2009/12/17

1373:小島屋  

クリックすると元のサイズで表示します

 先週の記事で「讃岐うどん」について書いた。その麺は、もっちとした弾力があり、色が白く、喉越しがつるっとして美味である。

 一方北多摩地区には「武蔵野うどん」が古くから定着している。地粉を使ったコシの強めの麺で、色は真っ白ではなくやや茶色がかっている。ゆでた麺を冷水でしめてざるにもり、醤油と鰹だしベースの暖かいつけ汁につけて食べることが多い。

 今日の昼は東村山市の「小島屋」で「肉汁うどん」を食べた。これぞ「武蔵野うどん」といった感じのうどんである。

 店は農家の広い庭先に建てられた「掘っ立て小屋」といった風情。店の内部も雑然としてとても鄙びている。「鄙びた風情」にも2種類ある。「侘び・寂び」に通じるような上品な鄙び方もあるが、素のまままったく化粧気のない鄙び方もある。

 「小島屋」の場合は明らかに後者である。店は農家のおばさんが数名で切り盛りしている。お客がいてもガチャガチャと世間話をしている。

 そして、その話題も「○○さんちの白菜漬けはとても美味しい。どうやって漬けているんだろうね・・・何か別なものを入れているはずだけど、いったいなんだろうね・・・」といった鄙びた会話を延々繰り返しているのである。そこには「風情」は無い。

 「風情」は無いが、何十年と変わっていない、そしてこれからも変わらないであろう「生活」がある。それは手垢にまみれているが、とても懐かしい感じがする「生活」である。

 それは「白菜漬け」であり、「割烹着」であり、「庭先での焚き火」であり、「古びた石油ストーブ」であるのかもしれない。そしてその象徴的な存在が「武蔵野うどん」である。

 「武蔵野うどん」は品良く食べてはいけない。ずるずると口に放り込むように食べる。そのために要する時間は短い。左脇にあった石油ストーブに体の左側だけを暖めてもらいながら食べる「武蔵野うどん」はいつもと変わらない味であった。そのうどんが胃に納まるにつれて、心持ちも穏やかになるのを感じた。



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