2014/6/30
3026:バウハウス
結局、2台のAudiに試乗したのち、この日は待ち合わせに利用している食品スーパーの屋上駐車場へ向かった。時間は3時になろうとしていた。私は夕方から所用があったため、今日はゆっくりとはできなかったのである。
「どうだった・・・Adui・・・」
「良い感じだとは思ったけど、決定打という感じでもないかな・・・品質的にはやはり優秀って感じ・・・隙がない。」
「隙がないか・・・確かにそういった感じかも。びしっとした工業製品っていう雰囲気かな・・・エモーショナルなものも取り込もうとはしているけど、その底辺には冷徹さというかとてもクールなものがあるよね。いつもバウハウス・デザインのことを思い起こすんだけど、ドイツ車ってあの精神が根底にあるような気がする。」
「その辺がAlfa Romeoとは根本的に違うのかも・・・これこれって強く胸に訴えかけるものがないような気がして・・・」
「まあ、最近はグローバル化が合言葉のような感じだから、そういった個性は互いに薄れてきてはいるのかもしれないけど、でもやっぱり違うよね・・・」
VW POLOはするすると屋上駐車場へ向かうスロープを上がっていった。そのスロープの角度なりに視線が空を向いた。空には黒い雲がかかっていた。
「また今日も急な雨が降り出すのであろうか・・・先日のように雷鳴を伴って・・・」
とっさにそう感じた。その黒い雲は私の心にも覆いかぶさるかのように空に広がっていた。
「最近耳の調子が悪くて・・・音がすんなりと聞こえないんだ・・・」
「耳が遠くなる年齢ではまだないでしょう・・・」
「ちょっと早いよね・・・目の方はもう老眼がはじまっていて、そっちは年齢相当という感じだけど・・・」
「なんだか、またざっときそうな感じね・・・」
「これはきっとくるよ・・・」
POLOをMitoが停まっているすぐ横に停めた。
「また、メールするね・・・」
「待ってる・・・」
そう言って彼女は車を降りて自分の車の運転席へ移った。乗りこんでエンジンをかけた。威勢のいいエンジン音が唸った。ウィンドウを下げて軽く手を振った。かすかな笑顔であった。
コメダ珈琲で食べた味噌カツサンドの味わいが喉元にまだ残っている感じであった。「あれはボリュームがありすぎだよな・・・」そんなことをふっと思った。
Mitoはスロープの手前でブレーキランプを赤く光らせてから曲がり、下っていった。それを見届けてから、POLOのサイドブレーキを解除してATレバーを「D」に入れた。遠くの方で一瞬光った。雷鳴は聞こえてこなかった。
「どうだった・・・Adui・・・」
「良い感じだとは思ったけど、決定打という感じでもないかな・・・品質的にはやはり優秀って感じ・・・隙がない。」
「隙がないか・・・確かにそういった感じかも。びしっとした工業製品っていう雰囲気かな・・・エモーショナルなものも取り込もうとはしているけど、その底辺には冷徹さというかとてもクールなものがあるよね。いつもバウハウス・デザインのことを思い起こすんだけど、ドイツ車ってあの精神が根底にあるような気がする。」
「その辺がAlfa Romeoとは根本的に違うのかも・・・これこれって強く胸に訴えかけるものがないような気がして・・・」
「まあ、最近はグローバル化が合言葉のような感じだから、そういった個性は互いに薄れてきてはいるのかもしれないけど、でもやっぱり違うよね・・・」
VW POLOはするすると屋上駐車場へ向かうスロープを上がっていった。そのスロープの角度なりに視線が空を向いた。空には黒い雲がかかっていた。
「また今日も急な雨が降り出すのであろうか・・・先日のように雷鳴を伴って・・・」
とっさにそう感じた。その黒い雲は私の心にも覆いかぶさるかのように空に広がっていた。
「最近耳の調子が悪くて・・・音がすんなりと聞こえないんだ・・・」
「耳が遠くなる年齢ではまだないでしょう・・・」
「ちょっと早いよね・・・目の方はもう老眼がはじまっていて、そっちは年齢相当という感じだけど・・・」
「なんだか、またざっときそうな感じね・・・」
「これはきっとくるよ・・・」
POLOをMitoが停まっているすぐ横に停めた。
「また、メールするね・・・」
「待ってる・・・」
そう言って彼女は車を降りて自分の車の運転席へ移った。乗りこんでエンジンをかけた。威勢のいいエンジン音が唸った。ウィンドウを下げて軽く手を振った。かすかな笑顔であった。
コメダ珈琲で食べた味噌カツサンドの味わいが喉元にまだ残っている感じであった。「あれはボリュームがありすぎだよな・・・」そんなことをふっと思った。
Mitoはスロープの手前でブレーキランプを赤く光らせてから曲がり、下っていった。それを見届けてから、POLOのサイドブレーキを解除してATレバーを「D」に入れた。遠くの方で一瞬光った。雷鳴は聞こえてこなかった。
2014/6/29
3925:A3 SEDAN
A1の試乗を終えて、Audiのディーラーに戻った。A1を駐車場に停め、建物内に入っていった。接客用のテーブルに座って、簡単なアンケート用紙に必要事項を記入した。
建物のなかには数台のAudi車が展示されていた。私がアンケート用紙に記入している間、彼女はその展示車を見て回っていた。
そして戻ってきてそっと耳打ちした。
「あのA3 SEDANって試乗できないのかしら・・・」
営業マンに確認すると、試乗車があるとのことである。
「試乗されますか?」
「いいのですか・・・」
「ええ、今日は平日ですから、試乗のお客様それほど多くないのです・・・大丈夫ですよ。A3 SEDANはこちらが予想していた以上に売れているんです。日本ではセダン需要は落ち込んでいましたからね・・・」
日本ではセダンに対する需要はずっと低迷している。ファミリーカーとしての役割は日本ではセダンからミニバンへ完全に移行してしまっている。
しかし、子育てが終わり、大きなクルマや多人数が乗れるモデルの必要性が無くなった世代にとっては、プレミアムコンパクトセダンは魅力的に映るに違いない。潜在的な重要はしっかりとあったのである。
日本におけるかつてのセダンはどちらかいうと万人受けする大人しいデザインが多かったが、プレミアムコンパクトセダンにおいては、積極的に選ばれるアグレッシブなデザインが採用される。
その代表格の一つがAudi A3 SEDANである。用意された試乗車は、1.8LTFSIエンジンを搭載するクワトロでA3 SEDANのトップグレードであった。色は赤。
インテリアはA1と同様なデザインテイストでプレミアム性を充分に感じさせる。メタルの使い方と直接手で触れる場所の処理が上手いのだろう、上質な質感が気分を落ち着かせてくれる。表面だけの豪華さではない大人の高級感を感じることができる。
彼女が運転する際に後席にも座ったが、A1と違い頭部周辺の余裕もしっかりある。サイドから見たラインは、やはりセダンらしい伸びやかさに溢れている。クーペを思わせるようなルーフラインは見ていて目に心地よい。
エンジンは充分にパワフルである。TFSIらしくエンジン回転が低くくてもトルクが力強い。スペックとしては特に尖ったモデルではないが、1.5tを切る車重が効いているのか、体感上の印象はしっかりとスポーティーである。
VW GOLFよりも足回りもシートもやや硬め。味付けにもブランドイメージどおりの調味料が使われているようである。
明らかにA1よりもロードノイズやエンジン音が低く抑えられいて、静粛性のレベルが高く、高級感を感じさせる。
ハンドリングも正確で気持ちいい。従前Audiのハンドリングは軽すぎるという印象を持つことがあったが、最近その味付けも少し修正が加わったようである。
試乗車は1.8LTFSIのエンジンを積みクワトロである。エントリーモデルは1.4LTFSIのエンジンを搭載しFFである。そのエントリーモデルの価格は334万円。301万円のA1とそれほど変わらないプライスである。
「これなら、A3の方が良いかも・・・」
彼女はふっと洩らす。助手席に座った営業マンはしたり顔で微笑んでいた。
「確かに・・・これは良い・・・」
彼女の言葉に頷く。A3にもスポーツバックと呼ばれる5ドアハッチバクもあるが、このA3 SEDAN、想像以上に良くできた車である。
建物のなかには数台のAudi車が展示されていた。私がアンケート用紙に記入している間、彼女はその展示車を見て回っていた。
そして戻ってきてそっと耳打ちした。
「あのA3 SEDANって試乗できないのかしら・・・」
営業マンに確認すると、試乗車があるとのことである。
「試乗されますか?」
「いいのですか・・・」
「ええ、今日は平日ですから、試乗のお客様それほど多くないのです・・・大丈夫ですよ。A3 SEDANはこちらが予想していた以上に売れているんです。日本ではセダン需要は落ち込んでいましたからね・・・」
日本ではセダンに対する需要はずっと低迷している。ファミリーカーとしての役割は日本ではセダンからミニバンへ完全に移行してしまっている。
しかし、子育てが終わり、大きなクルマや多人数が乗れるモデルの必要性が無くなった世代にとっては、プレミアムコンパクトセダンは魅力的に映るに違いない。潜在的な重要はしっかりとあったのである。
日本におけるかつてのセダンはどちらかいうと万人受けする大人しいデザインが多かったが、プレミアムコンパクトセダンにおいては、積極的に選ばれるアグレッシブなデザインが採用される。
その代表格の一つがAudi A3 SEDANである。用意された試乗車は、1.8LTFSIエンジンを搭載するクワトロでA3 SEDANのトップグレードであった。色は赤。
インテリアはA1と同様なデザインテイストでプレミアム性を充分に感じさせる。メタルの使い方と直接手で触れる場所の処理が上手いのだろう、上質な質感が気分を落ち着かせてくれる。表面だけの豪華さではない大人の高級感を感じることができる。
彼女が運転する際に後席にも座ったが、A1と違い頭部周辺の余裕もしっかりある。サイドから見たラインは、やはりセダンらしい伸びやかさに溢れている。クーペを思わせるようなルーフラインは見ていて目に心地よい。
エンジンは充分にパワフルである。TFSIらしくエンジン回転が低くくてもトルクが力強い。スペックとしては特に尖ったモデルではないが、1.5tを切る車重が効いているのか、体感上の印象はしっかりとスポーティーである。
VW GOLFよりも足回りもシートもやや硬め。味付けにもブランドイメージどおりの調味料が使われているようである。
明らかにA1よりもロードノイズやエンジン音が低く抑えられいて、静粛性のレベルが高く、高級感を感じさせる。
ハンドリングも正確で気持ちいい。従前Audiのハンドリングは軽すぎるという印象を持つことがあったが、最近その味付けも少し修正が加わったようである。
試乗車は1.8LTFSIのエンジンを積みクワトロである。エントリーモデルは1.4LTFSIのエンジンを搭載しFFである。そのエントリーモデルの価格は334万円。301万円のA1とそれほど変わらないプライスである。
「これなら、A3の方が良いかも・・・」
彼女はふっと洩らす。助手席に座った営業マンはしたり顔で微笑んでいた。
「確かに・・・これは良い・・・」
彼女の言葉に頷く。A3にもスポーツバックと呼ばれる5ドアハッチバクもあるが、このA3 SEDAN、想像以上に良くできた車である。

