物を飲んだ。体調を崩したメンバーの様子はまだまだ予断を許さない状況であった。

 「道の駅 たばやま」の裏手に当たる川岸の方を眺めると桜がまだ残っていた。夕刻の陰り始めた日の光のなか淡い色合いの桜がぼんやりとした輪郭を浮かばせていた。

クリックすると元のサイズで表示します

 次の休憩ポイントである奥多摩湖駐車場に向けてリスタートした。体調が悪いメンバーは先頭から2番目の位置に固定し、順次先頭交代をしながらゆっくりとしたペースで走った。下り基調であるが、上り返しがある時にはリーダーが後方からそのメンバーの腰を支えてサポートした。

 下り基調の道を進んで行くと、奥多摩湖が見えてきた。奥多摩湖は細長い湖である。その湖をなぞるように続く道を走っていくと、奥多摩湖にかかる橋が見えてきた。

クリックすると元のサイズで表示します

 橋を渡り、幾つかのトンネルをやり過ごすと、奥多摩湖の駐車場に着いた。ここでも休息し、脚を休ませた。

 次はJR青梅線の古里駅傍のセブンイレブンで休息する予定である。当たりは薄暗くなってきた。LEDライトを点灯させて、次なる目的地を目指した。

 ゆったりとしたペースで「護衛船団」は進んだ。そして暗闇が支配する時間帯に入っても、一団はゆるぎないテンポで進んだ。

 古里駅傍のセブンイレブン、さらに青梅市から岩蔵街道へ向かう県道沿いのコンビニでも休憩を挟んで、最終行程に入っていった。

 岩蔵街道を走り、旧青梅街道を走った。旧青梅街道に入る頃合いには、体調の悪かったメンバーの具合もほぼ普段通りに戻った。

 ほっと一安心である。東大和市在住のメンバーは旧青梅街道が東大和市に入ったエリアで本体から分離された。

 「お疲れ様・・・気をつけて・・・」と小平市へ向かうメンバーと挨拶を交わして、自宅へ向かう道を進んだ。

 自宅に帰りついてサイコンを確認すると、今日の走行距離は204kmであった。数字自体に特別な意味合いはないが、「いろいろなものがぎゅっと詰った204kmだった・・・」としみじみ思った。

2019/4/23

4789:柳沢峠  

 柳沢峠のヒルクライムの距離は約17km。塩山側から上る柳沢峠は今日の超ロングのハイライトである。ここは唯一バトルモードで走る。

 しかし、普段のロングのヒルクライムバトルとは根本的に違う。ここまで既に100km以上の距離を走ってきている。道は上り基調であった。「大垂水峠」「笹子峠」と二つの峠も越えてきた。脚の余力は当然のことながらあまり残っていない。

 さらに上る距離が約17kmと長い。普段のロングライドでよく上る峠の距離の3倍ほどの距離がある。かなり過酷な工程となることは、走り始める前から十分に分かっていた。

 ペース配分を誤ると、後半脚がまったく回らなくなる可能性が高い。前半は相当抑えて走る必要がある。

 10台のロードバイクは、ゆったりとしたペースでスタートした。序盤は隊列キープで走った。3km程のアップ区間を経過するとペースは上がり始め、いよいよバトルモードに入っていった。

