2009/2/28

1079:銀のベンザ  

 この時期は、風邪で寝込むわけにはいかない。なので「手洗い・うがい」は頻繁に行う。しかし、それでも風邪の菌が入り込むこともある。

 「あなたの風邪はどこから?」とベンザブロック風に聞かれたら即座に「私の風邪はのどから・・・」と答える。

 のどに違和感が生じ、やがて体がだるくなり熱っぽくなるというパターンが多いのである。なので、この時期にのどに違和感を感じたりすると「まずい・・・」とあせるのである。

 今日の午後、確定申告のお客さんを訪問し、申告書にサインをいただいた後で車に乗り込んだ瞬間、のどに違和感を感じた。「これはまずいパターンかも・・・」と内心あせった。

 そこで、事務所へはもどらずに家へ直行、すぐさま寝巻きに着替えベッドにもぐりこんだ。風邪のひきかけは寝るに限る。途中コンビニに寄ってユンケルを買い込んで数本飲んで寝た。

 しかし、寝れるものである。体が疲れていたのであろうか、気が付いたら日付けが変わっていた。相当な時間寝たおかげで、体の疲れも一掃されのどの痛みも軽減していた。どうやらひきかけ段階で上手く対処できたので回復基調に乗ったようである。

 今年の確定申告は2月からのスタートダッシュが効を奏して、既に峠を越えた感がある。あとはこの勢いの惰性だけで軽く突破できそうな感じだ。春は間近である。

 明日は、pontaさんとコンサートへ行く予定が入っている。どうやら体調も大丈夫そうであるので、キャンセルせずにすみそうである。月に1,2度しか行かないコンサートであるので良い体験ができることを願っている。

2009/2/27

1078:NEUMANN  

 ノイマン・・・どこかで聞いたような、全く初耳のようなメーカー名である。その響きからするとドイツの会社であろうか。

 英語で書くとNEUMANN。インターネットで調べてみたらマイクロフォンで有名な会社であった。オーディオメーカーではないが、多少オーディオに関連するマイクロフォンを製作している会社であったので、雑誌などで見かけたのかもしれない。

 実は昨日オーディオサミット オカヤマの廣坂さんから電話のあったスピーカーケーブルのメーカーがノイマンであったのである。現在もこのメーカーがスピーカーケーブルを作っているのかは不明であるが、以前は作っていたようである。

 そして、今日改めて電話で確認したところ、今お使いの方はモノラルで楽しまれているとのことで、5mペアでなく、5m1本とのことであった。来週には入荷するので、入荷次第送ってもらうこととなった。

 我が家では当然ステレオで使うこととなるので、その5mのケーブルを半分に切ることとなる。1階リビングではセンターラック方式でのセッティングとなっているので、パワーアンプとスピーカーとの距離は短い。1.5m程度の長さがあれば足りるので、半分に切っても充分に足りる。

 そういえば、高音質録音の盤などではノイマンのマイクロフォンは相当活躍しているようである、きっとケーブルはマイクロフォン用のものなのかもしれない。

 録音現場で活躍してきたものであれば、変な癖のないニュートラルなケーブルである可能性が高い。廣坂さんもTANNOYをもっともニュートラルに鳴らす、とおっしゃられていたので、嫌がうえでも期待感が高まる。

 「NEUMANN」の「NEU」は確かドイツ語で「新しい」という意味だったような気がする。「MANN」は英語の「MAN」と同じとすると「NEUMANN」は「新しい人類」という意味であろうか?まあ、どうでもいいことではあるが、TANNOYから「新しい」音を引き出してくれることを願いたい。 

2009/2/26

1077:ハッピーターン  

 亀屋製菓の「ハッピーターン」の包み紙には、日常のちょっとしたハッピーな出来事が記載されている。そしてそのハッピー度が★の数によって表されている。満点ハッピー度は★五つなのであるが、それは滅多に出てくることがないので、「幻の★五つ」と呼ばれている。

