2014/12/31

3209:にしんそば  

 我が家の年越しそばは「にしんそば」である。にしんそばは、その名のとおりにしんが乗っている。にしんの甘露煮を温かいそばに乗せて、青ネギをかけただけのシンプルなものである。

 にしんの甘露煮は、最近では東京でもスーパーに普通に置いてある。20年ほど前は特定のスーパーでないと置いていなかったが、今ではどこのスーパーでもある。どうやら市民権を得たようである。

 京都ではにしんそばは当たり前というか、とてもポピュラーなメニューであった。年越しそばといえば「にしんそば」というのが定番中の定番であった。

 京都ではつゆはやはり京都風・・・色合いは薄く、だしの甘みがしっかりと効いている。そこににしんの甘露煮の甘みが加わり、そばとの相性は抜群である。

 東京では京都風のつゆではなく、東京風の醤油味の強い色も真黒なつゆとなるが、こちらにもにしんの甘露煮は合う。

 大みそかは近くに住む母の家に集まる。そして、お鍋などを散々食べたのち、夜遅くなってから年越しそばとして「にしんそば」を食べる。すでにお腹の中には様々なごちそうが詰まっているが、このそばは別腹である。

 別腹とはいえ、それは感覚的な話であり、実際には腹は一つである。当然、腹ははちきれそうになる。卵を腹にたっぷりと詰め込んだにしんの雌のように・・・

 日付が変わって2015年になってから家に帰って風呂に入った。「しまった・・・食べ過ぎた・・・」これは明らかな事実である。

 腹回りが重い。風呂から上がって恐る恐る体重計に乗る。デジタル表示される数字はいつもよりも大きな数字となった。

 「いかん・・・新たな年に軽量フレームに換えたとしても、これでは意味がない。」

 そんな反省で年を越すこととなった。

 来年の新兵器・・・軽量フレームに関しては、そろそろ結論を出さないといけない時期になってきた。私の体型に合う大きめのサイズの在庫はいち早く完売になる可能性が高いからである。

 輸入代理店は日本で最も売れるサイズはある程度の数を入れるが、あまり数が出ない180cm以上の身長に合う大きなサイズのものはほんの少ししか入れない。そのため、大きめのサイズのフレームは早めになくなるようである。

 候補はいくつかのモデルに絞られているのであるが、気持ちの中で「これだ!!」という決定打をかっ飛ばすモデルがないのである。

 見た目でだけで言えば実は一つある。「これはかっこいい・・・絶対に・・・」と思えるモデルが・・・

 しかし、フレームで800gを切り、フォークと合わせても1kgをほんのわずかに超える程度といった最軽量モデルと比べると、少し重い。重いといってもほんの少しではある。ホイールやコンポ―ネント次第ではプロの世界ではルール違反となる6.8kg未満で仕上がる。

 あくまでも軽さにこだわるのか・・・見た目的なカッコよさを優先すべきか・・・悩むところである。 

2014/12/30

3208:もがき納め  

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 正丸峠の「奥村茶屋」の名物は「正丸丼」である。豚肉を特製の味噌で甘辛く炒めてそれをアツアツのご飯の上に豪快に乗せる。シンプルなだけにその美味しさがストレートに伝わってくる。

 正丸丼は必ず美味い。その味わいはいつも優しくいたわってくれる。「お疲れさん・・・でも好きだね・・・こんな坂を自転車で上ってくるなんて・・・」そんな風に語りかけてくれるようである。

 奥村茶屋から見える景色は澄んでいた。遠くまで見下ろせる。はるか遠くには都会の建造物がミニチュアのように小さく並んでいる。

 お腹が満たされた。そして帰路に着いた。ついさっき上ってきた峠道を下っていく。強い風を受ながらいくつものカーブを曲がっていく。

 下り基調の道を7台のトレインは快速で走っていった。帰り道には「小沢峠」と「笹仁田峠」を越えていくコースを選択した。これらの峠は短いが、もがきようによっては相当ハードな上りにもなる。

