2015/9/30
3302:Sabrina
Wilson Audioの新製品の名前は「Sabrina」である。Sophiaの下に位置し、Wilso Audioのフロアタイプのスピーカーとしては最も小さなモデルである。
日本の一般的な広さのリスニングルームには最適のサイズではないであろうかと思われるコンパクトな形状をしている。

サイズはコンパクトになったが、ぱっと見てすぐにWilson Audioと分かる外観をしている。Wilson Audioのスピーカーを見ていると、やはりどうしてもロボットを連想してしまう。
「Sabrina」と女性の名前の製品名がつけられているが、すっすっと前に滑らかに滑り出してきて、人工的な合成音声で「何か御用はありませんか・・・?」と女性の声が流れてきそうである。
輸入代理店の方の説明の後何曲かのデモ演奏が始まった。「Sabrina」は屈託なく、のびのびと音を放出する。
低域の量感についても不足感を感じさせることはなく、明るめの音色である。鬱屈した陰りのないその音には、その名のとおりアメリカの若くエネルギッシュな女性の感があった。
次はMSBという高級なDAコンバーターで有名なメーカーのデモが行われた。MSBの創業者が自ら製品の特徴を説明した。
そしてMSBの二つDAコンバーターの聴き比べが行われた。スピーカーはSabrinaからLumenwhiteの大型のスピーカーに変更された。
MSBのエントリーモデルである「Analog DAC」で数曲聴いた後、同社のフラッグシップモデルである「Select DAC」に切り替えて、また数曲聴いた。こうやって聴き比べてみると、やはり高級な製品の方が音が良いことがよく分かる。
Wilson Audioも「Sabrina」の次は「Sophia」、さらにその次は「Sasha」といった具合に、より上級なモデルに切り替えての聴き比べなんかをやってくれたら、きっと面白かっただろうな、と思ったりもした。
しかし、DAコンバーターを切り替えるのとは違い、Wilson Audioの重量級のスピーカーを入れ替えるのは、相当な重労働であるから、現実的ではないのかもしれない。
結局、アクシスのブースで1時間ほどを過ごして、東京インターナショナルオーディオショウの会場を後にした。
オーディオに入り込むようになった2006年から4年ほどは毎年訪れていたが、その後5年ほどは全く足が遠のいていた。随分久しぶりに訪れた東京インターナショナルオーディオショウは、やはり以前と変わらず、華やかで、きらびやかな世界であった。
日本の一般的な広さのリスニングルームには最適のサイズではないであろうかと思われるコンパクトな形状をしている。

サイズはコンパクトになったが、ぱっと見てすぐにWilson Audioと分かる外観をしている。Wilson Audioのスピーカーを見ていると、やはりどうしてもロボットを連想してしまう。
「Sabrina」と女性の名前の製品名がつけられているが、すっすっと前に滑らかに滑り出してきて、人工的な合成音声で「何か御用はありませんか・・・?」と女性の声が流れてきそうである。
輸入代理店の方の説明の後何曲かのデモ演奏が始まった。「Sabrina」は屈託なく、のびのびと音を放出する。
低域の量感についても不足感を感じさせることはなく、明るめの音色である。鬱屈した陰りのないその音には、その名のとおりアメリカの若くエネルギッシュな女性の感があった。
次はMSBという高級なDAコンバーターで有名なメーカーのデモが行われた。MSBの創業者が自ら製品の特徴を説明した。
そしてMSBの二つDAコンバーターの聴き比べが行われた。スピーカーはSabrinaからLumenwhiteの大型のスピーカーに変更された。
MSBのエントリーモデルである「Analog DAC」で数曲聴いた後、同社のフラッグシップモデルである「Select DAC」に切り替えて、また数曲聴いた。こうやって聴き比べてみると、やはり高級な製品の方が音が良いことがよく分かる。
Wilson Audioも「Sabrina」の次は「Sophia」、さらにその次は「Sasha」といった具合に、より上級なモデルに切り替えての聴き比べなんかをやってくれたら、きっと面白かっただろうな、と思ったりもした。
しかし、DAコンバーターを切り替えるのとは違い、Wilson Audioの重量級のスピーカーを入れ替えるのは、相当な重労働であるから、現実的ではないのかもしれない。
結局、アクシスのブースで1時間ほどを過ごして、東京インターナショナルオーディオショウの会場を後にした。
オーディオに入り込むようになった2006年から4年ほどは毎年訪れていたが、その後5年ほどは全く足が遠のいていた。随分久しぶりに訪れた東京インターナショナルオーディオショウは、やはり以前と変わらず、華やかで、きらびやかな世界であった。
2015/9/29
3301:Magne

ラックの最上部にbergmann Magneは鎮座していた。躯体は思っていたよりもがっしりとしていて、筋肉質な感じでもある。
やはりなんといっても目を引くのがそのアームである。リニアトラッキングアーム独特のメカニックな形状をしている。
リニアトラッキングアームは、すべてが直線と直角で構成されていて、そしてその動きも直線である。そこには曲線の入り込む余地がなく、なんだか理路整然としている感がある。

リニアトラッキングアームは、はるか昔日本でもオーディオが隆盛を極めていた1970年代後半には日本製のレコードプレーヤーでも結構採用されたことがある。

その代表例がパイオニア製のPL-1である。アーム自体がレールの上を真横に進んで行くような形状をしている。
パイオニアだけでなく、この時代は各メーカーからリニアトラッキングアームを採用したレコードプレーヤーが出された。
