2009/3/25

1104:作品111  

 ベートーベンの最後のピアノソナタであるピアノソナタ第32番作品111の第1楽章は、ハ短調で書かれた他の作品と同じく、荒々しく情熱的である。

 その第1楽章とは対照的に、第2楽章はとても美しく静かである。月の弱い光に照らされた湖面を連想するような内省的で哲学的な響きの美しさは、聴くものの心の視線を内へ内へと向かわせる効果があるようである。

 五味康祐「オーディオ巡礼」を読んで、このピアノソナタを再度聴いてみたくなった。五味康祐氏が病床で最後で聴いたレコードは、この曲であったとのことである。

 そして「西方の音」の中で「私が死んだら、やっぱり交響曲第3番の第2楽章は聴かせてほしいし、第7交響曲の同じアダージョ。第9の合唱部分、ヴァイオリン協奏曲、ヴァイオリン・ソナタ第7番、それに作品106、109、111のそれぞれ緩徐楽章は聞かせてもらいたい」と書いた。

 この作品111には、それだけ強い思い入れがあったのであろう。確かにこの作品111の第2楽章は、ベートーベン晩年の作品に共通する深遠な光の世界が展開する。その音世界はとても純粋であり、喜び・悲しみ・諦観といった様々な感情が溶け込んだ末に透明に澄んだエキスが流れ落ちるような音楽である。

 ベートーベンの後期ピアノソナタ3曲のうち、今まで最もよく聴いていたのは31番作品110であった。この31番のピアノソナタは32番に比べるとより叙情的である。

 甘美で滑らかに流れるような展開。複雑でいて清澄な響きが紡ぎだされるようにつながっていく様は心地よい陶酔感をもたらしてくれる。

 32番になると、より峻厳な要素が加味されてくる。陶酔感とともに気が引き締まるようなところがあるのである。どちらもベートーベンが到達した高みの凄さを感じさせてくる名曲である。

 この2曲のピアノソナタを聴いていると、人生が終りに近づいた時私もこういった心境に近いものを獲得していたらいいなあと思うのである。



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