 トレインは小沢峠に繋がる道へ右折していった。右折するとすぐに道は斜め前方に立ち上がっていく。

 おとなしく静まっていた心臓にまた鞭を入れた。心臓は「アブ!・・・アブ!・・・」と摩訶不思議な音を立てながら、その回転数を上げていった。

 それほどの距離がないはずなのに、「まだあるのか・・・」と何度か心の中でつぶやきながら、上って行く。

 前を行くのは正丸峠の時と同じORBEA ORCAとBH G5。二人の背中を視界に捉えながらクランクを回す。上り終えた後は軽い酸欠状態であった。

 全員がそろってから下っていった。トレインはハイスピードを維持しながら次なる関門へ向かって走った。

 メインの峠と小沢峠をやり過ごし、脚にはかなり疲労感があった。太ももの裏側には時折ピリピリとした電気のようなものが走っていた。

 「Mag-onを飲んだから大丈夫だと思うけど・・・」都民の森に行った際に両足を一度に攣った経験を少し思い出した。「あれは辛かった・・・全く身動きが出来なかった・・・」

 やがて笹仁田峠へと繋がる道に・・・ここはしれっとやり過ごせば辛くない。緩やかな坂がだらだらと続き最後に斜度が少し上がる。

 選択肢は二つあるのであるが、何故かしらいつも右の「もがきカード」を選んでしまう。左の「しれっとカード」は視界に入らなのであろうか・・・

 序盤からペースを上げる。左手にゴルフ練習場が見えたらさらに加速して、最後はダンシングでもがく。

 もがいて、もがいて、どうにか道路の傾斜角がフラットになるところで脚を止める。呼吸が追いつかない。「もっと酸素を・・・」声にならない声が心のなかで響く。

 そして、最後の休憩地点であるコンビニに向けて惰性で下りていった。これで今年の「もがき納め」である。疲れた・・・けど、どこかしら「やりきった感」が体に染みてきた。

 コンビニでトイレ休憩を済ませ、軽めに補給食を口にした。もう上りはなく、平坦路のみである。7台のトレインは乾いた走行音を響かせながらスムースに進んだ。

 「走り納め」のフルコースは、デザートの皿も空になり、終わろうとしていた。食べごたえは十分であった。

2014/12/29

3207:試金石  

 山伏峠の上りは約4kmほど、平均斜度はそれほど厳しいものではないが、時折厳しくなる。そこでペースを維持できるかが一つの試金石となる。

 上り口からゆったりとしたペースで上り始めた。少し行った先に工事区間がある。ここは片側交互通行になっていて、道路工事用の信号が設置されている。青いランプと赤いランプがあり、どちらかが点灯している。赤の場合には残り時間も秒単位で表示される。

 この信号、記憶している限り青だったためしがない。今回も赤であった。待ち時間は50秒ほど・・・その数字が少しづつ減っていく。

 カウントダウンのように数字が小さくなり青いランプが点灯した。その青い色を合図にリスタートした。

 少しづつスピードを上げていった。それにつれサイコンに表示される心拍数も上がっていく。アクセルを少しづつ踏み込む。エンジンの回転数が上がっていく。車と同じである。

 私のエンジンは年齢の割には高回転系である。負荷がかかり続けるとすぐに170回転を超える。今日もそうである。しかし残念ことに回転数が上がってもエンジン出力がそれほど上がらない。スピードはほぼ一定のままである。

 しばらく上った地点から、ORBEA ORCAがすっと前に出てペースを上げていった。このペースにはとてもついていけない。その背中はどんどん小さくなっていく。

 中盤ぐらいで、次はBH G5がすっと前に出る。離されまいとするが、すぐに差が広がる。エンジンの回転数は180を超えていた。私にとっては危険水域である。これ以上負荷を上げると終盤まで持たない。

 山伏峠を3分の2ほど上がったところに大きく曲がるカーブがある。ここで斜度が急に上がる。一つの難所である。前を行くBH G5はシッティングのまますいすい上って行く。私はどうにかこうにかダンシングでトルクをかけて上って行く。

 この難所で、前に出たBH G5とはぐんと差が開いた。どうにかこうにか視界にその背中を捉えていたが、難所を過ぎて斜度が少し緩んでも疲労からペースをすぐに上げられない。

