2007/6/20

463:傷心気味  

 今日は8時に仕事を終え、練習場へ直行。1時間半ほど汗を流した。しかし、運動でいい汗を流したのであるが、心は晴れない。今日はドライバーショットの方向性がいまひとつピンとこない感じであった。

 練習場でこれでは、本番ではもっとひどいことになりそうである。練習場で良くても本番では痛い目に合うのに、この状態でゴルフ場に行けば袋叩きにあいそうである。明後日金曜日にゴルフの予定が入っているのであるが、これではまた90を切れそうにない。全く釈然としない・・・2日前の練習では良い感じであったのであるが、どこがどう違うのか・・・レッスンプロについて習った方がいいのであろうか?

 自分ではなかなか自分のフォームの癖は分からないものである。そういえばPSDの新規事業はゴルフのフォームを映像で捉え、それをプロのフォームと重ねて比較表示することにより欠点を見つけるという映像分析システムであった。今度大宮に行って、スピーカーの試聴ではなく、ゴルフのフォームのチェックをしてこようかな。

 そろそろT3の背中の傷の修理も依頼しなければいけない頃だし、ゴルフバックを一緒に持っていくという手もあるな。自分のフォームをやはり一度映像で客観的に分析してみないといけない。何か致命的な欠点があるはずである。

 そういった傷心気味の気分であるが、こういうときは、HOPKINSON SMITHのLuteでJ.S.BACHのPartita BWV997をLPで聴くに限る。

 むしゃくしゃした気分がすっと落ち着いてくる。XERXES20の調整は少しづつ暇を見つけてしているのであるが、けっして順調とはいえない。今日はカートリッジを取り付けているネジの締め具合をいじってみた。

 多少弱めかな・・・というくらいが丁度いいのかも知れない。しかしゆるすぎると締まりのない音になってしまう。指先の感覚の鋭い人はこういうときとても役立つだろうな〜と思いながら、これくらいかな・・・といったところで止めてみる。

 アナログっていじり甲斐があるというか、暗中模索というか、正直訳がわからない。今後数年かけて調整していって、HOPKINSON SMITHのLuteがそれらしく鳴ってくれればいいのであるが・・・

2007/6/19

462:こっくりさん  

 こっくりさんは私が小学生の高学年の頃大流行した。こっくりさんに参加した小学生がパニックになって一時精神障害を起こしたという噂が広がり、学校から禁止令が出たりした記憶がある。

 こっくりさんを行うためには、白い紙に、数字・五十音・はい・いいえ・鳥居などを書く。3人程度で机を囲み、所定の位置に10円玉を置く。全員で、人差し指を10円玉の上に置き、こっくりさんを呼ぶ儀式をする。

 「こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでください。もしおいでになられましたら「はい」へお進みください」10円玉が自動的に動き始める。質問をすると、その答えを、10円玉が動いてしめしてくれる。その自動的に10円玉が動く様が参加している子供達の恐怖心をあおり、一時的に「憑いた」状態となってしまったようである。

 今日は10円玉でなく、HRS-120 CARBONを動かした。こっくりさんに聞きながら動かせればいいのであるが、そういった交信能力は残念ながら持ち合わせていない。今日頼りにしたのは、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、IVO POGORELICH・CLAUDIO ABADO London Symphony Orchestraである。

 これは、1986年の録音。今から21年前で、最新録音のCDなどと比べると、優秀録音とはいえない。しかし、それが逆に調整用に向いているとも言える。優秀録音盤では、ある程度の許容範囲でそれなりに良く鳴る。しかし、それほど優秀録音でもない場合には、スピーカーのセッティング等の微調整で良し悪しに結構な差が出るので、そういう意味で分かりやすい気がするのである。

 HRS-120 CARBONは軽い。30kg未満であるので動かすのは簡単である。少し動かし、聴いて、また動かして聴く、その繰り返しである。こっくりさんの10円玉よろしく床の上をスピーカーがじりじり動く。そして今日のところの収束点に向かう。そして、その位置にとりあえず赤のマーカーを付ける。

 心の中では「こっくりさん、こっくりさん、ここでよろしいでしょうか?」と聞きたい気分ではあるが、聞いたところで当然返事は無い。今日のところはこの位置で結構満足感が得られた。

 今週はHRS-120 carbonの週である。二つのスピーカーを同時にリスニングルームに入れることは、この広さでは無理であるので、週代わりで異なった個性を楽しみたい。そのため、床にはそれぞれのスピーカー位置を示すマーカーが記されれているが、それも週ごとに少しづつずれていく。