 今日食べた分の包み紙には、「雨上がりの虹が二重になっていた ハッピー度★★★★」とか、「シールが綺麗にはがせた すっきりハッピー ハッピー度★★」といったものが載っていたのであるが、残念ながら「幻の★五つ」は出現しなかった。

 ハッピー度★★★★★は具体的にどんなものなのであろうか?日常生活で何気なく起こることでなくてはいけない。こちらが意図していないのに、ふと訪れるハッピー体験であることが必要条件なのである。

 その上で★五つの強力なハッピー度が備わっている。たとえば「自販機でコカコーラを買ってお釣りをとろうとしたら前に買った方がお釣りを取り忘れていて、たくさんの釣り銭をGETした」というのはどうであろうか?

 まあ、この程度ではハッピー度は★★★ぐらいであろうか。しかも下世話である。もっとさわやか系なネタでなくてはならないであろう。しばらく考えてみたが思いつかないものである。

 幻であるのは、そういったインパクトのあるハッピー体験ではなく、ささやかなハッピー体験の積み重ねが大切であるという教訓を示してくれているのかもしれない。

 そういったハッピー体験が今日あったかというと、なきにしもあらずである。オーディオサミット オカヤマの廣坂さんから電話があり、「TANNOYにはどこのメーカーのスピーカーケーブルをお使いですか?」と質問された。「ベルデンのオレンジと黒のよっているものです。」と答えた。すると「TANNOYにベストマッチのスピーカーケーブルが入荷する予定ですがいかがですか?」とのことであった。

 価格は5mペアで3万円。「是非お願いします。」と即答。ベルデンのスピーカーケーブルは確か1m1,000円ぐらいであったと記憶している。それに比べると高いが、一般的にはそれほど高いケーブルではない。

 「私の今までの経験ではもっともニュートラルにTANNOYをならすケーブルです。あまり出てこないものです。」ということ、これはやはりGETしなければならない。価格も常識の範囲内である。

 私にとってはこの電話がハッピー度★★★ぐらいであろうか。これが手元に届き、ベルデンのケーブルと交換して音を出しした瞬間に、★が一つか二つ加算されるかもしれない。

2009/2/25

1076:La CETRA  

 レコードはCDよりも、ディスクによる音質の差が大きい。録音の良し悪しだけでなく、相当な年数を経ているものが多いので、保存状況による差が如実に出るからである。

 音質的に十二分に満足できるレコード盤は比較的少ない。少ないので、そういった盤にあたると余計にうれしいのである。最近TD-124でよく聴くのがこのレコードである。

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 ANTONIO VIVALDI「La CETRA」レーベルはEMI。ジャケットの左上に「HIS MASTER VOICE」の文言でお馴染みのニッパー君がちょこんと座って幾分首をかしげている。DMM方式で録音されている。このレコードは、針を落とした瞬間から「これは良いようだ・・・」と思った。心の中に安堵感が広がったのである。

 レコードはときどき針を落とした瞬間から「これはダメだ・・・」と落胆する盤も結構あるからである。そのときは、シーザーが「ブルータスお前もか・・・」と言い放ったときのような気分になる。何かしら裏切られたような気がするのである。

 そういった盤が続くと、「やっぱ、時代はデジタルだよな・・・取り扱いも楽だし、当たり外れの幅がそれほど大きいわけではない・・・」という思いが頭をよぎるのである。

 状態の良いレコード盤の音は音が濡れている。そしてビロードの手触りのような感覚に溢れているのである。残念ながらそういった盤に出会うことはそう多くないのである。それだけにそういった盤に出会うと、頬が緩む。

 私の場合、レコードを数多くコレクションしようと気持ちは比較的少ない。しかし、良い盤に出会うには分母がある程度の数でないとなかなか出会えないというのも事実である。なので、中古レコード屋さんにはときどき顔を出すようにしているのである。そして夜な夜な、8割の落胆と2割の快楽を味わっているのである。

