2011/8/31

1995:8月31日  

 今日は8月31日。8月最後の日である。昼は気温が30度ほど、それなりに暑いが一頃の暑さに比べると勢いの衰えは明らかである。陽が落ちて夜になると、一斉に秋の虫が鳴き始め、季節の移ろいを印象付ける。

 夏は終わろうとしている。夏の終わり独特の、少し哀愁感を帯びた空気が感じられる。厳しい暑さが和らぐことに対して少しほっとする反面、強烈なまでの生気に溢れた季節が去っていくことに対しては、やはり寂しさを感じるものである。

 ロードバイクにとって、この季節の移ろいは歓迎すべきものである。ロングライドをする場合、猛暑はやはり大敵であった。何度か猛暑の中ロードバイクで長い距離を走ったが、体力の消耗は激しいものがあった。

 汗びっしょりになって、我が家に到着すると、妻からは「この暑いのによく走る気になるわね・・・」と言われることもあった。確かに最高気温35度を超えるような日に、熱中症の危険を感じながら何時間もの間ペダルを漕ぎ続けるのであるから、「物好き」と思われても仕方がない。

 どうやら台風12号が、こちらに向かってきているようである。土曜日には、ロングライドに出かけようと計画していたが、雨が心配である。台風に伴う大雨が降ったなら、当然キャンセル・・・小雨であったとしても、雨はロードバイクにとって大敵である。

 明日、明後日は、ほぼ確実に雨の予報・・・肝心の土曜日は、台風が早く移動したのであれば曇り、台風の移動スピードがゆっくりであれば雨、といった予報である。接近中の台風12号は、坂道に差し掛かった、私が乗るORBEA ONIXのように、足並みがゆっくりである。もう少し気合を入れて漕いで欲しいものである。

 二人の子供たちからは「自転車って面白いの・・・」と時々訊かれる。テニスやゴルフのようにゲーム性があるものではないので、傍目にはその面白みが分かりづらいようである。

 改めて問われると、どこが面白いのか説明に困る面は確かにある。でも、面白いようである。週末になるとロードバイクに乗って長い距離を走りたくなるからである。特に夏の暑さが和らぎ、涼やかな風が流れるこれからの季節、自然の緑を眺めながら川沿いの道を疾駆すれば、脳内はすぐさま快感度満載状態になるであろう。

 一種のトランス状態である。このトランス状態を経験すると、脳はそれを求める。人間が行動を選択する際には、脳が感じるであろう快感度が、鍵を握っているのかもしれない。

2011/8/30

1994:ぽろっ  

 VOLKSWAGENのPOLOの車内では、周囲に漏れてはいけないような秘密の言動を行ってはいけない。何故なら、POLOはその名のとおり、ついうっかり秘密を漏らしてしまうからである。

 しかしそんなことはお構いなしに、先週のゴルフスクールの帰り道、昭和の森ゴルフ練習場の広い駐車場の片隅の、Mitoに並んで停まったPOLOの車内で、「寧々ちゃん」と唇を合わせた。

 ほんのしばらくの間、甘い沈黙があって、「じゃあ・・・また来週・・・」と言い残して、「寧々ちゃん」はMitoに移った。

 Mitoの中域重視のエンジン音がして、そのオレンジ色に輝くヘッドライトが点灯した。ウィンドウがすっと下がって、「寧々ちゃん」は軽く手を振った。

 「寧々ちゃん」のMitoのリアのライトが何回か赤く灯るのを見送ってから、POLOのエンジンをかけた。Mitoよりも低域寄りのエンジン音がすっと立ち上がった。

 二人の不思議な関係は1年以上となる。不倫か不倫じゃないのかはっきりとしない中途半端な関係である。週に一度ゴルフスクールで顔を合わせるほかにも、時々二人きりで会うこともある。多摩エリアのうどん・そばの名店めぐりである。さらに多少強引に引き込んだ感のあるロードバイクでもこれからは顔を合わせる機会が増えるかもしれない。

 今晩はそのゴルフスクールの日である。このスクールにも通い始めて1年以上になる。スクール生は多少の入れ替わりはあるが、今は8名である。全員参加することは稀で、平均参加人数は6〜7名である。平均年齢は40代半ばぐらいであろうか・・・結構高年齢である。