日本製で最も古いものはテクニクスの100Pである。1966年の発売であるので結構その歴史は古い。
この100Pなど、1960年代特有の優雅で繊細なデザインをしている。この時代に「グッドデザイン賞」があったがどうかは不明であるが、個人的にはその賞をささげたい気がする。

Magneのリニアトラッキングアームは比較的シンプルな形状をしている。なんだかすっとした形状で、重々しいメカニカル感はない。
モダンアートのような洗練さを身に纏っているのが特徴である。レコードプレーヤー全体の構成もシンプルでプレーンである。
デンマークは、デザイン性に優れた家具などで有名であるが、そういったデザインセンスの高い家具に共通するテイストである。
オーディオ評論家のよる講演会の後、しばらくしてからWilson Audioの新製品のデモ演奏をするとのことであったので、用意されていた椅子に座った。
2015/9/28
3300:Lumenwhite
有楽町駅について、東京インターナショナルオーディオショウが行われている東京国際フォーラムに向かった。
まずはガラス棟と呼ばれる船のような流線型の形をした特徴的な建物の中へ入っていった。そこで、受付を済ませると、首からかける形のカードとパンフレットをくれた。
そのガラス棟がメイン会場であり、数多くの輸入代理店やメーカーが各々ブースを構えて、多くのきらびやかで高価な製品を展示している。
時間が十分にあれば、主だった輸入代理店のブースを回って、そういたキラキラと輝くハイエンドオーディオ機器で目の保養をすることもできたが、着いた時にはすでに3時を回っていたので、あれこれ回ることははなから諦めて、メイン会場であるガラス棟ではなく、サブ会場であるD棟の5階へ向かった。
このD棟の5階に、アクシスのブースが設えてある。そこへ向かった。着いた時にはちょうどオーディオ評論家による講演会が行われていた。
その講演会の間は、用意された席はすべて埋まりさらにその後方に立って聞いている人がずらっと並んでいた。
講演会は普通1時間行われる。そこに展示されているオーディオ製品を説明しながら、用意してあるディスクをかけたりするのである。
講演会は終わる直前の頃合いのようであった。ちょうど目にしたいと思って来たレコードプレーヤーがレコードを奏でていた。
スピーカーはlumen whiteのwhite light anniversaryである。後ろに向かて滑らかに収束する特徴的な形態をしたスピーカーである。メイプルのキャビネットに白いユニットが綺麗に並んでいた。
そのスピーカーの間に設置されているAyre製のモノブロックアンプで駆動されているようであった。
人垣の後ろから覗くようにして、それらの製品を目にしながら、2曲ほどのレコード演奏を耳にしていた。
会場はとても広く天井も高い。一般的なリスニングルーム環境とは天と地ほども違うので、ここで聴ける音が参考になるとも思われないが、やはりハイエンドオーディオらしいきらびやかな音が流れていた。
オーディオ評論家による講演会が終わると、会場を埋め尽くす感があった人々は潮が引くようにすっといなくなった。
人が少なくなったので、オーディオ機器が設置されている場所へ向かった。そこには特徴的なアームを装着したレコードプレーヤーがあった。
デンマークのbergmann製のMagneである。思っていたよりも大きかった。横幅は50cmほどはあるのではないであろうか。結構がっしり感がある。
まずはガラス棟と呼ばれる船のような流線型の形をした特徴的な建物の中へ入っていった。そこで、受付を済ませると、首からかける形のカードとパンフレットをくれた。
そのガラス棟がメイン会場であり、数多くの輸入代理店やメーカーが各々ブースを構えて、多くのきらびやかで高価な製品を展示している。
時間が十分にあれば、主だった輸入代理店のブースを回って、そういたキラキラと輝くハイエンドオーディオ機器で目の保養をすることもできたが、着いた時にはすでに3時を回っていたので、あれこれ回ることははなから諦めて、メイン会場であるガラス棟ではなく、サブ会場であるD棟の5階へ向かった。
このD棟の5階に、アクシスのブースが設えてある。そこへ向かった。着いた時にはちょうどオーディオ評論家による講演会が行われていた。
その講演会の間は、用意された席はすべて埋まりさらにその後方に立って聞いている人がずらっと並んでいた。
講演会は普通1時間行われる。そこに展示されているオーディオ製品を説明しながら、用意してあるディスクをかけたりするのである。
講演会は終わる直前の頃合いのようであった。ちょうど目にしたいと思って来たレコードプレーヤーがレコードを奏でていた。
スピーカーはlumen whiteのwhite light anniversaryである。後ろに向かて滑らかに収束する特徴的な形態をしたスピーカーである。メイプルのキャビネットに白いユニットが綺麗に並んでいた。
そのスピーカーの間に設置されているAyre製のモノブロックアンプで駆動されているようであった。
人垣の後ろから覗くようにして、それらの製品を目にしながら、2曲ほどのレコード演奏を耳にしていた。
会場はとても広く天井も高い。一般的なリスニングルーム環境とは天と地ほども違うので、ここで聴ける音が参考になるとも思われないが、やはりハイエンドオーディオらしいきらびやかな音が流れていた。
オーディオ評論家による講演会が終わると、会場を埋め尽くす感があった人々は潮が引くようにすっといなくなった。
人が少なくなったので、オーディオ機器が設置されている場所へ向かった。そこには特徴的なアームを装着したレコードプレーヤーがあった。
デンマークのbergmann製のMagneである。思っていたよりも大きかった。横幅は50cmほどはあるのではないであろうか。結構がっしり感がある。