 全く懲りないというか、手を広げすぎというか、我ながら無謀な計画を推し進めているものである。HRS-120 CARBONについては付き合いが1年を超えてきたので若干ではあるが耳馴染んできて、その好みの場所も分かりかけてきたが、T3に関してはこれから長い時間をかけて聞き出さなくてはならない。

2007/6/18

461:砂上の楼閣  

 今日は練習場で1時間ほど汗を流した。課題のドライバーショットを中心に練習したのであるが、なかなか良い印象で終えることができた。いつも練習場では、あれこれ考える、芯がぶれていないか、右腕には力が入りすぎていないか、トップでの手の位置などなど、そして時たま「これが究極のコツか!」という気になることがある。

 今日の練習で獲得した砂上の楼閣的コツは背骨を中心とした軸をスウィングの間、しっかり感じながら肩をしっかり回すというもの。その意識をしっかり持ちながらスィングするとドライバーもアイアンも結構いい感じでボールが飛んでいくのである。しっかりつかまった力強いボールが練習場のネットに突き刺さる。

 しかし、練習場でこれか!と思った「究極のコツ」はゴルフ場では通用せず、散々な目にあってがっくり肩を落とすことも多い。練習場では足場はフラットでボールは人工芝の上にあり、飛球線を指し示す白いラインも引いてある。なにより、打ち直しがきくので緊張感の度合いが天と地ほどの開きがある。実際にゴルフ場で上手くいって初めて本当のコツになるのである。

 時々このブログにも分かったようなことを書くことがあるが、残念ながらほとんど分かっていない。実際のところ、分かったような気になっているの過ぎない。人生もゴルフもオーディオも「達観」とはほど遠いレベルで右往左往している。
 
 しかし、一瞬ではあるが、何か分かったような気になることがあることは確かである。それはあくまで一瞬ではあるのであるが、「そうなんだ・・・!」とひざを打ちたくなるのである。

 昨日ponta邸で聞かせていただいたKS-3035であるが、結構好みであった。ガツンとした音は苦手のような気がしたが、音の柔らかさや広がり感と上に抜けていく感じはクラシックには相性良いと思った。

 クラシックのコンサートでの音とオーディオの音を比べた場合、その音の柔らかさ、滑らかさといったものに結構差があるように感じるのであるが、KS-3035を使うとその質感が生の音のそれに近づくような気がしたのである。組み合わせるスピーカーやアンプが違えば、また違うのであろうが、昨日の印象ではそう感じた。銀を配合していることがその音色にそういう雰囲気を加味しているのであろうか?

 価格が価格だけに、「どんなものかな〜」とも思うのであるが、やはり相当な能力というか良い意味での強い個性を感じさせてくれた。 

2007/6/17

460:KS-3035  

 東北自動車道の岩槻インターを出ると、目の前には数多くのラブホテルが目に入ってくる。今日は晴天、その明るい空気とは裏腹な感のあるラブホテルが林立している様子は、多少違和感がある。しかも車の助手席にはあいにく若い女性は乗っていない。そういう色っぽいシチュエーションとは無縁なドライブである。

 向かった先はpontaさんのお宅。本来はゴルフ場にいるはずであったが、一緒に回る予定であった方が急遽仕事の都合でこられなくなったため、ゴルフ自体がキャンセルになってしまった。そこでつい最近プリアンプをマーク・レビンソンの326Sに換え、キンバーセレクトの2本のスピーカーケーブルを自宅試聴のため借りていらっしゃるpontaさんのお宅にお邪魔したのである。

 326Sは見た目も音もハンサムな印象である。何枚かデジタルカメラで写真を撮ったのであるが、どれも手振れがひどかった。雑誌等でも見かけることが多い有名なプリアンプであるが、その実力の高さは評判どおりで、pontaさんも自宅試聴してすぐさま購入を決められたようである。

 着いたときには既にキンバーセレクトのKS-3035がセットされていた。プリアンプが変わり、スピーカーケーブルも変わり、しかもセッティングも様々な変更点があったようなので、どの変更がどう影響したかは判別できないが、前回の時の印象と比べると、見通しが良くなり、音の抜けが向上した感じがする。

 キンバーセレクトのスピーカーケーブルはKS-3033とKS-3035の二つを自宅試聴のために借りていらした。そこで早速曲を決めて聴き比べすることに。まずは諏訪内晶子のチャイコフスキー「瞑想曲」を選んで比較した。

 3035で聴いて、3033に繋ぎかえる。3035は繊細で音が細やかな印象、3033に換えると、聴きなれた感のある音になる。安心感があるというか普段聴いている音の質感に近い。ピアノの音やバイオリンの音のしっかり感が出る。しかし、音が抜ける感じは3035の方がある。

