2014/3/26

2931:夢  

 スポーツで汗を流した日の晩は寝つきがとても良い。そして朝まで深い眠りの中に沈殿する。その眠りの底で見る夢は摩訶不思議度が高いことが多い。

 体の疲労度と夢の摩訶不思議度は正比例するような気がするのである。現実の枠をすっかりと取っ払ったような荒唐無稽な設定と常軌を逸する展開・・・種々雑多な概念が入り乱れ混沌の中をまい進していくような夢を見るのは、決まって体が疲労しているときである。

 昨晩はテニススクールであった。90分間、テニスで汗を流した。確定申告時期はテニススクールにも行けなかったので、約一カ月ぶりのテニスであった。

 テニスの楽しさの大きな要因はその多様性にある。サーブ、リターン、ストローク、ボレー、スマッシュ、ロブなど、繰り出すショットは種類が多い。ウィークエンドプレーヤーの場合、シングルスを行うことは滅多になく、ほとんど楽しむのはダブルスである。ダブルスになると、その多様性はさらに広がる。

 ロードバイクと比べるとテニスの多様性や変化の激しさはより一層際立つ。ロードバイクはある意味単調である。変化がないわけではないが、それは瞬間的な変化ではなく、流れの中での大らかな変化であることが多い。

 そのため、ツール・ド・フランスの中継をテレビで観ていたりすると、家族からは「これってどこが面白いの?」と真顔で訊かれたりする。

 ロードバイクの楽しみは、その単調とも思える動作の無限の繰り返しの中から得られる。繰り返すこと、そして徐々に変化し、展開し、また繰り返す。そういった時間の流れの中から、一種の陶酔感のようなものが降りてくるのである。

 マーラーとブルックナーはほぼ同時代の作曲家である。長大な交響曲をたくさん書き、ともに「後期ロマン派」に分類される。そういった点においては共通項はあるのであるが、その作風は真逆である。

 マーラーの交響曲は実に多様である。流れのなかで、常に移ろっていて、戻ってこない。自然そのものが持つ多様性をなぞるかのようにその楽曲は変化し、変容して、混沌の中に埋没していく。

 一方ブルックナーは、一つのテーマを執拗に穿ち続ける。深く、深く、穿ち、貫いていく。主題は繰り返され、浸透していく。それは大河の流れのようにゆっくりではあるが、底流に流れるエネルギーの強さは強靭なものを感じさせる。

 「テニスはマーラーだな・・・そしてロードバイクはブルックナーってとこか・・・」疲れた体をベッドに休めるとき、そんなとりとめのないことを考えた。

 そして、朝起きだした時、昨晩の考えがまた脳内をくるっと巡った。「昨晩はテニスをしたから、あんな夢を見たのであろうか・・・まったく、魑魅魍魎がはい出してくるような夢であった。次々に変容し混乱と混沌のなかで終結すような、そんな夢であった。まったくマーラー的な夢だ・・・」そんなことを寝起きのぼんやりとした頭の中で考えた。



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