2016/6/10

3741:盗難  

 明日は朝が早い。チームで北麓駐車場まで行って、富士スバルラインを途中までゆっくりと上る。翌日の本番の分も含めてサイクルジャージは2着用意した。

 富士スバルラインでの足慣らしを終えたら受付会場まで降りて来て、前日受付を済ませる。会場ではトークイベントがあったり、数多くのメーカーのブースが出て新製品を展示したりしている。

 普段であれば、それらのブースをゆっくりと見て回る。有名なメーカーの最新型のロードバイクやホイールなどが展示されているので、それらを目にするのは楽しみの一つである。

 しかし、今年はゆっくりと見て回れないかもしれない。というのも、最近ヒルクライム大会でのロードバイクの盗難被害が出ているのである。

 バイクラックにロードバイクを掛けて、特に施錠などもせずにその場を離れても、従前であれば盗難の被害にあうことはなかったが、最近はヒルクラム大会で実際にそういう被害が出ているとのことである。

 高級なロードバイクであれば、パーツ類を合計すると1台100万円を超えるような場合もある。そう言った高級なロードバイクを盗み、中古市場で売りさばくのであろう。単独犯ではなく、グループ犯である可能性が高い。

 私のロードバイクは、3年計画で順次グレードアップをしてきた。その結果、結構な高級仕様になっている。フレームはKuota Khan。コンポーネントはSHIMANO DURAACE Di2。ホイールはフルクラム レーシングゼロである。

 それらの定価を全て足していくと100万円に近い価格になる。ハイエンドオーディオ機器に比べたら可愛いものとは言え、常識的な金銭感覚からすると少々狂っていると言えなくもない。

 もしも、自分のロードバイクが盗難に遭ったならば、その落胆度は相当なものになるであろう。それが本番前日の土曜日であったりしたら、その落胆度は更に深刻度を増すことになる。それだけは避けたいところである。

 となると受付を済ませたら、素早くロードバイクを車に戻し宿に移動した方が良いのかもしれない。

 ヒルクライム大会で怖いのは、盗難だけではない。本番でのパンクも大きな恐怖である。今までは幸いにそういった経験はないが、もしもの時のとこを想像するとぞっとする。「それだけはやめて・・・!」と叫びたくなる。

 というわけで、タイヤとチューブは新品に交換した。まあ、よっぽど運が悪くない限りは大丈夫であろう。

 DURAACE Di2の充電状態を確認した。レバーを長押しするとグリーンのライトが点いた。充電状態は大丈夫である。念のため充電器具も鞄に入れた。

 忘れものはないはずである。シューズもヘルメットもサングラスも入れた。下山時の防寒着もOKである。準備は整った。後はトラブルなく走れることを祈ろう。そしてタイムが良い事も祈ろう。

2016/6/9

3740:テーマ  

 Mt.富士ヒルクライムが目前に迫ってきた。今日、ゼッケン番号やスタートする時間などが分かった。私は第7ウェーブでスタートすることになった。

 Mt.富士ヒルクライムは申込時に申告する予想タイムに従ってスタート順が決まる。速いタイムの参加者から先にスタートする。

 私は昨年のタイムである1時間26分30秒を予想タイムとした。5月に行った富士スバルラインでのタイムトライアルからしても、概ねこのくらいのタイムが現実的なものとなる。

 タイムトライアルの時の結果は、1時間25分17秒であった。料金所からのタイムトライアルであるので、本番よりも500mほど短い。

 本番ではアドレナリンが出やすいのと、ちょうど良いペースのトレインに乗れる可能性があることを勘案しても、1時間26分台のタイムとなる可能性が高いであろう。

 しかし、目標タイムは1時間25分である。現在の私の実力からすると、かなり難しい目標である。それまでの目標であった1時間30分も3回目の挑戦でようやく達成できた。1時間25分という新たな目標も3回ぐらいのチャレンジが必要なのかもしれない。