 しばし、脚を緩める。充電量を回復させてから、山伏峠の頂上へ向けて少しづつペースを戻していく。

 山伏峠の頂上が見えた。ダンシングでペースを上げる。頂上を超えて下る。下りながらいくつかのカーブを曲がる。

 下りで充電量を確保して、正丸峠の上り口へ右折していった。「前を行くBH G5は、もしかしたら正丸峠の上りでペースが落ちるのでは・・・」とかすかに期待していた。

 正丸峠の上りでペースを上げた。しかし、BH G5の背中は近づいてこない。「落ちてこない・・・」柿が落ちてこないか上を見上げているカニのように、私は呟いた。

 ペースを少し上げたが、前を行くBH G5との差は全く縮まらないまま、正丸峠を上り終えた。エンジンの回転数を示す針は、正丸峠を上っている間レッドゾーンを指し続けていた。上り終えたのち疲労がズンと全身を覆った。

 峠の頂上にある「奥村茶屋」の脇にあるフェンスにORBEA ONIXを立て掛けた。そのフェンスには正月を祝うための小さな飾りがついていた。その小さな飾りが「来年も頑張りなはれ・・・」と呟いているように思えた。

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2014/12/28

3206:走り納め  

 朝、目覚めた。まだ暗かった。時計を確認すると5時45分であった。「ちょっと早いな・・・6時まで待ってからベッドから出るか・・・」そんなことを思った。ベッドの中は温かかった。肌触りの柔らかい毛布で包まれているその密やかな空間は暖気に溢れ、居心地は最高に良かった。このぬくぬくとした場所に出来るだけとどまっていたかった。

 少しうとうとしたようである。次に目覚めたときは6時20分であった。「これ以上引き延ばすことはできない・・・」さっと布団を剥いで、リビングルームへ降りていった。そこで、サイクルウェアに着替え、朝食を手早く済ませた。「早く起きた朝は」をテレビで観て、ORBEA ONIXに跨った。 

 自宅を出た時のサイコンの気温表示は1℃であった。少し走ると多摩湖の堤防から武蔵大和駅近くの五差路の交差点までしばらく下る。顔に勢いよくあたる冷気はしびれるような感じである。

 走り出して10分もすると指先がかじかみ始める。冬用の分厚いグローブをしているが、指の第二関節より上の感覚がなくなってくる。

 7km程走ると集合場所のバイクルプラザに到着した。みんな最初に口をつく言葉は「寒いですね・・・」であった。

 今日はチームでの今年最後のロングライドであった。目的地は定番中の定番である「正丸峠」。往復約100kmの距離である。

 今日の参加者は7名。そのロードバイクの内訳はORBEAが4台。BHが2台。Ridleyが1台という構成である。

 行き慣れた道である。7台でトレインを形成して進んだ。走り出してしばらくすると少しは体が暖まってはくるが、日陰に入り込んでしまうと、やはり寒さが身に染みた。

 いつものように旧青梅街道を西へ進んだ。しかし、今日はいつもと違うことが生じた。旧青梅街道がその交差点の名前通り大きく曲がる「大曲り交差点」で、落車が発生してしまった。怪我の程度はひどくはなかったが、痛そうであった。

 気を取り直してリスタートした。旧青梅街道から岩蔵街道へ入り、圏央道の青梅インターを通り過ぎて、山間の風景の中へ入り込んでいった。

 岩蔵温泉郷を抜けてしばらく走った先のファミリーマートでいつものように休憩した。ここでトイレを済ませ補給食を口にする。

 店の前にはベンチがいくつか並んでいる。そこに座ってしばし休憩。ここはいつも日当りが良い。太陽の光を受けていると身も心も温まる。冬の日向ぼっこ・・・猫なら気持ちよさそうに丸まるであろう。

 時間が来たら温かい天国のようなベッドから抜け出さないといけないのと同じで、いつまでも冬の日向ぼっこを堪能しているわけにはいかない。

 ヘルメットをかぶり、サングラスをかけ、グローブをして、さらに山間部へ向かって進んだ。7台のトレインは比較的速いペースで走った。

 山伏峠の上り口に着いた時には、その速かったペースのためか、太ももに張りを感じた。トイレを済ませ、脚を軽くストレッチした。

 山伏峠の上り口はいつものように静かに我々を迎えてくれた。特に歓迎するわけでもなく、拒絶するわけでもなく、自然体のままで見守っているようであった。山伏峠を上りきり少し下る。正丸峠の上り口に途中から入り込んでしばし上ると峠の頂上に「奥村茶屋」がある。そこがゴールである。

