2018/6/25

4486:カセットテープ  

 店内に入って、カウンター席に向かった。カウンター席には人影はなかった。二つある4人掛けのテーブル席も無人であった。奥まったところにある2人掛けのテーブル席には一人の初老の男性が座って新聞を読んでいた。

 小さめのテーブルの上にはコーヒーカップがソーサーの上に置かれていた。その横には何故かしらスプーンが少し離されてテーブルの上に直に置かれていた。

 私は四つあるカウンター席の一番奥側の席に座った。女主人は「いらっしゃい・・・」とくぐもった声を発した。

 コーヒーを注文した。手に持っていたスマホをカンターの上に裏返しに置いた。カウンター右端にはオレンジ色をしたパタパタ時計が置いてある。

 その時計がかすかな動作音をさせていた。ほんとに小さな音であるが「ジジジジジ・・・」とささやいていた。

 ふと、妄想した・・・・その息も絶え絶えのような古いパタパタ時計の表示がものすごい勢いで逆方向に回っていき、それとともに時間が遡り、過去に戻っていく。そのパタパタ時計の表示板は目にも留まらないようなスピードで回転し続け、1ケ月前、1年前、10年前といった単位で時間が遡っていく・・・

 もちろん、そんなことは起こるはずもなく、ただただ時間は淡々と進んでいった。正確な時刻を表示しているわけではないが、「COPAL」というメーカ名が刻まれたパタパタ時計はその実際の時間の運行にせっつかれるように、表示板を切り替えていた。表示板をおおよそ1分ごとに切り替えるための動力をためるために、そのかすかな動作音はしているようであった。

 このカウンターには昔懐かしいものがもう一つある。それはSONY製のラジカセである。1970年代に製造された製品で、明らかに1980年代以降のデザインとは一線を画する極めて精緻な造形美を誇っている。

 この店にはBGMはかかっていない。このラジカセは唯一音を発する設備である。その横にはミュージックテープが入っている箱が置いてある。

 数年前に亡くなった女主人の夫が集めた数多くのミュージックテープの一部が入っている。現在では絶滅状態であるが、昔の駅前の商店街には必ずと言っていいほど個人経営のレコード屋さんがあった。そのレコード屋の脇にはミュージックテープの入った棚があった。確かレコードと同じくらいの価格で売られていた。

 コーヒーが出来上がるまでの間、その箱を手元に引き寄せて中身を覗いていた。種々雑多のジャンルのミュージックテープが入っていた。

 特に一定のジャンルにこだわって集められたものではないようであった。そのなかで目についたのが、キース・ジャレットの「ケルン・コンサート」であった。

 それを手に取った。収録日は1975年1月24日と記載されていた。会場はケルンのオペラハウスである。
 
 キース・ジャレットのピアノによるソロ・コンサートで、事前の準備なしの完全即興である。そのため曲名もついていない。

 ケースからカセットテープを取り出した。それをSONY製のラジカセに挿入した。「PLAY」ボタンをかっちと音がするまで押し込んだ。

 カセットテープはするすると回転し始めた。カセットテープの最初のところはクリーニングテープとなっている。その部分は当然無音である。 



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