 Mt.富士ヒルクライムまで1週間を切ったので、ジムに行っても追い込んだトレーニングはしない。今日も仕事帰りにジムに立ち寄って、疲労回復のために軽めの負荷で1時間ほどエアロバイクのクランクを回し続けた。

 エアロバイクのボードに表示される出力は130wほどで推移した。普段は200wを下回らないように漕ぐので、表情が歪みがちになるが、このくらいの出力であれば、クールな表情でいられる。

 それでも、時間が経過してくると全身から汗が噴き出てくる。1時間が経過すると、ウェアは汗で重くなっていた。

 家に帰ってから、Kuota Khanのタイヤを新品に交換した。今日の夕方仕事の合間にバイクルプラザに立ち寄って購入したタイヤはコンチネンタル グランプリ4000S。ここ数年はこのタイヤを使っている。2本とも新品に交換すると指先が少し痛くなった。

 本番前日の土曜日は朝早くチームメンバーの車に乗せてもらって、北鹿駐車場まで行き、チームメンバーと一緒に富士スバルラインをゆっくりと上る。

 そして本番の日曜日、スタート時間は7時40分である。その1時間半ほど後には走り終えている。体調の異変や機材トラブルがなければ、1時間30分は昨年同様切れるであろう。1時間25分にどのくらい迫れるかが、今年のテーマである。

2016/6/8

3739:一日一食  

 ビートたけし、タモリ、GACKTや福山雅治も実戦しているということで有名な「一日一食」。これを身近な人で実践している人がいた。しかも、「一日一食」を実践して3ケ月で20kg近いダイエットに成功したというのである。

 「一日一食」と聞くと、「お腹すくだろうな・・・辛いだろうな・・・」とついつい「一日三食」が常識として体に染み込んでしまっている私は思ってしまうが、「慣れてしまえば、案外平気ですよ・・・」とのこと。その「一日一食」を実践し見事にダイエットに成功したのはサンフラワーさんである。

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 今日は随分と久し振りのゴルフであった。サンフラワーさんとはオーディオ以外にゴルフが共通の趣味であるので、年に1度ほど一緒にラウンドする。

 場所は千葉夷隅ゴルフクラブ。スタート時間は8時32分。自宅を朝の5時半に出た。東京アクアラインを通って千葉に向かった。

 サンフラワーさんが「一日一食」を始めたのは3ケ月前。ちょうど自転車で転んで右足を怪我をした頃からとのこと。足の怪我のため好きなゴルフも出来ない状況が続いていた。

 今日はサンフラワーさんにとって怪我からの復帰第一線となる。私も随分と久し振りのゴルフである。相変わらず練習は全くしていないので良いスコアはのぞめないが、ゴルフ場に着くとやはり気分が良いものである。

 南コースからスタートした。南1番はロングコースであった。朝一のティーショットはまずまず。セカンドショットも少し左にそれたが良い当りであった。ボールは左のラフの奥めに転がっていった。

 しかし、この第2打のボールが何故かしら見つからない。「あれっ・・・見つからないようなボールではなかったのに・・・」と思ったが、どうしても見つけられずに結局ロストボールとなってしまった。

 予想外のロストボールで気落ちしたのか、次のショットでシャンクが出てしまった。ロストボールとシャンクに祟られ、「9」という数字がスコアカードに書き込まれた。

 出だしで大きく躓いた。それが響いたのかその後もなかなかリズムが良くならない。シャンクやダフリが原因で大きくスコアを悪くするホールがいくつか出て、結局「54」というスコアとなった。

 怪我からの復帰第一線であるサンフラワーさんは、前半はミスショットも出たが、尻上がりに本来の調子を取り戻していった。前半はパーを三つ奪い「49」と40台でまとめた。

 昼食休憩後の後半は西コースを回った。千葉夷隅コースは良いコースである。距離がしっかりとあり、楽にはゴルフさせてくれないが、ゴルフをしているという醍醐味の味わいが濃い。