2014/12/27

3205:よろずねこ  

 女主人はパスタを大きめの鍋で茹でながら、ソーセージを斜め切りにし、ピーマンは輪切り、そして玉ねぎは薄切りにしていた。

 ピンク・フロイドの曲が終わったので、私は停止ボタンを押し、続いてイジェクトボタンを押してカセットテープを取り出した。それをケースに入れて元の通り細長い箱に戻した。

 「どうぞ・・・早速『ねこ』を聴いてみましょう・・・お薦めのアルバムはどれです・・・」

 私はユミちゃんに尋ねた。彼女は目をきらきらとさせた。カウンターの上に三つ並べられたカセットテープのケースを順番に眺めた。

 「どれも良いんですけど・・・やっぱりファーストかな・・・一番最初のアルバムってやっぱりメンバーの思いがぎゅっと詰まっていますよね・・・」

 女主人はフライパンにオリーブオイルとニンニクを入れて弱火で熱していた。ニンニクの良い香りがカウンターにも漂い始めていた。そしておもむろにソーセージ、玉ねぎ、ピーマンをフライパンに入れ炒め始めた。

 「これはねタイトルが面白いの『よろずねこ』っていうですけど・・・バンド名が『ねこ』でファースアルバムのタイトルが『よろずねこ』・・・ねこばっかしって感じですね・・・」

 彼女は無邪気に笑う。そして、その「よろずねこ」のカセットテープをCF2580にセットして再生ボタンを押した。ギターを中心としたソフトロック的な歌が流れ始めた。

 女主人は、ケチャップを加えた。そしてさらに塩とコショウを手際よく加え、具材に絡むようよく炒めていた。彼女の料理はきっと美味しいのであろう・・・そう思わせる手際の良さであった。普段の動きはやや散漫とも思えるものであるが、こと料理になるとその手つきと動きは俊敏ささえ感じさせるものであった。

 「ねこ」のファーストアルバムに収められていた1曲目が終わった。私はその間、ユミちゃんが話すそのバンドとの出会いやバンドのメンバー各々の特徴などについて、話を聞いていた。その話の内容に関しては、このバンドの楽曲同様私の関心をさして引くものではない。私は、嬉しそうに話すユミちゃんの瞳を時折見つめ、やや大げさに相づちを打っていた。

 女主人は茹で上がったパスタをフライパンに入れて、ケチャップと生クリーム、コンソメを加えた。火力を強くして炒め、最後にバターを入れた。バターの溶け出すかぐわしい匂いに鼻腔が少し緩んだ。

 曲は2曲目に入っていた。「ねこ」のバンド構成は、ボーカルがアコースティックギターを弾き、それにエレキギター、ベース、ドラムスが加わる。曲は全てボーカルを担当するメンバーが書いているそうである。

 「この曲は歌詞が良いんです・・・この2曲目のさびのところ・・・『素早く通り過ぎる街角の影が僕を睨み付けている』・・・ってところ、良い雰囲気出していますよね・・・」

 ユミちゃんは、このバンドの曲を聴いてもらえたのが嬉しいのか、にこやかな表情でしゃべった。

 女主人はほぼできあがったナポリタンを皿に盛り付けていた。パルメザンチーズをさっとふりかけた。湯気がかすかに立ち上っていた。

 「おまちどうさま・・・飲み物はアイスコーヒーでよかったわね・・・」

 女主人はそう言って、ユミちゃんの前にナポリタンの入ったお皿とフォークを置いた。

 「ええ・・アイスで・・・」

 ユミちゅんは小さく答えた。

 「これが夕飯なんです・・・ここのナポリタンはとっても美味しいんです・・・最近癖になってきちゃって・・・なんだか癒されるんですよね・・・」

 彼女は少しはみかむように笑った。そして、コップに氷と一緒に入っている水をゴクリと飲んだ。その水が彼女の体の中にしみわたっていくほんの少しの間、「ねこ」の曲のとある歌詞が私の耳の中で響いた。