 鈴木プロは50代半ば、がっしりしたとした体つきである。身長は高くはないが、飛距離は出る。ラウンドレッスンで2度ほど一緒に回っているが、ドライバーで280ヤードは軽く飛ばす。

 レッスンプロは経済的にはあまり恵まれた職業ではないかもしれないが、「好きなことで生活できているんだから、幸せですよ・・・」と鈴木プロは何度か語っていた。

 そのレッスンは非常に熱心でかつ柔軟である。これといった一つの方式にこだわることなく、スクール生の癖や体力、能力に応じて、いろいろなアドバイスをしてくれる。

 私の場合は、飛距離がでるスウィングよりも方向性が安定し再現可能性の高いスウィングができるよう、いろいろとアドバイスをしてくれている。

 ユーティリティーでスウィングしている時に、後方からそのスウィングをチェックしていた鈴木プロは「taoさんは、手が早いですね・・・」とつぶやいた。

 私は、その言葉を耳にして、さっと青くなった。先週のPOLOの車内でのことを、どこかで鈴木プロに見られたのかと思ったのである。「まさか・・・」心の中で静かにつぶやいた。やはりPOLOは秘密を○○っと漏らす癖がある車だったのであろうか・・・

 「ダウンスウィングを始める時、つまり切り返しの時ですね・・・手から先にいっちゃってますよ・・・手は置いてきぼりにするくらいの気持ちで、下半身・・・特に腰の切れを先行させてください・・・そうするとチーピンが減ります・・・」鈴木プロは冷静な表情で言葉を繋いだ。

 「手・・・あっ、手ですか・・・無意識に手が出るんですよね・・・」ぼそぼそとした口調で言い訳がましく返答した。

 「手は我慢しきれずに体についてくるような感じで降ろしてくればいいんです。手は脇役に徹しないと・・・その感覚が、しっかり身についたら、方向性は絶対安定します。」鈴木プロはきっぱりとした口調でアドバイスを締めくくった。

 「そうか・・・手か・・・手が早いのか・・・」やや安心した表情に戻って、言われたとおり手を置いてきぼりにするイメージでトップからの切り返しを行う練習を続けた。

 「手が早い・・・」といきなり言われたので、大いに焦ってしまった。二つ隣の打席で練習している「寧々ちゃん」の後姿を何気に眺めた。その水色のポロシャツの背中にはうっすらと汗が滲んでいた。 

2011/8/29

1993:Pao邸再訪 3  

 「この界隈も昔とは相当変わってしまった。バルブ前はまだいたるところに下町っぽい暖かみがあったが、バブルの時にすべてが変わった。古い家や学生相手の安いおんぼろアパートは軒並み取り壊された。『神田川』の歌詞に出てくるような風景はすっかり影をひそめてしまった。」Paoさんは、やや感傷的な語り口で話し始めた。

 「この家は、俺が育った家だ・・・一旦家庭を持ってこの家を出たが、結局うまくいかず、この家に舞い戻った。通算でこの家に何年住んでいるんだろうな・・・まあ、何十年もの間だ・・・とても長い時間だ・・・できれば、俺が生きてる間は、壊したくないな・・・」

 「じゃあ、将来Paoさんが亡くなった時には、離れて住んでいる息子さんが相続することになりますから、その時に建て替えるでしょう・・・」

 Paoさんは相当以前に離婚している。一人っ子の息子は奥さんが引き取ったようである。子供が小さかった頃は定期的に子供とも会っていたようであるが、子供がある程度の年齢になってからは、会っていないようである。

 「そうだな・・・きっとそうなるだろ・・・養育費もあと1年半で終わる。扶養する家族もいない。俺一人であれば、別にがつがつすることはない。定年まで勤めて、あとは気楽な年金暮らしだ・・・ぜいたく言わなきゃ快適だ・・・」

 「まあ、この立地であれば隣近所のことを考えなくてもオーディオを鳴らせますからね・・・防音のしっかりした広いリスニングルームをあえて作らなくてもいいかもしれませんね・・・」