 後半も出だしでつまずいた。ティーショットはまずまずのできであったのに、セカンドショットがまたもやシャンク・・・今日3度目である。右斜めに飛んでいったボールはOB杭を越えた。

 出だしでいきなりトリプリボギーであった。「午後も駄目か・・・」と意気消沈したが、その後は少しづつゴルフを思いだしてきたのか、後半はショットが安定し始めた。

 後半は「49」とどうにかこうにか50を叩かずに済んだ。しかし、トータルは「103」と100叩きになってしまった。

 サンフラワーさんは復帰第一線であったので、たまにミスショットは出るがアイアンの切れがあり、大きく崩れることはなかった。

 圧巻は西6番、349ヤードのミドルホール。ティーショットが引っかかって左のラフの奥に入ったが、受け斜面であったので右に戻ってきて、グリーンを狙える位置にボールは出てきていた。

 ライはそれほど良くなくさらに前方の木の枝が少し気になるシチュエーションであったが、ここから見事にパーオンし、ボールはピンそばに付いた。ややフックするバーディーパットを沈めてバーディーを奪った。

 サンフラワーさんは後半も「46」でまとめた。「復帰第一線としては上出来ですよ・・・」と笑われていた。

 私は予想通りスコアは良くなかったが、稀に気分がスカッとするナイスショットも出たし、心配された天気も案外に良かったので、久し振りのゴルフを楽しめた。

 帰り道の車の中でサンフラワーさんが実践している「一日一食」のことが気になった。効果があることは確かである。サンフラワーさんのスマホで見せてもらった体重管理アプリのグラフは、この3ケ月の期間における目覚しいダイエットの様子が急降下するグラフで示されていた。

 ロードバイクをしているので、さすがに「一日一食」では摂取カロリーが不足するが、怪我などでロードバイクに乗れないような状況が生じたら、実践してみてもいいかもしれない。現代人はきっと「食べ過ぎ」なのであろう。

2016/6/7

3738:1週間後  

 時坂峠を上り始めてしばらくすると、心拍数は「巡航ペース」の範囲を超えて、180に迫ろうとしていた。

 私の場合「巡航ペース」は175までくらいで、それを超えて1963年製のエンジンがその回転数を上げて回り始めると、体全体に疲労成分が蔓延し始める。心拍数は177、178、179と上がっていき、あっさりと180を超えた。

 峠道の後半に入っていくと、前を引いていた上級者2名はぐんぐんとペースを上げていき、その背中は小さくなっていった。

 後続メンバーもやがて縦に長くなっていった。私の視界の先には3番手をいくメンバーの背中があった。その背中も徐々に小さくなっていった。

 その差が一定以上開くと追いつける可能性が低くなってしまう。その差が開かないようにしたいが、出力は上がらない。すぐに50〜60mほどにその差は広がった。

 時坂峠は終盤に入ると一気に風景が広がる。道の左側を遮るものがすっかりとなくなり、山と空が視界に飛び込んでくる。

 風景は一気に開放的なものとなったが、心も体も依然として重圧にさらされ続けていた。すぐ前を行くメンバーのペースが落ちてくれると助かるのであるが、この時期は皆気合が入っていて、そのペースが落ちることはなかった。

 前を行くメンバーとの差はほんの少しは縮まったが、ゴール前のスプリントで追いつけるほどの距離まで縮まることにはならなかった。

 それでもゴール前では、ダンシングに切り替えてクランクに込めるパワーを増した。時坂峠を上り終えた。メンバーは皆一様に「きつ〜い・・・」と言いながら、その表情を歪めていた。

 私も疲れ切った体をハンドルにもたれかけるようにして、休ませた。こういった限界付近でのヒルクライムを何度も繰り返していけば、その辛さに体が慣れてくるのかと思っていた。

 しかし、残念ながらそうではないようである。数年前よりは速く上れるようにはなったが、楽になるということはない。

 「どれだけ練習しても、走るのは楽にはならない。ただ速くなるだけだ。」というグレッグ・レモンの言葉は真実のようである。

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 時坂峠の頂上からは美しい山々が見える。その山々の姿を見ていると、ついさっきまでの辛さは記憶のなかからすっとその姿を消していく。