 「いずれ分かるよ・・・君の瞳の持つ力が・・・満月の日にはきっと・・・」

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2014/12/26

3204:ねこ  

 扉の鈴の音に誘われて、左前方に視線を移した。入ってきたのは小柄な女性であった。身長は155cmほどであろうか・・・クリーム色のコートを羽織っていた。女主人もすっと視線をその方向へ向けた。

 「ユミちゃん、いらっしゃい・・・」

 女主人はくぐもった声でそう言った。女主人の「ユミちゃん」という言葉に、触発されるように、その女性の顔に視線のピントを合わせた。見覚えのある顔であった。

 前回、Mimizukuに来た時に会った女性であった。歳の頃は20代半ばと思われた。目がくりっとしていてどちらかというと童顔である。

 向こうもこちらのことを認めたようであった。私が「また会いましたね・・・こんばんわ・・・」と言うと、「あっ・・・こんばんわ・・・カウンターいいですか・・・」と尋ねてきた。

 「もちろん、どうぞ・・・この曲が終わったら、どうぞ使ってください。」私はSONY CF-2580を指さしながら話しかけた。

 彼女はコートを脱いで一番左側のカウンター席の上に置き、その横の席に腰かけた。私と「ユミちゃん」と呼ばれたその女性との間にはカウンター席が一つ空いているのみであった。

 「いつものでいい?」女主人は、「ユミちゃん」に声をかけた。「ええ、お願いします。」そのやりとりをすぐそばで聞いていて、「いつものやつって何だろう・・・」と女主人の動向に注意を払っていた。

 どうやらそれは「ナポリタン」であるようだった。Mimizukuでは軽食も出す。メニューは二つのみ。ナポリタンとフレンチトーストである。女主人は、鍋にたっぷりの湯を沸かし始めた。

 時刻は午後6時半。彼女はここで夕食を済ませるのであろうか・・・そう言えば前回会ったときにこの店のそばに住んでいると言っていた。言葉の端々には地方なまりが見え隠れしている。きっと一人暮らしをしているのであろう。

 「ロックも聴かれるんですか・・・この前はクラシックを聴かれていましたよね・・・」

 彼女にそう訊かれて、私はコーヒーカップの脇に置かれていたカセットテープのケースを彼女の方へ向けて、「知らないだろうけどこのバンド・・・ピンクフロイド・・・私が中学生の頃とても流行っていたんだ・・・今はロックはほとんど聞かないけど、何だか懐かしくて・・・」

 「ピンクフロイド・・・何だか素敵な名前ですね・・・不思議な感じ・・・幻想的っていうか・・・曲もそんな感じですね・・・でもいい曲です。」

 「シャイン・オン・クレイジー・ダイアモンド」が終わろうとしていた。デイブ・ギルモアの粘り気のあるメロディアックなギターが心地良い響きをうねらせていた。

 「また持ってきているの・・・カセットテープ・・・」

 私がそう訊くと、「ユミちゃん」は人懐っこい感じの笑顔を見せて、「私好きなバンドがあるんです・・・インディーズなんですけどね、『ねこ』っていうんです。4人組で、和歌山のバンドなんです。私も和歌山出身で・・・ジャケットにいつも白黒の猫の写真を使うんですよ・・・」

 彼女はカバンから3本のカセットテープを取り出した。それをカウンタの上、ちょうどCF-2580の前に並べた。

 どうやら、彼女はそのバンドのことを話したくてしょうがなさそうであった。カセットテープを取り出して、それを並べたときの彼女の瞳には熱気がうっすらをこもっていた。

2014/12/25

3203:炎  

 喫茶店「Mimizuku」に着いたのは午後の6時過ぎであった。あたりはすっかりと夕闇に覆われていた。今年の12月は例年よりも寒い気がする。スーツの上に灰色のコートを羽織り、さらに首にはマフラーを巻き付けて、完全なる防寒態勢をひいていた。

