2018/1/31

4341:SY-Λ88U  

 「ご無沙汰しています・・・・」

 私がPaoさんの携帯に連絡を入れたのは、夜の8時を少し回っていた。BMW523iを自宅の駐車場に停めた時に、ふと思いついたのである。

 「もしかしたら、Paoさんが以前使われていたAurexのSY-Λ88Uをまだ持っているかもしれない・・・」

 Paoさんは、2年ほど前にプリアンプをMark LevinsonのNO.26Lに替えた。その前はAurexのSY-Λ88Uを長く使われていた。

 AurexのSY-Λ88UにはLo-DのHMA-9500MKUが組み合わされていた。このペアで25年以上、長岡鉄男氏設計のスピーカーを鳴らされていた。

 そのスピーカーはバックロードホーン式のキャビネットを持ち、「D-55」という型番を持っていた。そのスピーカーも1年ほど前に新たなスピーカーに替わった。

 そのスピーカーはYAMAHAが新たに出したNS-5000であった。スピーカーを新調された1年ほど前に、Paoさんのお宅にお邪魔して、その雄姿を眺めたが、ピアノブラックの艶やかな姿がまぶしかった。

 プリアンプをSY-Λ88UからNo.26Lに替えられた後しばらくしてパワーアンプもHMA-9500MKUから、Mark LevinsonのNO.27.5に替わった。

 この数年でPaoさんのお宅のシステムは随分と変わった。「退職金がドカンと入ったのでね・・・扶養家族もいないし・・・冥途の土産だよ・・・」とPaoさんは笑って話されていた。

 「おう・・・久しぶり・・・」

 「どう・・・お宅のオーディオ・・・まだ骨董趣味でやってんの・・・?」

 「えっ・・・プリアンプがまた壊れた・・・もうやめたら、そんな古いの・・・うっぱらって、Mark levinsonでも買えば・・・」

 スマホの向こうからは相変わらず口の悪いPaoさんらしい言葉が矢継ぎ早に繰り出されてきた。その次々に放たれる言葉の矢を「ええ、まあ・・・」「そうですね・・・」とやり過ごしながら機会を見て、「Paoさん、以前使われていたAurexのプリアンプ、まだお持ちですか・・・?」と伺った。

 「あっ・・・Aurexのプリアンプ・・・まだ動くかな・・・箱に入れてもうずいぶんと物置に入ったままだからな・・・」

 「どうすんの・・・?もしかして、Marantz Model7を手放して、Aurexのプリアンプに替えるのか・・・?」

 「それは良いアイディアだと思うよ・・・もし具合が悪くてもしっかりと直せる業者を知ってるから紹介するよ・・・」

 「そうだな・・・あのプリアンプは意外と人気があるんだよな・・・10万円と言いたいところだけど、3割引きで7万円でいいよ・・・」

 Paoさんはギアを上げて先走った。「そうそう・・・実は我が家にはもう1台プリアンプがあるんだ・・・少しの期間だけ使ったものでね・・・YAMAHAのC2aだよ・・・これも良いよ。そうだな、こっちも7万円かな・・・」

 Paoさんのお宅のオーディオ機器には一つのルールがある。色がブラックであることである。No.26LもSY-Λ88UもC2aもその色合いはブラックである。

 「一度お伺いしますよ・・・プリアンプ出しといてください・・・」と話しながら日程を調整した。

 「もう定年退職して、今は嘱託の身だから時間はあるよ・・・」とPaoさんは屈託ない。Paoさんのお宅は新宿区の西早稲田にある。自宅のすぐ裏には「甘泉園公園」があり、ここが新宿区とは思えないような静かさである。

2018/1/30

4340:ハーレム  

 パイオニアC21は、1976年の発売である。その頃はまだCDが世に出ていなかった。したがってメインソースがレコードであった時代の製品である。

 現代のプリアンプはフォノイコライザーがついていないのが当たり前で、オプションで装着できる製品ですら少数派であるが、この時代はフォノイコライザーがついていないとプリアンプではなかった。フォノイコライザーこそ、プリンアンプの良否を決める大きな要因であった。