 1週間後のMt.富士ヒルクライムの長い上りも辛いであろう。それはきっと確かである。楽に上れることは、途中で諦めて脚を緩めることがない限り、けっしてないはずである。

2016/6/6

3737:時坂峠  

 拝島駅そばのファミリーマートでいつものようにコンビニ休憩をした。トイレを済ませて補給食を口にした。

 最近ファミリーマートでの補給食の定番となりつつある「チーズを味わう4種のチーズまん」と「ベーコンレタストマトサンド」を食した。どちらも相変わらず美味であった。

 しっかりと補給したのでその後の睦橋通りと檜原街道での高速走行にも付いていけた。檜原街道に入っていって、道の周囲が木々に覆われ始めると、空気は澄んでひんやりとしたものに変わっていく。

 太陽はまだ雲に覆われていたので、ロードバイクで走るには涼やかで気持ちが良かった。「走れて良かった・・・」そう思った。ジムでのトレーニングは変化が無く退屈である。しかも比較的強めの負荷をかけ続けるので、結構つらい。

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 いつもよりも速めのペースで6両編成のトレインは進んでいった。檜原街道を走って行くとやがて「橘橋」の交差点に突き当たる。

 このT字路の交差点を左に曲がればチームでよく行く「都民の森」に繋がる。今日はこの交差点を右折した。

 右折して少し行くと「檜原とうふ ちとせ屋」の建物が見えてくる。その手前を左に入って行くと時坂峠の上り口に着く。

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 上り口の道の右側は駐車場になっていて、ここまで車で来て付近のハイキングコースを歩く家族連れなどが来ていた。

 上り口で一息入れた。時坂峠はここから上り始め3.5kmほど先に頂上がある。斜度はまずまず厳しめである。

 6名はクリートをペダルに装着して、ゆっくりと上り始めた。空気はすっとしている。峠に繋がる上り道は静かである。

 その静かな空気のなか6台のロードバイクは乾いた走行音を響かせた。その走行音に私の呼吸音が混じり始めるのにそれほどの時間はかからなかった。

2016/6/5

3736:LINE  

 朝の5時ごろに一旦目が覚めた。耳を澄ますと雨の音がしっかりと聞こえた。「雨か・・・止むかな・・・」そんなことをぼんやりとした頭の中で思いながら、また目を閉じた。

 6時に再度目を覚ました。雨の音は相変わらずしていた。起き出して1階のリビングへ向かい、窓を開けた。雨は降っていた。

 Twitterを確認すると「本日のロングは天候不良のため中止にします。残念ですがよろしくお願いします。」とあった。

 少し気落ちしながらテレビをぼんやり観て、ゆっくりと朝食を摂った。その後トイレ掃除、風呂掃除をして、さらにキッチンのステンレス部分を「激落ちくん」を使って磨いた。

 そんなことをしていると、時刻は9時を回った。「そろそろ行くかな・・・あんまり気乗りしないけど・・・」そう思いながら妻に「ジムに行ってくる・・・昼前には戻って来るから、昼食は外で食べようか・・・?」と言って、車に乗り込んだ。

 Mt.富士ヒルクライムまでちょうど1週間。今日まではしっかりとトレーニングして、その後は軽めに体を動かすだけにしておく予定である。

 「1時間半の間、しっかりと漕いでみるか・・・」車に乗ってエンジンボタンを押した。雨は既に止んでいた。「これなら走れるかな・・・」そう思って一旦エンジンボタンを再度押して、エンジンを止めた。