 その古びたドアを開けると、ドアの上部に取り付けてあるこれまた年季の入ったベルが乾いた音を数回奏でる。

 その音に目覚めたかのように、急に首をもたげた女主人が「いらっしゃいませ・・・」とくぐもった声を発する。日向で居眠りをしていた猫が、何らかの邪魔が入ってその場所を移動するかのような風情で、女主人はカウンターのなかに置かれた木製の椅子から腰を上げて、コップを取り出し、その中へ冷たい水を注いだ。

 2つある4人掛けのテーブルには客はいない。奥まったところにある二人掛けのテーブルには、初老のサラリーマン風の男性が座って新聞を読みながらコーヒーを飲んでいた。その男性の動きは緩慢で言葉を発する気配が全くなかったので、置物か何かのような感じを受けた。

 私はカウンター席の一番奥の椅子に腰掛けた。カウンターの上には小さな紙製のクリスマスツリーがちょこんと置いてあった。紙製のおもちゃのようなツリーであるが、どういう仕掛けなのか、LEDの小さなランプが仕込んであり、それがオレンジや黄色や赤に時折光った。その紙製のクリスマスツリーの脇にはSONY CF-2580が変わらずに置いてあった。

 「ブレンド・・・お願いします。」

 女主人は、水の入ったグラスを私の前に置いて、しばらくしてから、カセットテープの入った細長い箱をそのコップの隣に置いた。

 「こんな箱がね、いっぱいあるのよ・・・そうね、20個ぐらいあるかしら・・・」

 女主人はかすかに笑いながら、つぶやくようにそう言った。そして、計量カップでコーヒー豆をすくい取り、電動式のミルでその豆を挽いた。挽かれたコーヒー豆からは心を静める芳香がかすかに漂った。

 私は、おもむろにその箱の中を覗き込んだ。十数本のカセットテープが綺麗に並んでいた。全て市販されていたミュージックテープである。

 いつも通り、ジャンルは様々である。歌謡曲からクラシック、ロックまである。その中にふと珍しいものを見つけた。

 ピンク・フロイドの「炎」である。それを手に取った。紙製のケースの中にカセットテープのケースが入っている。その紙製のケースはさすがに少しくたびれていた。紙のケースからからプラスチック製のカセットケースを取り出して開けた。

 オレンジ色のインデックスが貼られたカセットテープが見えた。そこには「炎(あなたがここにいてほしい)ピンク・フロイド」と日本語で印刷されていた。

 女主人はコーヒーポットから細い糸のようなお湯をペーパーフィルターの中に堆積した粉砕されたコーヒー豆に注いでいるところであった。音楽をかけてもいいかとことわろうかと思ったが、言葉はかけずに、CF-2580のイジェクトボタンを押した。

 すっとカセットテープを入れる蓋が開いた。そこにカセットを入れ込んで蓋を閉めた。ボリュームノブの位置を確認してから、再生ボタンを押した。

 CF-2580は息を吹き返した人のように、動きだした。テープが回る音と、女主人が注ぐ細いお湯の音とが重なり、時間を下に下に引きずり込んでいくようであった。

 「サ〜・・・」という軽めのノイズの後から、楽音が流れ込んできた。「懐かしい・・・これを聴いていたのは中学生の頃・・・12歳か13歳くらいだったはず・・・」心の中に甘酸っぱい唾液のようなものが染み出してきた。

 私のコーヒーができあがり、コーヒーカップに注がれた。そのカップはお揃いのソーサーの上に置かれ、私の前に出された。

 「おまちどうさま・・・」

 女主人の声が静かに響いたとき、私から見て左前方にある店のドアが開いて、ドアの鈴が3度ほど鳴った。その音は私が入ってきたときと同じような乾いた控えめなものであった。

2014/12/24

3202:C5  

 ジャズケンさんは私たち3人をにこやかに迎えてくれた。ジャズケンさんの家のガレージには、シトロエンが停まっていた。

 さっと通り過ぎた際に脇目で見ただけであるのでモデル名まではしっかりと確認できなかったが、確か先代のC4かC5のようであった。シトロエンの日本での販売台数は控えめな数字である。街で見かけることも稀である。。

 先代のシトロエンは、どのモデルもフランス車らしい思いっきり感のある伸びやかなデザインである。ドイツ車のような理路整然とした造形というよりは、フランス車らしい渋みや灰汁を含む、不可思議感が振りかけられている。

