2007/8/7

511:ざんげの値打ちもない  

 先日車の中で何気にNHK FMを聴いていると、先ほど亡くなった阿久悠さんの追悼番組を放送していた。まさに文字通り「星の数ほどある」阿久悠さんが作詞したヒット曲のなかから代表的な曲を放送していた。

 そのなかで、北原ミレイが歌って大ヒットした「ざんげの値打ちもない」を聴いた。この曲を聴くのは始めてであったが、その歌詞の素晴らしさに驚かされた。

 その歌詞の内容は暗い・・・「あれは2月の寒い夜 やっと14になった頃」から始まり、「そしてこうして暗い夜 年も忘れた今日のこと」というように時間の経過をその歌詞のなかに折込み、一人の女性の悲しげで、冬の寒さを心身の底までしみこませるような独白が一定の美しいリズムで繰り返される。

 特に「愛と云うのじゃないけれど 私は抱かれてみたかった」というフレーズが鮮烈で印象的である。そこには、少女でありながら自分自身を突き放して見ているような、熱狂や情熱とは縁遠い、乾いた心を感じる。

 内容自体は演歌的というか、暗くいわゆる「四畳半」的な雰囲気の漂う内容であるが、そこには独特の乾いた感じがあり、心が満たされない「乾き」がその言葉の裏側からこぼれ落ちてくる感じである。

 分類的には演歌の「恨み節」に該当するのかもしれないが、そういったくくりには馴染まないようなものを感じるのである。それは湿度であろうか・・・べとべとしていないのである。

 ところどころにちりばめらた何気ない言葉の数々・・・「安い指輪」「細いナイフ」「ゆらゆら灯りつき」・・・そういった言葉がこの曲が作られた時代の香りを伝えてくれるようでもある。

 高度成長期の昭和は変化の時代であった。全てのものが右肩上がりで、活気に満ちてもいた。そういった大きなうねりの裏側で、その陰に隠れてひっそりと佇むような暗い影を感じさせる・・・この「ざんげの値打ちもない」からは、そういった印象を受けるのである。

 私など阿久悠さんというと、ついついピンク・レディーを思い浮かべてしまうのであるが、懐の深い作詞家であったようである。

 この歌詞を初めてFMで聴いた時、「突き抜けている!」という言葉が頭に浮かんだ。その内容は確かに暗い・・・暗いが、突き抜けている。

 やはり阿久悠さんは天才である。でないとあれほどの数のヒット曲を生み出すのは不可能であったに違いない。



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