2018/1/5

4315:名曲喫茶  

 コインパーキングから歩いて数分のところにその店はある。昨日は強い北風が吹き荒れていたが、今日は風はない。気温は低かった。きっと7度程度しかないはずである。

 黄色い看板が目印のその店はビルの地下1階にある。ビルの地下へ繋がる少し急な階段を下りて行った。

 階段を踏みしめる革靴が発てる音がコンクリークの壁にぶつかって反響した。階段を下り終えたところにその店の入り口はある。

 入口の扉は重厚なアンティークのもので、恭しく客を出迎える。その扉の向こう側はまったく別の世界が広がっているような雰囲気を醸している。

 私は名曲喫茶「バロック」の重々しい扉を開いた。そしてその中へ入った。飲み物は3種類の中から選ぶ。珈琲、紅茶、ジュースの3種類である。

 入口の近くにレジがあり、料金は前払いである。珈琲を選択して400円を初老の女性に払った。小さく青いチケットをもらった。

 それを手にして席を選択する。テーブルは整然と細長い空間に並んでいる。先客は1組2名だけであった。空いている幾つかのテーブルのうち、入り口から見て右奥の2人掛けのテーブル席を選択した。
 
 彼女はまだ来ていなかった。椅子もテーブルもどれもがアンティークで古いものである。椅子に腰かけると少しきしむ音がした。

 チケットをテーブルの脇に置いた。照明は壁の何カ所かに取り付けられているランプと小さなサイドテーブルの上に置かれた卓上ランプのみである。それらは力を合わせてオレンジ色の淡い光を店内に撒いていた。

 ここの珈琲はそれほど美味しいものではない。少なくともよく行く中野坂上の「Mimizuku」の珈琲よりは美味しくない。

 その珈琲が運ばれてきた。「Mimizuku」の珈琲はブラックで飲むが、ここの珈琲にはミルクと砂糖を入れた。

 その珈琲の色合いが茶色に変化した時に、店の扉が開いた。あの扉は一日に何度開くのであろうか・・・それほど頻度は高くないように思われた。 

 彼女であった。彼女も入口のレジでチケットを購入してから、私が座っている席に来た。テーブルの端にチケットを置いた。そのチケットは黄色であった。珈琲は選択しなかったようである。

 彼女はコートを脱いだ。私は今日から仕事始めであったが、彼女は明日5日からで今日まで休みであった。そのせいか少し表情がのんびりとしていた。
 
 長方形のこの店の空間の短辺にオーディオ装置は並んでいた。その両方のコーナーにはタンノイのコーナーカンタベリーが優雅な姿を晒し、その二つのスピーカーが挟む空間には横長の大きなサイドボードが置かれその上にトーレンスのTD-124と新藤ラボラトリー製の真空式アンプ群が綺麗に並べられていた。

 今かかっているレコードは、モーツアルトのピアノ協奏曲第13番であった。譜面台に置かれているレコードジャケットを確認するとピアノはクララ・ハスキルであった。

 彼女は椅子に座った。彼女の視線はテーブルの上の私の珈琲に向けられた。そのコーヒーカップからは湯気がかすかに立ち上っていた。そしてまだ口をつけていないので、十分な量が残っていていた。それを彼女は確認したようである。

 「今着いたばかりだよ・・・ちょうどね・・・」私は、彼女にそう告げた。彼女は軽く微笑んだ。そして、「これってモーツアルトですよね・・・」と目を細めるようにして訊いた。



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