 小編制の曲では価格差ほどの能力差は感じない、ということで、編制の大きな曲に変更。ベートーベンのピアノ協奏曲第4番に曲を変えて、3033、3035の順番で聴いた。編制が大きくなると3035の良さが活きてくる。音のあたりの柔らかさや空間に広がる音の空気感がよく出る。

 「オーケストラだと違いますね。」ホールの広がり感がしっかりと感じられ、音の表面の滑らかさも一枚3035の方が上手である。音に詰まった感じや硬質感が無いので、音楽に入っていく際の摩擦係数が低い。

 島田さんが勧めるスピーカーケーブルだけのことはある。ただしその価格は買う際には多少の思い切りが要る。

2007/6/16

459:バックグランド  

 昨日のダニエル・ミュラー=ショットのコンサートのプログラムは、ベートーベン:チェロ・ソナタ 第3番、シューマン(ダニエル・ミュラー=ショット編曲):ヴァイオリン・ソナタ、プロコフィエフ:チェロ・ソナタであった。

 ベートーベンのチェロ・ソナタ第3番は、いわゆる「傑作の森」と呼ばれる時期(この時期は「運命」や「田園」、「皇帝」などの名曲が次々作曲された)に書かれたもので、ベートーベンの創作意欲が極めて充実していた様子がその曲からも伺える。

 シューマンは、第一楽章の少し暗く重苦しい印象が、既にかなり進行していたであろう精神疾患の影響や、そのことに対するシューマンの不安や焦燥感といったものが少しばかりうかがえる。

 しかし、そういった重苦しさだけでなく、情熱的で抒情的な展開を見せるこの曲は、シューマンの曲の持つ特質をとても良くあらわしている。

 そして、プロコフィエフのチェロ・ソナタであるが、ソビエト政府による前衛芸術に対する批判や統制により、心身ともに疲弊していた晩年の時期の作品である。しかし、そういった極めて厳しい状況にありながらも、湧き出てくる創作意欲というか、新たなアイディアを抑えきれず、書かれたといった感のある曲である。

 今年4月になくなったロストロポーヴィッチにより初演されたが、その際は非公開であった、ということが歴史というか、時代背景が感じられる。

 コンサートでも、あるいはオーディオでも曲を聴く時に、その曲のバックグラウンドというか、作曲者の状況や時代背景というのは、知っおくとその曲に対して感情移入しやすいような気がする。

 クラシックの曲を聴いている時目を閉じて聞くことが多い。そうしていると時々視覚的なイメージが頭に浮かんでくることがある。昨日はシューマンの曲を聴いている時、大きな森を有する公園のベンチに一人佇む中年の男性のイメージが浮かんだ。その遠くを見つめる表情はいく分悲しげであった。

 そしてその男性は自分の過ごしてきた人生を回想しながら、時として表情を変える。その回想するシーンや表情によって、曲の展開も変化していく。そんなイメージが曲を聴いている間浮かんでいた。

 オーディオを聴いている時、目を閉じると音にかかわる情報が狭くなってしまう方もいらっしゃるかもしれないが、私はどちらかというと目を閉じて聴きたくなる方である。

2007/6/15

458:聴の耳よはく  

 最近気になっていることがあった。それは、オーディオにはまり始めて1年半程になるが、深みにはまればはまるほど、音楽をオーディオで聴いて感動する機会が減ってきたことである。コンサートでは結構ぐぐっと感動してうるうるしたりするのであるが、オーディオでは以前よりもそのような感銘を受ける頻度が減ってきていたのである。「なんだかな〜?」状態であったのである。

 今日はダニエル・ミュラー=ショットのコンサートに銀座まで行って来たのであるが、大井町でのクライアントとの打ち合わせを終わったのが5時半。開演まで1時間以上あった。大井町から銀座までは30分程度であるので1時間程空き時間ができた。

 そこで有楽町の本屋でつい最近発売になったStereo Sound誌163号を買って、スターバックスでコーヒーを飲みながら読むことにした。

 しばらく読み進むと、「造り込みの魅力が光る高品位コンパクトスピ−カー」という記事で、PAWEL ACCOUSTICS:ElektraとSONUSU FABER:Guruneri Mementoが取り上げられていた。記事を書かれていたのは評論家の柳沢巧力氏である。

 その記事の中でとても印象的というか、心の琴線に強く触れる文章と出会えた。その一文を読んだとき、NHKののど自慢で出演者が合格したときの鐘のように、自分自身の心の中に大きく鳴り響くものを感じた。