 「では、C21のフォノイコライザーの出来はどうであろうか・・・」ということで、レコードを聴いてみることにした。

 我が家のアナログシステムは、カートリッジはZYX OMEGA、トーンアームがSME Series V 、昇圧トランスがMA COTTTER MK2、そしてターンテーブルがORACLE DELPHI6である。

 1枚のレコードを選択してDELPHI6のターンテーブルに乗せた。プラッターの表面はメチル・アクリレートで、つるっとした硬質な感触である。

 反りのあるレコードをプラッターに密着させるためのレコード・クランプをレコードの上から乗せて回転させると、レコードとプラッターはぴったりと密着する。

 右手の親指でSeries Vを所定の位置まで移動させてから、リフターを下した。カートリッジはゆっくりと下がり、盤面に到着した。

 レコードはドボルザークのヴァイオリン協奏曲。ヴァイオリンはジョアン・フィールド。レーベルはTelefunken。モノラルのレコードである。1950年代の録音である。プリアンプの質感が悪いときつめの音になりやすい。

 その音を聴いて「C21はフォノイコライザーも優秀である・・・」と思った。発売当時の価格が5万円と聞いて、少し上から目線で接していたC21であるが、その実力は予想を凌駕しているものがあった。

 どこかしら平謝りしたい気分でパイオニア C21を眺めながら、ドボルザークのヴァイオリン協奏曲を聴き終えた。

 C21は、こちらの心境の変化を知ってか知らずか、さらっとした無表情を変えることはなかった。

 「この時代の日本製のプリアンプは優秀だな・・・」ほかの機種も試しに聴いてみたくなった。
 
 「以前Paoさんが使われていたAurexのSY-Λ88Uなんて、どうだろう・・・?」とふと思いついた。

 そのデザインはどことなくC21と共通するテイストを感じる。さっそくスマホで検索してみた。すると人気がある機種なのか思っていたよりも高い値付けであった。

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 「いけない・・・いけない・・・」本妻が不在の間につかの間のハーレム状態を夢見たが、首を2,3度左右に振って、その誘惑を退けた。

2018/1/29

4339:ウッドケース  

 ショスタコーヴィッチの交響曲第8番第3楽章が終わった。3回聴いたのであるが、飽きることがないのは凄いことである。

 途中から音のことなどどうでもいいような感覚に陥ったが、MIT MI330のオリジナルバージョンとマイナーチェンジバージョンの違いは、やはり多少あったようである。

 マイナーチェンジバージョンのほうがパワフルな感覚であろうか・・・オリジナルバージョンは表情が穏やかなものになり、肩の力が抜ける。

 ジャズなどのジャンルに関してはマイナーチェンジバージョンのほうが向いているかもしれない。シンバルの金属音など音がきりっと立ちそうである。クラシックに関してはオリジナルバージョンのほうが広がり感があって向いているような気がした。

 MIT MI330のオリジナルバージョンは、先日アメリカの中古市場で見かけたので、購入した。1,2週間すると、我が家に届く予定である。

 RCAケーブルは2ペアあれば足りるので1ペア余ってしまうが、O-DAC PRO MK2とプリアンプ間は、60cmのMI330 ショットガンで固定して、プリアンプとパワーアンプ間については、オリジナルバージョンとマイナーチェンジバージョンのMI330を気分で替えることになりそうである。

 パイオニア C21は電源投入から時間が経過するに従って、徐々にその能力の片鱗を見せ始めたようである。

 「これはこれで良いかも・・・」

 と、あくまでMarantz Model7が退院するまでの「中継ぎ」ではあるが、C21は期待以上の音を紡ぎだしてきた。

 そして、その見た目の良さは気持ちをすっと和ませてくれる。「パイオニア C21」と入力してインターネットで画像検索してみると、気になる画像が見つかった。

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 ウッドケースに納められたC21である。メーカー純正のウッドケースなのであろうかと、元箱に一緒に入っていたカタログや取扱説明書を見てみたが、それらしいものの記載はなかった。