 一人でそれほど距離のないコースを走ろうかと思案した。和田峠、山伏峠、時坂峠・・・幾つかの峠が候補として頭の中に浮かんだ。

 「でも、妻に昼前には戻ってくるって言ったしな・・・まあ今日はジムに行こう・・・」と考え直して、エンジンボタンを押した。

 車は走り出した。空には雲があったが雨はすっかりと止んでいた。東大和市を抜け小平市に入りもうすぐ国分寺市に入る頃合いであった。

 LINEが入った。確認するとリーダ―から「10時くらいから時坂峠でもいきませんか?」のメッセージが・・・

 ハザートをつけて車を停めた。時刻は9時半。今から引き返して準備し家を出ると10時にバイクルプラザには着かない。

 「拝島駅のファミリーマートで待ち合わせなら大丈夫か・・・」と思い「行きます!」と連絡して車をUターンさせた。

 数名のメンバーが参加することになったようで、結局10時20分に新小川橋(正式名称は百万橋)で待ち合わせることになり、自宅へ帰りついて急いで準備した。

 妻には「何人かで走ることになった・・・」と告げて家を出た。参加者は6名であった。皆なんとなく笑顔であった。

 トレインを組んで玉川上水に沿って走り、拝島駅そばのファミリーマートへ向かった。速めのペースでトレインは進んだ。

2016/6/4

3735:ラインナップ  

 ORACLE DELPHI Yは、名機として名高いDELPHI Xをベースにしている。いくつかの改良点があるが、最も大きな変更点は低粘性シリコン・オイルを用いたオイルダンプシステムが新たに加わったことである。

 このオイルダンプシステムは、サブシャーシ、プラッター、アーム、カートリッジに伝わる僅かな振動を排除することを目的としているようで、上手く機能するとその効果は高いようである。

 我が家のシステムのなかで唯一新しい機器となるDELPHI Yのターンテーブルにレコードをセットし、SME シリーズXのアームリフターを降ろした。

 ZYXのカートリッジの針先はゆっくりと盤面に着地した。針音がゆっくりと引きずるような音をさせた後、スザーネ・ラウテンバッハーのヴァオリオンの響きがTANNOY GRFから放たれた。

 ラウテンバッハーは、誠実にバッハに向き合い、虚飾を排した解釈で格調高くその音楽を奏でる。

 その演奏は素晴らしい。自然にバッハの音楽を自らの体に一旦取りこみ、自身の呼吸と共にそれを紡ぎ出す。聴く者は肩ひじ張らずにその音楽の中へ入っていける。

 その語り口の美しさは、高山植物のようで、清楚にして高貴という印象を受ける。女流ヴァイオリニストらしい暖かみや慈しみも感じさせてくれるその音色は心地よい。

 ようやくメンバーが揃い、我が家のリスニングルームにも音楽が流れ始めた。今後ゆっくりと微調整を繰り返していくことになるであろう。

 リスタートした第一印象は、「Marantzはやはり高貴な雰囲気がある・・・」といったもの。フルレストアされたMarantzは以前よりも精緻さが増している。

 Marantzの前はTANNOYと同じ英国製のLEAKのアンプを使っていた。LEAKはもっと牧歌的と言うか、英国の田舎の田園風景を思わせる質感であった。

 LEAKはLKEAKで良い雰囲気を有していた。Marantz #7と#2の組み合わせによる音はまた違うベクトルを有している。

 より都会的で、より洗練されている。より皮が鞣されて手触りや座り心地が滑らかである。その皮から発せられる香りをも幾分違う。

 何故かしらBMW製の車の本革シートの香りを感じた。あの香りは他のメーカーにはない香りである。洗練されていて鼻孔に優しい。

 ORACLE DELPHI Y、MARANTZ #7、Marantz #2、そしてTANNOY GRFというラインナップが揃った。それぞれがとても美しい機器である。自然な時間の流れと共にシステムの熟成を進めていき、発せられる有機的で複雑な香りを楽しんでいきたい。