 この家の西側は甘泉園公園に接している。東側は道路である。北には5階建てのマンションが南側には小さな出版社のビルが建っている。音が漏れても近隣に迷惑がかかる環境ではない。事実Paoさんはそれなりの音量でマーラーのシンフォニーをかける。

 「高気密・高断熱なんてのは、俺は音に良くないと思ってるんだ・・・適度に抜けがある方が良いんだよ・・・その方が音が寸止まりにならなくて抜けて行くんだ。するとこんな狭い部屋でも、少しは広く感じるってもんだ・・・」

 「じゃあ、私のところのリスニングルームなんて最低ですね・・・狭いうえに高気密・高断熱ですから・・・」

 「ありゃ、だめだめ・・・だめの上塗りだよ・・・まだ2階の方が良いよ・・・あっちは普通の部屋だからな・・・」

 いつものPaoさん節が出てきてしまった。この人は歯に衣着せぬというか、罵詈雑言と言おうか、痛いところをずかずかと突いてくる。不思議とこれだけ悪く言われても、変に気に障らない・・・Paoさんの人間性のあらわれであろうか・・・

2011/8/28

1992:Pao邸再訪 2  

 「た〜ん、たん、たん、た〜たん、たたた〜たたた〜たた〜たん、た〜たたたた〜ん、どん!どん!たたた〜ん、どん!どん!たたた〜た〜た〜た〜た〜・・・た〜ら〜・・・た〜ら〜・・・」

 マーラーの交響曲第3番第1楽章の冒頭部分である。Paoさんのお宅のD-55は、ユニットが新しいものに変わって3ケ月ほどとのこと。まだ多少の硬さは残っているが、おおむねこなれてきているようで、音の俊足具合とため具合が良い感じでバランスしている。

 Paoさん流に言うと「ドンッと沈んで、パンッと散る・・・」感じの音ということになる。確かに「どん!どん!」のところの沈み具合は、過去のわずかに残っている音の記憶よりもよりしっかりりと腰を落としているように感じる。

 「た〜ら〜・・・た〜ら〜・・・」のところは、弱音が空中に漂うような感じが、より上手く表現できているようである。

 Paoさんは、けっして楽章の途中で曲を止めない。30分以上ある第1楽章を全部かけてから、「このユニット、なかなか性能が上がっているんだ・・・まだ音はこなれきっていないけど、既に前のユニットを凌駕する威力がある。」と語った。

 「ふむ、ふむ・・・」私はうなずきながら、「帯域が広くなったような印象を受けますね。広くなったけど薄くならない・・・ユニットを新しい世代のものに変えた以外に、CDプレーヤーの改良バージョンを最新にアップしたとか、されましたか?」と訊いてみた。

 「CD34ね・・・まだ一世代前の改良バージョンのままだよ。本当は最新バージョンにしたいんだけどね・・・先立つものが無くてね・・・いずれはするつもりだけど・・・」

 「いったい、バージョンは幾つあるんですか?」

 「確か、家のが第5世代で、最新バージョンは第6世代のはずだけど・・・正確にはよくわからないんだけどね・・・」

 PaoさんのMARANTZ CD34は見かけは普通のCDプレーヤーだけれども、中身は相当に高度が改良が数次にわたって行われているスペシャルモデルなのである。

 次のCDはマーラーの交響曲第2番の第1楽章であった。(カプラン指揮のウィーンフィルの演奏)・・・実はPaoさんはマーラーが大好きである。何故かしらブルックナーは毛嫌いしているが、大のマーラーびいきである。

 その後ベートーベンのピアノ協奏曲第3番第1楽章や、シベリウスのバイオリン協奏曲第1楽章などがかかった。Paoさんは編成の大きなクラシックが好きで、室内楽や器楽曲はほとんどかからない。また、私のメインジャンルであるバロックも全くかからない。

 「ビバルディってどの曲も、俺には同じに聴こえる。どこがいいんだか・・・どの曲も同じに聴こえるという点では、ブルックナーも同じだね・・・」結構辛辣である。

 一通り、Paoさん推薦のCDを聴かせていただいた。その後オーディオ談義などをしているなかで、前から思っていたことを質問してみた。

 「この家は相当な築年数が経過していますから、そろそろ建替え時かもしれませんね。相続も一区切りつきました・・・このエリアなら収益物件として良いものが建つでしょう。最上階を自宅にして・・・広いリスニングルームも可能ですよ・・・」

