2012/10/9

2399:体育帽  

 私の事務所の傍には小学校がある。今朝、その近くを通りかかった時、赤や白の体育帽をかぶり、背中にリュックサックを背負った子供たちが2列になって、先生に引率されていた。小学校2,3年生であろうか・・・小さな体が秋の空気に優しく揺れていた。

 秋の遠足に出かけるのであろう。その表情は皆一様に明るくわくわくしているように見えた。リュックサックには、母親が丁寧に作った弁当が入っていて、さらに休憩時間に食べるお菓子も入っているはずである。

 子供たちの明るい隊列は、歩道を爽やかに彩っていた。小さな子どもたちを見るのは気持ちの良いものである。そこには生命の芽吹きが活き活きと漂っている。年齢を重ね、手持ちの時間がすり減ってきている私にとって、その隊列は「未来」や「希望」といったものを感じさせてくれる。

 その「命の隊列」は、とても眩しかった。今朝はとりわけそう感じられた。それはきっと、昨晩まったく思いがけない訃報に接したからであろう。

 SNSの複数の書き込みで知ったその事実はにわかには信じられなかった。ゴローさんのあまりにも急な訃報であったからである。

 従前より健康を害しているといった話題を聞いていれば、それなりの受け入れ方ができるのであろうが、そういった情報は全く私の耳には入ってきてはいなかった。

 今年の6月3日には、我が家に新たに導入されたQUAD989を聴きに来ていただいたばかりであり、その時の様子からは今回の訃報を連想させるような雰囲気は微塵さえも感じられなかったのである。

 その時はQUAD989の設置方法について幾つかのアドバイスを伺い、実際にゴローさんの手で設置場所等の検討もしていただいた。

 その後、QUAD989が不調となり、修理に出した旨の記事を書いた時には「ご愁傷様です・・・使っていないVictorのスピーカーがありますので、修理の期間よろしければお使いになりますか・・・」と暖かいメールもいただいたのである。

 ゴローさんのご自宅には3度お邪魔させていただいた。ご自宅にはゴトーユニットを使ったスピーカーとB&Wのスピーカーの2系統のシステムが立ち並んでいた。仕事部屋として使われていた別宅のサブシステムも一度聴かせていただいた。

 その音はいつも「灯台の灯り」を連想させるものであった。どのような天候にも揺らぐことはなく、すっくと立ち、その確かな灯りで静かに周囲を照らす。聴く者に強い刺激を与え扇動するようなところはなく、ただその在りかを凛として指し示す・・・そんな印象を受けた。

 そのサウンドは明るい暖色系のそれではなく、寒色系あるいは中間色で描かれる音楽の描写であり、確かな足取りを感じさせた。

 ゴローさんのともす「灯り」を頼りにされていた方も多いはずである。それはオーディオに対する姿勢に限らず、音楽に対する姿勢にも、大きな指針を与えてくれる「灯り」であった。

 臨死体験をした方の手記を読むと、肉体の死を契機に体を離れた魂は空中を浮遊し、動かない自分の肉体を見つめ、その周囲で悲しむ家族の姿を上から見るという。そしてその様子を見て「そんなに悲しまなくてもいいよ・・・」と思うようである。

 臨死体験者の手記に書かれていることが真実であるかどうかは確かめようがないのであるが、ゴローさんの魂も天国へ向かうひと時をゆったりと過ごされていて、悲しむ者の様子を眺めながら、「そんなに悲しまなくてもいいよ・・・」と思われているような気がする。

 赤と白の体育帽は仲良く並んで揺れていた。ふっくらとした形の体育帽は、子供たちの丸く愛らしい頭を優しく包んでいた。その様子を眺めていると、愛おしそうにプリアンプのボリュームを数本の指で優しく包み込むように握り、繊細な動作で慎重に音量を調整されていたゴローさんの姿が目に浮かんできた。



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