2009/2/24

1075:真打  

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 QUAD 22とUのセットがクワドラスパイアのラックに収まった。33と303のペアがなかなか良い仕事をしてくれていたので、しばらくはこのポジションを任せていたのであるが、やはり「真空管」の魅力的な音色は捨てがたいもの。

 そこで、今日プリアンプとパワーアンプを取り換えたのである。「小さい・軽い」はやはり良いことである。決して腰を痛めることもないし、指を怪我することもない。息も乱れることなく、取替え作業は完了した。

 そして、スイッチをONにする。プリアンプにオレンジ色のランプが灯る。パワーアンプの真空管は、オレンジの光明を徐々に上げていく。その過程はいつ見ても良いものである。

 Antonio VIVALDIの「La CETRA」のレコードをかけたのであるが、艶やかな弦楽器の音と爽やかな息吹を感じるチェンバロの音が実に心地よい。

 「やはり真打はこちらか・・・」といった感想が自然と漏れる。THOREND TD-124、QUAD 22、QUAD U、TANNOY CHATWORTHの組み合わせであるが、ビンテージ・オーディオの一つの完成形のようなシステムである。

 このシステムでは、大きな編成のものではなく、バロック時代の比較的小編制のものをゆったりとした気分で聴きたい。その愉悦の時間は私の体から不要な力みをすっかり取り去ってくるようである。

 最近は疲れている。確定申告時期になって夜遅くまでの残業が続いているからである。疲れた体をソファに横たえながら、このシステムで少しばかり音楽を楽しむ。疲れた体に綺麗な水が染み込むような印象を受けるのである。

2009/2/23

1074:ボーリング場  

 「やっぱりいけませんな・・・」と独り言を言った。手の中にはコカコーラ ZEROがすっぽりと収まっていたのである。その色合いは黒を基調としていて、精悍ないでたちである。

 赤のロゴが、いつもの見慣れたロゴでありながら、黒を基調に赤で描かれるととても新鮮で、都会的な雰囲気を醸し出している。飲み干されたその黒い缶はいまひとつ大事にされることなく、ややぞんざいな感じで空き缶入れに放り込まれた。

 悪くはないのである。それ単体で見ればそれほど悪くはないのであるが、比べてしまうと「やはり違う・・・」といった感慨を持つのである。

 私は比較的味付けの濃いものが好きなようである。ZEROは確かにキレはある。のどごしも刺激感があり、すっきりとした後味である。

 しかし、何かが足りないのである。引っ掛かりがなさ過ぎるのであろうか?何かしら残るものがないのである。もっと雑味があっていいような気がする。

 「エンゼルパイ」にはあって「チョコパイ」にはないものが、ZEROにも欠けている。それゆえに商品名が「ZERO」なのではないであろうが、欠落感があるのである。

 オーデュオの音にも自然と「エンゼルパイ」にはあって「チョコパイ」にはないもの、普通の「コカコーラ」にはあって「コカコーラ ZERO」にはないものを求める傾向があるようである。

 それは「コク」とか「深み」かもしれない。もちろん引き出せているわけでは全くないのであるが、そういったものを求めたくなる。

 ボーリングが全盛であったころ、ボーリング場には190mlビンに入ったコカコーラの自販機があった。小銭をいれボタンを押すとゴロゴロと転がってきた。それを手に取り自販機の片隅に取り付けてある栓抜きで手際よく栓を抜き、勢いよく飲んだ。小学生にとってはそれは、「大人の味」とも感じられた。

 コカコーラを飲むといつもボーリング場の喧騒感が思い浮かぶ。家族で休日によく出かけたものである。しかし、ZEROを飲んでも思い浮かぶものがない。さらっと流れていってしまうのである。