 「まあ、確かにそうだな・・・周りの古い家やアパートはほとんどみんなそうなったよ・・・5階建くらいのものは建つかもな・・・ワンルームを学生に貸せば収入もそれなり入るだろ・・・」そう話したPaoさんの声のトーンはやや低めで抑揚がなかった。

2011/8/27

1991:Pao邸再訪  

 今日はPaoさんのお宅を訪問した。OFF会は従たる目的で、主目的は仕事であった。実はPaoさんの母親が数カ月前に亡くなった。Paoさんは母親と二人暮らしであった。法定相続人はPaoさん一人である。母親は新宿区西早稲田にある程度広い土地を残した。そのため、相続税の申告が必要になったのである。その申告のお手伝いを私がすることになったのである。

 その申告書が出来上がったので、署名と押印をもらうのが、今日の主たる訪問目的であった。それだけであれば、すぐに用事が済むので、その後Paoさんのシステムを聴かせていただく運びとなったのである。

 Paoさんのシステムの音に触れるのは1年ぶりぐらいであろうか。プリアンプがマーク・レビンソンのNo.26SLに変わった際に一度お邪魔した。それ以来ということになる。

 使用機器に関しては変更はない。送り出しはMARANTZのCD34。外観からは窺い知れないが、内部は相当な費用をかけて改造が行われている。Paoさんによると改造は複数回行われていて、かかった経費を加算すると100万円近く投資しているそうである。本体の元の値段は数万円程度とのことであるので、過剰なまでの投資がなされていることになる。

 プリアンプはマークレビンソンNO.26SL。薄型のキレのあるデザインである。そしてパワーアンプは、Lo-D。かなり古いもので、真っ黒でがっしりとした躯体をしている。見るからにマッチョな姿かたちである。

 そして、スピーカーは長岡鉄男氏が設計した自作もの。バックロードホーンを採用した、いかにも勢いよく音を放出しそうな外観をしている。型番は確か「0-55」だったような気がする。うる覚えである。「なんだか機関車みたいな型番だな・・・」と思った記憶がある。

 ユニットはフォステクス製で、何度か最新のものに取り換えているようである。先日日程を打ち合わせるメールをやり取りした際「前回taoさんに来てもらった時とは、ユニットが変更になっていると思います。これが、同じメーカーのものなのですが、ぐっと密度感がでて、良い感じなんです。マーラー第3番の出だしの所なんか、グンと沈み込みます。その後パンッと散って、爽快です。まあ、お楽しみに・・・・」と書かれてあった。

 「グンと沈み込んで、パンッと散るか・・・Paoさん好みの音のようである・・・」その音の表現に、少々微笑みながらそう思った。

 高田馬場駅からバスに乗った。西早稲田のバス停で降りて、甘泉園の方へ向かう。公園の中を抜けるとすぐにPaoさんのお宅である。

 甘泉園は回遊式の日本庭園を擁する公園である。あまり目立たない場所にあるため、人影はまばらである。ちょっとした都会のオアシスといった風情である。

 お宅は古い木造の2階建てで、その2階にあるリスニングルームは8畳ほどの広さ。もともと和室であったものをリフォームされたようである。

 ラックも自作のようで、頑丈で飾り気のない外観をしている。レイアウトはセンターラックで、スピーカーは並行設置である。Paoさんの律儀な性格を表しているかのようである。

 最初に取りだされたCDは、マーラーの交響曲第3番であった。ショルティ指揮のシカゴ交響楽団の演奏のものである。

2011/8/26

1990:AVANT  

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 AUDI A6 AVANTが本国で発表された。一足早くセダンは発表され、日本でも8月からデリバリーが開始された。AVANTも半年ほどすれば日本に入ってくるはずである。

 従来A6はAUDIのラインナップの中で、先陣を切る「切込隊長」的な役割を担わされててきた。先代のA6は、今やAUDIのデザイン・アイデンティティーとなった「シングルフレーム・グリル」を初めて採用した。

 さらに、先々代のA6では、セダンでありながら弓なりに後方へ伸びやかにラインを描く、クーペのようなルーフラインが採用された。当時のセダンとしてはとても斬新な造形美を提示してくれた。