2015/9/27
3299:有楽町
朝の6時10分に目が覚めた。いつものようにサイクルウェアに着替えた。朝食を摂りながら、リビングの掃出し窓を開けて外の様子を窺った。
「あれ、雨か・・・」庭のウッドデッキの表面が濡れていた。空を見上げると灰色の雲に覆われていた。
全く予想していなかった。数日前の天気予報では「日曜日は天気が良いでしょう・・・」と伝えられていたからである。
雨と言っても本降りのそれではない。霧雨のような小さな粒の雨がさっと降っているのである。目を凝らさないと雨粒が確認できないほどであった。
「今日はどうだろう・・・中止だろうか・・・」
と思って、スマホで「Twitter」を確認した。チームの連絡事項はTwitterで流れてくる。
すると「もう少し様子を見ましょう・・・」とのことであった。
ロードバイクのタイヤに空気を入れて、ボトルに「クエン酸&BCAA」の粉末を溶かし、準備は万端に整えておいた。
「早く起きた朝は・・・」をテレビで観ながら、時折スマホを確認した。いつもは7時になったら自宅を後にする。「早く起きた朝は・・・」が終わる頃合いに「じゃあ、行くか・・・」とソファから腰を上げるのが常である。
その「早く起きた朝は・・・」がそろそろ終盤にさしかかった頃に、Twitterに「午前中は雨雲が残るという予報なので、残念ですが中止にします。」との連絡が入った。
「中止か・・・」
肩からふっと力が抜けた。もう一度窓から外を眺めた。細かな雨がはらはらと落ちてきていた。
「走れない雨ではないけど・・・」と単独で近場を走ろうかと思った。すると妻が起きだして1階に下りてきた。
「自転車、中止みたい・・・」と呟くと、妻は「ちょうど良かった・・・じゃあ、体育祭、一緒に行ってね・・・」と頼まれた。
今日は下の娘の体育祭があった。娘の学校に行くのは随分久しぶりである。車で向かった。学校に行く途中は、まだ雨が残っていた。
しかし、学校の近くのコインパーキングに車を停める頃には雨は止んだ。学校に着くとすでに体育祭は始まっていた。
娘の出番は4回あるようである。午前中に3回、午後に1回とのことであったので、「午前中見て、ビデオで一通り撮影したら、昼食をどこかでとって、帰ろうと・・・」と提案した。
雨は再び降ることなく、久しぶりに娘の体育祭の様子をビデオで納めた。広い校庭の芝生エリアに敷物を敷いて、ゆったりとした時間を過ごした。
午前中を体育祭を眺めて過ごしてから、学校の近くの「レッド・ロブスター」でランチをとって、妻を自宅まで送った。そのまま、引き返して事務所の駐車場に車を停めた。少し歩いて国分寺駅からJR中央線に乗った。
「3時過ぎには着けるかな・・・5年ぶりだよな・・・いや、6年ぶりだっけ・・・」そんなことを思いながら、有楽町を目指した。神田で乗り換えれば、有楽町はすぐである。
「あれ、雨か・・・」庭のウッドデッキの表面が濡れていた。空を見上げると灰色の雲に覆われていた。
全く予想していなかった。数日前の天気予報では「日曜日は天気が良いでしょう・・・」と伝えられていたからである。
雨と言っても本降りのそれではない。霧雨のような小さな粒の雨がさっと降っているのである。目を凝らさないと雨粒が確認できないほどであった。
「今日はどうだろう・・・中止だろうか・・・」
と思って、スマホで「Twitter」を確認した。チームの連絡事項はTwitterで流れてくる。
すると「もう少し様子を見ましょう・・・」とのことであった。
ロードバイクのタイヤに空気を入れて、ボトルに「クエン酸&BCAA」の粉末を溶かし、準備は万端に整えておいた。
「早く起きた朝は・・・」をテレビで観ながら、時折スマホを確認した。いつもは7時になったら自宅を後にする。「早く起きた朝は・・・」が終わる頃合いに「じゃあ、行くか・・・」とソファから腰を上げるのが常である。
その「早く起きた朝は・・・」がそろそろ終盤にさしかかった頃に、Twitterに「午前中は雨雲が残るという予報なので、残念ですが中止にします。」との連絡が入った。
「中止か・・・」
肩からふっと力が抜けた。もう一度窓から外を眺めた。細かな雨がはらはらと落ちてきていた。
「走れない雨ではないけど・・・」と単独で近場を走ろうかと思った。すると妻が起きだして1階に下りてきた。
「自転車、中止みたい・・・」と呟くと、妻は「ちょうど良かった・・・じゃあ、体育祭、一緒に行ってね・・・」と頼まれた。
今日は下の娘の体育祭があった。娘の学校に行くのは随分久しぶりである。車で向かった。学校に行く途中は、まだ雨が残っていた。
しかし、学校の近くのコインパーキングに車を停める頃には雨は止んだ。学校に着くとすでに体育祭は始まっていた。
娘の出番は4回あるようである。午前中に3回、午後に1回とのことであったので、「午前中見て、ビデオで一通り撮影したら、昼食をどこかでとって、帰ろうと・・・」と提案した。
雨は再び降ることなく、久しぶりに娘の体育祭の様子をビデオで納めた。広い校庭の芝生エリアに敷物を敷いて、ゆったりとした時間を過ごした。
午前中を体育祭を眺めて過ごしてから、学校の近くの「レッド・ロブスター」でランチをとって、妻を自宅まで送った。そのまま、引き返して事務所の駐車場に車を停めた。少し歩いて国分寺駅からJR中央線に乗った。
「3時過ぎには着けるかな・・・5年ぶりだよな・・・いや、6年ぶりだっけ・・・」そんなことを思いながら、有楽町を目指した。神田で乗り換えれば、有楽町はすぐである。
2015/9/26
3298:東京インターナショナルオーディオショウ
東京インターナショナルオーディオショウが、9月25日(金)、26日(土)、27日(日)の三日間、東京国際フォーラムで開催されている。