 きっと、C21に合わせてオーナーが木工所に特注したものであろう。ウッドケースに納められたC21は、その表情が一段と穏やかなものになり、一気に癒し系キャラに変身していた。

2018/1/28

4338:ショットガン  

 ショスタコーヴィッチの交響曲第8番の第3楽章は約6分ほどの演奏時間である。ムラビンスキーの指揮によるレニングラード管弦楽団の1982年の演奏は凄みが半端ない。

 ぐっと下がった重心は一瞬たりともグリップを失わない強固な意志に溢れていた。巨大な音楽の塊がロシアの大草原を疾駆しているようなイメージは、第2次世界大戦で活躍したロシア軍の戦車T-34を連想させる。

 1982年の名演奏は、フィリップス盤の西ドイツプレスがこれまで一番良いとされていたが、それを超える音質のAltus盤は、奇跡の演奏をよりリアルに再現する。
 
 C21は少しづつこなれてきた。完全なる目覚めには、まだ2,3日必要であろうが、時間の経過とともに表情の硬さが取れ始めた。

 そこで、とあることを思いついた。DACであるO-DAC PRO MK2とパイオニア C21を接続していたRCAケーブルは、一時的にお借りしているMIT MI330であるが、これをアメリカから届いたばかりのMI330 ショットガンに替えてみようと思ったのである。

 そのMI330 ショットガンは、長さが60cmと短い。O-DAC PRO MK2とC21は同じGTラックの下段と上段に設置されているため、60cmでもちょうど届く。

 ショットガンはRCA端子やケーブルはMI330と全く同じものであるが、周囲を黒いメッシュがケーブルの7割がたを覆っている。

 ショットガンに替えて、同じ第3楽章をもう一度聴いた。想像以上に変わった。音の厚みが増し、音の背後に広がる気配の濃度がアップ。

 これは「ショットガン」という名称がふさわしい変わり具合である。残念ながらプリンアンプとパワーアンプとの接続にはケーブルの長さが1mないと届かなので、試すことはできないが、DACとプリアンプの接続は、MI330 ショットガンで固定することになりそうだ。

 現在、プリアンプとパワーアンプを接続しているのは、MI330のマイナーチェンジバージョン。RCA端子がコレクトチャック式のものになる。

 「これをマイナーチェンジ前のオリジナルバージョンに替えると、やはり違うのであろうか・・・」

 という素朴な疑問から、取り換えてみた。この2本はケーブルは同じように見える。オリジナルは普通のRCA端子でマイナーチェンジ後はコレクトチャック式のRCA端子である。

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 コレクトチャック式はしっかりと装着できるメリットがあるのか、最近のケーブルにはついていることが多い。しかし、装着する際多少面倒である。

 リスニングルームには三度ショスタコーヴィッチの交響曲第8番の第3楽章が流れ始めた。フィリップスの西ドイツ盤では、6分17秒であった演奏時間は、Altus盤では6分35秒になる。

 西ドイツ盤はピッチの異常による音程の不安定とテンポの早まりが指摘されていたが、Altus盤では、実際の演奏時間に整えられている。

 その6分35秒の演奏が終わった。演奏の途中からは音のことなどどうでもいいような気分になるほど素晴らしい演奏である。

2018/1/27

4337:音出し  

 C21はしばらく使われていなかったので、その当時の元箱に入れられて保管されていた。昨日はその元箱からC21を取り出したのであるが、その中に取り扱い説明書とパイオニアのオーディオ機器のカタログが入っていた。

 1970年代のパイオニアのオーディオカタログは懐かしく、しげしげと眺めた。レコードプレーヤー、アンプ、カセットデッキそしてスピーカーなど、オーディオ機器が燦然と輝いていた時代の製品群はどこかしら誇らしげでもある。