2014/6/28
3024:A1
コメダ東村山店を出て駐車場に向かった。停めてあったVW POLOに二人は乗りこんだ。VW POLOは購入からもうすぐで3年を迎える。来月には1回目の車検である。極めて清廉で無駄のないデザインは飽きのこないものである。
「ドアの閉まる音が違うね・・・やっぱりドイツ製って感じ・・・」
「寧々ちゃん」はぼそっと呟いた。二人はVW POLOに乗って、アウディ西東京に向かった。「寧々ちゃん」はあまり乗り気ではなかったが、Audi A1 Sportsbackの試乗をする予定であった。
Audi A1はプラットフォームをVW POLOと同じくするが、その立ち位置は大きく異なる。A1は「プレミアムコンパクト」という一種独特な分類に属する。同じ分類に属するのはMINIやMitoなどである。
プレミアムらしさを醸し出す演出は周到に行われている。ツートーンに色分けできるエクステリアデザインはAudiの最新文法に則っていて、斬新かつクールである。
インテリアにも凝った造形が見られる。エアコンの吹き出し口は円形をしていてスポーティーな印象を受ける。ポップアップ式のNAVIのディスプレイもスマートである。

Audi西東京の建物は清潔である。Audiのブランドイメージどおりの造形と色合いにまとめられている。すぐ隣には先日行ったルノーのディーラーがある。
Audi A1の試乗を申し込んで、しばらく椅子に座って待った。営業マンの男性がやってきて、「どうぞこちらです・・・」と案内をした。
「VW POLOからの乗り換えを検討されているのですか・・・」
「ええ、まだ決めたわけではないのですが・・・車検が近付いてきたので、ちょっと考えてみようかなっと思いまして・・・」
「A1はPOLOと比べると、エンジンがまず1.4Lターボになっていますのでパワーに余裕があります。VW GOLFに搭載されているエンジンと同じものです。後はデザインですね・・・ツートンカラーや凝った造形などにAudiらしい特徴見られます。ボディサイズはPOLOとほとんど変わりませんので取り回しは良いです。」
営業マンはそつのないやり取りで試乗コースを案内した。途中でドライバー交代をした。彼女も運転した。
平日であったので、試乗時間はゆったりとしたものであった。30分ほど乗ったであろうか。試乗車の色は赤。ピラーとルーフの色は黒であった。「赤と黒」でなかなかお洒落である。

足回りやシートはPOLOよりも硬めに感じられた。室内はあまり広くはない。特にリアに座った時には少し窮屈感がある。そのへんはデザイン優先の弊害があるのかもしれない。
パワーには余裕がありハンドリングもしっかり感がある。アイドリングストップに関しても思ったよりもスムーズなものである。シートの出来も優秀。
インパネ周りの質感もAudi品質を感じさせる。ちょっとやんちゃな感じを受けるフロントデザインに関しては好き嫌いが分かれると思われるが、良くできた車である。
「ドアの閉まる音が違うね・・・やっぱりドイツ製って感じ・・・」
「寧々ちゃん」はぼそっと呟いた。二人はVW POLOに乗って、アウディ西東京に向かった。「寧々ちゃん」はあまり乗り気ではなかったが、Audi A1 Sportsbackの試乗をする予定であった。
Audi A1はプラットフォームをVW POLOと同じくするが、その立ち位置は大きく異なる。A1は「プレミアムコンパクト」という一種独特な分類に属する。同じ分類に属するのはMINIやMitoなどである。
プレミアムらしさを醸し出す演出は周到に行われている。ツートーンに色分けできるエクステリアデザインはAudiの最新文法に則っていて、斬新かつクールである。
インテリアにも凝った造形が見られる。エアコンの吹き出し口は円形をしていてスポーティーな印象を受ける。ポップアップ式のNAVIのディスプレイもスマートである。

Audi西東京の建物は清潔である。Audiのブランドイメージどおりの造形と色合いにまとめられている。すぐ隣には先日行ったルノーのディーラーがある。
Audi A1の試乗を申し込んで、しばらく椅子に座って待った。営業マンの男性がやってきて、「どうぞこちらです・・・」と案内をした。
「VW POLOからの乗り換えを検討されているのですか・・・」
「ええ、まだ決めたわけではないのですが・・・車検が近付いてきたので、ちょっと考えてみようかなっと思いまして・・・」
「A1はPOLOと比べると、エンジンがまず1.4Lターボになっていますのでパワーに余裕があります。VW GOLFに搭載されているエンジンと同じものです。後はデザインですね・・・ツートンカラーや凝った造形などにAudiらしい特徴見られます。ボディサイズはPOLOとほとんど変わりませんので取り回しは良いです。」
営業マンはそつのないやり取りで試乗コースを案内した。途中でドライバー交代をした。彼女も運転した。
平日であったので、試乗時間はゆったりとしたものであった。30分ほど乗ったであろうか。試乗車の色は赤。ピラーとルーフの色は黒であった。「赤と黒」でなかなかお洒落である。

足回りやシートはPOLOよりも硬めに感じられた。室内はあまり広くはない。特にリアに座った時には少し窮屈感がある。そのへんはデザイン優先の弊害があるのかもしれない。
パワーには余裕がありハンドリングもしっかり感がある。アイドリングストップに関しても思ったよりもスムーズなものである。シートの出来も優秀。
インパネ周りの質感もAudi品質を感じさせる。ちょっとやんちゃな感じを受けるフロントデザインに関しては好き嫌いが分かれると思われるが、良くできた車である。
2014/6/27
3023:メガーヌ
「コメダ珈琲」東村山店の店内はお昼時で混みあっていた。彼女は山切りパンを使ったサンドイッチを私はカツサンドを頼んだ。
木を多用した店内はメルヘンチックな雰囲気である。椅子は柔らかめのソファー椅子であり、居心地はとても良い。年齢層に関係なく人気のこの店は、名古屋発祥である。チェーン展開・FC展開を最近積極的にしているようで、東京でもあちらこちらで見かけるようになった。
東村山店は比較的古いので東京では早めにできたお店なのかもしれない。ここの珈琲は充分に美味しい。私は特に珈琲の味わいにこだわりを持っているわけではないが、その味わいは充分に練られ吟味されたものであることが分かる。
食事しながら車の話になった。彼女の現在の愛車アルファ・ロメオ Mitoはそろそろ買い替え時を迎えている。しかし、これっといった候補が具体的には上がっていなかった。
先日ルノーのディーラーに行ってルーテシアを試乗した。今一つの印象のようであった。彼女はルノーに以前乗っていた。それが先代のメガーヌであった。

