2008/7/31

867:夏の思い出  

 「ぶっかけうどん」・・・器の中には冷たいうどんが入っている。その上に海苔、刻みねぎ、鰹節などがのっている。それに冷たいつゆ汁をかける。そして一気に食べる。具としててんぷらやとろろなどが入っているものも多い。

 この「ぶっかけうどん」が、この夏の個人的な「はやり」である。ここ最近の昼食は「ぶっかけうどん」が定番になった。「野菜天ぶっかけ」や「とろろぶっかけ」「鳥天ぶっかけ」などが人気である。

 多摩エリアにはうどん店が多い。「武蔵野うどん」と呼ばれる、地粉を使ったこしの強いうどんが定着しているのである。冷たいうどんを暖かいだし汁につけて食べるのが一般的である。しかし、暑い夏には冷たいうどんに冷たいつゆ汁をかける「ぶっかけうどん」が最適である。

 この「ぶっかけうどん」食べるのに時間はかからない。うどんは時間をかけずにさっと食べるのが粋というもの。特に「ぶっかけうどん」は若干乱暴気味に食するのが相応しい。

 「ぶっかけうどん」と同じく、この夏の「はやり」は、「チャ〜・シュ〜!ショット」と「NEW BMW 7シリーズ」である。「チャ〜・シュ〜!ショット」は昨日の記事で書いたが、2拍子でのゴルフスウィングである。「チャ〜」ですいっとテイクバック、「シュ〜!」でスムースにダウンスウィング。これにすると、なんとなく力まずに振りぬける。実戦で通用するか否かはまだ不明であるが練習場ではなかなか効果的である。

 もう一つの「はやり」である「NEW BMW 7シリーズ」は、最近雑誌やインターネットで見かけたNEW BMW 7シリーズの写真である。前回のモデルチェンジは極めて衝撃的であった。非難轟々のなか船出した現行7シリーズであるが、ビジネス的にはそこそこ成功し、そのデザインも時間の経過とともにある程度認められるようになった。

 そして今回のモデルチェンジであるが、前回のような革新的な要素はまったくない。まったくの「正常進化」なのである。多少「肩透かし」・・・しかし、よく見るとそのデザインは、有機的になったという印象を強く受ける。

 大きくなったキドニーグリル、陰影感を上手く演出するボディーサーフェイス、曲線基調が特徴的なリアのコンビネーションランプの造詣などに、有機的なうねり感が上手く表現されている。

 今年は、「ぶっかけうどん」「チャ〜・シュ〜!ショット」そして「NEW BMW 7シリーズ」が「夏の思い出」として記憶に残るような気がする。

2008/7/30

866:チャー・シュー・メン  

 「チャー・シュー・メン!」「三井・住友・VISAカード!」・・・三拍子である。ゴルフのスウィングリズムは比較的三拍子が良いとされているようである。私も三拍子で振っていた。

 しかし、調子が悪くなるとこの三拍子だとどうしても力みが出てしまう。テイクバック完了までのリズムが比較的ゆったりしているので、トップからの切り替えし、「メン!」「VISAカード!」で腕に力が入りがちになるのである。

 そうと気付いて、今晩はメン無しにした。「チャ〜・シュ〜!」「三井・住友!」っといった感じである。二拍子である。こちらの方が振り抜きが良いというか、無駄な力が入る隙がないのである。「トン!トン!」とすばやくことがすすみ、考えあぐねる時間がない。

 SD05がバージョンアップされて昨日届けられた。第一印象は昨日報告したが、昨日はほとんど時間がなくちょい聴きであった。たった2曲しか聴いていないのである。2階は防音ルームではないので夜の9時以降は結構厳しい。帰ってきたときにはもう9時近かったので、セッティングして、すぐの数曲では実際のところよく分からなかった。

 今日も時間は限られていたので、じっくりというわけではないのであるが、クラシックを数曲聴いた。ベートーベンの弦楽四重奏曲第9番「ラズモフスキー3番」とマラーの交響曲第5番から第1楽章を聴いた。

 「チャー・シュー・メン!」ではなく「チャ〜・シュ〜!」であった。すっと立ち上がりすっと振り切る。フィニッシュもことのほかすっと収まるべきところに収まる。タメがない分力む危険性が減るのであろうか?

