2016/2/29

3455:バイクラック  

 6両編成となったトレインは、多摩湖サイクリングロードを走り抜け、「武蔵大和駅西」交差点を左に折れて、旧青梅街道に入っていった。

 旧青梅街道は片側一車線の道路である。それほど広い道ではない。日曜日の朝のうちは交通量が少ないので走りやすかった。

 旧青梅街道を東大和市から武蔵村山市へ向かって走っていった。街道沿いには古い商店が点在している。どれも流行っている風ではなく、昔ながらの鄙びた風情を醸し出している。

 武蔵村山市役所の前を通り過ぎ、国道16号との交差点を越え、さらに八高線の踏切をやり過ごすと、岩蔵街道へ入っていく交差点へ達する。

 岩蔵街道へ入ると周囲の風景がさっと広がる。道の周囲には畑が多くなるからである。時折「畑の香り」が風に運ばれてくることもある。

 岩蔵街道はほぼまっすぐに伸びている。しばらく走ると圏央道の青梅インターの下を潜る。この箇所はクランク状になっていて、その道の形に添って走っていった。

 さらにしばらく真っ直ぐ走ると、笹仁田峠を越える。ここは、起伏の緩やかな峠である。帰路では逆方向からの高速バトルが待っている。

 笹仁田峠を下り終えると、岩蔵温泉郷を抜けていく。ここは小さな温泉宿が幾つか並んでいる。目立つことのない温泉郷であり、隠れ家的な雰囲気が心地いい。

 その小さな温泉郷を抜けると、小曽木街道に一旦出てすぐの信号を左折。東京バーディークラブの周囲を半周する形で脇道を抜けていく。

 往路の休憩ポイントであるファミリーマート飯能上畑店はその先にある。ここにはしばらく前からバイクラックが設置されている。

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 そのバイクラックに、ロードバイクが並んだ。ORBEAが3台に、InterMax、LOOK、Kuotaが1台づつ、合計6台のロードバイクが、綺麗に納まった。

 ここでトイレ休憩を済ませ、補給食を胃袋に納めた。今日は暖かい。穏やかな気分で休憩時間を過ごした。

 心身には少々疲労感が澱のように沈殿していた。確定申告が始まってからは、夜遅くまで仕事に追われる日々が続いている。その疲れがなかなか抜けない。今日はロングライドで目一杯走り込んで、やや重くなった心を軽くしたいところである。

2016/2/28

3454:バルブ  

 「パシュ〜ン!」と乾いた鋭い音が響いた。その音の原因は疑いようがなかったが、すぐには受け入れがたい気分であった。しかし、それは厳然とした現実であった。まだ走りはじめて10分ほどしか経過していなかった。

 私はいつものように自宅を7時に出た。Kuota Khanには変わった様子はなかった。2月の最後の日曜日、この時期としては気温は高めであった。天気予報は晴れ。順調な出足と思われた。

 多摩湖サイクリングロードを通って、集合場所であるバイクルプラザに向かっていた。その音が響いたのは萩山駅の裏側を通り過ぎた辺りであった。

 現実は受け入れるしかない。とりあえず、Kuota Khanを道の脇に寄せて、パンクした後輪をロードバイクから外した。

 パンク修理に要する時間は10分ほどか・・・集合時間に間に合わない可能性が高いので、Twitterでパンクした旨を連絡した。

 タイヤレバーを使ってタイヤをリムから外して、空気の抜けたチューブを取り出した。サドルバックの中にしまってあった新品のチューブを出してバルブキャップを外した。

 新しいチューブをタイヤの中に納める前には、少し空気を入れてからするとやりやすい。チューブのバルブの先端に付いている小さなネジを緩めて、携帯用の小さな空気入れで少し膨らませようとした。