 「220ワット以下でコントロールしよう・・・それ以上上げないように・・・」そう思いながらクランクを回すペースを上げていった。

 サイコンのパワー数値を凝視した。その結果常時うつむき加減でこの厳しい峠道を走り続けた。メンバーは、順次ペースを上げて前に出ていく。

 今日はその差が開いても、ペースを上げることは全くしなかった。その小さくなる背中が幾分心の中をざわつかせるが、「先は長い・・・」と独り言を繰り返した。

 しっかりとした斜度の坂は延々と続く。トンネルも幾つか潜っていった。苦しみながらもペースは維持し続け、スタートしてから10km程走った。

 前には4名のメンバーがいるはずであるが、視界に入ってきたのはすぐ前を走るメンバーの背中だけであった。

 その背中は徐々近づいてきた。追いつき追い越す時にはお互いに体力を使う。自転車は気持ちで走る面がとても大きい。

 競るとパワーの限定を超える負荷を体にかける。ややあって前に出ると、遠くに3番手を走るメンバーの背中が見えた。

 次はその背中を目指した。残り距離は6km程のはずである。その背中は少しづつではあるが大きくなってきていた。

 すると、前を走っていたメンバーは道の脇によって立ち止まった。通り過ぎる際「大丈夫ですか・・・?」と、ロードバイクのハンドルにもたれかかるようにしていたメンバーに声をかけた。

 「ちょっと、めまいがしてきたので・・・」と、つらそうな調子で返事があった。その脇をすり抜けていき、視線を前に移した。

 ここで2番手を走るメンバーの背中が視界に入ってくるととても助かったのであるが、残念ながら、相当な距離の差がついてしまっていたようで、見えなかった。

 視界に前を行くメンバーの背中があると、引っ張ってもらえるが、淡々と続く坂道のみしか目に入ってこないと、気持ちを保ち続けるのが難しい。

 残り距離が少なくなるにしたがって200ワット以上のパワーを維持するのが困難になってきた。前半抑えた走りに徹っしていたとはいえ、それなりのパワーで走り続けた。終盤は脚の余力もほぼ底を尽き、底にまばらに残っているものをかき集めて、どうにかこうにか走り続けた。

 そしてようやくゴールが見えてきた。弱々しいながらも腰を上げてダンシングで走り抜けた。やはり塩山側から上る柳沢峠は過酷なヒルクライムであった。

 激しく消耗した。LOOK 785 HUEZ RSを「柳沢峠」と書かれた道標の前に立てかけてスマホで写真を撮った。

 標高が高く、空気はひんやりとしていた。汗を大量にかいていた。サイクルウェアを着替えたいところであったが、もちろん着替えの用意などなかった。

クリックすると元のサイズで表示します

2019/4/22

4788:ほうとう  

 笹子峠は穏やかな峠である。上り口は真新しい道路が続くが、すぐに山間の峠道になり、道の両側は鬱蒼とした木々が覆う。

クリックすると元のサイズで表示します

 その木々を通して漏れてくる木漏れ日を浴びながらゆったりとしたペースで走った。少し暑いくらいであったので、この木陰の道は気持ちいい。

 斜度もちょうどいい感じで体感的には5%ほどであろうか・・・急に斜度がぐんと上がるポイントもなく、気持ちよく上ることができる。もちろん、この峠もバトルモードで走れば苦しいはずであるが、一定のゆったりとしたペースで走るととても快適なヒルクライムコースとなる。

 上りきったところに「笹子隧道」がある。このトンネルは昭和13年に建てられたもので、その造形から歴史を感じる。

クリックすると元のサイズで表示します

 トンネルは短い。入口からは向こう側の出口が小さく見えている。トンネル内は照明がない。ロードバイクの小さなLEDライトで、漆黒の闇にわずかばかりの空隙を穿ちながら進んで行くと、ロードバイクが浮いているようなひやっとする浮遊感を感じる。

 このトンネルは短いが、独特の雰囲気がある。その魔界の入り口かと見紛うトンネルの向こう側は、延々と続く下りであった。

 その長い下り道を爽快に下っていった。顔に当たる風は春の心地よさを伝え、所々に桜も残っていた。上り返しもなく塩山市の市街地まで重力のベクトル通りに走っていった。

 目的地は「七福」である。名物は「ほうとう」であるが、そばやうどん、馬刺し定食などもある。ほうとうは2種類、普通の「ほうとう」と「塩こうじほうとう」から選べる。

 その「七福」に到着した。店の前にロードバイクを2,3台ごとに立てかけて、チェーンキーをかけた。

 店内に入り、注文した。気温からすると「ほうとう」よりも「ざるそば」が相応しい気がしたが、皆「ほうとう」を注文した。

クリックすると元のサイズで表示します

 私は普通の「ほうとう」を選択した。2名は「塩こうじほうとう」を注文し、リーダーは「ほうとう」にさらに馬刺しとライスが加わる「ほうとうセット」を選んだ。

 ここの「ほうとう」は、具沢山である。たくさんの具材がごろっとした質感で入っていて、具材だけでもお腹一杯になるほどのボリュームである。完食すると胃袋がぐっと沈み込む感じである。