東京インターナショナルオーディオショウにはもう5年ほど行っていない。リスニングルームに半世紀以上も前に製造されたヴィンテージ機器が居並ぶようになった頃合いから、最新鋭のハイエンドオーディオ機器には関心がほとんど持てなくなったからである。
オーディオを趣味とするようになった2006年頃には、東京インターナショナルオーディオショウで展示されているような高価で高性能な最新鋭オーディオ機器に憧れて、オーディオに入り込んでいったのに、随分と嗜好性が変わってしまったものである。
ほとんど興味の対象外となってしまったハイエンド機器ではるあるが、唯一、関心と興味を持てる分野が一つある。それは、レコードプレーヤーである。
レコードプレーヤーは多くの海外ブランドが今でも新製品を開発している。そして、そういった海外のハイエンドレコードプレーヤーが日本にも紹介される機会がここ最近増えてきているのである。
つい最近も、たまたま本屋で手に取った「analog」で紹介されていたbergmann audioのMagneに目が留まった。リニアトラッキングアームを採用した近未来的な造形美を誇る最新鋭のレコードプレーヤーである。そのリニアトラッキングアームが実にアートしている。
このレコードプレーヤーなどは、出来たら現物を一度見てみたいものだと思った。アクシスが扱っているので、東京インターナショナルオーディオショウのアクシスのブースに行けば、このレコードプレーヤーはきっと展示しているはずである。さらに、時間帯が上手く合えば演奏している所も聴けるかもしれない。
このレコードプレーヤーを見るためだけでも、5年ぶりに東京インターナショナルオーディオショウに出向いてみようかとも思った。
明日の天気は良さそうである。天気が良ければ当然ロードバイクに跨って100Kmほど走ることになる。家に帰りつくのは2時過ぎ・・・シャワーを浴びて小休止したら3時を回る。
東京インターナショナルオーディオオショウの最終日は確か5時には終わってしまう。有楽町まで自宅から1時間半ほどかかることを考えれば、着くのは4時半ごろ・・・となると頭にふと浮かんだこのプランは、あまり現実味のないものなのかもしれない。
東京インターナショナルオーディオショウにはもう5年ほど行っていない。リスニングルームに半世紀以上も前に製造されたヴィンテージ機器が居並ぶようになった頃合いから、最新鋭のハイエンドオーディオ機器には関心がほとんど持てなくなったからである。
オーディオを趣味とするようになった2006年頃には、東京インターナショナルオーディオショウで展示されているような高価で高性能な最新鋭オーディオ機器に憧れて、オーディオに入り込んでいったのに、随分と嗜好性が変わってしまったものである。
ほとんど興味の対象外となってしまったハイエンド機器ではるあるが、唯一、関心と興味を持てる分野が一つある。それは、レコードプレーヤーである。
レコードプレーヤーは多くの海外ブランドが今でも新製品を開発している。そして、そういった海外のハイエンドレコードプレーヤーが日本にも紹介される機会がここ最近増えてきているのである。
つい最近も、たまたま本屋で手に取った「analog」で紹介されていたbergmann audioのMagneに目が留まった。リニアトラッキングアームを採用した近未来的な造形美を誇る最新鋭のレコードプレーヤーである。そのリニアトラッキングアームが実にアートしている。
このレコードプレーヤーなどは、出来たら現物を一度見てみたいものだと思った。アクシスが扱っているので、東京インターナショナルオーディオショウのアクシスのブースに行けば、このレコードプレーヤーはきっと展示しているはずである。さらに、時間帯が上手く合えば演奏している所も聴けるかもしれない。
このレコードプレーヤーを見るためだけでも、5年ぶりに東京インターナショナルオーディオショウに出向いてみようかとも思った。
明日の天気は良さそうである。天気が良ければ当然ロードバイクに跨って100Kmほど走ることになる。家に帰りつくのは2時過ぎ・・・シャワーを浴びて小休止したら3時を回る。
東京インターナショナルオーディオオショウの最終日は確か5時には終わってしまう。有楽町まで自宅から1時間半ほどかかることを考えれば、着くのは4時半ごろ・・・となると頭にふと浮かんだこのプランは、あまり現実味のないものなのかもしれない。
2015/9/25
3297:アドレナリン
家に帰りついた私の様子を見て、家族は口を揃えて「どうしたの・・・?半分死んだような顔してるよ・・・」と呟いた。
時刻は11時を回っていた。ダイニングテーブルの椅子に座り込んで、しばしぼ〜としていた。家族はリビングで、テレビを観たり、自分のスマホを見ていたりしていて、日常的な休日の夜をいつものように過ごしていた。
なんだか、こんななんということもない家庭の風景が妙に新鮮に感じられる。それほど非日常的な時間を過ごしてきたのであろうか。
今日一日で経験した様々な場所や時間などのことをふっと思いだそうとしたが、体が疲れ切っていて、ふわふわとしかその様子が浮かばなかった。
どの位座り込んでいたのであろうか・・・20分ほどであったであろうか・・・ようやく重い腰を上げて、浴室へ向かった。
シャワーで汗を流し去った。普段のロングライドでもあるいはジムでのトレーニングでも、汗を大量に流した後に浴びるシャワーは私にとって、一種の快感である。
何かしらの達成感のようなものを感じるのである。無為には過ごさなかった証のように体には汗と疲れがまとわりついている。それを勢いよくシャワーで流し去るのである。
シャワーですっきりとしてから、ベッドで横になった。ベッドに入る前は「ベッドで横になったら、きっとすぐさま深い眠りに吸い込まれるに違いない・・・」と思っていた。
しかし、実際はそうではなかった。「あれ、なんだか眠れないな・・・どうしたのであろうか・・・?」と訝しく思った。