先代のメガーヌはフロントは比較的オーソドックスな造形であったが、リアのデザインは違和感満載であった。
Cピラーとリアのガラスはほぼ垂直に切り立っていて、そこからリアバンパー部分へ向けて曲線が丸く連なっている。
一筋縄では完結しないフレンチデザインの妙がそこに集約されていた。彼女もそのデザインが印象的で気にいったようである。
「変でしょう・・・あの後ろ姿・・・ほんとに初めて見た時は笑っちゃった。でも、なんだか気になるっていうか、かわいいっていうか・・・色は鮮やかな青にした。バンパーにはグレーの太めのプロテクターが付いていて、全体として牧歌的な雰囲気が漂っていて、良い感じだった。」
ルノーのデザインは最近大きく変わった。押し出しの強くなったフロンデザインはかなり派手目ではある。
メガーヌもフェイスリフトを受けた。先代のメガーヌとは大きくその顔つきは変わった。どうもその変貌ぶりは「寧々ちゃん」には快く受け入れられなかったようである。
木を多用した店内はメルヘンチックな雰囲気である。椅子は柔らかめのソファー椅子であり、居心地はとても良い。年齢層に関係なく人気のこの店は、名古屋発祥である。チェーン展開・FC展開を最近積極的にしているようで、東京でもあちらこちらで見かけるようになった。
東村山店は比較的古いので東京では早めにできたお店なのかもしれない。ここの珈琲は充分に美味しい。私は特に珈琲の味わいにこだわりを持っているわけではないが、その味わいは充分に練られ吟味されたものであることが分かる。
食事しながら車の話になった。彼女の現在の愛車アルファ・ロメオ Mitoはそろそろ買い替え時を迎えている。しかし、これっといった候補が具体的には上がっていなかった。
先日ルノーのディーラーに行ってルーテシアを試乗した。今一つの印象のようであった。彼女はルノーに以前乗っていた。それが先代のメガーヌであった。

先代のメガーヌはフロントは比較的オーソドックスな造形であったが、リアのデザインは違和感満載であった。
Cピラーとリアのガラスはほぼ垂直に切り立っていて、そこからリアバンパー部分へ向けて曲線が丸く連なっている。
一筋縄では完結しないフレンチデザインの妙がそこに集約されていた。彼女もそのデザインが印象的で気にいったようである。
「変でしょう・・・あの後ろ姿・・・ほんとに初めて見た時は笑っちゃった。でも、なんだか気になるっていうか、かわいいっていうか・・・色は鮮やかな青にした。バンパーにはグレーの太めのプロテクターが付いていて、全体として牧歌的な雰囲気が漂っていて、良い感じだった。」
ルノーのデザインは最近大きく変わった。押し出しの強くなったフロンデザインはかなり派手目ではある。
メガーヌもフェイスリフトを受けた。先代のメガーヌとは大きくその顔つきは変わった。どうもその変貌ぶりは「寧々ちゃん」には快く受け入れられなかったようである。