 カタログには昭和53年のとの記載があった。昭和53年は1978年である。1978年と言えば、私は15歳である。中学3年生。

 その当時我が家には、四本足の着いた一体型のオーディオがあった。おそらく1960年代の製品で、その当時すでに色褪せた存在であった。友人宅にあったそれぞれの機器が独立しているコンポーネントオーディオに憧れたものである。

 1978年当時のパイオニアのオーディオカタログを眺めていると、当時のことが懐かしく思い出された。

 電源が入れられたパイオニア C21は、淡い色合いのオレンジをそのパイロットランプに灯した。さっそくその音を確認することにした。

 ORACLE CD2000に恭しくCDを一枚セットした。ラフマニノフ ピアノ協奏曲が2曲収録されているCDである。第3番の第1楽章を聴くことにした。

 リモコンのスタンバイボタンを押してCDのデータを読み込ませてから、「4」を押してPLAYボタンを押した。

 CD2000が読み込んだデジタルデータは、O-DAC PRO MK2に送られる。そこでアナログ信号に変更されてからパイオニアC21に送り届けられる。

 O-DAC PRO MK2とC21の間をつなぐRCAケーブルは、MIT MI330である。これは一時的に友人からお借りしているものである。

 そして、C21で整えられた音楽信号は、Marantz Model2に送られてスピーカーを駆動できるまでに増幅される。

 C21とModel2とを橋渡しするRCAケーブルは、先日アメリカから届いた同じくMIT MI330。こちらはRCA端子がコレクトチャック式のものであり、お借りしているMI330のマイナーチェンジモデルのようである。

 そして音の出口はTANNOY GRFである。搭載されている「モニター・シルバー」は、昨年分解清掃されて、その身に付いた錆は綺麗に落とされた。英国で60年前に製造されたキャビネットは鈍い光を緩やかに放っていた。

 Marantz Model7と比較すると、C21はSN比が良い。無音時にGRFから漏れ出るサーというノイズは低い。

 音の傾向は、やや乾いた質感で滑らかさ粘りといったものは少なめで、すっとまっすぐに音を出してくる。

 しばし元箱の中で身を潜めていたことや、電源を入れたばかりでまだまだ暖まっていない状況なので、本領を発揮しているわけではないはず。暖まってくれば、その音のほぐれ加減も良い方向に向かうであろう。

 発売当時の5万円という価格からすると、決して「高級機」ではなかったはず。そのため、部品に関してもコストの制約があったので、際立って高性能ということはないはずである。

 そういったことを考慮すると、「実に頑張っているかな・・・」という感想を持った。確かに音の表情はやや硬めで、もう少しこなれてくると音楽の聴こえが違ってくるはず。

 ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番の第1楽章が終わったので、CDを入れ替えた。ショスタコービッチの交響曲第8番である。

 リモコンの「3」を押して第3楽章を選択した。演奏はムラビンスキー指揮のレニングラード管弦楽団。録音は1982年である。

2018/1/26

4336:C21  

 パイオニア C21が発売されたのは1976年、昭和51年のことである。1976年生まれだとすると今年誕生日が来ると42歳である。

 42年前に作られたとは思えないほどに、我が家に送られてきたC21は綺麗な外観を有していた。そして、そのデザインはこの時代の日本製のオーディオ機器にしては珍しくすっきりとしたものである。

 1970年代の日本製のプリアンプは、SONY TA-5450に代表されるように、ノブやスイッチ類がこれでもかといった具合に盛りだくさんにフロントパネルに並んでいるものが多い。

 そういった「もりもり元気的」なデザインとは真逆のデザインは、ちょっと海外製の製品に通じるセンスの良さを感じさせる。

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 C21の当時の販売価格は50,000円。宣伝文句は「プリアンプの原点にかえって音質を追求。純度の高い音質を実現した、妥協のないシンプル設計です。」というもの。