体は針が振りきれるぐらいに疲れ果てているはずである。しかし、何度か寝返りをして暗い寝室でしばしの時間を過ごした。
どうやら、脳内に大量に放出された興奮成分がまだ引き切っていないようであった。体にとって過酷な体験をすると、脳内からアドレナリンが放出される。それが脳を興奮させて、過酷さに立ち向かわせる。
「今日一日で私の脳内に放出されたアドレナリンはどれほどであったのであろうか・・・?」そんなことをふっと思った。
しばし、脳内が沈静化するのを待った。やがて、それは訪れた。電源スイッチをパチンと切るようにして、私は無意識の中に沈んでいった。
時刻は11時を回っていた。ダイニングテーブルの椅子に座り込んで、しばしぼ〜としていた。家族はリビングで、テレビを観たり、自分のスマホを見ていたりしていて、日常的な休日の夜をいつものように過ごしていた。
なんだか、こんななんということもない家庭の風景が妙に新鮮に感じられる。それほど非日常的な時間を過ごしてきたのであろうか。
今日一日で経験した様々な場所や時間などのことをふっと思いだそうとしたが、体が疲れ切っていて、ふわふわとしかその様子が浮かばなかった。
どの位座り込んでいたのであろうか・・・20分ほどであったであろうか・・・ようやく重い腰を上げて、浴室へ向かった。
シャワーで汗を流し去った。普段のロングライドでもあるいはジムでのトレーニングでも、汗を大量に流した後に浴びるシャワーは私にとって、一種の快感である。
何かしらの達成感のようなものを感じるのである。無為には過ごさなかった証のように体には汗と疲れがまとわりついている。それを勢いよくシャワーで流し去るのである。
シャワーですっきりとしてから、ベッドで横になった。ベッドに入る前は「ベッドで横になったら、きっとすぐさま深い眠りに吸い込まれるに違いない・・・」と思っていた。
しかし、実際はそうではなかった。「あれ、なんだか眠れないな・・・どうしたのであろうか・・・?」と訝しく思った。
体は針が振りきれるぐらいに疲れ果てているはずである。しかし、何度か寝返りをして暗い寝室でしばしの時間を過ごした。
どうやら、脳内に大量に放出された興奮成分がまだ引き切っていないようであった。体にとって過酷な体験をすると、脳内からアドレナリンが放出される。それが脳を興奮させて、過酷さに立ち向かわせる。
「今日一日で私の脳内に放出されたアドレナリンはどれほどであったのであろうか・・・?」そんなことをふっと思った。
しばし、脳内が沈静化するのを待った。やがて、それは訪れた。電源スイッチをパチンと切るようにして、私は無意識の中に沈んでいった。
2015/9/24
3296:夜間走行
大弛峠の頂上は霧が少し出ていた。気温はとても低く、ウィンドブレーカーを着込んだ。体はやがて寒さで小刻みに震えはじめた。
メンバー全員で恒例の記念撮影を済ませて、延々上ってきた道を下り始めた。下っていると、「こんな道を上ってきたのか・・・」と改めてその過酷さを感じたりもする。
勢いよく下っていくと2,000m以上の標高はみるみる下がっていく。最初はその寒さ故、体が強張り、歯がかみ合わない感じであったのが、徐々に体の筋肉が緩んでいくのが分かる。
長い長い下りを走り切り、コンビニ休憩を入れてから、甲州街道へ入っていった。新笹子トンネルへ向けて走った。やがて道は緩やかな上りに転じていく。
この上りが長い。緩やかとはいえ長い上りを速めのペースで上っていくのは結構な試練であった。周囲はすっかりと暗くなっていた。
8台のロードバイクは黙々と進んだ。新笹子トンネルの前に到着してトイレ休憩を済ませてからトンネルに突入した。
このトンネルは道幅が狭い。車が猛スピードですぐ脇を走り抜けていったりもする。自転車で通り抜けるにはかなりの恐怖を味わう可能性が高い。
8台が連なると車が抜きにくくなるので、4台ごとに二つに分かれて走った。幸い大概の車は膨らんで抜いていってくれた。
思っていたほどには怖い思いをすることなく、トンネルを抜けていった。トンネルの先は長い下りである。大月まで一気に走った。
大月で小休止の後、相模湖方面へ向かいその先の大垂水峠へ・・・皆、疲労度合いはほぼMAXの状態のはずである。しかし、早いペースでトレインは進んだ。
大垂水峠の上りは4kmほど。斜度もそれほどきついわけではないが、とうの昔に限界点を超えたかのように思える体と脚には、その負担は想像以上に過酷である。
8台のロードバイクは綺麗なトレインの形態を維持して、誰も切れなかった。私の脚もどうにかこうにか回っていた。
大垂水峠の頂上に達した時には陶酔感のようなものが舞い降りてきた。周囲は真っ暗である。ロードバイクに取り付けられているLEDライトが白や赤の明滅を繰り返していた。
走りに走り、越えに越えてきた。大垂水峠を下り切り高尾山口駅の前のコンビニで最後の休憩をした。脚はぼろぼろといった感じである。
夜間走行はまだしばし続いた。連休のため車の渋滞に出会い、その脇をすり抜けるようにして走り、浅川の脇の遊歩道では街灯がない真っ暗な中を恐々走った。
八王子を抜けて多摩大橋を渡り、五日市街道方面へ・・・玉川上水沿いの道を通って、多摩モノレールの下を潜れば、もうホームタウンという感じのエリアである。
東大和市のメンバーは途中で本隊と分かれた。そこから数キロ走って自宅に着いた。サイコンの走行距離表示は「273」という数字を示していた。長い長い一日はようやく終わろうとしていた。
メンバー全員で恒例の記念撮影を済ませて、延々上ってきた道を下り始めた。下っていると、「こんな道を上ってきたのか・・・」と改めてその過酷さを感じたりもする。
勢いよく下っていくと2,000m以上の標高はみるみる下がっていく。最初はその寒さ故、体が強張り、歯がかみ合わない感じであったのが、徐々に体の筋肉が緩んでいくのが分かる。