2014/6/26
3022:短編集
家に帰りついた。耳の具合が変であった。聞こえないわけではないが、一枚の膜のようなものを介して音が認識されるようなのである。
強力な轟音の振動は私の鼓膜をいたく傷つけたのかもしない。膜を通過して脳内の聴覚中枢に達するので、少々音がぼんやりとする。
数日で回復するとは思われるが、長引くようならば、一度病院で検査する必要があるのかもしれない。
そんな耳の状態では音楽を聴いてもその豊かな表情を充分に摂取することは難しかもしれない。そんなことを思いながら、リスニングルームのイージーチェアに腰掛けた。
腰かけた瞬間、右耳の鼓膜に「キ〜ン」と響く音が鳴り始めた。耳鳴りである。その音はしばらく続いた。特に音量も音程も変わることなく、一定の音である。
その耳鳴りは3分ほどで止んだ。耳鳴りが止んだのを確認してから、椅子から立ちあがり、真空管アンプの電源をONにした。数本並んだLEAK TL-1Oの真空管が淡くオレンジり色に輝き始めた。
真空管アンプの場合、立ち上がりの音はとても褒められたものではない。最低でも1時間ほど経過しないと、その本来の音色を発してくれない。
その待っている時間は、本を読んだり、一旦リビングルームへ移動してテレビを観たり、固定式ローラ台に設置されているロードバイクを漕いだりする。
私は本を取り出した。ヘミングウェイの短編集である。幾つかの短編を読み終えた。スペインを舞台としたそれらの短編はひと時異国の風景と気温と空気の中に私を連れて行ってくれた。
どのくらいの時間が経過したのか腕時計を確認した。アメリカ製のこの時計は正確性はいま一つである。頑丈であるのが唯一のとりえであるかと思われるその時計は、この座り心地の良い椅子に座ってから45分ほどの時間が経過したことを示していた。
私は立ちあがって1枚のレコードを取り出した。Joan Fieldの演奏によるドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲である。
立ち上がりはいま一つの感じである。徐々に音に滑らかさと余韻が加わってくる。耳の具合は、相変わらず鼓膜の振動が滑らかさを欠くせいか、いつもとは異なって聴こえる。
「これは、もしかして・・・鼓膜の傷は固定化され、消え去ることはないのであろうか・・・」
曲は第二楽章に入った。私はレコード針を一旦レコードから上げて、アームをアームレストに戻した。アンプの電源をOFFにして、椅子に腰かけた。
サイドテーブルに伏せて置かれていたヘミングウェイの短編集を取り上げて、続きを読み始めた。海辺のシーンから始まる短編である。風景はふっと移ろっていった。
強力な轟音の振動は私の鼓膜をいたく傷つけたのかもしない。膜を通過して脳内の聴覚中枢に達するので、少々音がぼんやりとする。
数日で回復するとは思われるが、長引くようならば、一度病院で検査する必要があるのかもしれない。
そんな耳の状態では音楽を聴いてもその豊かな表情を充分に摂取することは難しかもしれない。そんなことを思いながら、リスニングルームのイージーチェアに腰掛けた。
腰かけた瞬間、右耳の鼓膜に「キ〜ン」と響く音が鳴り始めた。耳鳴りである。その音はしばらく続いた。特に音量も音程も変わることなく、一定の音である。
その耳鳴りは3分ほどで止んだ。耳鳴りが止んだのを確認してから、椅子から立ちあがり、真空管アンプの電源をONにした。数本並んだLEAK TL-1Oの真空管が淡くオレンジり色に輝き始めた。
真空管アンプの場合、立ち上がりの音はとても褒められたものではない。最低でも1時間ほど経過しないと、その本来の音色を発してくれない。
その待っている時間は、本を読んだり、一旦リビングルームへ移動してテレビを観たり、固定式ローラ台に設置されているロードバイクを漕いだりする。
私は本を取り出した。ヘミングウェイの短編集である。幾つかの短編を読み終えた。スペインを舞台としたそれらの短編はひと時異国の風景と気温と空気の中に私を連れて行ってくれた。
どのくらいの時間が経過したのか腕時計を確認した。アメリカ製のこの時計は正確性はいま一つである。頑丈であるのが唯一のとりえであるかと思われるその時計は、この座り心地の良い椅子に座ってから45分ほどの時間が経過したことを示していた。
私は立ちあがって1枚のレコードを取り出した。Joan Fieldの演奏によるドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲である。
立ち上がりはいま一つの感じである。徐々に音に滑らかさと余韻が加わってくる。耳の具合は、相変わらず鼓膜の振動が滑らかさを欠くせいか、いつもとは異なって聴こえる。
「これは、もしかして・・・鼓膜の傷は固定化され、消え去ることはないのであろうか・・・」
曲は第二楽章に入った。私はレコード針を一旦レコードから上げて、アームをアームレストに戻した。アンプの電源をOFFにして、椅子に腰かけた。
サイドテーブルに伏せて置かれていたヘミングウェイの短編集を取り上げて、続きを読み始めた。海辺のシーンから始まる短編である。風景はふっと移ろっていった。
2014/6/25
3021:落雷
18番ホールのグリーン上で少しばかり雨に降られたが、どうにかこうにかラウンドを無事に終了して、カートに乗った。
クラブハウスまでの距離は300mほどであろうか。徐々に雨は強くなってきた。空は真っ黒である。まだ3時前と言うのにすっかりと夕闇に包まれたかのようである。
雷は時折光った。そして時間差を置いて雷鳴が呻いていた。雷は確実に近付いていた。光と音との時間差が少なくなってきた。ゴルフ場には「雷が近づいています。プレー中の方はプレーを中断して退避してください・・・」というアナウンスが繰り返し流れていた。
もうすぐクラブハウスに着くというところであった。一瞬周囲の空間が真っ白になったように感じた。まぶしいというよりも身の回りの色彩が一斉に消えたという印象である。
その白色の支配とともに怖ろしいほどの轟音が鳴り響いたはずである。しかし、私の耳にはその音の記憶が残っていない。
音ではなく巨大な振動が私を襲った。その振動は4人が乗っているカートを揺するほどであった。全員が頭を下げて、かがみこんだ。
数秒後、皆顔を上げた。一様に瞳孔が開ききったような恐怖の表情を浮かべていた。今の雷は直撃を食らったかのような近さであった。
私の耳は内部でキーンとした唸るような響きを放ってしばらく機能を停止ししまった。周囲では多くの方の口が動き、何か言葉を発しているようであったが、全く聞き取れなかった。
クラブハウスのカート置き場に到着した。耳がようやくその機能を回復し始めた。「今のは凄かったですね・・・」「このゴルフ場に落ちたのではないですか・・・」「耳がおかしい・・・凄い音でしたね・・・」周囲の声が聞こえ始めた。
カートから降りて、クラブ確認をしサインをした。その時、急にバタバタとした異音がし始めた。雹である。かなり大きく、そして激しく降り始めた。
クラブハウスの外の地面は急速に白くなり始めた。雹は生命があるかのように跳ねまわった。木々の葉が雹に打たれてはらはらと散っていた。ほんの少し前までそこでゴルフしていたことが信じられないような驚異的な風景をしばし呆然と眺めていた。
クラブハウスまでの距離は300mほどであろうか。徐々に雨は強くなってきた。空は真っ黒である。まだ3時前と言うのにすっかりと夕闇に包まれたかのようである。
雷は時折光った。そして時間差を置いて雷鳴が呻いていた。雷は確実に近付いていた。光と音との時間差が少なくなってきた。ゴルフ場には「雷が近づいています。プレー中の方はプレーを中断して退避してください・・・」というアナウンスが繰り返し流れていた。
もうすぐクラブハウスに着くというところであった。一瞬周囲の空間が真っ白になったように感じた。まぶしいというよりも身の回りの色彩が一斉に消えたという印象である。
その白色の支配とともに怖ろしいほどの轟音が鳴り響いたはずである。しかし、私の耳にはその音の記憶が残っていない。
音ではなく巨大な振動が私を襲った。その振動は4人が乗っているカートを揺するほどであった。全員が頭を下げて、かがみこんだ。
数秒後、皆顔を上げた。一様に瞳孔が開ききったような恐怖の表情を浮かべていた。今の雷は直撃を食らったかのような近さであった。
私の耳は内部でキーンとした唸るような響きを放ってしばらく機能を停止ししまった。周囲では多くの方の口が動き、何か言葉を発しているようであったが、全く聞き取れなかった。
クラブハウスのカート置き場に到着した。耳がようやくその機能を回復し始めた。「今のは凄かったですね・・・」「このゴルフ場に落ちたのではないですか・・・」「耳がおかしい・・・凄い音でしたね・・・」周囲の声が聞こえ始めた。
カートから降りて、クラブ確認をしサインをした。その時、急にバタバタとした異音がし始めた。雹である。かなり大きく、そして激しく降り始めた。
クラブハウスの外の地面は急速に白くなり始めた。雹は生命があるかのように跳ねまわった。木々の葉が雹に打たれてはらはらと散っていた。ほんの少し前までそこでゴルフしていたことが信じられないような驚異的な風景をしばし呆然と眺めていた。
2014/6/24
3020:遠雷
天気予報は「関東地方は昼前から雨が降り出すところが多いでしょう。大気がとても不安定になりますので、雷雨や雹、竜巻などに対する注意が必要です・・・」と伝えていた。