 「七福」でのまったりした時間を過ごした後はいよいよ柳沢峠へ向けて出発である。「七福」から少し先にあるセブンイレブンで柳沢峠の頂上で食する補給食を仕入れて、長く続く苦難の道へ向かうことになった。

2019/4/21

4787:超ロング  

 バイクルプラザRTでは年に1回か2回、200kmを超える長い距離を走る。通常のロングライドは平均で100km程の走行距離である。200kmを超える距離を走るロングライドをチーム内では「超ロング」と呼んでいる。

 今日はその「超ロング」の日であった。来週の日曜日も「超ロング」の予定が入っていて、2週続けて200kmを超えるコースを走ることになる。

 今日のコースは甲州街道を延々と走っていって山梨県の塩山市まで行き、名物のほうとうを食べてから、柳沢峠を越えて奥多摩湖経由で帰ってくるというものである。かなり過酷なコースである。

 いつもよりも集合時間が早い。バイクルプラザを朝の5時に出発し、東大和市在住のメンバーは「百石橋」に5時半前に待っていて、合流する予定である。

 「百石橋」までは我が家から15分程度で着く。4時半に起きだして身支度を整え、5時10分になってから自宅を出た。

 既に空は明るくなりかけていたので、LEDライトの必要はなかった。サイクルウェアはノーマルジャージにウィンドブレーカを着用し、脚にはレッグカバーを装着していた。

 少し肌寒く感じる空気の中を走っていくと、「百石橋」に到着した。そこで他の2名のメンバーと待っていると、時間通りに本隊と合流した。今日の参加者は10名である。そのロードバイクの内訳はORBEAが4台、COLNAGOが3台、LOOKが2台、そしてRidleyが1台であった。

 10両編成のトレインは「百石橋」をスタートして、玉川上水沿いの道を走っていった。途中で左折して、八王子方面へ続く「多摩大橋通り」を南下した。

 多摩川にかかる多摩大橋を渡り、八王子市に入った。アップダウンを越えて、いつも休憩するセブンイレブンに立ち寄って、コンビニ休憩をした。今日は走行距離が長いので、コンビニ休憩をこまめに繰り返して、体に溜まる疲労を少しでも軽減する予定であった。

 リスタートして甲州街道にぶつかり右折した。浅川にかかる大和田橋を渡ってすぐに浅川サイクリングロードに入った。

 朝の時間、この道には散歩している老人が多かった。朝の散歩にはうってつけの道である。その道を進んで行くと、多数の鯉のぼりが川の上で風に揺れていた。その景色に目を細めていると浅川サイクリングロードの終点に着いた。

クリックすると元のサイズで表示します

 浅川サイクリングロードから出て甲州街道に再度出た。しばし走り、高尾山口駅でトイレ休憩をした。

 まずは大垂水峠を越える。もちろんバトルモードではなく温存モードである。大垂水峠は斜度が緩めであるので、温存モードであれば脚はそれほど削られない。

 大垂水峠を越えて相模湖方面へ下っていった。天気は良く、気温も時間の経過とともに上がってきた。

 相模湖をちらちらと見ながら、さらに先へ進んだ。道は中央道と並行して続いている。中央道のインターを示す道標が時折目に入る。

 「相模湖」「上野原」「大月」と中央道のインターをやり過ごしていった。道は上り基調である。斜度は厳しいものではないが、その長く続く緩やかな上りは脚の充電量を確実に減らしていく。

 塩山に向かうには、笹子峠を越える必要がある。長い道のりを走っていくと、ようやく笹子峠の上り口に達した。

クリックすると元のサイズで表示します



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