2016/6/3

3734:エンブレム  

 「ピカール」はその名のとおり、金属をピカピカにしてくれるクリーナーである。これを少量ウェスに付けて、二つの形状の異なるエンブレムを磨いた。

 どちらも鈍い光がかすかに漏れ出ている程度であったが、しばらく磨くとその輝きは倍増した。けっこう汚れているものである。

 ウェスには真黒な汚れが付着した。それはこれらのエンブレムが作られた1950年代半ばから60年の年月の簡に積み重なったものであろう。そのなかには英国に居た頃の汚れも含まれているのかもしれない。

 そして綺麗になった二つのエンブレムをそれぞれ取り付けた。リスニングポイントから見て右手のGRFのネットにはエンブレムの日焼け跡がしっかりと残っていて、その取り付け位置が明確に分かる。

 こちらには大きめのエンブレムが付けられていたようで、その日焼け跡に合わせて取り付けた。左右の端に空けられた小さな穴に細い釘を通して打ち付ける。

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 こちらの大きめのエンブレムにはGuy R.Fountainの自筆のサインが描かれている。GRFの製品名は開発者である彼の名前そのものである。

 続いてもう一つのエンブレムを取り付けた。左側のGRFに取り付けるのであるが、こちらにはネットにエンブレムの日焼け跡がない。

 きっとネットを補修したのであろう。なので、釘が通る木部の最も下の部分に取り付けた。小さな釘を慎重に打ちつけていくと小さなエンブレムはしっかりと固定された。
 
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 こちらはより小さく、サインもG.R.Fとアルファベットのみ。少々簡素化されている。一般的にこの時代、初期型は結構豪華な仕様で始まり、その後コストダウンが行われることが多い。それを勘案すると、大きなエンブレムが初期型で小さ目の方が後期型ではないか、と勝手に推測している。逆である可能も大きい。

 GRFはのキャビネットはとても綺麗である。前のオーナーかもしくはさらにその前のオーナーがキャビネットを補修したのであろう。

 そのキャビネットはほぼ毎日マイクロファイバーのウェスで磨かれている。なので常にピカピカと輝いてる。

 リスニングルームは気密性が高く埃はとても少ない。毎日磨く必要性があるわけではないのであるが、挨拶代わりにウェスで軽く拭き上げる。

 Marantzが予想だにしないほどの長きにわたって不在であったので、手持無沙汰なTANNOY GRFがヘソを曲げないようにという気持もあったのかもしれない。

 ORACLEもMarantz不在の間、普段は静電気を防止する緑色の布で覆い、一日に一回マイクロファイバーのウェスで拭いた。

 Marantzが戻ってきたので、これからはMarantzのMedel7とModel2も毎日拭き上げることになるであろう。

 エンブレムの取り付けが終わり、ルーティンのような拭き上げ作業が終わった後に、試しにレコードをORACLE DELPHIのターンテーブルに乗せた。

 選ばれたレコードはバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ第一番。ヴァイオリニストはスザーネ・ラウテンバッハーである。 

2016/6/2

3733:帰還  

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 かくも長き不在になるとは想像すらしなかった。Marantz Model7とModel2をフルレストアのために旅に出したのは昨年の6月のことであった。

 「まあ、1ケ月もしくは2ケ月くらいかな・・・」と安易に考えていた。しかし、結果として1年の時間が経過したことになる。

 その間にはいろいろな経緯があったのであるが、ようやくといった感で我が家のシステムのすべてが揃うことになった。我が家のシステムの概要は次のとおりである。

 入口はORACLE DELPHI Y。DELPHIは、透明なアクリルとシルバーに輝くアルミが美しく、近未来的な造形美を誇っている。

 カートリjッジはZYX。アームはSME シリースX。昇圧トランスはCOTTER。それらにより伝達された音楽信号はMarantz Model7に送られ、そのフォノイコライザーにより整形されてからMarantz Model2に送られる。