そんな悲観的な天気予報を聞いて、こころもち暗い気持ちで車にキャディーバッグを積み込んだ。プライベートならキャンセルすることもできるが、今日はコンペである。よっぽどのことなない限り中止にはならない。
「もしかしたら、午前中はもつかもしれないな・・・」
そんな希望的観測を抱きながら空を見上げた。灰色の雲が空一面を覆っていたがすぐに降り出しそうではなかった。
車で向かった先は東京国際カントリークラブ。スタートは8時34分。自宅から1時間ちょっとで着く。7時少し前に家を出た。
スタート時間になってOUTのスタート地点へ向かった。曇っていたが、空は少し明るい灰色であり、しばらくはもちそうであった。
途中途中で空を見上げながらのラウンドであった。相変わらず練習場で時間を過ごすことがないので、やはりショットが安定性をかく。
時折ナイスショットもあるが、とんでもないミスショットも出る。午前中は0Bがらみのトリプルボギーが二つも出て、撃沈。「48」とさえないスコアで上がった。
雨が降り出すことはなかった。午後のスタートは12時7分。「もしかして・・・降らなかったりして・・・」と少々期待感を抱きながら時折天を仰いだ。
しかし、INコースの半分を終えた頃から遠雷が聞こえ始めた。その方角を見るとまっ黒な雲が空を占有していた。そして風向きが頻繁に変わり、涼しい風が吹き始めた。
きっとあの真っ黒な雲の下では激しい雨が降っているのであろう。あの雲が我々の頭上に迫ってくるのも時間の問題であろう。
しかし、不思議と雨は降りださなかった。何かに追われるような感じでホールを消化していった。17番を終え、18番ホールに向かった。
その頃はすでに真っ黒な雲が迫ってきた。周囲はすっかりと暗くなっていた。風に運ばれてきた雨粒が時折地面に達していた。
「あと一ホール・・・どうにかもつか・・・」
雷の数は増えていた。まだ間近なものではないが、低く唸るような響きが不気味であった。ティーショットを放ち、セカンドショットはどうにかグリーンの端を捉えた。ここからツーパットでいけばパーである。この最終ホールをパーで上がればINは「44」。まずまずのスコアということになる。
グリーンに上がり、ボールマークをした。その瞬間大粒の雨がグリーンの芝を叩き始めた。もうラインを読んでいる暇などない。皆一斉にパットをすませた。私は残念ながら3パットとなりボギーとなった。
カートに乗って急いでクラブハウスを目指した。クラブハウスに着く途中、ゴルフ場にアナウンスが流れた。「雷のため、プレーを中断して退避してください・・・」
雷鳴は近付いていた。雨はどんどん激しさを増してきた。滑り込みセーフといった感じで、どうにかこうにかゴルフを終えることができた。
そんな悲観的な天気予報を聞いて、こころもち暗い気持ちで車にキャディーバッグを積み込んだ。プライベートならキャンセルすることもできるが、今日はコンペである。よっぽどのことなない限り中止にはならない。
「もしかしたら、午前中はもつかもしれないな・・・」
そんな希望的観測を抱きながら空を見上げた。灰色の雲が空一面を覆っていたがすぐに降り出しそうではなかった。
車で向かった先は東京国際カントリークラブ。スタートは8時34分。自宅から1時間ちょっとで着く。7時少し前に家を出た。
スタート時間になってOUTのスタート地点へ向かった。曇っていたが、空は少し明るい灰色であり、しばらくはもちそうであった。
途中途中で空を見上げながらのラウンドであった。相変わらず練習場で時間を過ごすことがないので、やはりショットが安定性をかく。
時折ナイスショットもあるが、とんでもないミスショットも出る。午前中は0Bがらみのトリプルボギーが二つも出て、撃沈。「48」とさえないスコアで上がった。
雨が降り出すことはなかった。午後のスタートは12時7分。「もしかして・・・降らなかったりして・・・」と少々期待感を抱きながら時折天を仰いだ。
しかし、INコースの半分を終えた頃から遠雷が聞こえ始めた。その方角を見るとまっ黒な雲が空を占有していた。そして風向きが頻繁に変わり、涼しい風が吹き始めた。
きっとあの真っ黒な雲の下では激しい雨が降っているのであろう。あの雲が我々の頭上に迫ってくるのも時間の問題であろう。
しかし、不思議と雨は降りださなかった。何かに追われるような感じでホールを消化していった。17番を終え、18番ホールに向かった。
その頃はすでに真っ黒な雲が迫ってきた。周囲はすっかりと暗くなっていた。風に運ばれてきた雨粒が時折地面に達していた。
「あと一ホール・・・どうにかもつか・・・」
雷の数は増えていた。まだ間近なものではないが、低く唸るような響きが不気味であった。ティーショットを放ち、セカンドショットはどうにかグリーンの端を捉えた。ここからツーパットでいけばパーである。この最終ホールをパーで上がればINは「44」。まずまずのスコアということになる。
グリーンに上がり、ボールマークをした。その瞬間大粒の雨がグリーンの芝を叩き始めた。もうラインを読んでいる暇などない。皆一斉にパットをすませた。私は残念ながら3パットとなりボギーとなった。
カートに乗って急いでクラブハウスを目指した。クラブハウスに着く途中、ゴルフ場にアナウンスが流れた。「雷のため、プレーを中断して退避してください・・・」
雷鳴は近付いていた。雨はどんどん激しさを増してきた。滑り込みセーフといった感じで、どうにかこうにかゴルフを終えることができた。
2014/6/23
3019:ヘンデル
ヘンデルのヴァイオリンソナタ第4番は、スザーネ・ラウテンバッハの演奏のレコードで繰り返し聴いていた。我が家では最も数多くLINN LP12のターンテーブルに乗る一枚である。
それだけに脳内ではこの曲の確固たる一つの完成形が出来上がっていた。そういったものが脳内に出来上がると、その完成形とずれる造形に対しては少しばかり違和感を持ったりする。
その刷り込まれたものが純粋に優れたものであるか否かというよりも、それが「家庭の味」のように舌に馴染んでいるので、それと違う味わいが舌の上に乗ると、「これは違う・・・」という警告が舌から脳内に伝達されるかのようである。
昨晩Aさんのリスニングルームで聴いたローラ・ボベスコの演奏によるヘンデルのこの美しいヴァイオリンソナタも、最初の一音からして私の脳内に形成されてたいた「完成形」と大幅にずれるものであった。
最初は「何だこれは・・・」とあっけにとられた。まったく異なった曲に感じられるほどに、ボベスコの演奏は、異なった風景を私に提示したからである。
全く異なった角度と斜度により照射された光りによりあらわれる新たなヘンデルに一時とまどった。しかし、躊躇されたのは一瞬で、やがてその照射される光の持つ芸術性のなかに埋没していった。
「これは夕闇せまる夕暮れの光であろうか・・・ラウテンバッハの光は明けがたの光であり、生まれたての無垢の光であり、東の方角からもたらされるのに対して、ボベスコの光は西の方角からもたらされ、その光には傷があり憂いの様相を含んでいる・・・」
そんなことを漠然と感じた。
ボベスコのヘンデルは一つの完成した芸術性を感じさせるものである。月の表と裏で言うと、ラウテンバッハが表でボベスコが裏であろうか・・・両者が一つになると立体的な月が完成するかのように、私の脳内では丸い満月が完結したような充足感をもって、このレコードを聴き終えた。
実にすばらしい演奏である。いつか、このレコードが私の貧弱なコレクションの一員に加わってくれることを祈ろう。
それだけに脳内ではこの曲の確固たる一つの完成形が出来上がっていた。そういったものが脳内に出来上がると、その完成形とずれる造形に対しては少しばかり違和感を持ったりする。
その刷り込まれたものが純粋に優れたものであるか否かというよりも、それが「家庭の味」のように舌に馴染んでいるので、それと違う味わいが舌の上に乗ると、「これは違う・・・」という警告が舌から脳内に伝達されるかのようである。
昨晩Aさんのリスニングルームで聴いたローラ・ボベスコの演奏によるヘンデルのこの美しいヴァイオリンソナタも、最初の一音からして私の脳内に形成されてたいた「完成形」と大幅にずれるものであった。
最初は「何だこれは・・・」とあっけにとられた。まったく異なった曲に感じられるほどに、ボベスコの演奏は、異なった風景を私に提示したからである。
全く異なった角度と斜度により照射された光りによりあらわれる新たなヘンデルに一時とまどった。しかし、躊躇されたのは一瞬で、やがてその照射される光の持つ芸術性のなかに埋没していった。
「これは夕闇せまる夕暮れの光であろうか・・・ラウテンバッハの光は明けがたの光であり、生まれたての無垢の光であり、東の方角からもたらされるのに対して、ボベスコの光は西の方角からもたらされ、その光には傷があり憂いの様相を含んでいる・・・」
そんなことを漠然と感じた。
ボベスコのヘンデルは一つの完成した芸術性を感じさせるものである。月の表と裏で言うと、ラウテンバッハが表でボベスコが裏であろうか・・・両者が一つになると立体的な月が完成するかのように、私の脳内では丸い満月が完結したような充足感をもって、このレコードを聴き終えた。
実にすばらしい演奏である。いつか、このレコードが私の貧弱なコレクションの一員に加わってくれることを祈ろう。