 では、今回のA6はどうかというと、そういった「切込隊長」的な性格ではなく、既存のモデルで提示されてきたAUDI独自のデザインモチーフを上手く取りまとめ、AUDIの今後のデザインのあり方を集大成して提示しているように感じる。

 「バッドばつ丸」風のヘッドライト、やや形状が当初のものとは変わってきた6つの角を持つシングルフレームグリル、ドアノブの上を抉るように描かれるサイドのキャラクターライン、リアのコンビネーションランプは横長のやや変則的な造形で、深い彫りが刻まれ立体的な落差があるデザイン、下部がブラックアウトされ細いウィンカーランプが仕込まれたドアミラーなど、AUDIデザインの特徴が随所に見受けられる。

 A6はEセグメントに属する。直接的なライバルは、Merucedes-Benz EクラスとBMW 5シリーズである。この両者がFRであるのにたいして、A6は4WD。ハンドリングでは多少不利であるが、独自の軽量化技術などで充分に対抗できる戦闘力を有している。事実、本国ドイツでは強力なライバルと対等に渡りあっている。

 Mercedes-Benz E350を購入してちょうど1年が経過しようとしている。走行距離はもうすぐ2万キロを超える。10万キロを超えないと買換えないようにしているので、後4年は買い換える予定はないが、同じセグメントに属するAUDI A6は、やはり気になる存在である。

 E350を購入する時に、先代のA6 AVANTには試乗した。3.OLの直噴ターボエンジンを搭載したモデルで、しっかりと熟成した車であった。エンジンはパワフルで洗練されていて、内外装の質感は明らかにE350よりも上質であった。

 ただし、ハンドリングを含め全体の質感が少し軽く感じられた。軽やかさを優先し過ぎる気がしたのである。これは好みの問題かもしれない・・・それ以外の点においては、充分にライバルを凌駕する実力を有していたのである。ただし1年程度で型落ちすることに対する抵抗感もあって、結局選択肢からは外れた。

 この新たなAUDI A6 AVANTが日本に入ってきた際には、冷やかし半分に試乗したいものである。もしかしたら、結構ショックを受けるかもしれない・・・

2011/8/25

1989:片付け好き  

 先日「寧々ちゃん」から「taoさんってきれい好きですか?」と訊かれた。「まあ、きれい好きですかね・・・」とそのときは答えた。

 ほんのちょっとした埃や汚れも気になる、潔癖症なまでのきれい好きでは、けっしてない。しかし、どちらかというときれい好きなほうであろう。私的には「きれい好き」というよりも「片付け好き」かなという気がしている。

 部屋に物が雑然と置かれていたりすると、気分が落ち着かない。収納スペースに物は納まり、目に付かないようになっていると気分がすっきりするので、ついつい無意識に手が動き片付けてしまう。

 我が家では、私以外の家族は片付け下手である。3人が散らかしたものを私が片付ける、という図式である。多勢に無勢であるので、私のエネルギーが枯渇してくると家が散らかってくる。そういう時は休日の午前中などに、気合を入れて片付ける。

 「片付け」というのは、一種の性格といか、個性のようで、後天的にはなかなか改善されないようである。妻と二人の娘は、残念ながら片付け能力を根本的に欠いているようである。

 オーディオルームも片付いていないと、ゆっくり音楽に浸れない。オーディオ機器はすっきりとオーデュオラックに納まっていて欲しい。なので、床置きはできない性格である。また、現在使っていないオーディオ機器を部屋に置いておくことも、潔しとしないような変なところがあり、手放したくてしょうがなくなる。二束三文でもいいから、すぐに売却してしまう。時々後で後悔する・・・

 また、レコードやCDがテーブルや床にうず高く積まれていたりするのも、わが家ではNGとなる。ソフト類は別の部屋(物置部屋)の棚に置いて、そこから数枚を取り出してオーディオ部屋に運び、聴き終わったらまた元に戻す。結構面倒な性格である。

 また、コレクター的な性格が希薄なようで、ソフト類が棚を数多く埋め始めると、「このうち、日常的に聴くのは、ほんの一部のはず・・・後は無駄なものばかり・・・」といった気持ちが沸々と湧き上がり、落ち着かなくなる。
 