2009/2/22

1073:コカコーラ ZERO  

 小学生の頃遠足があると「おやつ」が楽しみであった。もっていける「おやつ」には金額の制限があり、その制限内で「おやつ」を前日に買い揃えるのである。親から貰った制限金額をポケットに入れて、友人数名とスーパーのお菓子コーナーに勇んで出かけた。確かその制限金額は200円程度であったと記憶している。

 そして、いくつかの候補のかなから、制限金額内に収まるようにいくつかを選択するのであるが、こっちを立てればこっちが立たずといった感じで実に悩ましいものである。

 そんななか、必ずそのラインナップに加えられていたのが、森永の「エンゼルパイ」である。これは今もなお健在のお菓子である。ビスケット・マシュマロ・チョコレートの絶妙なハーモニーが奏でる味わいは、小学生の頃の私の頬を何十回となく落とさせたものである。

 現在はロッテからもエンゼルパイに似たお菓子「チョコパイ」がでているが、私の中ではこの「チョコパイ」は、「コカコーラ」に対する「ペプシコーラ」のようなもの。ぜんぜん勝負にならないのである。

 もちろん、好き嫌いの世界なのでこれは私の舌にとっての話であり、一般的な評価がどうであるのかは全く不明である。

 チョコパイを食べてみると、「何かが足りない・・・」と思うのである。それはマシュマロかもしれない。何か味わいに深みがないのである。味わいが表面的で浅いのである。

 ペプシコーラを飲むと、「何かしらキレがないな・・・」と感じてしまうのである。やはりコカコーラに軍配を上げざる得ない。きんきんに冷えたコカコーラをぐいぐいやって爽やかな喉越しを味わうと「やっぱりこれだよな〜」というつぶやきがでる。

 そのコカコーラから最近「ZERO」という商品名でダイエットコーラが出た。ダイエットコーラで美味しいと感じたものは今までなかった。この「ZERO」もきっとダメであろうと飲んだことはなかった。

 しかし、最近友人からこの「ZERO」は美味しいという話をきいた。なので、今度一度飲んでみようかと思っている。今までの「ダイエットコーラ」は薄くて刺激が少なかったのであるが「ZERO」はどうであろうか?その友人は結構味にはうるさい方である。信憑性は高いと思っているのであるが・・・

2009/2/21

1072:B級映画  

 「エイリアン VS プレデター」という映画がでたとき、正直節操がないと感じた。アメリカ映画が生んだ二つの怪物キャラクターが対決するという設定であったのであるが、それぞれ単独でのシリーズがほぼ出尽くした感じの後に使い古されてもうあまり使用価値のなくなったキャラクターを無理にくっつけたような気がしたのである。

 しかし、その映画は確かに設定に無理はあるが、そこそこ観れたのである。プレデターがエイリアンをやっつけることで一人前の戦士として認められるといった内容で、何かしらプレデターが武士道的な精神で動いていて、決して血に飢えたモンスターではないというキャラクターを与えられていたのが面白かった。

 たいして、エイリアンはその種の保存と繁殖のみのためにあらゆる生物を襲い殲滅するがん細胞のような単純生物として対照的に描かれていた。

 それにしてもプレデターの横顔は、私の目にはどうしても「河童」に見えてしまうのである。日本人にはどことなく憎めないキャラクターである。さらにそのマスクをはずした瞬間の素顔は、気味悪いというよりも多少滑稽さすら感じさせるものがある。エイリアン VS プレデターであればどうしてもプレデターに肩入れしたくなるのは自然である。

 そして、この映画でも共通の敵であるエイリアンを前にしてプレデターと人間の間に友情のようなものさえ芽生えるという展開となるのである。

 この脚本を考えた人はいろんなアイディアを練りに練って無理やり捻出したのであろう。何はともあれこの2大モンスターが戦う設定をどうしても作り上げなければならなかったはずである。そして、できれば単に地球で鉢合わせしたから、本能のままに戦ったというひねりの全くない展開ではなく、見ている人が納得する設定が必要だったはず。