 トーンコントロールはないけれど、カートリッジの負荷抵抗と負荷容量を6種切り替えられる機能は付いているなど、確かに音質重視設計であることが窺える。

 「良いな・・・これ・・・予想以上に良い・・・」

 と、C21の第一印象はとても良かった。試しに各種ノブやスイッチをいじってみた。実に触感が良い。特にボリュームは32ステップのアッテネーター式で、そのクリック感が気持ち良い。

 このC21、残念ながら私のものではない。Marantz Model7が長期入院の見込みになったので、その「不在」の数ケ月間、ヤフオクで1970年代の日本製プリアンプを「予備」として購入しようかな、と思っていたところ、seiboさんのご厚意で、現在使っていないパイオニア C21をしばらくお借りできることになったのである。

 C21は三つ並んだGTラックの真ん中の上段に設置された。Marantz Model7が置かれていた場所である。

 左右にはORACLEの煌びやかな製品が置かれているが、C21はけっして霞むことはない。さらに同じラックの下段に置かれているO-DAC PRO MK2とのシンクロ具合も素晴らしい。

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 設置作業はスムースに完了した。おもむろに電源を入れた。C21のパイロットランプは淡いオレンジ色を発色した。

2018/1/25

4335:レコード収納  

 今はインターネット配信で音楽を聴く時代である。すべての音楽情報はハードディスクに収納されるので、レコードやCDと違い、物理的な収納という問題は生じない。

 しかし、我が家では旧態依然としたオーディオライフが継続されているので、レコードやCDといった「もの」が、ある程度の空間を要求している。

 となると収納のための仕組みが必要になってくる。特にレコードは物理的にそれなりの大きさがあり、枚数がかさんでくると、その要求するスペースもばかにはできない。

 当初はニトリで売られているちょうどレコードが入るボックスに入れて、ディスクユニオンで売られている仕切に演奏者の名前を付けて仕切る方法をとっていた。

 レコードが詰め込まれたボックスは床に置かれていたが、その数が増えてきて、それらのボックスの専有面積が広がりすぎてきた。

 「レコード収納棚を購入するか・・・」と思い始めて、空いた時間にスマホを操作していろいろ検索してみた。

 いろんなものがヒットする。安いものもあれば、相当高価ものもある。「長く使うものなので、それなりにコストをかけてもいいかな・・・」とも思うが、「そうはいっても、コストパフォーマンスも重視しなければ・・・」と思い直して、「ディスクユニオンのレコードラックが一番合理的かな・・・」と思って、その商品紹介ページを眺めていた。

 これは1個3,580円。1個で80枚のレコードを収納できる。積み上げることができるので、これを6個購入して3個を2段重ねにして床に置けば、480枚のレコードが収納できる。

 横幅と高さはともに360mmであるので、3個の2段重ね合計6個のレコードラックで構成される収納棚は横幅が1,080mmで高さが720mmとなる。

 そのスペースが確保できるかリスニングルームの空きスペースを確認するとちょっと横幅が長い。

 「じゃあ、2個を3段重ねにするか・・・」その縦長構成であれば、横幅が720mmで高さが1,080mmとなる。これならアップライトピアノ横の空きスぺースに収まる。

 価格は6個で21,480円になる。見た目的には実に質素であるが、コストパフォーマンスは高い。ばらばらにできるので、レイアウトの変更にもフレキシブルに対応できるのも長所である。

 続いて、Piterestで「レコード収納」と入力して検索してみると、実にお洒落な写真が次々に展開される。

 「これも良いな・・・これは相当大掛かりで、高そう・・・」そんな感想を持ちながら様々な写真を眺めていた。

 その中で目を引いたのが、前板にレコードジャケットをディスプレイすることができるレコードラック。

 前板を上にあげて押し込むと中にはレコードが詰まっている。その中の1枚を取り出して、ジャケットからレコードを出してターンテーブルにセット、そのジャケットを元に戻した前板にディスプレイする。

 その一連の動作の流れを想像してみた。「これって、なんだか気持ちよさそう・・・」そういったディスプレイ機能付きレコード収納棚をさらに検索すると、結構な種類が出てきた。