 「これはもう聴かないだろう・・・これも・・・これも・・・」といった具合に、DISKUNION行きのダンボールに、数多くのレコードやCDがその居を移していく。

 購入したソフトの8割がたは流れ去ってゆく。ストックされるのはごく一部。「ストックよりもフロー」といった時代錯誤的な傾向が、我が家にはまだしっかりと根付いているのである。

 これは、良いことなのか、どうなのか・・・少々疑問である。しかし、「片付け好き」という性格は、「片付け下手」という性格同様、後天的にはなかなか直らないようである。

2011/8/24

1988:メガーヌ  

 「taoさんって、きれい好きですか?」「寧々ちゃん」はVW POLOをひとしきり眺めながらつぶやいた。

 「えっ・・・どうしてです・・・まあ、きれい好きですけど・・・」その質問の真意を量りかねるように、答えた。

 「この車を選ぶ人はきっときれい好きだろうな、と思ったんです。どことなくAUDIに通じる質感ですね。つるっとしていて、シャープでクリーン・・・非常にまとまっていますね・・・」

 「Mitoのようなスペシャルな感じはないのですが、エクステリアデザイン、インテリアデザインともにまとまっていて、ドイツ的な高性能感が凝縮されています。運転席に座ってみますか?」

 ゴルフスクールを終えて、ゴルフバッグを担ぎながら、駐車場へ向かった。「寧々ちゃん」のMitoの隣に停めていたので、方向は一緒である。

 「寧々ちゃん」のゴルフバッグをMitoのトランクに納めるのを手伝ってから、POLOをお披露目した。「寧々ちゃん」は女性にはめずらしく、車に大変興味がある。

 「寧々ちゃん」を運転席に座らせ、私は助手席に陣取った。エンジンをかけると、メーター類が明るくライトアップされた。その青白い光に照らされた「寧々ちゃん」の横顔は、大塚寧々そっくりであった。

 「POLOをデザインしたデ・シルヴァはAlfa Romeoも過去にデザインしているんですよ・・・156や147が、確か彼の手になるモデルです。」

 「147は好きなモデルでした。とても優しい横顔をしていたんです・・・じゃあ、MitoとPOLOは多少の血縁関係があるということかしら・・・」

 「そうですね・・・遡ると多少関連がありますね・・・そういえばMitoの前は何に乗っていたんですか?」

 「メガーヌです。ルノーの・・・」

 「5ドアハッチバックですか?あの独特なリアの形をした・・・」

 「そうです、あのリアのハッチの造形がまさにフレンチでした・・・」

 「結構思い切った造形でしたよね・・・色は黒ですか?」

 「いいえ、メガーヌはブルーでした・・・」

 「ラテン系の車が好きなんですね・・・」
 
 「そういえば、そうですね・・・」

 「寧々ちゃん」はハンドルを握りながら、優しげな笑顔をこちらに向けた。視線が絡み合った。私は運転席のヘッドレストに右手をかけて、かがみこむようにした。「2回目か・・・」目をつぶりながら、頭の中で独り言を言った。

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2011/8/23

1987:晩夏  

 今日は少しだけ暑さが戻った。最高気温は30度を少々超えたようである。それでも一頃に比べると涼しく感じる。

 4時に顧問先の会社を出てからは、事務所に戻らず、自宅へ直行した。4時半にはサイクルウェアに着替え、ORBEA ONIXのサドルにまたがった。

 いつものように多摩湖の周遊コースを走った。ところどころ水溜りがあり、路面が濡れているところも多い。まずは軽めのペースで1周、2周めは少しだけペースアップ。2周走り終えたところで、あたりはやや薄暗くなってきた。

 多摩湖の周囲は鬱蒼とした森がある。その森からは、ヒグラシやミンミン蝉たちが、寸暇を惜しむように、その声をあげている。終わりゆく夏を、身をもって感じているのであろう。その声には多少の悲壮感すら感じられる。

 フロントのライトのスイッチをつけて、もう1周走ることにした。それほど汗はかいていない。心拍数も猛暑の頃に比べると、低い数値を示していた。やはり気温が低いと体は楽なようである。