 シトロエンを目にして「分かっている感」を密かに感じながら、お宅の中へ入っていった。リスニングルームにはオーディオシステムやレコードがギュッと詰まっていた。

 ジャズケンさんのお宅で印象的だったのは5つの「C(し)」であった。まずはシトロエン ・・・フロントグリルにはダブル・シェブロンが誇らしげに輝いていた。

 「『し』ゃれている・・・」

 自宅のガレージにシトロエンが停まっているだけで、お洒落に感じてしまうのである。さすがフランス車・・・柔らかなエスプリの香りのようなものが漂う。

 ジャズケンさんのシステムは、LINN LP-12>OCTAVE V40SE>LINN NINKA というラインナップである。LP12のキャビネットはメープル。NINKAもメープル。そのラインナップを眺めていると、銀座にあるとあるオーディオショップが思い浮かんだ。そのショップでの一押し的なシステムであったからである。

 「『し』ョップはきっとあそこだ・・・」

 レコードを何枚か聴かせていただいた。印象的であったのは、ビートルズのドイツ盤オリジナル・・・音の鮮度が素晴らしい。なんだかキラキラした音質である。

 「『し』ゃきしゃきしている・・・BEATLES初期のはつらつとしたエネルギーがすごい・・・」

 何枚か聴かせていただいたレコードのなかでもう一枚印象的であったのはピンクフロイドの「炎」。ニンバス盤であった。このニンバス盤、実に高音質・・・丁寧に磨き上げ、すっきりとした抜けきり感がある。

 「『し』ルバーの質感だな・・・このニンバス盤・・・シルバーの持つクールでシャープな質感が音から感じられる・・・」

 そして最後の「C(し)」は、ジャズケンさのオーディオシステムのなかで、異様な存在感を示していたタスカムのオープンリールデッキである。

 タスカムはプロ用のブランド。その表面に様々な調整のためのスイッチやノブが整然と並んでいる。

 タスカムのオープンリールで聴いたジャズは、そのエネルギーが桁違い。「ズンときて、ドスン・・・」という感じで音が放出される。その奔流ぶりにはしっかりと体を支えていないと、流されそうな感じであった。

 「『し』っかりしているな・・・土台が屈強である。」

 タスカムのオープンリールは、その外観同様、奏でる音もがっしりとしたものであった。テープに嵌る人々の心持が分かる気がした。

 5つの「C(し)」を堪能して、ジャズケンさんのお宅を後にした。最寄り駅まで送ってもらった。夜の街は様々な色合いの照明に彩られていた。クリスマスが近いことがあちらこちらの店のデコレーションから感じられた。12月はすっかりと深まっていた。

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2014/12/23

3201:美登利寿司  

 小田急線の梅ヶ丘駅で電車を降りた。人の流れとともに改札へ向かって進んだ。天気は良かった。風もなく、穏やかな冬の休日である。師走も終盤へ入りクリスマス目前という時期であるので、人々の足取りも心なしか急ぎがちに感じられた。

 改札を出ると、ishiiさん、たくみ@深川さん、キャンベルさん、Falioさんがすでにいらしていた。今日はオーディオ仲間で集まって「忘年会」をする予定が入っていた。

 忘年会というと、夜、居酒屋かどこかでアルコールを飲みながらというのが定番であるが、今回の忘年会は昼に有名なお寿司屋さんでというちょっとひねった趣向であった。

 梅ヶ丘の駅前はどうということのない駅前である。住宅街の駅なのでそれほど賑やかということもない。しかし、駅の改札を出て歩いてものの数分いった一角だけ人々の集積が形成されていた。

 そこが今日の目的地である。「美登利寿司」・・・有名な店のようである。入口の前から続く行列の長さがそれを物語っていた。

 ishiiさんが予約していてくれたので、その長い行列に並ぶことなく、すぐに店内に入りテーブル席につくことが出来た。

 店内は熱気にあふれている感じであった。店員さんは皆てきぱきと行動し、数多くの客に対応していた。

 キャンベルさんとFalioさんは生ビールで、ishiiさんとたくみ@深川さんと私はお茶で乾杯した。「お疲れさま・・・来年もよろしく・・・」

 寿司は「板さんおまかせにぎり」を頼んだ。税抜きで2800円。税込みで3024円である。カニ味噌に包まれたカニ身の乗ったサラダや茶碗蒸しがまず出た。どちらも丁寧な仕上がりである。