 ボールに伝わる力のロスが少ないように感じるのである。マーラーの交響曲第5番第1楽章の冒頭のトランペットのソロなど、その音の立ち居振る舞いの良さは、スィートスポットでナイスショットしたときの手ごたえのようである。「打った感じがしないほど気持ち良い・・」のである。音のスィートスポットも意外と打った感じが手に残らないものなのかもしれない。

2008/7/29

865:遠雷  

 遠くで激しい雨が降っているのであろうか?東の空に周期的に遠雷が光っていた。音はかすかに聞こえる程度であるので、相当距離はありそうである。都心の方であろうか?距離はあるが、遠雷の光は十二分に夜空を輝かせている。

 最近は大気の状態が不安定である。急に激しい雨が降ってきたり、落雷があったり、さらには突風が吹いたりする。昨日も急に増水した都賀川で子供達が流されて亡くなるという痛ましい事故が起きたばかりである。

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 幻想的とも評したい遠雷を車のフロントガラス越しに眺めながら帰宅した。すると、玄関先に二つの荷物が置かれていた。送り主はサウンドデザイン。一つはSD05がバージョンアップされて戻ってきたのである。

 ではもう一つは・・・?それはSONY NAC-HD1である。こちらもサウンドデザインで改良を受けたものである。もう少し時間がかかるのかと予想していたのであるが、予想よりも早く送られてきた。これは嬉しい限りである。

 早速セッティング。本来はSOLIDSTEELの最上段の棚板に設置する予定であるが、残念ながら手持ちのスピーカーケーブルの長さが足りない。なので仕方なく床に設置してみた。いずれ近いうちにより長いスピーカーケーブルを購入する必要があるようである。

 時間があまりないので、じっくり聴くことはできなかった。とりあえずセッティングして、HD-1のハードディスクに記録させて数曲聴いてみた。

 まずはNORAH JONES「Shoot The Moon」・・・NORAHの声の実在感が明確にアップした印象。その表情の襞が細かいところまで見えるような気がする。何かを強調するのではない。極端に細部をクローズアップするわけでもない。広い空間全体の明瞭度が均等に上昇したようである。空間がしっかり揃っている。

 続いてSARA GAZAREK「And So It Goes」・・・息継ぎや唇の動きがハッキリ感じられる。声の質感も硬くなく柔らかすぎず、といったニュートラルなもの。リスナーに寄り添ってくるのではなく、あくまでモニター的な凛とした存在感のある音を聴かせてくれる。空間に隈なく漂う音の微粒子もそのままに映し出してくれる印象である。

 SO05のバージョンアップはクロック関連がメイン。時間軸がしっかりすると空間が揃う。音空間のいでたちが自然で違和感がないのである。

2008/7/28

864:黒衣  

 歌舞伎を見ていると、時折り黒装束の人物がこそこそと出てくる。「黒衣(くろご)」である。一般的には「黒子(くろこ)」の方がとおりが良いかもしれないが、正しくは「黒衣(くろご)」のようである。

 「黒衣」は舞台上の俳優に何かを手渡したり、不要になった小道具を片付けたり、衣装の替えを手伝ったりと、忙しなく動き回り、すっと引っ込んでしまう。

 歌舞伎では「黒衣」は「見えない」という約束のうえで成り立っている。「黒衣」が出てきても、登場人物ではもちろんなく、またその存在自体をも認識しないことが、歌舞伎を鑑賞するうえでの前提なのである。

 しかし、初めて歌舞伎を見たりすると、「あの怪しい人物はいったい・・・」と芝居を見ながらも、「黒衣」の姿が目に付いてなかなか歌舞伎そのものに浸りきれないこともあるはず・・・