 この前の日曜日には「寧々ちゃん」とのツウィン・ライドの予定が入っていたのであるが、残念ながら雨で流れた。

 また日をあらためることになったが、今週末は家族旅行の予定が入っている。ツウィン・ライドは9月以降になりそうである。9月になればさらに涼しくなる可能性も高いので、そのほうが良いであろう。

 走り終え、シャワーを浴びた。今日は7時からゴルフスクールである。軽く食事を済ませ、すっかり暗くなった道を、POLOに乗って、昭和の森ゴルフ練習場へ向かった。

 昭和の森ゴルフ練習場の駐車場に着いたのは、7時5分前であった。黒のMitoを目ざとく見つけて、その右隣にPOLOを停めた。帰り際「寧々ちゃん」にPOLOをお披露目する予定である。

 綺麗に並んだ2台の黒い車。片やイタリアン・プレミアム・コンパクトらしい独創的な造形美を誇るMito。片やドイツの優れたテクノジーを流麗なウォルター・デ・シルヴァのデザインで包み込んだPOLO。それぞれ美しく個性的であるとともに、それぞれの出自を誇らしげに示している。

 所定の打席に入ったときには、既に鈴木プロも来てレッスンが始まっていた。「こんばんわ・・・」数名のスクール生に声をかけて、ゴルフバッグを降ろす。2つ隣で既にアプローチショットの練習をしていた「寧々ちゃん」は振り返って、静かに微笑んだ。

2011/8/22

1986:通夜  

 今晩は通夜であった。知り合いの税理士が亡くなったのである。訃報に接したのは先週の金曜日であった。

 「なんてこった・・・」とつぶやかざる得ない心境であった・・・訃報を知らせるFAXが、税理士会の事務局から送られてきた。いつものようにかなり高齢の会員であろうかと、何気なく目を通したら、テニス同好会でよくご一緒する方であった。しかも年齢は43歳。私よりも若い。

 特に親しく接していたわけではないが、テニス同好会で月に一度ほど顔を合わせる仲であった。明るい性格の方で、見た目的にはとても健康そうに見えた。

 1ケ月ほど前にもテニスコートでお会いした。とても暑い日で、練習試合を数試合こなしたら、げっそりと疲弊した覚えがある。ついこの間のことである・・・

 事務局のほうに問い合わせてみると、心臓発作のようで、深夜に倒れて、救急車で病院に運ばれたが、間に合わなかったようである。確か子供はまだ高校生くらいのはず・・・

 仏教は「輪廻転生」を説く。肉体が滅びても、魂は失われず、また新たな肉体を得て、人生を繰り返すという教えである。非科学的な説である。それが真実かどうかということは実証する術はない。信じるか、信じないか、ということである。

 キリスト教の説く「天国と地獄」より「輪廻転生」のほうがありがたいような気がする。「輪廻転生」であれば、一度失敗しても、やり直しがきく。一度どころか性懲りもなく何度も失敗しても、更生の可能性は残されるわけである。

 「天国と地獄」であれば、一度失敗すると地獄で煉獄の炎に永遠と焼かれ続けなくてならない。そんな非情な仕組みを神様が作るわけはない、と思いたい。

 また唯物論的には「死んでしまったら、無があるのみ・・・真っ暗な無が・・・」ということになるが、これまた味気ないというか、現実はそうかもしれないけど、希望がない。

 希望的観測を述べさせてもらうと「輪廻転生」であって欲しい・・・臨死体験を経験した多くの人の証言は非常に似通っている。これが「輪廻転生」の証拠になるとは思えないが、もしかしてという気にさせてくれる。

 肉体の死を契機として、もう一人の自分が肉体から浮かび上がり、上のほうから自分の肉体を眺めている。結局何らかの理由でまた自分の肉体に戻るのであるが、臨死体験中の心境はとても穏やかで静かなものであった・・・といった内容・・・そして、臨死体験者の多くが「死は恐れる必要のないもの・・・」と感じたそうである。

 私は臨死体験をしたことはない。また霊感もまったくないようである。なので、死後のことはまさに暗闇の中である。黒の礼服に身を包み、亡き方が納められた祭壇に向かって一礼して焼香した。静かにご冥福を祈ろう・・・



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