 何度かポンピングさせた。普通であればすぐにある程度の空気が入る。しかし、全く反応がない。

 「あれ・・・なんだ・・・?」

 空気入れを外して再度はめ込んでみる。結果は同じである。これには焦った。もう一度空気入れをバルブから外す。

 バルブの先端の小さなネジが緩んでいることを再度確認して、空気入れの先端の穴の中にぐっと押し込んでみた。ポンピングしたが、やはり反応がない。

 「これでは埒があかない・・・」

 しかたなく、リーダーの携帯に連絡。事情を説明し「空気入れが壊れることってあるんですか・・・?」と訊いてみると「メンテナンスしていないとありうる・・・」とのこと。

 「今日はそこを通るコースにしますので、10分ぐらい待っていてくれたらレスキューに行きますよ・・・」との返答にほっとした。

 待っている間、空気入れの先端部分を分解してみて、組み立てた。しかし、効果なし。「バルブかな・・・」とチューブのバルブを確認。先端についている小さなネジは緩んでいる。試しにその小さなネジを指で何度か押してみた。するとなんだか感触が変わった。

 「あれ・・・なんか変わった・・・」

 空気入れの先端にバルブを入れて再度チャレンジした。すると、何のことはない感じで空気がするすると入っていった。

 緩めに膨らんだチューブを素早くタイヤに入れ混んでいく。それからタイヤをリムの中に納めていく。

 最初のうちはするするといくが、最後は力がいる。上手くはまらない時はタイヤレバーを使って押し込む。

 タイヤがリムに全て納まった。タイヤがチューブを噛んでいないな確認してから、空気を入れていった。

 空気入れは結構重労働である。どうにかこうにか空気が入った。少し息が切れた。タイヤをロードバイクに取り付けて、無事パンク修理を終えた。

 ロードバイクに跨り、先へ向かった。走って数分でこちらに向かてきてくれていたチームトレインと合流した。

 「空気入れではなく、バルブでした・・・」

 バルブの先端のネジは緩めるだけでなく、何度か押し込んだりしないといけなかったようである。

 隊列の最後尾に連なって、走った。走りはじめて早々のパンクに少々面食らったが、どうにかこうにかチームのロングライドに参加できた。今日の目的地はチームでのロングライドで最も数多く行く「正丸峠」である。

2016/2/27

3453:NO.27.5  

 Paoさんのお宅にお邪魔するのは1年ぶりである。昨年はプリアンプがAurex製のものから、Mark Levinson NO.26SLに変わった。

そして、今年はパワーアンプがLo-D製のものから、プリアンプと同じMark LevinsonのNO.27.5に変わったのである。

 以前から使われていたLo-D製のパワーアンプは30年以上も使われていた。その間、何度かメンテナンスを繰り返していたが、最近調子が思わしくなかったようである。

 早速2階にあるリスニングルームに案内してもらった。Paoさんは私よりも6歳上である。あと数年で還暦を迎える。

 この古い家に母親と二人暮らしであったが、2年前に母親が他界してそれ以来一人暮らしである。ただ一人の法定相続人であったPaoさんはこの土地と家を相続した。

 Paoさんには20年ほど前に離婚した元妻との間に息子がいて、もしもPaoさんが亡くなると、その息子がこの土地と家を相続することになる。

 「息子がここを相続したなら、この古い家を取り壊して、賃貸マンションでも建てるだろう・・・それとも、すぱっとうっぱらってしまうかな・・・良い金になるだろうし・・・」

 そんなことをPaoさんは漏らしていた。土地の広さは40坪ほどであろうか、場所を考えると相当な金額になるであろう。

 Paoさんは長岡鉄男氏が設計したバッグロードホーン型のスピーカーを愛用している。ラックもそのスピーカーのキャビネットと同様の素材で作られた堅牢なものである。

 CDプレーヤーはMarantz CD-34。ただし普通のCD-34ではない。工藤氏の手により詳細な改造がなされたもので、見かけは普通のCD-34であるが、中身はほぼ別物となっている。

 そのCD-34の改造型がラックの最上段に置かれて、Aurex製のプリンアプが置かれていた空間には昨年からMark Levinson NO.26SLが陣取っている。