2014/6/22
3018:カツカレー
梅雨空が戻ってきた。朝から降り続いた雨は昼過ぎには止んだ。湿度は高いが、気温はここ数日と比べると下がり、比較的過ごしやすかった。
Aさんとともに高円寺の中華料理「タカノ」を訪れたのは、9時半を過ぎ時計の針は10時に近付きつつある頃であった。周囲の空気は雨の余韻をまだ含んでいた。
この店は昔からある街中の中華料理屋さんといった風情でしゃれっ気はほとんど感じられない。年老いた母親とその息子で切り盛りしている。二代目である息子はきっと独身であろう。そんな雰囲気を醸し出している。
ここはどの料理も安く、ボリュームがあり、そして美味しい。中華料理屋であるので中華料理の定番メニューも豊富にメニューに並んでいるが、「ここのカツカレーは美味しい・・・」という噂を以前より小耳にはさんでいたので、私はカツカレーを頼んだ。Aさんは定番中の定番であるチャーハンを頼んだ。
カツカレーというと、頭のなかには一つの形というか、イメージが浮かぶ。揚げたてのとんかつを包丁で幾つかに切り分けたものが、やや楕円のお皿に盛られたライスの上に乗っていて、その上に具が融け込んだような少し滑らかなカレーが満遍なくかかっている・・・そんなイメージである。その色合いは濃い茶色・・・漕げ茶とでも表現すべき色合いで・・・
私の脳内の映像中枢にもそんなカツカレー像がぼんやりと浮かび上がっていた。しかし、カウンター席に座った私の目の前に「お待ちどうさま・・・」と、作り手であるタカノの二代目がぼそっと呟きながら、差しだし、置かれたカツカレーは全く異なった造形をしていた。

