2015/5/13

3342:ナポリタン  

 中野坂上にある喫茶店「Mimizuku」に着いたのは、時計の針がちょうど7時を指そうとしていた頃合いであった。

 古びた扉を開けると、いつものように扉に取り付けられている鈴が乾いた音をたてた。その音で半分寝ていたかもしれない女主人は椅子から立ち上がった。

 カウンター席に人影はなく、二つある4人掛けのテーブル席にも客の姿はなかった。一番奥まったところにある二人掛けのテーブルには初老の男性が座っていた。そのテーブルにはほとんど空になったコーヒーカップが置かれていて、男性は手にした新聞を一心に見つめているようであった。

 私はカウンター席の一番奥に座った。ナポリタンとコーヒーを頼んだ。ナポリタンができる間、スマホでメールをチェックした。

 スマホをカウンターの上に置いて、軽く伸びをした。カウンターの向こう側では、女主人が手際良く、私のナポリタンを作っていた。

 ナポリタンをフライパンで炒める音は、どことなくシャワーの音を連想させた。それがきっかけとなったのか、先日「寧々ちゃん」と会った際のことが思い起こされた。

 彼女の夫が盛岡からの単身赴任から戻ってきたのは4月の上旬のことであった。長く続いた二人の関係も終焉させるべき頃にきているのでは、という思いが二人の脳裏にほぼ同時に上がっていた。

 でも、なかなか結論が出ないまま、惰性で二人は会っていた。先日の別れ際のことであった。私がホテルのバスルームでシャワーを浴びていると、彼女が少し遅れてバスルームに入ってきた。そして、やや唐突な感じで訊いてきた。

 「どうする・・・?また会う・・・?」

 彼女は私の背後にいた。私の目の前にはバスルームに取り付けられた鏡があり、そこには私の背後に立つ彼女の裸身が半分映っていた。私はその鏡に映る姿をながめ、鏡越しにこちらを見つめている彼女の瞳に目の焦点を合わせた。

 その瞳の表情は、こちらに何かを投げかけて依存しているように思えた。判断を私に任せているようなところがあった。

 私の目の前には二つの選択肢がぶら下がっているようなものであった。「もう会わない、これっきりにする・・・」「今までどおり、二人で時々会う・・・」2枚のカードはゆらゆらと揺れていた。

 どちらのカードを手にすべきか・・・しばし迷った。時間の流れが急にゆっくりとしたものに変わったように感じられた。ふっとAlfa Romeoの大蛇の絵柄が脳裏に浮かんだ。

 「二人は半身を蛇に飲み込まれたようなものだよね・・・」

 そう言って、私は一旦収めたシャワーヘッドをとって彼女に渡した。そして少しぬるめのお湯がたっぷりと入っている浴槽に入った。彼女は受け取ったシャワーヘッドからお湯を出しながら、力なく微笑んだように見えた。

 「お待ちどうさま・・・」

 女主人は白い皿に盛られたナポリタンをカウンターに置いた。ナポリタンからは湯気が上がっていた。続いて女主人がコーヒー豆を電動のミルで曳いた。「ガ〜・・・」という音が数秒続いた。

 紙ナプキンに上手にくるまれたフォークを手に取ってその紙ナプキンを取り去った。フォークは相当使い込まれたもののようで、鈍い光を放っていた。



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