 このNO.26SLのデザインは非常に優れている。もっとも美しいプリアンプの第一候補に挙げたいようなシャープでありながら優雅な存在感があるプリアンプである。

 そして、ラックの最下段の住人は、今回長年に渡って使い続けられてきたLo-D製のものから、Mark LevinsonのNO.27.5に変わった。

 真黒で精悍なその姿はとても潔い。プリアンプとメーカーが揃ったことによる相乗効果か、実に目に馴染む。

 「きっと、音にもいい影響があったのであろう・・・」
 
 その姿を目にして心の中で思った。Paoさんがコーヒーを運んできてくれた。それを二つ置かれた椅子の間の小さ目のテーブルの上に置いて、「どう、かっこいいだろう・・・?」と呟くように言った。

 「いいですね・・・この造形・・・Lo-Dもかっこ良かったですけど。Mark Levinsonはまた別格ですね・・・特にこの時代のMark Levinsonは切れ味鋭い造形をしていますね・・・」

 私は、Paoさんが置いてくれたコーヒーカップの中で少し波打っているように見える真黒なコーヒーの表面を見ながら、そう答えた。

 そして、ひと時雑談をした後に、CDを聴かせていただいた。Paoさんはクラシックのみを聴く。どちらかというと交響曲などの大きな編成のものが好きで、特にマーラーの作品を愛好している。

 まず聴かせていただいたのは、マーラーの交響曲第5番から第1楽章。何だか、味わいというか音の輪郭線が太く濃くなったような気がする。

 音の構成を立体的に描く鉛筆の濃さがHBからBに変わったような気がした。そのため音の表面の毛羽立ちのようなものが柔らかく、よりリアリティーをもって感じられた。

 その後はシベリウスのヴァイオリン協奏曲から第1楽章を聴いた。こちらは北欧の作曲家らしく凛とした張り詰めた空気感が特徴的である。

 冒頭の幽玄なヴァイオリンの旋律が冷たくも妖艶な雰囲気を纏い、聴く者により迫ってくる印象を受ける。
 
 その後スメタナの「わが祖国」から「モルダウ」を聴いた。六つの交響詩からなる「わが祖国」のなかで、この「モルダウ」が一番有名な曲であろう。

 幻想的でいて、どこかしら郷愁を誘うこの曲はPaoさんのお宅では必ずかかる。「実に良いバランスになった・・・」と感じた。

 「もしかして、CD-34も少し変わっています・・・?」
 
 私は「モルダウ」が終わった時にPaoさんに訊いてみた。

 「そう・・・分かる・・・これで何度目だろう、7回目くらいかな・・・バージョンアップしたんだよ・・・改造費だけでこれまでどれくらい使ったかな・・・100万は下らないだろうな・・・でも、良くなった。安定感というか、どっしりと腰が据わった感じが増してね・・・まあ、工藤さんが生きている限りは、改造され続けるだろうね・・・」

 Paoさんは嬉しそうに話した。その後も何枚かのCDを聴かせてもらった。古い木造の家であるので防音はしっかりとはしていないが、周囲の環境が良いので、それほど気を使わないでいいようである。

 数時間をそうして過ごした。Paoさんはどこかしら楽しそうであった。甘泉園公園に接するこのお宅は都会の真ん中であることをすっかりと忘れてしまう雰囲気である。

 時代からいつのまにか取り残されたのか、あるいはあえて時代の流れに逆らったのか・・・いずれにしても、このまま変わらないでいてほしいと切に感じる空間であることは間違いなかった。

2016/2/26

3452:ほんこん飯  

 早稲田通りを南へ向かった。高田馬場駅から歩いて5,6,分のところに中華料理の「秀永」がある。

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 「秀英」は私が大学生であった頃からある。ということは30年以上前からこの場所で営業しているいることになる。