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 そんななかに天然木を使用していると思われるものもあった。価格は高くなるが、見た目的には相当高級感がある。

 サイズも何種類かある。「ディスプレイ機能を取るか、コスパを取るか・・・」ささやかな悩み事が増えた。

2018/1/24

4334:参拝  

 全員が上り終えたところで、昼食休憩となった。広い駐車場の一角にブルーシートを敷いてその上に座った。

 サポートカーの荷室に詰め込まれたリュックから、途中のコンビニで購入したお握りを出した。お握りは「和風ツナマヨ」「とり五目」「高菜混ぜ飯と明太子」の三つである。

 例年どおりリーダーの奥さんお手製の「豚汁」も振舞われた。その暖かい「豚汁」は体の芯まで沁み込む美味しさであった。

 リュックにはダウンジャケットも入っていたが、その出番はなかった。風もなく陽光が降り注いでいたので、例年に比べて随分と暖かく感じられた。

 昼食休憩を終えると、子の権現に参拝するために本殿へ向かった。シューズはサイクルシューズからリュックから取り出したスニーカーに履き替えた。

 ロードバイクを押しながら山門を潜った。坂を上っていくと本殿がある。サイクリストも結構来るようで本殿の近くにはサイクルラックがある。

 そのサイクルラックにロードバイクをかけて、本殿に参拝した。子の権現は足腰の守護で有名である。

 今年1年間の無事故を願った。ロードバイクは走行中に落車すると大怪我をする危険性があるので、落車事故が身に降りかからないように願った。

 さらに、Mt.富士ヒルクライムをはじめとするヒルクライムレースでの好タイムもちゃっかりとお願いしておいた。

 本殿の隣には巨大なわらじと下駄が飾られている。ここは記念撮影ポイントである。私も愛車をわらじの前に立てかけてスマホで写真を撮った。

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 本殿の裏手の高台には鐘がある。そこまで上った。空気が澄んでいるとこの高台からははるか彼方に東京スカイツリーが見えるが、今日はもやっていて判然としなかった。

 参拝を終えて、帰路についた。チーム内で「裏・子の権現」と呼んでいる「竹寺」方面へ向かう道を下っていった。

 こちらは下り初めのエリアの斜度が半端ない。下りながら後輪が浮くのではないかと思えるほどの角度である。
 
 こちらの「裏・子の権現」の道はNHK BSの「チャリダー」でも紹介されてローディーの間では有名になった。

 こちらからは上ったことはないが、このエリアの斜度は半端ないので相当な根気が要求されるであろう。

 帰路では、サポートカーに思いがけないアクシデントがあって、少し時間がかかってしまったが、無事にその全行程を走り終えた。

 「初詣ラン」を終えた。あとは継続的にトレーニングを続けて、年齢とともに落ちていく登坂能力を少しでも維持できるよう頑張るしかない。

2018/1/23

4333:241ワット  

 「作戦」と呼べるようなものはなかった。ただ、最初から最後までほぼ一定の負荷で上る予定でいた。3kmの上りの平均パワーは240ワットぐらいを目安としていた。

 スタート地点を経過したときにサイコンのラップボタンを押した。パワーの数値になるべく視線と神経を集中させた。

 視線を上にあげると激坂が視界に入ってくる。その景色は威圧的ですらある。視線をパワーの数値になるべく集中させていると、心理的に多少楽に感じられることがある。数値は冷徹であるが、集中力を維持する効果があるようである。

 坂の斜度がぐっと上がると、パワーも上がる。上がりすぎた時には抑えるように心掛けた。前半で調子に乗ってしまうと、脚はすぐに売れ切れてしまう。

 メンバーはそれぞれの耐久力に応じて1kmほど上ったあたりからペースを上げていった。先頭は2名のメンバーがとてもついていけないようなハイペースで駆け上がっていった。