お皿の形、カツの形状、カレーの色合い、ザクっとした感じで入っている玉ねぎなどの具材、カレーの味わい・・・どれをとっても今までカツカレーとして私の頭のなかで生き続けてきた一つの「完成形」を打ち破るものであった。
「カツカレー」というものに全く別の角度から光を当てたような・・・そんな印象を受けた。食してみるとこれがまたそれぞれの要素が納得される味わいであった。
何故カツがカキフライのような形状をしているのか・・・玉ねぎがザクザク感を残して入っているのか・・・さらには皿が横長の楕円形をしていないことについてまで頷いてしまうのである。
今日は周囲が薄暗くなってからお邪魔したAさんのお宅で聴いたLola Bobesco(ローラ・ボベスコ)のヘンデルのように、ちょっと目から鱗的な体験であった。
Aさんとともに高円寺の中華料理「タカノ」を訪れたのは、9時半を過ぎ時計の針は10時に近付きつつある頃であった。周囲の空気は雨の余韻をまだ含んでいた。
この店は昔からある街中の中華料理屋さんといった風情でしゃれっ気はほとんど感じられない。年老いた母親とその息子で切り盛りしている。二代目である息子はきっと独身であろう。そんな雰囲気を醸し出している。
ここはどの料理も安く、ボリュームがあり、そして美味しい。中華料理屋であるので中華料理の定番メニューも豊富にメニューに並んでいるが、「ここのカツカレーは美味しい・・・」という噂を以前より小耳にはさんでいたので、私はカツカレーを頼んだ。Aさんは定番中の定番であるチャーハンを頼んだ。
カツカレーというと、頭のなかには一つの形というか、イメージが浮かぶ。揚げたてのとんかつを包丁で幾つかに切り分けたものが、やや楕円のお皿に盛られたライスの上に乗っていて、その上に具が融け込んだような少し滑らかなカレーが満遍なくかかっている・・・そんなイメージである。その色合いは濃い茶色・・・漕げ茶とでも表現すべき色合いで・・・
私の脳内の映像中枢にもそんなカツカレー像がぼんやりと浮かび上がっていた。しかし、カウンター席に座った私の目の前に「お待ちどうさま・・・」と、作り手であるタカノの二代目がぼそっと呟きながら、差しだし、置かれたカツカレーは全く異なった造形をしていた。