 内外装ともその当時のままである。時代の荒波を越えて、全く変わらずに存続しているのは、嬉しい限りである。

 この店の2大看板メニューは、ほんこん飯と白果鶏飯(とりめし)である。私は大学生の頃、ほんこん飯派であった。

 店内に足を踏み入れた。時間は1時半。既にお昼時を過ぎていたので空いていた。内装はシンプルで清潔感があるもの。

 飾り気や凝った意匠といったものは全くなく、「Simple is best.」といった感じの店内は30年前のままである。

 2人掛けのテーブル席に陣取った。迷わず、ほんこん飯を注文した。ほんこん飯は、豚肉と野菜の味噌炒めがご飯の上に乗っていてさらにその上に黄身が半熟気味の目玉焼きが乗せられている。食べる時にはその目玉焼きをスプーンで崩し、溶けだした黄身を具材やご飯に絡めて食べる。

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 30年前となんら変わらない味である。懐かしい・・・そして、美味しい。あの頃から経過した時間の長さがにわかには信じられないほどに、その味は当時のままである。

 心の中にぽっかりと空いた丸い小さな空隙を埋めるかのように、そのほんこん飯は胃袋の中に納められていった。

 会計を済ませて、店を出た。そのまま早稲田通りを南下していって、明治通りとの交差点を左折した。しばらくそのまま歩くと新目白通りにぶつかる。その交差点を今度は右折した。

 新目白通りは、東京で唯一残っている路面電車である都電 荒川線と並行している。その都電 荒川線を左手に見ながら南下していった。

 都電 荒川線の「面影橋駅」を左手にやり過ごすと、目的地はもうすぐである。右手に甘泉園公園が見えてくると新目白通りと平行に走る脇道へ入る。

 甘泉園公演は児童公園とテニスコートが併設されていて、その奥には広大な敷地を持つ回廊式の日本庭園がある。

 Paoさんのご自宅はその甘泉園公園に接している。ここが新宿区であることが不思議に感じられるほどに静かなエリアにある。
 
 建物は築50年以上は経っていると思われる古い木造の2階建てである。北側は古い5階建ての分譲マンション、南側は3階建ての出版社の社屋に挟まれている。

 門扉の脇に白く小さな呼び鈴がある。木にとまって息をひそめている蝉のような形状のその呼び鈴を鳴らした。

「ピン・・・ポン・・・」という少し間延びした感じの音が玄関の向こう側から漏れ聞こえてきた。

2016/2/25

3451:炭水化物  

 電車は高田馬場に向かっていた。小平駅から西武新宿行きの急行に乗った。平日の午後1時、電車内は比較的空いていた。

 空いた席に座り、鞄から本を取り出した。その本のタイトルは「50歳からは炭水化物をやめなさい」。著者は東京医科歯科大学名誉教授である藤田紘一郎氏。

 最近、炭水化物は相当悪者扱いされている。食事から炭水化物を出来るだけ抜くダイエット法である「炭水化物ダイエット」も流行っている。

 うちの事務所の一人の女性スタッフもご飯やパンといった炭水化物をとるのは昼だけで、朝食と夕食からは炭水化物を完全に抜いているとこの前話していた。

 「炭水化物ってそんなに、良くないものなのかな・・・?」と日ごろ疑問に感じていたので、「その謎を解く鍵が、この本の中に含まれているかもしれない・・・」と思ったのが、本屋でこの本を手に取ってレジに持ていった動機である。

 この本は実に理路整然としていて分かりやすかった。大学の名誉教授である著者は自分自身の糖尿病の経験などから、実に明確な理論を構築している。

 人間が体内でエネルギーを生成するエンジンには「解糖エンジン」と「ミトコンドリアエンジン」の2種類があり、40代ぐらいまでは「解糖エンジン」がメインエンジンであり、50歳以降は「ミトコンドリアエンジン」がメインエンジンに切り替わるとのこと。