 その後ろに3名のメンバーが競い合いながら上がっていった。私はそのあとにもう一人のメンバーと一緒に厳しい坂に挑み続けた。

 ようやく上りの半分を超えた。激坂は少し緩んだかと思うとすぐさま勢いを回復する。心拍数は170代の後半の数値をしめしていた。

 私ともう一人のメンバーは、ほぼ並走する感じで後半の上りへ入っていった。ラップパワーは238ワットぐらいであった。

 それほど無理なペースではなかったはずであるが、残り1km辺りから心拍数は180を超え始めた。

 心身ともに真の耐性が要求されるのが、この終盤である。走る者の心を折ろうと、斜度はより厳しくなる。

 細い心の糸は切れる寸前のところで踏みとどまっていた。表情を歪めながらクランクにパワーを込め続けてゴールを目指した。

 ゴール手前ではサポートメンバーがカメラを抱えて応援してくれている。その声のする方へパワーの数値を上げていった。

 「もう少しだよ・・・がんぱって・・・」との声援を受けてゴールへ向かって最後の「もがき」をした。すぐ前には先行スタートしたメンバーの背中があった。

 その背中を目標にダンシングでラストスパート。最後の一滴までガソリンを使い切ってゴールした。

 ゴールは「子の権現」の参拝者のために用意されている広い駐車場である。その駐車場の端にKuota Khanを立てかけて、その脇に座り込んだ。ヒルクライム区間の平均パワーは241ワットであった。

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2018/1/22

4332:四里餅  

 多摩湖サイクリングロードを西へ抜けて、「武蔵大和駅西」の交差点で信号が青になるのを待ってから、多摩湖の堤防までの緩い坂を駆け上った。

 多摩湖の堤防からは澄んだ空を映す湖面が見え、心が晴れ晴れとするような景色が広がっていた。風はなく、真冬のこの時期としてはロードバイクで走るのに最適といえるようなコンディションであった。

 多摩湖の堤防を渡り切り、その向こう側にあるコンビニでトイレ休憩をした。ここで脚の具合が悪くロードバイクで走れないメンバーが車で合流した。これでサポートカー2台体制となった。

 その2台目のサポートカーはVW GOLFであった。現行モデルのGOLFは、実にしっかりとした作り込みがなされた良い車である。

 VWらしく実用的で質実剛健・・・浮ついた軽さはなく、地に足をしっかりとつけた堅実さが売りである。

 2台のサポートカーの応援を受けながらトレインは順調に走った。道はやがてJR八高線に沿った県道に入っていった。

 チームの初詣ランでは、必ず立ち寄る場所がある。それは「四里餅 大里屋 本店」である。ここで名物の「四里餅」を食べる。

 四里餅は粒餡と漉し餡がある。私は粒餡を選んだ。リーダーの奥さんが先に車で着いて購入してくれていた四里餅を一気に食べた。

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 「美味しい・・・」四里餅で元気をもらって先へ進んだ。参加者が多いのでトレインは3名から4名の分隊に分かれて走った。

 コンビニに寄って、子の権現で食べる昼食を購入した。それをサポートカーに積んであるリュックに入れて、またサポートカーの荷室に戻した。

 昼食にはリーダーの奥さんお手製の豚汁も振舞われる予定である。きっと、それは激坂を上り終えた体に染み渡るであろう。

 「西武飯能・日高分譲地」を抜けて国道299号へ入った。この分譲地は丘に作られているので結構な距離を上る。そして下った。

 国道299号を駆け抜けていくとようやく子の権現へ向かう分岐点に到着した。そこで分断していたトレインを一体化させてから、子の権現の上り口に向かった。

 周囲は里山の風情にあふれている。今日は比較的天気が良く気温も凍えるほどには低くはなかったので、のんびりと走っていった。

 そして、上り口に着いた。ここから3km上る。その坂は熾烈で最後まで緩まない。スローペースで上っても脚にくるはずであるが、そこを限界のスピードで上るのであるから、気持ちをしっかりと持たないといけない。

 2台のサポートカーが先に出発した。その後2名のメンバーが先行スタートした。その数分後「じゃあ、そろそろ行きますか・・・」と残りのメンバーがスタートした。

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