 実はプレデターが秘密裏に作った施設でエイリアンを飼育していて、若い戦士をエイリアンと戦わせて訓練し、一人前の戦士に育て上げるという設定を思いついたアイディアには拍手を送りたいところである。

 もちろんB級映画であることには変わりがない。しかし、B級なりのアイディアがあって、観ている間はそれなりに楽しめた。

 そして、この「エイリアン VS プレデター」は思いのほかヒットしたのか、その後続編も製作されシリーズ化されたのである。

2009/2/20

1071:ROKSAN  

 ROKSANは気になるメーカーである。今はターンテーブルのXERXES 20を中心としたアナログシステムを使用中である。ROKSANのデザインセンスはひとひねりある独特の英国調である。

 すっかり垢抜けているというわけでもない。どことなく素朴な風合いも残している。そのへんのバランス感覚がとても好きなのである。

 オーディオ専用ルームにあるアナログは2系統である。3つ並列に並んだクワドラパイアのラックの向かって左側はLINNのアナログシステムが、そして向かって右側にはROKSANのアナログシステムが納められている。

 真ん中のラックを挟んで両陣営が対峙する格好なわけである。その配置はどことなく2大政党が真っ向から対峙して座る英国の国会のようである。そして、よく同じレコードをLINNで聴いてからROKSANで聴き直すというようなことも行われる。

 今はカートリッジが両方ともBenz-Microになったため際立った個性の対立という構図ではなくなったが、従来LINNはZYX、ROKSANはLYRAというかなり対照的なカートリッジを使っていた。そのときは、まさに個性の競演といった風情であった。

 カートリッジが同じメーカーになったため、そういった大きな乖離はなくなったが、LINNは響きが豊かで明るめ、なんとなく「貴族的」という表現をしたくなる雰囲気がある。

 ではROKSANは・・・「貴族的」という言葉はイメージとして決して浮かんでこない。もっと地に足の着いたというか、着実でしっかり感のある音なのである。「庶民的」というわけでもないのであろうが、もっと生活に根付いたような質感の音である。派手さはないほうである。

 それはROKSANのデザインセンスとも共通するものがあるような気がするのである。大きさも比較的コンパクトで目立つ造形ではない。でも、よく見るとしっかりとしたセンスが垣間見え、穏やかな気分で長く使える、そういった機器である。

2009/2/19

1070:SPU-G  

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 オルトフォンのSPU-Gはなんとなくどっしりしている。頼りがいがある造形である。実直でいて、仕事もきちんとこなす、周囲の環境にあまり左右されずマイペースで朴訥と突き進むといったイメージを持つ。

 針圧は現在3.7gほどに調整している。まだ使い始めて日が浅いのでこれくらいかなといった感じで使っている。針はオリジナルのままなので、相当な年数を経過しているはず。

 このSPU-Gであるがシェルの下部もカバーが付いている。ほこりが侵入してくるのを防ぐのが目的なのか、それとも音質的な理由からかは分からない。

 音質的な意味合いがあるのかは、はずしてみれば分かる。はずすと当然自重が軽くなるので、針圧を調整してほぼ同じ針圧にしたうえで、下カバーをはずした状態で試聴してみた。

 「それほど、変わらないような気が・・・少し音が軽くなったかな・・・開放的な音の鳴り方になったような・・・」といった印象で劇的な変化があったわけではなかった。

 悪くなったわけでもなく、こっちの方が良いのではとも思えるが、どことなくまとまりに欠けるような印象も受ける。もう一度下カバーをネジで固定して、再度当初の状態にして聴き直してみた。

 「落ち着いている・・・」やはり、こちらの方がSPU-Gの持ち味である味わい感がでるようである。多少くぐもったような音の出方になる面もあるが、それがまた独自の音の表出具合となって活かされるようである。

 Alfred Brendelのピアノが明るさを抑えた燻し銀のような輝きを感じさせてくれる。下カバーがないときの音も良い面があるが、やはりオリジナルの状態でいった方が良いようである。



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