 糖分を燃料としてエネルギーを作る「解糖エンジン」は、主に炭水化物を糖に変え、瞬発力のある動きをしたり、皮膚や粘膜、骨髄の細胞の材料を作り出す。

 一方、「ミトコンドリアエンジン」は、酵素を燃料としてエネルギーを作り出す。「ミトコンドリアエンジン」は、瞬発力は弱いが持続力に優れ、心臓や脳の神経細胞など持続してエネルギーの必要な部位への供給を担当する。

 50歳ぐらいを境に「ミトコンドリアエンジン」がメインエンジンたる役割を担うようになるので、その役割が相対的に低下していく「解糖エンジン」の燃料である炭水化物は必要性が薄くなっていき、今まで通りの量の炭水化物を取り続けることは、体にとって害が大きい。

 「なるほど・・・」と感心しながら読んでいった。しかし、炭水化物は日本人にとって小さい頃から慣れ親しんだものである。

 白米、パン、うどん、ラーメンなど・・・それらは日本人にとって日常的に繰り返し口にしてきたもの。そういったものを口へ入れる頻度をぐっと下げる。それが50歳を超えた人間にとっては健康に良いと分かったとしても、すぐにそしてずっと継続できるものであろうか・・・

 関心しながら、危惧する・・・そういった感じでその本を読み進んでいった。電車は、徐々に高田馬場駅に近づいていった。

 そして、アナウンスが「タカダノババ〜・・・タカダノババ〜・・・」と穏やかな口調で電車内に鳴り響いた。

 本にしおりを挟んで鞄にしまい、電車を降りた。ここから西早稲田までは歩いて15分くらいかかる。駅前からバスも出ているが、歩いて行くことにした。

2016/2/24

3450:特異体質  

 江の島を後にして、帰路についた。江ノ電の江ノ島駅に向かう商店街はやはり人が埋め尽くしていた。そこを縫うようにすり抜けていって、境川沿いのサイクリングロードへ入り込んでいった。

 心配された風は強く吹くことはなかった。風はやや重の向かい風といった程度である。ペースも抑えめに推移したので、疲労感が積もり上がっていくことはなかった。

 境川沿いのサイクリングロードは時折川からずれる所がある。一旦川から離れまた川沿いに戻る。1年に1回しか通らないので、ほとんど記憶に残っていない。

 そういったうる覚えのコースを走る時に今後役立ちそうなのが、ガーミン 520のナビ機能である。

 実際に走ったコースや、ルートラボで自分で作ったルートをガーミン 520に読み込ませると、ナビしてくれるのである。

 ガーミン 520の場合、その地図表示は詳細なものではないが、道を曲がる前に自動的に画面が変わり矢印で進むべき方向を示してくれるようである。

 そして、道を曲がり終えると、表示が自動的に元のデーター画面に戻る。チームメンバーのガーミン 510を見せてもらったが、その表示は簡易なものであっても役立ちそうであった。

 3月になると、長く使ったポラール CS500がガーミン 520になる。なるべく多くのルートを記憶させておこう。

 境川沿いの道を離れ、鎌倉街道を通った。鎌倉街道は、晴れて暖かくなり行楽日和となったためか多くの車が走っていて、所々渋滞していた。

 やがて道は府中街道に達した。青い表示板に白文字で「府中・東村山」という文字を見ると、ゴールが近い感じがして、ほっとする。

 やがて、小平方面へ向かう本隊と東大和市方面へ向かうメンバーとが分かれる分岐ポイントに到着した。

 7名のメンバーのうち、3名が東大和方面、4名が小平方面向かう予定であった。しかし、府中街道を北へ向かう隊列の先頭には小平へ向かうはずのリーダーが走っていた。国分寺の親類の所へ寄る予定があったとのこと。

 4名となって府中街道をまっすぐに北へ向かった。道は軽い上り基調である。4名になって府中街道を走るに従って風が強くなってきた。

 風は北風。真っ直ぐ北へ向かっている我々の行く手を阻むように強烈に正面から吹きつけてきた。先頭を引いてくれていたリーダーはペースを緩めることなく、むしろ速めていった。