 そして、見た目からしてもインパクトのある「板さんおまかせにぎり」が、豪華な器に乗ってめいめいの目の前に置かれた。

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 その豪快にして繊細なお寿司のオーケストラを目にして、この店がこれほどに人々を曳きつける理由がすぐさま納得された。

 箸をつける前から、その味わいの良さが舌の上に雪崩れ込んでくるような美しさである。「これは絶対に美味しい・・・」疑うことなく確信して、一つ一つ丁寧にじっくりと味わうように賞味した。

 「美味い・・・」  「甘い・・・」  「深い・・・」

 そんな短い言葉の数々が、舌からの伝達情報を即座に解析する脳の味覚中枢から次々に打電されてくる。「ニイタカヤマノボレ・・・」そんな意味不明な暗号すらその中に混じるようである。

 5人の顔は笑顔で満たされる。人は美味しいものには正直なものである。これは大人も子供も区別はない。

 1時に入店して1時間半・・・最後のデザートを食する頃には、5人の目じりは平均値で75ミリほど下がっていた。

 店を出たとき、入店時と店の外に続く行列の長さは変わっていなかった。むしろ少し伸びたようである。「分かります、その気持ち・・・待ってでも食べる価値ありです・・・」心のなかでそうつぶやきながら駅の方へ歩いた。

 ishiiさんとたくみ@深川さんと私は、この後ジャズケンさんのお宅を訪問する予定が入っていたので、駅でキャンベルさんとFalioさんと別れてタクシーをひろった。タクシーで20分ほど行ったところに、ジャズケンさんのお宅はあった。

2014/12/22

3200:3個  

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 パン工房 シロクマは自分でトレイにパンを取ってレジに持っていく「セルフ方式」ではなく、ショウケースにきれいに並べられているパンを選んで店の人に告げ、店の人が取る「ケーキ屋方式」である。

 ショウケースのパンを前にしばし悩む。まずは2個でいくか3個いくかで選択肢が分かれる。コンビニ休憩ではピザまんとブレンドコーヒーで済ませた。お腹は空いていた。「3個いってみるか・・・」心の言葉が自然と発せられた。

 ここまでの走行でのカロリー消費量は、サイコンの計算によると1300キロカロリーであった。往復すると約2600キロカロリー消費することになる。美味しいパンを3個食べてもオーバーカロリーにはかろうじてならないのでは・・・そんな気持ちで3個を指名した。

 「シロクマあんぱん、シロクマのほっぺ、美味しいカレーパン・・・ください。」

 瓶に入ったコーヒー牛乳も一緒に精算した。520円を支払い、外へ出た。木製のガーデニングテーブルとチェアに座って、早速食べた。

 まずは出来たてで温かい「美味しいカレーパン」から・・・その名のとおり美味しい。じっくりと熟成された深い味わいが心と体に染み入る。

 続いて「シロクマのほっぺ」。クリームパンである。甘すぎず、繊細な柔らかさに満ちたカスタードクリームともちっとしたパン生地が絶妙なコンビネーションである。

 最後は「シロクマあんぱん」。あんの中に求肥が入っている。そのもちもちした求肥が特徴で求肥、あん、パン生地・・・それら三つのハーモニーは、心を穏やかに整わせる。宗教心のない私であっても「父と子と精霊の名のもとにアーメン・・・」とつぶやきたくなるような味わいである。

 これら三つのパンはあっという間に胃袋のなかに納まった。お腹が満たされ、充電量はほぼマックス。7台のトレインは往路と同様復路も快速ペースで進んだ。

 帰りはノンストップで走った。終着駅間近に狭山湖の堤防を抜けていった。狭山湖は美しく輝いていた。柔らかな陽光を受けて、湖面はキラキラと光る魚のうろこのようにその光を反射していた。

 その景色を目にして、シロクマパンの味わいが思い出された。優しく心を落ち着かせる味わいである。この狭山湖の景色のように・・・



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