 Marantz Model2はモノラル時代に設計製造されていた。なので、1台づつ販売されていた。その後にステレオ時代が到来した。

 ステレオ時代になると、もう1台必要となる。その当時のマニアは追加してもう1台を購入したのであろう。

 音の出口はTANNOY GRF。キャビネットは英国オリジナル。搭載されているユニットはモニターシルバーである。

 このモニターシルバーを搭載したGRFもモノラル時代に製造されたものである。そのため、Marntz Model2同様、1台づつで販売されていた。

 ステレオ時代が到来した後に、マニアはもう1台購入する必要性に迫られた。それを証明するかのように我が家のGRFは左右でエンブレムの形状が違う。

 前のオーナーはそれが気になったのかエンブレムを外していた。一つは大きめのエンブレムである。もう一つは小さくスリムな形状をしている。

 どちらが最初のエンブレムか・・・これは勝手な想像でしかないのであるが、大きめのエンブレムが初期型で、スリムな方がその後にマイナーチェンジされたものであろうと思っている。

 この二つのGRFは製造された年が2,3年は違うはずである。ネットワークを経由してのユニットへの配線の形状も左右で違う。

 前のオーナーが外していたエンブレムは、私も外したままにしていたのであるが、ようやくMarantzが長い旅を終えて帰って来たこともあり、エンブレムをつけてみようと思った。

 エンブレムの左右には小さな穴が空いていて、その穴に小さく細い釘を通して、打ち付ける。取り付ける前に、「ピカール」を使って二つのエンブレムを綺麗にした。

2016/6/1

3732:記念写真  

 芦ノ湖を見下ろしながら補給食を摂った。下山はスタートしたグループごとに時間が決められ集団で下る。私たちのグループは11時から下山の予定である。

 それまで時間がもう少しあった。下山の準備でもしようかと、Kuota Khanを掛けてあるバイクラックの方に向かって歩いていると、日向涼子さんと遭遇した。

 彼女は本職はモデルである。ロードバイクにすっかりと嵌ってしまったようで、サイクル雑誌にも連載を持っている。

 今では、ヒルクライムレースなどのサイクルイベントに引っ張りだこで、レースに参加するとともにMCなども務める。箱根ヒルクライムにもゲスト参加していたようで、スタートイベントでも挨拶をしていた。

 ヒルクライム能力も高い。Mt.富士ヒルクライムでも一昨年から1時間30分を切っている。後で箱根ヒルクライムのリザルトを確認したら1時間5分台のタイムであった。

 「お疲れ様でした・・・!」

 と声をかけると、彼女は微笑んで「お疲れ様です・・・」と返答してくれた。彼女の隣には元FUNRIDE編集部で今はフリーライターのはしけんさんが居た。

 「写真いいですか・・・?」と恐る恐る訊いてみると、心良くOKが出た。スマホをはしけんさんに渡して、日向涼子さんとのツーショット写真を撮ってもらった。彼女の愛車「ピナ太」も一緒に写真に納まった。箱根ヒルクライムでの良い記念となった。

 下山時間が近づいてきたので、集合場所へ向かった。60名が集まったところでスタッフの誘導に従って下山を始めた。

 快晴に恵まれていたので特別な防寒着の必要は無かった。リュックの中の防寒着はそのままで納まっていた。

 ゆっくりと一列になって下った。2車線の左側を通っていると、逆の車線側を上って来る参加者と時折すれ違う。

 上って来る参加者は皆苦しそうであった。私も1時間ほど前、同じように苦悶の表情をしていたはずである。

 ゆっくりと下山していき、やがてスタート地点である料金所に達した。ここで大会は終わる。その後は皆自分の車が停めてある駐車場へ向かって走った。

 私も駐車場までゆっくりと走って、Kuota Khanを車の荷室に詰め込んだ。サイクルシューズを脱いでスニーカーに履き替えた。

 体からすっと力が抜けた。硬めのシートに身を任せ、丸い形状のエンジンスタートボタンを押すとディーゼルエンジンはブルブルッと身震いした。

 「来年も出よう・・・」そう心に決めていた。帰り道も渋滞は無くスムースであった。しかし、腰には重い疲労感が積み重なっているような感覚であった。



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