 私は2番手を走っていた。先頭交代で前に出た。風は強まることはあっても、弱まることはなかった。

 そんな強烈な向かい風が吹きつける上り基調の道を走った。ペースを緩めれば、負荷は下がるが、そうしたくはなかった。

 今日はヒルクライムエリアがなかったので、既に100km以上の距離を走ってきてはいるが、脚には多少の余力があった。脚にさらに力を込めてクランクを回し続けた。

 やがてサイコンの心拍数は「175」を表示した。いわゆる「喘ぎ状態」に達していた。両脚の筋肉には疲労の塊が広がり始め、呼吸は荒く乱れた。

 その後先頭交代をしながらハイペースで走り続けた。当然皆疲れた。けれど、何故かしら気分が良い。

 信号待ちで停まった時、自然に「あ〜すっきりとした・・・」という言葉が荒い呼吸をしている口から出た。

 どうやら、「特異体質」になってしまったようである。江の島へのロングライドは、ヒルクライムはなかったが、「風クライム」とでも呼ぶべき「喘ぎエリア」が最後の最後で用意されていた。

2016/2/23

3449:丼  

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 江の島は、天気の良い記憶しかない。今日は朝のうちこそ曇っていたが、走っているうちに晴れてきて、江の島に着いた時には、青空が広がっていた。

 とても暖かかった。海ではサーフィンやウィンドサーフィンをしている人がいて、沖合にはヨットの姿も数多くあった。

 ロードバイクを立てかけて、しばしその広々とした開放的な風景を目の網膜に映し続けた。普段は峠道を上って山の上のほうから下を眺める。その風景も魅力的ではあるが、ここまでの開放感はない。やはり「海は広いな・・・大きいな・・・」という印象である。

 江の島へのロングライドの楽しみは、この風景だけではない。もう一つの大きな楽しみはグルメである。海のすぐそばであるので、当然食するのは海鮮である。

 「座々丸」という名前のお店で、丼物をいただくのが恒例である。ここの一押しは「釜揚げしらす丼」である。

 その他にも様々な丼物があり、私は「湘南丼」を選択した。これはマグロ、サーモン、ネギトロ、釜揚げしらすなどが、がばっと乗っている丼で、ちょっと欲張りな感じ。

 店にはテラス席がある。今日は暖かかったので、そちらに座った。注文を終えて待っていると、隣のテブールの空いている椅子に猫が気持ち良さそうに日向ぼっこをしていた。

 ここで飼っているのであろうか、人に慣れていて、近くに行っても逃げるそぶりを見せない。頭を撫でると、目を細めていた。

 注文してそれほど間が空くことなく、様々な丼物がテーブルに順次運ばれてきた。皆、「これ、これ、これ・・・」という感じで、自分の前に置かれたお目当ての丼物に、猫のように目を細めていた。

 当然のことながら美味であった。ほぼ食べ終えて、まったりしていると、かなりの数の団体客がテラス席を席巻し始めた。急ににぎやかになった。

 その団体客、この店にはよく来るのか「ここに来たら、鮪カツカレーだよ・・・絶対・・・うまいよ・・・」と大きな声で話していた。

 そういえば、メニューに載っていてちょっと気になったのが、「鮪カツカレー」であった。「来年来た時には、鮪カツカレーを頼んでみようかな・・・」そんなことを思いながら、店を後にした。

 江の島の風景を堪能し、癒し猫に目を細め、お腹も満たされた。これから来た道を辿って戻っていく。一昨年来た時の帰路は猛烈な向かい風で大変であった。今日はそれほどの風はなさそうである。

 「まあ、今日はそれほど大変ではないはず・・・」

 そう思った。それは大方当たっていたが、最後の最後ではそうも言ってられない状況が生じることとなった。

2016/2/22

3448:江の島  

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 境川に沿って走る道は車は通らないが、ウォーキングやジョギング、犬の散歩などをしている人がいるので、気を付けながら走る必要がある。