 見えていても認識してはいけない、意識の外に除外しておかなければならないのである。目を通して見ているのであるが、脳が認識しているので、その脳にフィルターをかけることが必要なのである。

 そして、脳はそういった経験値が蓄積されることによって、意識しなくても自然とフィルター機能が発生するようになるのであろう。

 音楽は、耳を通して聴いているのであるが、認識するのは脳である。脳の中に蓄積された経験値やフィルターは人によって千差万別である。よって、同じ音楽を聴いても、その聴こえ方には相当な差があるのかもしれない。

 脳には「黒衣」がいるのではないか・・・という気が最近している。音楽を聴くとその「黒衣」が忙しく動き回り、とあるホールの響きを持ってきたり、故郷の懐かしい風景を持ってきたり、舗装されていない道に急に雨が降ったときの匂いを持ってきたりする。

 今日は、AUDIO BASICの最新号を買った。といっても相当前に発売されていたのであるが買い忘れていたのである。先日コメントをいただいたMPさんがAUDIO BASICの最新号で紹介されていると伺い、「どれどれ・・・」といった興味も大いにあったのである。

 AUDIO BASICの「My Audio Life」のコーナーで、MPさんは「黒衣」であった。奥様が表舞台で華やかな衣装を纏い、MPさんはそのそばで「彼」または「ダーリン」として影の存在であったのである。そしてそのMPさんのシステムであるが、その部屋の雰囲気もあって、何かしら神秘的な凛とした佇まいを見せていた。

 恐ろしくマニアックな構成で、どんな音が奏でられるのか想像すらできないのであるが、神社の境内の清涼な空気感のようなものが写真から感じられるのである。そのなかをMPさんは黒衣の衣装を纏って、微調整を繰り返されているのであろうか・・・

2008/7/27

863:WILSON AUDIOPHILE  

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 「being slightly warm and never strident」・・・slightlyは「わずかに、いささか」、stridentは「かん高い、耳ざわりな」という意味。なので直訳すると「少しばかり暖かみがあり、けっしてかん高く、耳障りでない」となるのであろうか。

 WILSON AUDIOPHILEが出しているレコードに書かれているその音質に関するコメントの一文である。David A. Wilsonが録音したレコードということで、興味を持ったので中古で購入した。購入額は2,500円。

 ジャケットデザインも繊細で優れたものである。また当然といえば当然かもしれないが、音質もとてもしっかりしている。高音質録音盤にありがちな、これ見よがしな感じもなく、録音された作品の優れた資質を遺憾なく吐露してくれている。

 DEBUSSY BARTOK BRAHMSのVIOLINとPIANOのための曲が収録されている。VIOLIN:DAVID ABEL、PIANO:JULIE STEINBERG。1987年の発売であるから、21年前のレコードである。そのころWILSON AUDIOの主力商品は何だったのであろうか?WATTが出て人気を博していた頃であろうか?

 インターネットで調べたところ、WATTが日本で発売されたのが1987年11月とのことであった。本国ではそれよりも前に発売されているであろうから、やはりWATTがアメリカで人気を博していた頃のレコーディングのようである。モニタースピーカーには当然WATTが使われたのであろう。

 その音質は、どことなく乾いた空気感を感じさせる。そのため、音がくすんだり、重くなったりすることなく、カラッとした印象で、滞りのないスムーズさが心地よい。特にBARTOKの曲などピッタリとその資質とマッチする。

 このWILSON AUDIOPHILEからは何枚ぐらいレコードが出ているのであろうか?あまり枚数は出ていないだろうから中古市場でもたまにしかお目にかかれないかもしれないが、また見かけたら購入してみたい。

2008/7/26

862:帰り道  

 常磐ハワイアンセンターからの帰り道、常磐道を東京方面に向かう貸切バスのなかは静かであった。ほとんどが家族連れ、しかもまだ小さな子供を連れた客が多い。当然バスの出発直後は騒々しい。