長い長い下りを走り切り、コンビニ休憩を入れてから、甲州街道へ入っていった。新笹子トンネルへ向けて走った。やがて道は緩やかな上りに転じていく。
この上りが長い。緩やかとはいえ長い上りを速めのペースで上っていくのは結構な試練であった。周囲はすっかりと暗くなっていた。
8台のロードバイクは黙々と進んだ。新笹子トンネルの前に到着してトイレ休憩を済ませてからトンネルに突入した。
このトンネルは道幅が狭い。車が猛スピードですぐ脇を走り抜けていったりもする。自転車で通り抜けるにはかなりの恐怖を味わう可能性が高い。
8台が連なると車が抜きにくくなるので、4台ごとに二つに分かれて走った。幸い大概の車は膨らんで抜いていってくれた。
思っていたほどには怖い思いをすることなく、トンネルを抜けていった。トンネルの先は長い下りである。大月まで一気に走った。
大月で小休止の後、相模湖方面へ向かいその先の大垂水峠へ・・・皆、疲労度合いはほぼMAXの状態のはずである。しかし、早いペースでトレインは進んだ。
大垂水峠の上りは4kmほど。斜度もそれほどきついわけではないが、とうの昔に限界点を超えたかのように思える体と脚には、その負担は想像以上に過酷である。
8台のロードバイクは綺麗なトレインの形態を維持して、誰も切れなかった。私の脚もどうにかこうにか回っていた。
大垂水峠の頂上に達した時には陶酔感のようなものが舞い降りてきた。周囲は真っ暗である。ロードバイクに取り付けられているLEDライトが白や赤の明滅を繰り返していた。
走りに走り、越えに越えてきた。大垂水峠を下り切り高尾山口駅の前のコンビニで最後の休憩をした。脚はぼろぼろといった感じである。
夜間走行はまだしばし続いた。連休のため車の渋滞に出会い、その脇をすり抜けるようにして走り、浅川の脇の遊歩道では街灯がない真っ暗な中を恐々走った。
八王子を抜けて多摩大橋を渡り、五日市街道方面へ・・・玉川上水沿いの道を通って、多摩モノレールの下を潜れば、もうホームタウンという感じのエリアである。
東大和市のメンバーは途中で本隊と分かれた。そこから数キロ走って自宅に着いた。サイコンの走行距離表示は「273」という数字を示していた。長い長い一日はようやく終わろうとしていた。
2015/9/23
3295:大弛峠
琴川ダムから大弛峠へ向けてリスタートしてしばらくは斜度は緩むことなく厳しいままであった。後半の平均斜度は前半よりも緩むと聞いていたので少し期待していたのであるが、まだまだ続く厳しい斜度に体も心も追い詰められていった。
3kmほど上ると斜度がすっと緩んだ。厳しい斜度に苦しめられていた脚はよみがえった。クランクは勢いよく回り始めた。
斜度は3%程度であろうか・・・なんだか平坦路を走っているような気になってくる。8台のロードバイクはピタッと寄り添い風を切るようにして走った。
「このまま緩い斜度のまま頂上まで行ければ良いのであるが・・・」
そんな都合の良い考えがちらりと頭をかすめたが、現実はそんなには甘くなかった。斜度が緩かったのは4km程・・・残り8kmぐらいからまた斜度はしっかりとしたものに変わっていった。
斜度が上がってからはまた苦悶の表情が顔に張り付いた。斜度が厳しくなると隊列は縦に長く広がっていった。私の脚の筋肉は強張って滑らかさをすっかりと失っていった。
太腿の内側には時折鋭い痛みが走った。筋肉が攣る前兆のような不吉で鋭い痛みである。「ここで太腿が攣ったら地獄行きだな・・・」そんなことを思いながら、クランクを回し続けた。
1kmごとに大弛峠の頂上までの残り距離が道の左端の簡素な道標によって表示されている。ようやく「残り3km」の表示までたどり着いた。
「のこり3km〜!」
前を行くメンバーがそう告げた。心が少しほっこりとした。もうすぐ頂上である。脚も体もほぼ限界地点でうろついていた。ゴールが確実に近づいていることが心の支えとなった。
しかし、その3kmは長かった。脚はどうにか回り続けていた。脳の指令で回っているのではなく、自動機械のように回っていた。脳は苦痛を必要以上に感じないために、思考停止状態になっているかのようであった。
急激に曲がるヘアピンカーブを通った。その急激な曲がり部分には何本もの白いラインが道を斜め横にスライスするように入れられていた。その様子がなんだか美しく感じられた。
標高は2,000mを超えているはず。冷えた空気を体から発する熱で幾分暖めながら大弛峠の終盤を上っていった。
すると道の脇に停まっている車が数台見えた。「あそこか・・・?頂上か・・・?」体からすっと緊張感が引いていくような解放感があった。
頂上に達して、左のペダルからクリートを外し、左足を地面に着けた。続いて右足のかかとをくいっと外側にねじってクリートをペダルから解放した。サドルからお尻をずらして、右足も地面に着けた。
大弛峠の頂上は霧で少しもやっていた。頂上には登山客など想像以上に多くの人がいた。テントを張ってその前で缶ビールを飲んでいる人もいた。
KUOTA KHANを木の柵に立て掛けて、私もその柵にもたれて休んだ。標高は2,365mである。頂上には冷ややかな空気がゆっくりと流れていた。私はしばし柵にもたれたままであった。
3kmほど上ると斜度がすっと緩んだ。厳しい斜度に苦しめられていた脚はよみがえった。クランクは勢いよく回り始めた。
斜度は3%程度であろうか・・・なんだか平坦路を走っているような気になってくる。8台のロードバイクはピタッと寄り添い風を切るようにして走った。
「このまま緩い斜度のまま頂上まで行ければ良いのであるが・・・」
そんな都合の良い考えがちらりと頭をかすめたが、現実はそんなには甘くなかった。斜度が緩かったのは4km程・・・残り8kmぐらいからまた斜度はしっかりとしたものに変わっていった。