 さらに一般道と所々クロスしているので、そこでは一旦止まるかスピードを緩めるかして安全を確認してから通りすぎる。

 道はほぼ平坦である。ゆったりとしたペースで走るのにはちょうどいいコースかもしれない。時折かなり年齢の高い人がロードバイクに跨りゆったりとしたペースで走っているのを見かけたりもした。

 境川自体は、それほど美しい川ではない。流れはゆったりとしていている。やがて海へ流れつく川である。その前のひと時、ここに流れてきた水はのんびりした時を刻みながら過ぎし風景を振り返っているかのようである。

 人生もある年齢に達するとそういう時期が訪れるのであろうか。過ぎし時を振り返り、出会った人々思い出し、体験したいくつかの事柄をしみじみと眺める。

 そうして、自分の時間が尽きようとしているのを肌で感じる。そういった時期がやがて来るのであろう。

 そういう時期になったらヴィンテージのロードバイクにでも乗って、このコースをゆったりとしたペースで走るのも良いのかもしれない。

 このコースをずんずんと走っていき境川から離れると、やがて江ノ島電鉄の「江ノ島駅」に着いた。昨日の天気から一転して晴れた今日、江ノ島駅から続く商店街は人で埋め尽くされていた。

 ゆっくりとその商店街を抜けて先へ向かうと、一気に風景が広がる。江の島大橋の向こうには古代の巨大な古墳のような江の島が見え、すっかりと晴れた空は青く輝いていた。

 海には白波が断続的にうねり、光を方々に散乱させていた。江の島に着くとやはり独特の開放感がばっさりと頭から降りてくる。

 海は人を開放的にするのであろう。心もすっかりと扉を開く。波音がおおらかに、7両編成のトレインを迎え入れてくれて、頭上には様々な鳥が風に煽られながら羽を広げて優雅に舞っていた。

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2016/2/21

3447:泥除け  

 チームでは、2月の第3日曜日に江の島に行くことが恒例となっている。2月は寒いので、暖かいところに行こうというのが大きな理由である。

 昨日の土曜日は強い雨と風に見舞われたが、その雨も止んだ。路面はウェット。朝のうちは灰色の雲が空を覆い尽くしていた。天気予報では徐々に天気は快方へ向かい、晴れてくると伝えていた。

 朝の7時にKuota Khanに跨って自宅を出た。体に感じる空気は柔らかかった。気温が2月としては高いことが分かった。昨日の雨で湿度も高く、この時期特有の刺すような空気の冷たさはなかった。

 いつものように多摩湖サイクリングロードを走って集合場所へ向かった。路面がウェットであるので、タイヤは泥や小さなごみを跳ね上げる。ロードバクはあっという間に汚れだす。「走り終わったら、すぐに掃除しないと・・・」そんなことを思った。

 江の島に行くコースは、いつものコースのようにヒルクライムエリアがない。そのため気分は穏やかである。ただし、過去江の島に行った時には風が強く吹いた。追い風である時は良いのであるが、帰り道で強い向い風が吹くことが多く、ヒルクライムでもないのに、脚に強い負荷がかかった記憶が残っている。

 今日の参加者は7名。参加者のロードバイクは、ORBEAが4台と圧倒的に強く、InterMax1台、Ridley1台、そして私のKuota1台である。

 隊列を組んで、新小金井街道、小金井街道を進んでいった。東京競馬場の前を通りすぎ、やがて前回のロングライドの時に少し走った「尾根幹」を通った。ここはローディーの練習コースとして有名のようで、多くのローディーを見かけた。