 しかし、走り出して15分もすれば水を打ったように静かになった。プールや温泉で散々遊び疲れきった子供達は、音もなく寝静まり、その親達も連日子供達に付き合って疲れているため、子供達の静かな寝息に折り重なるような感じで熟睡しているのであった。

 その静かなバスのなか、少しばかり寝った後東京に到着する2時間ほどの間、1冊の本を読んでいた。田代櫂「アントン・ブルックナー 魂の山嶺」である。まだ3分の1ほどしか読み終えていないが、アントン・ブルックナーの複雑で不可解なパーソナリティを垣間見ることができた。

 一人の人間としてブルックナーを冷静に見た場合、その弱さや打算的な行動、節操の無い振る舞いなどに、「楽聖」という言葉からは連想できない、生身の不完全な人間を感じることができる。しかし、そういった人間が、あのようなとてつもない音楽作品を生み出すことが本当に不思議に感じられる。

 次のような求愛行動に関するブルックナーのエピソードなどは、結構インパクトがあった。40歳を過ぎ中年となったブルックナーは、わずか16歳のヨゼフィーネ・ラングに熱烈に求婚する。結局ヨゼフィーネはその求婚を拒絶する。そして、その拒絶のわずか数日後に、ブルックナーはヘンリエッテ・ライターに求婚するのである。こちらも結局不首尾に終わるのであるが、かなり場当たり的な求愛行動にいささかあきれた。

 また、執拗なまでの「証明書コレクション」癖や、有力者への極端なまでにへりくだった感のある嘆願書など、その世俗的な成功を求める強力な上昇志向は、その人生の多く期間に共通して見られる。

 この本を読んでいて、ある意味とても人間的なブルックナーに何故かしら強い共感を覚える。政情も経済状態も現在よりも極めて不安定であった当時のオーストリアにあって、さらに生来の神経症的不安感に強く苛まれながらも、神聖で犯しがたい深い精神世界を思わせる傑作を生み出していったことは、大いなる奇跡のような気がする。

 常磐ハワイアンセンターという極めて世俗的で陳腐な感のある観光スポットからの帰り道、ブルックナーの伝記的な本を読む。何かしらその組み合わせと、その本の内容がリンクしているような感がしないでもなかった。 

2008/7/25

861:炊き込みご飯  

 今朝、SD05は旅立っていった。行き先はサウンドデザインである。バージョンアップをしてもらうためである。SD05を段ボール箱に入れる際、その箱の中にはいっていた取り扱い説明書とカラー刷りのパンフレット改めて眺めてみた。

 「FoB」と大きく書かれているのが目に付く。ブランド名と思われるが、これってどういう意味?・・・パンプレットには「FoB」と大書きされた下に小さな文字で「Feeling of Being」とある。「あるがまま」ということであろうか。

 「何も足さない、何も引かない」という、確かサントリーのウィスキーのCMに使われていたと記憶しているコピーが連想される。

 この「何も足さない 何も引かない」というのは、オーディオの一つの理想とされるものかもしれない。SD05の音の質感を表現するにあたって、このコピーは結構適切のような気がする。

 しかし、そのSD05も最近我が家では活躍の場を失っていた。QUAD 44 405-2というペアが急激に台頭して、SD05を圧倒してきたからである。QUAD 44 405-2はしっかりと足す、引くものもあるはずである。「何かを足して 何かを引く」のである。

 足される何かが心地良いので、ついつい耳はQUADを求めるようなところがあったのかもしれない。SD05は美味しいご飯である。水加減も炊き具合もちょうど良い。一口目は美味しい、二口目も美味しい、三口目も・・・しかし、長い時間が経過してくると、おかずが欲しくなる。