斜度が上がってからはまた苦悶の表情が顔に張り付いた。斜度が厳しくなると隊列は縦に長く広がっていった。私の脚の筋肉は強張って滑らかさをすっかりと失っていった。
太腿の内側には時折鋭い痛みが走った。筋肉が攣る前兆のような不吉で鋭い痛みである。「ここで太腿が攣ったら地獄行きだな・・・」そんなことを思いながら、クランクを回し続けた。
1kmごとに大弛峠の頂上までの残り距離が道の左端の簡素な道標によって表示されている。ようやく「残り3km」の表示までたどり着いた。
「のこり3km〜!」
前を行くメンバーがそう告げた。心が少しほっこりとした。もうすぐ頂上である。脚も体もほぼ限界地点でうろついていた。ゴールが確実に近づいていることが心の支えとなった。
しかし、その3kmは長かった。脚はどうにか回り続けていた。脳の指令で回っているのではなく、自動機械のように回っていた。脳は苦痛を必要以上に感じないために、思考停止状態になっているかのようであった。
急激に曲がるヘアピンカーブを通った。その急激な曲がり部分には何本もの白いラインが道を斜め横にスライスするように入れられていた。その様子がなんだか美しく感じられた。
標高は2,000mを超えているはず。冷えた空気を体から発する熱で幾分暖めながら大弛峠の終盤を上っていった。
すると道の脇に停まっている車が数台見えた。「あそこか・・・?頂上か・・・?」体からすっと緊張感が引いていくような解放感があった。
頂上に達して、左のペダルからクリートを外し、左足を地面に着けた。続いて右足のかかとをくいっと外側にねじってクリートをペダルから解放した。サドルからお尻をずらして、右足も地面に着けた。
大弛峠の頂上は霧で少しもやっていた。頂上には登山客など想像以上に多くの人がいた。テントを張ってその前で缶ビールを飲んでいる人もいた。
KUOTA KHANを木の柵に立て掛けて、私もその柵にもたれて休んだ。標高は2,365mである。頂上には冷ややかな空気がゆっくりと流れていた。私はしばし柵にもたれたままであった。

2015/9/22
3294:乙女湖
柳沢峠を塩山まで下った。強烈な風を体に受けながら下っていく。耳には風が猛烈に流れる音しか聞こえない。
柳沢峠の標高は1472mであった。その標高はみるみる削られていく。標高が下がるに従って気温が上がっていく。
塩山駅まで下り切った時にはとても暑く感じた。太陽の光は強く、気温は30℃近くあるのではないかと思った。塩山駅の前には武田信玄の座像がある。その眼はぎらっとしていて、前方を睨み付けていた。
武田信玄像に別れを告げて、いよいよ今日最大のチャレンジとなる「大弛峠」へ向かう道へと進んでいった。
アプローチは7kmほど・・・上りが始まって30km上るが、その上りの中間地点にある琴川ダムで一旦休憩を入れる。そして峠の頂上を目指す。
しばしアプローチを進むと、リーダーが「ここから上りです・・・」と告げた。少し上るとマラソン大会のゴール地点に出くわした。学校がゴール地点になっているようであった。この暑さのなかのマラソン大会は大変そうであった。まあ、こちらも大変な状況に足を踏み入れているので、他人ごとではないが・・・
少し行くと道の両側にブドウ畑が見えてくる。ブドウがちょうどたわわに実っているようであった。斜度はしっかりとある。
琴川ダムまでの前半部分は平均斜度が7%ほどとのこと。琴川ダムから大弛峠までの後半の平均斜度は5%ほどで、前半の方が斜度はきついようである。
道はやがて森の中へ・・・ペースは抑えめであるが、脚には否応なく疲労感が蓄積していく。体が重く硬くなっていくように感じられた。
15kmほど上って、ようやく琴川ダムが見えてきた。琴川ダムは平成2O年に出来た比較的新しいダムである。このダムによって出来た湖の名前は「乙女湖」。ちょっとメルヘンチックである。

湖を見ながら小休止した。皆、疲れ切っていた。塩山ではとても暑かったが、標高が1464mと高くなったので、逆に肌寒く感じた。それだけ上ってきた証であろう・・・
まだ、半分残っている。さらに15kmほど上っていった先に大弛峠はある。琴川ダムと乙女湖を後にして、いよいよ後半へ向かって走り出した。後半部の始まりはきつめの斜度が続く見通しの良い直線であった。まだまだ続く試練をきっぱりと示唆しているような道であった。
柳沢峠の標高は1472mであった。その標高はみるみる削られていく。標高が下がるに従って気温が上がっていく。
塩山駅まで下り切った時にはとても暑く感じた。太陽の光は強く、気温は30℃近くあるのではないかと思った。塩山駅の前には武田信玄の座像がある。その眼はぎらっとしていて、前方を睨み付けていた。
武田信玄像に別れを告げて、いよいよ今日最大のチャレンジとなる「大弛峠」へ向かう道へと進んでいった。
アプローチは7kmほど・・・上りが始まって30km上るが、その上りの中間地点にある琴川ダムで一旦休憩を入れる。そして峠の頂上を目指す。
しばしアプローチを進むと、リーダーが「ここから上りです・・・」と告げた。少し上るとマラソン大会のゴール地点に出くわした。学校がゴール地点になっているようであった。この暑さのなかのマラソン大会は大変そうであった。まあ、こちらも大変な状況に足を踏み入れているので、他人ごとではないが・・・
少し行くと道の両側にブドウ畑が見えてくる。ブドウがちょうどたわわに実っているようであった。斜度はしっかりとある。
琴川ダムまでの前半部分は平均斜度が7%ほどとのこと。琴川ダムから大弛峠までの後半の平均斜度は5%ほどで、前半の方が斜度はきついようである。
道はやがて森の中へ・・・ペースは抑えめであるが、脚には否応なく疲労感が蓄積していく。体が重く硬くなっていくように感じられた。
15kmほど上って、ようやく琴川ダムが見えてきた。琴川ダムは平成2O年に出来た比較的新しいダムである。このダムによって出来た湖の名前は「乙女湖」。ちょっとメルヘンチックである。