 「尾根幹」の幾つかのアップダウンを越えてから、鎌倉街道に向かって交差点を左折して南へ向かった。

 風はそれほど吹いていなかった。ウェアは真冬仕様であったので、暑くなってきた。今年の2月は気温の高い日と低い日が目まぐるしく変わる。

 途中のセブンイレブンでコンビニ休憩をした。トイレを済ませて、補給食を摂った。補給食にはドーナッツとホットコーヒーを選択。

 Kuota Khanのサドルにはsan marco製の着脱式の泥除けが装着されている。路面がウェットだと泥やごみをタイヤが跳ね上げるのでウェアの背中が汚れる。この泥除けはそれを防いでくれる。サドルもsan marco製であるので、見た目も統一感がある。

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 コンビニ休憩を終えて、さらに先へ向かおうとした時であった。1台のロードバイクがパンクしていることが判明した。

 路面が濡れているとタイヤが様々なものを拾ってしまう。ガラス片などを拾うと、それが走っているうちに食い込んでしまいパンクする。

 手早くパンク修理を終えてから、先へ向かった。やがて、道は境川に沿って走るサイクリングロードに・・・ここから川沿いを延々と走ることになる。

2016/2/20

3446:パタパタ時計  

 「どうだろうかな・・・もしかしたら好きかもしれないね・・・犬を飼っているから、猫を飼おうとは思わないけど・・・猫って癒し系だよね・・・」

 「そうですか・・・じゃあ、今度一緒に行ってほしいところがあるんです・・・」

 「ゆみちゃん」はそう言うと、いつものいたずらっぽい笑顔になった。

 彼女もナポリタンを食べ終えた。そして、アイスコーヒーも残り4分の1ほどとなり、その残り少なくなったアイスコーヒーを飲むべく、右手でグラスを持ってストローに口を運んだ。

 「どこだ・・・」

 その少しの間に、私はぐるっと思いを巡らせた。

 「ペットショップであろうか・・・彼女が猫を飼う予定であるので、一緒に行って、参考意見でも聞きたいのであろうか・・・」

 その時であった、私の座っているカウンター席の右側から「ジジジ・・・ジジジ・・・」と小さな断続的な音が聞こえた。

 「何の音であろう・・・SONY CF-1980かな・・・具合が悪くなったのであろうか・・・」

 そう一瞬思ったが、音の方向はCF-1980が置かれている方からではなかった。右方向に視線を向けると、平べったい時計があった。

 それはパタパタ時計であった。数字が半分ずつ書かれた薄いプラスチック板が回転することにより時刻を表示する時計は今はもう生産されていないであろう。

 その数字を眺めると「7:59」であった。そしてその数字がやがて「8:00」になろうとしていた。一気に両方のプラスチック板の表示が変わろとしていた。

 とても古いものなので、両方のプラスチイク板を変えるのに少々難儀しているようであった。「ジジジ・・・ジジッジ・・・」と再度音がしてから、はらりとプラスチック板が手前に雪崩れ込んだ。

 時刻が「8:00」になった。するとその音はすっかりと止んだ。そのオレンジ色をした愛らしいパラパラ時計は何事も無かったように澄ました表情に変わり、薄暗いの店内の風景の中に埋没していった。

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 「猫カフェに一緒に行きませんか・・・吉祥寺に前から行ってみたいと思っていた店があるんです・・・」

 彼女はアイスコーヒをほぼ飲み終えてから、そう切り出した。

 「猫カフェ・・・いいね・・・行こう・・・」

 私はその美しいデザインのパタパタ時計から視線を彼女に戻して、そう答えた。

 そして、そのことには、あえて拘泥しない感じで、パタパタ時計を指さして、「この時計、前からあったっけ・・・?」と「ゆみちゃん」に訊いた。

 彼女はその時計に視線を移して「ありましたよ・・・良いデザインですよね・・・ちょっと撫でたくなりますよね・・・猫の頭のような曲線がかわいい・・・」

 と、彼女は笑顔になった。

 その時計は緩やかに時を刻む。ぱたりと板が落ちるように回転し時刻が変わる。その様はぼんやりと佇む猫の後ろ姿のように穏やかでどこかしら哀愁のようなものすら感じさせた。



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