 塩昆布か、ふりかけか、漬物か・・・何かしら濃い味が恋しくなるのである。そこにQUADが登場したので、ついつい箸はそちらに向かう。

 先日バージョンアップの「Before and After」をGRFさんの部屋で聴かせていただいた。その際「何も足さない 何も引かない」という姿勢は同じであるが、その度合いがさらに深まったという気がした。そして不思議なことに「白米」が「炊き込みご飯」になったような味わい感の深みや複雑さが感じられたのである。

 その味わいはCDのなかにしっかり刻まれていたもの。それを掘り起こす度合いが深くなった、そのため味わい感の深みや複雑さがもたらされた、という印象を受けたのである。バージョンアップされて戻ってくるのは1週間以上先となると思われるが、その際には改めてレポートします。

2008/7/24

860:子守勝手神社  

 竹林を抜けて、子守勝手神社に向かう細い道にでると、そこはすっと視界が開ける。天気が良ければ、穏やかで明るい鄙びた里山の風景が上手に切り取られた切り絵ように、目に馴染む。

 緩やかな勾配を上がると、本当にささやかな幸せを願うに相応しい子守勝手神社の鳥居が声もなく佇んでいる。鳥居の先には石段が真っ直ぐに続いている。石段を登りきると清楚で明るめの木の色合いが心を穏やかにしてくれる社が目に入る。

 心静かに願い事をするのに本当に相応しい場所である。すぐそばにある光明寺とは対照的である。壮麗さを感じさせる光明寺に対し、日常のかすかにうねる時間のなかに完全に埋没しきっているような子守勝手神社の風景は、人々の生活の香りがする。

 そこで願うことはささやかであることが要求される。「成功しますように・・・」「合格しますように・・・」といった願い事ではなく、「つつがなく生活できますように・・・」「今の幸せが続きますように・・・」といった静かさや穏やかさが求められるような気がしてくるから不思議である。

 そして、子守勝手神社はそういったささやかな願い事ですら聞き流しているような気がするのである。風は変わる。しかし、竹林を風が渡るとき音を立てるのはみな一緒である。そしてその音は風によって様々である。激しく揺さぶるようなときもあれば、子守唄のような穏やかさの時もある。

 子守勝手神社は人々の願い事も、風が竹林を揺らして奏でる音楽も一様に聞いている。とても長い間、無数の声や音を聞いている。そして、聞いてはいるがそれらに動じる様子はまったくないのである。

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 先日M5さんのお宅で聴かせていただきとても感動した柴草玲「うつせみソナタ」が今日届いた。どの曲も素晴らしいが、ラストを飾る「前山にて」が、私は一番好きである。「山の音がする 山の匂いがする」という歌いだしで始まるこの曲、すっと別世界に運んでくれる。

 先日もそうであったが、この曲を聴くと、故郷の長岡京市の子守勝手神社のことが思い出される。緩やかな稜線を描く西山の麓にひっそりと佇む子守勝手神社のことが・・・

(明日と明後日は旅行の予定が入っているため更新はお休みします。次回の更新は27日の予定です。)

2008/7/23

859:ラボラトリー  

 2階のリスニングルームは本来の用途は寝室である。そこにオーディオを無理やり持ち込んでしまった。生活の場でもある部屋なので専用ルームである1階のようにはいかない。極力オーディオは目立たないようにしたいのである。そのためには、スペース効率の良い製品がやはり望ましい。

 2階のスピーカーはPSDのT3であるが、もう少し小型のものの方が良かったのかもしれない。しかし、トールボーイ型は意外と占有面積が少なく、コンパクトな2ウェイスピーカーをスタンドに乗せて使った場合と比べて、それほどの差があるわけではない。

 寝室が本来の主目的である以上、ぶっといケーブルが床を這いまわっていたり、音響調整パネルが壁や天井を覆っていたり、あまりに多くのオーディオ機器が立ち並んでいたりするのはご法度である。極力ラボラトリー状態に陥ることのないように注意をする必要がある。

 その点、1階は専用ルーム(ピアノ練習ルームも兼ねているので厳密にはオーディオ専用ではない)であるので、オーディオが幅を利かしても問題はない。実際多くのオーディオ機器がその部屋を占有している。