お皿の形、カツの形状、カレーの色合い、ザクっとした感じで入っている玉ねぎなどの具材、カレーの味わい・・・どれをとっても今までカツカレーとして私の頭のなかで生き続けてきた一つの「完成形」を打ち破るものであった。
「カツカレー」というものに全く別の角度から光を当てたような・・・そんな印象を受けた。食してみるとこれがまたそれぞれの要素が納得される味わいであった。
何故カツがカキフライのような形状をしているのか・・・玉ねぎがザクザク感を残して入っているのか・・・さらには皿が横長の楕円形をしていないことについてまで頷いてしまうのである。
今日は周囲が薄暗くなってからお邪魔したAさんのお宅で聴いたLola Bobesco(ローラ・ボベスコ)のヘンデルのように、ちょっと目から鱗的な体験であった。
2014/6/21
3017:焼き
浜田山にある顧問先の会社での打ち合わせを終えて、浜田山駅に向かって歩き始めた。駅の傍の井の頭通り沿いにはBMWとPORSCHEのディーラーがある。
PORSCHEのディーラーをガラス越しに覗いた。もしかしたら新たに発売されたMACANの展示車があるかな、と興味を持ったからである。
しかし、ガラス越しに確認したところMACANの展示車はないようであった。もしかして、試乗車はあったりしてと思って、ディーラの回りを一周してみたが、それらしいものはなさそうであった。
そこでディーラの建物のなかには入らずに、横断歩道を渡って駅へ向かった。駅前の商店が並ぶ通りをしばらく行ったところで、脇道に入った。
時間は11時半を少し過ぎたあたり、もうそろそろお昼時である。浜田山にお昼時に来た時には必ず寄る店がある。
「手打ちそば 安藤」である。コンクリート打ちっぱなしの店内にはアンティーク感あふれる大きな暖炉がどんと居座り、趣味性の高いテーブルと椅子が並んでいる。異種格闘技的な内装のバランス感覚は実に優れている。
相当高齢であろう大おかみはどことなくムーミンのような妖精感にあふれている。この世のものから逸脱しつつあるような雰囲気を醸し出していた。
「卵焼きと鴨せいろをお願いします・・・」
小おかみに注文した。すると厨房に「焼きと鴨、お願いします・・・」と小おかみははきはきした声で伝えていた。
「卵焼きのこと『焼き』と言うのか・・・」頭のなかですっとかすかな風が吹いたような気がした。『焼き』は数分待っているとテーブルに出された。熱々ではなく冷たくしてある。色は見事な黄色である。実に滋味深い色合いである。その色合いだけでも少々幸せな気分に浸れる。

醤油をかけた大根おろしを乗せて頂く。上品な味わいである。何かが強く主張することはない。すべての味わいが「和」のなかにある。いろんな要素がハーモニーとして調和している。

卵焼きを半分ほど食べ終えた時に鴨せいろが到着した。ここのそばはちょっとグレーがかった色合いの中細。よく見ると、細かく蕎麦の粒が散っている。
コシは強いわけではないがしっかり感はある。口に含むとふっと蕎麦の風味が広がる。喉越しはさらっとした感じではないが、これはこれで比較的心地良いものである。切れ切れな感じの蕎麦ではないが、なんだか安心感がある。
「ここは午後も休みなくやっているんですよ・・・また来てください・・・」
会計は大おかみの仕事である。お釣りを渡す時に大おかみは表情を変えずにゆっくりと喋る。そのテンポはまさにムーミンの世界のようであった。
PORSCHEのディーラーをガラス越しに覗いた。もしかしたら新たに発売されたMACANの展示車があるかな、と興味を持ったからである。
しかし、ガラス越しに確認したところMACANの展示車はないようであった。もしかして、試乗車はあったりしてと思って、ディーラの回りを一周してみたが、それらしいものはなさそうであった。
そこでディーラの建物のなかには入らずに、横断歩道を渡って駅へ向かった。駅前の商店が並ぶ通りをしばらく行ったところで、脇道に入った。
時間は11時半を少し過ぎたあたり、もうそろそろお昼時である。浜田山にお昼時に来た時には必ず寄る店がある。
「手打ちそば 安藤」である。コンクリート打ちっぱなしの店内にはアンティーク感あふれる大きな暖炉がどんと居座り、趣味性の高いテーブルと椅子が並んでいる。異種格闘技的な内装のバランス感覚は実に優れている。
相当高齢であろう大おかみはどことなくムーミンのような妖精感にあふれている。この世のものから逸脱しつつあるような雰囲気を醸し出していた。
「卵焼きと鴨せいろをお願いします・・・」
小おかみに注文した。すると厨房に「焼きと鴨、お願いします・・・」と小おかみははきはきした声で伝えていた。
「卵焼きのこと『焼き』と言うのか・・・」頭のなかですっとかすかな風が吹いたような気がした。『焼き』は数分待っているとテーブルに出された。熱々ではなく冷たくしてある。色は見事な黄色である。実に滋味深い色合いである。その色合いだけでも少々幸せな気分に浸れる。

醤油をかけた大根おろしを乗せて頂く。上品な味わいである。何かが強く主張することはない。すべての味わいが「和」のなかにある。いろんな要素がハーモニーとして調和している。

卵焼きを半分ほど食べ終えた時に鴨せいろが到着した。ここのそばはちょっとグレーがかった色合いの中細。よく見ると、細かく蕎麦の粒が散っている。
コシは強いわけではないがしっかり感はある。口に含むとふっと蕎麦の風味が広がる。喉越しはさらっとした感じではないが、これはこれで比較的心地良いものである。切れ切れな感じの蕎麦ではないが、なんだか安心感がある。
「ここは午後も休みなくやっているんですよ・・・また来てください・・・」
会計は大おかみの仕事である。お釣りを渡す時に大おかみは表情を変えずにゆっくりと喋る。そのテンポはまさにムーミンの世界のようであった。