2013/5/3

2605:緑の光  

 A氏邸のリスニングルームは半地下になっている。天井と壁は漆喰で仕上げられている。部屋の両コーナーには、モニター・シルバーが内蔵されたTANNOY GRFが密やかに佇んでいる。

 スピーカーの背後に広がる白い漆喰の壁には、TANNOY GRFから音楽が流れ出すと、様々な映像が浮かびあがったり消えたりする。その映像は色彩が豊かであったり、「多崎つくる」がそうであったように色彩を持たなかったりする。

 淡い色合いが徐々に変化することもあれば、映像が大きくクローズアップされることもある。音楽が変幻自在であるのと同じくらいに、その流れ去る映像も変化に富んでいる。

 今日は夕方から夜にかけて、A氏邸のリスニングルームにお邪魔した。先日頼んでいたエテルナ・レーベルのレコードが海外から入ったので、そのレコード受け取りがてら、最近A氏がお気に入りの数枚のレコードを聴かせてもらった。

 スザンネ・ラウテンバッハの演奏するべートーベン クロイツェル・ソナタを聴かせてもらっている時であった・・・凛とした小さな花が白い壁に浮かびあがった。花弁の色合いはほのかな暖かみを含んだ白。可憐な花である。高原に咲いている。風に揺れ、稀に通る旅人の目を和ませている。

 決してその存在を声高に主張することはない。むしろ抑えている。均整の取れた美しい形、高貴ではあるがかすかな香り。どこかしら近づきがたい。手で触れてはいけない・・・と感じさせる雰囲気がある。もちろん、摘んではいけない・・・そんな白い花である。

 ロシア人の女性バイオリニスト・・・ロサ・ファイン。彼女の弾くシューベルト 幻想曲がかかった。すると、場面は魅惑の園に変容する。風は柔らかい。高原の凛とした空気ではなく、もっと人肌に近い暖かみと湿気を感じる。曲想に沿って、その風はゆったりと流れ、うねる。

 第二楽章に入り、白い壁には、女性の背中が映し出される。そのラインはチェロのように左右均等になだらかである。左右の手の指を使ってその輪郭をゆっくりとなぞる。暖かい。それぞれの手の指先にその体温を感じる。

 すっかりと日が暮れ、天井近くにある小さな窓の外は闇に包まれた。ソプラノのテレサ・シュティッヒ=ランダルの精細な声が響きわった時、暗いはずの漆喰の壁には、緑の淡い光が浮かび上がってきた。

 カール・リステンパルト指揮 ザール室内管弦楽団の演奏に支えられ、彼女の伸びやかな声は天から降り注ぐようである。

 曲はモーツァルト ミサ曲。高く上っていった声の響きは、教会の天井に当たり四方に分散して降りてくる。降下する際に淡い光を発するかのようである。オーロラのような緑の光がはらはらと降ってくる。降り注ぐ緑の光は私の肩や頭に積もる。積もっては消え。また積もる。

 高貴な響きのなかにも、人肌の暖かさや優しさをも感じさせる声の質感である。相反するものを背反するままに備えている。そんな微妙なバランス感覚が素晴らしい。

 A氏邸の音の入り口はROKSAN XERXES10。素晴らしいデザインのレコードプレーである。簡潔で無駄の一切ない造形。声高にその存在を主張することはない。そして媚びることもない。今日出会った3人の女性のなかでは、最もスザンネ・ラウテンバッハに近い存在のように感じられた。

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