 しかし、1階のリスニングルームであっても、ラボラトリー状態にはできればしたくない。音楽を聴くことが主目的であるので、オーディオ機器が並んでいても目に心地よいものにしたいのである。

 音さえ良ければ、見た目や部屋の雰囲気など二の次である、という説はもっともである。しかし、部屋の雰囲気も音楽を聴くうえでは無視できない要素である。レストランは味が命ではあるが、味さえよければ他はどうでもいい、というわけにはいかない。内装や食器類、さらにサービスなどは、より上質な雰囲気で食するためには重要な要素である。

 できれば音楽を聴く部屋も心豊かに音楽に浸れる雰囲気であって欲しい。かといって、SOUND&LIFE誌に出てくるような部屋では、きっと音のほうが相当聴き劣りしてしまうはず。ラボラトリー状態には陥らず、表層的な見かけばかりに拘泥するSOUND&LIFE誌状態にも陥らず、音楽を心豊かに聴ける環境づくりを目指したいところである。

 そういう観点からすると、QUADの製品というものは本当に素晴らしものがある。極めてコンパクトで優れたデザインであり、、部屋のインテリアの雰囲気を壊すどころか、それをぐっと引き立ててくれる。

 時々2階のシステム構成をがらっと変えてみたくなる。部屋にしっくり和み、穏やかに音楽を聴くことのできる雰囲気のもので統一したくなるのである。そうなるとEMM Labsはやはり対象から外れてしまう。MERIDIANの507なんかを持ってきたくなる。

 スピーカーはESLなどがドンピシャ。あるいはセレッションSL-600なんかも良い雰囲気にしてくれそうだ。さらにはBRILON 1.0でも良いな〜・・・といった具合に取り留めなく空想は広がる。コンパクトで仰々しくなく、文化的な香りのするオーディオ機器ってやはり強くあこがれる。

2008/7/22

858:風鈴  

 今日は「大暑」であった。夕方になってようやく風が旺盛に吹いてくれたので、少しは過ごしやすくなったが、さすがに「大暑」であった。「よっ!大将・・・」とでも掛け声をかけたくなるほどの威勢の良さであった。

 しかし、そういった威勢の良い掛け声をかけられるほどの元気はない。体温が飽和する感じで体力が徐々に消耗してしまったからである。

 夏はオーディオにとっても辛い季節である。1階は石井式リスニングルームにリフォームしてあるので、遮音性と同時に保温性も極めて高い。8畳と狭いうえに保温性が高いということは、室内に発熱体がある場合にはかなり辛いのである。

 魔法瓶状態のなかでは、パワーアンプなどの熱がこもるのである。なのでこの季節は、エアコンはどうしても必要である。最初にがっと冷やして、その後は風音がなるべくしないように風量を最小にする。厳密には電源OFFが望ましいが、エアコンを完全に止めてしまうと、10分ともたないのである。

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 そんな暑さに弱い1階のリスニングルームにあって、見た目的に涼をもたらしてくれるのが、スピーカー側の両コーナーに立てかけてある「何ちゃって音響パネル」である。これは実は音響パネルでもなんでもない。単なるCDラックにすぎない。

 確か一つ6,000円程度であった記憶している。スリットにCDを挟み込む構造となっている。オーディオ用の音響調整パネルは、数万円するのが当たり前であるので、この「何ちゃって音響パネル」はCP比は高い。といっても、効果は本当にあるのか?さらに、その上にちょこっと乗っているウッドブロックは何なのか?たんなるお守りか?という疑問は当然湧いてくるところ。

 それが、それなりに効果があるのである。もちろん「それなりに・・・」でしかないのであるが・・・しかし、その音響的な若干の効果の他にも、実際に温度を下げるわけではないが、風鈴の音のような感じで多少の涼を体感的にもたらしてくれるので、この時期には「一石二鳥」なのである。



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