湖を見ながら小休止した。皆、疲れ切っていた。塩山ではとても暑かったが、標高が1464mと高くなったので、逆に肌寒く感じた。それだけ上ってきた証であろう・・・
まだ、半分残っている。さらに15kmほど上っていった先に大弛峠はある。琴川ダムと乙女湖を後にして、いよいよ後半へ向かって走り出した。後半部の始まりはきつめの斜度が続く見通しの良い直線であった。まだまだ続く試練をきっぱりと示唆しているような道であった。
2015/9/21
3293:柳沢峠
奥多摩湖へは行き慣れた道である。普段のロングで行く定番コースの一つだからである。旧青梅街道から岩蔵街道に入り、圏央道を潜って少し行った先の「今井馬場崎」の交差点を左折して青梅方面へ向かう。その道の途中には担々麺で有名な「担々麺 杉山」がある。
青梅駅近くの商店街通りを走り抜け、青梅線に沿うような感じで西へ向かう。青梅線の駅名が一つ二つと変わっていくに従って風景も変わっていく。
最初の休憩ポイントである御岳駅そばの「セブンイレブン」に着くころには、風景はすっかりと鄙びた感じのものになり、空気も清々しい。
トイレを済ませ、補給食を体内に取り入れてから、奥多摩湖を目指した。三又の交差点「将門」を左に入っていって新しくできた道を少し下り、「城山トンネル」という真新しいトンネルを抜けていった。
ここから幾つかのトンネルを通る。トンネルを通る時にはライトをつける。充電式の小さなLEDライトを点滅モードにした。一定の間隔で点滅する白い光がすぐ前を行くメンバーの背中をリズミカルに映し出す。
そのリズムは心臓の鼓動のようでもある。奥多摩湖までの緩やかな上り道はそれほど速いペースで走っていなくとも、心拍数を押し上げる。
じわりじわりと疲労感が脚に積み重なってきた頃に奥多摩湖の駐車場に着いた。駐車場には「旧車」と呼ばれる昔懐かしい車が集まってきていた。
ここの駐車場にはある決まった日曜日に「旧車」を持ち寄って集まるイベントがあるようである。まだ時間が早かったので、台数はそれほどでもないが、昼近い頃には相当な台数の「旧車」が集まり、そのオーナー達が自慢の愛車をお披露目すると共に、同好の者同士交流をするのであろう。
手短にトイレ休憩を済ませて先に進んだ。奥多摩湖を左手に見ながら道は続いている。途中いくつかの橋を渡る。
意味合いがあるのかないのかは分からないが、それらの橋の色合いは皆違う。赤であったりオレンジであったり、薄い緑であったりする。

途中「道の駅 たばやま」で休憩してから、柳沢峠を目指した。柳沢峠は長い上りが続く。斜度はそれほど厳しいものではない。
国道であるので道幅も広く走りやすい。その長い上りを隊列を維持しながら淡々と上っていく。天気は良い。道の両側には木々が茂っている。なるべく木陰になっているエリアを選ぶようにしてクランクを回し続けた。
何度か緩やかに曲がる道を走っていくとようやく峠の茶屋が見えた。上り切って小休止した。天気は良かったが生憎雲に阻まれて富士山を望むことはできなかった。
柳沢峠の標高は1472m。通り抜けていく風は涼やかで気持ちが良い。ここまでの走行距離は約70km。ここで折り返して帰れば140km。今日はその倍の280kmを走る予定である。そう考えるとまだまだ先は長いということが改めて身に染みた。
青梅駅近くの商店街通りを走り抜け、青梅線に沿うような感じで西へ向かう。青梅線の駅名が一つ二つと変わっていくに従って風景も変わっていく。
最初の休憩ポイントである御岳駅そばの「セブンイレブン」に着くころには、風景はすっかりと鄙びた感じのものになり、空気も清々しい。
トイレを済ませ、補給食を体内に取り入れてから、奥多摩湖を目指した。三又の交差点「将門」を左に入っていって新しくできた道を少し下り、「城山トンネル」という真新しいトンネルを抜けていった。
ここから幾つかのトンネルを通る。トンネルを通る時にはライトをつける。充電式の小さなLEDライトを点滅モードにした。一定の間隔で点滅する白い光がすぐ前を行くメンバーの背中をリズミカルに映し出す。
そのリズムは心臓の鼓動のようでもある。奥多摩湖までの緩やかな上り道はそれほど速いペースで走っていなくとも、心拍数を押し上げる。
じわりじわりと疲労感が脚に積み重なってきた頃に奥多摩湖の駐車場に着いた。駐車場には「旧車」と呼ばれる昔懐かしい車が集まってきていた。
ここの駐車場にはある決まった日曜日に「旧車」を持ち寄って集まるイベントがあるようである。まだ時間が早かったので、台数はそれほどでもないが、昼近い頃には相当な台数の「旧車」が集まり、そのオーナー達が自慢の愛車をお披露目すると共に、同好の者同士交流をするのであろう。
手短にトイレ休憩を済ませて先に進んだ。奥多摩湖を左手に見ながら道は続いている。途中いくつかの橋を渡る。
意味合いがあるのかないのかは分からないが、それらの橋の色合いは皆違う。赤であったりオレンジであったり、薄い緑であったりする。

途中「道の駅 たばやま」で休憩してから、柳沢峠を目指した。柳沢峠は長い上りが続く。斜度はそれほど厳しいものではない。
国道であるので道幅も広く走りやすい。その長い上りを隊列を維持しながら淡々と上っていく。天気は良い。道の両側には木々が茂っている。なるべく木陰になっているエリアを選ぶようにしてクランクを回し続けた。
何度か緩やかに曲がる道を走っていくとようやく峠の茶屋が見えた。上り切って小休止した。天気は良かったが生憎雲に阻まれて富士山を望むことはできなかった。
柳沢峠の標高は1472m。通り抜けていく風は涼やかで気持ちが良い。ここまでの走行距離は約70km。ここで折り返して帰れば140km。今日はその倍の280kmを走る予定である。そう考えるとまだまだ先は長いということが改めて身に染みた。