 “剣豪、宮本武蔵が剣術の奥義を書き残した『五輪書』に、「観の目つよく、見の目よはく」との一文がある。敵の剣の切っ先ばかり追っていると、全体の動きや気配の察知などがおろそかとなり、勝機を逸する。だから敵の剣の切っ先の動きなどは、ただぼんやりとした感じで見ながら、全体の動きや気配などに対しては、鋭い眼差しが肝要。との意味と思うが、これはオーディオの奥義にも通じるのではなかろうか。オーディオの場合には「感の耳つよく、聴の耳よはく」となって。”

 さらに柳沢氏の文章は続くのであるが、この文書を読んでいて、剣の切っ先ばかりを目で追っていたために、目眩がしてげんなりしている自分の姿が心に浮かんだ。

 オーディオを聴いていて、音楽に感動する機会が減ってきたのは、剣の切っ先ばかりを追っていて、全体の動きや気配の察知がおろそかになっている自分の接し方に問題があったようである。

 コンサートでは音楽との接し方はより素直で純粋なものであった。今日のダニエル・ミュラー=ショットの演奏もとても感動的であった。特にベートーベンのチェロ・ソナタ第3番は良かった。第3楽章では、はらはらと涙が流れっぱなしであった。

 オーディオでは、いつかしらついつい剣の切っ先に目がいってしまうようになっていたようである。これは大きく軌道修正しなければいけない。

 “カリカリと神経を音源にばかり集中するのではなく、一歩しりぞき俯瞰するように、ぼんやりとした感じで聴きながら、その音楽のなかに浸っていったとき、それは具体的な試聴メモなどにはなりにくいのだが、非常に印象の強いある種の感銘や、心のときめきや、あるいは深い安らぎの気持ちなどが、次第にはっきりと伝わってくる。”

 柳沢氏は写真で見る限り顔立ちは少し怖い。しかし、今の私にはとても心に深く染み入る素晴らしい文章である。この柳沢氏の文章を読ませて頂いただけで、この最新号を買った甲斐があった。

2007/6/14

457:厭オーディオ的気分  

 今日は午後から振り出した雨が夜には本降りとなった。天気予報ではしばらくぐづついた天気が続くようである。いよいよ梅雨入りなのであろうか。

 雨はやはり気分を多少滅入らせるものである。こういう天気の時には、厭世的な気分に陥りやすい。ふとわが身と言うか身の回りを冷静に見回し、その様に悄然とする時がある。しかし、そういった気分も長続きはせず、止まない雨はないように、時間が経てば気分も持ち直すのであるが、そういった一時というものは必ずあるものである。

 時々オーディオが嫌になることがある。厭世的ではなく、厭オーディオ的な気分とでも言おうか・・・「音楽を聴くうえでこんな大仰な装置が必要なのであろうか?また音楽を音に分解して分析的に聴くようなことをしていて意味があるのであろうか?」・・・全く意味がないような気にもなるのである。

 雨に日の厭世的な気分同様、こういった厭オーディオ的な気分も一晩寝ればころっと改善したりするのであるが、そういった気分になるときは確かにあるのである。

 わたしは筋金入りのオーディオマニアではない。どちらかと言うと付け焼刃的なオーディオマニアに過ぎない。筋金入りでないのでたまにこういった気分に陥るのかもしれない。

 でも時として「音楽のためのオーディオ」ではなく「オーディオのためのオーディオ」に時間を使っていると、ふとこつんと何か固い壁に当たって先に進めないような気分に陥るときがある。

 そういう時はオーディオの電源を切って早めに寝るしかないのであろう。こういった気分と言うものは時間が解決してくれるのであろう。何事も早急にしすぎる傾向がある。良い意味での悠長さが、今後もオーディオを趣味としていくうえでは求められているのかもしれない。

 最近毎日聴いているのはPeter Schreier Schubert:Winterreiseである。この曲を聴いていると、なぜかしら厭オーディオ的な思いが湧いてくる。音楽とオーディオとの関係における本末転倒的な私自身の最近の傾向に嫌気がさすのである。

2007/6/13

456:吉祥寺めぐり  

 吉祥寺はお洒落な街である。大きな商業施設は少ないが、小さな専門店が密集していて独特の雰囲気を作り出している。南口から少し歩けば井の頭公園もあり、デートスポットにもなっている。

 吉祥寺はまた中古レコードショップの多い街でもある。吉祥寺には2件顧問先の会社があるので月に何度か赴く。そして、仕事が終わるといそいそと中古レコードショップを回るのである。

 今日は南口にあるCOCONUTS DISKとRAREの2件を回った。COCONUTS DISKはROCK系が中心である。ここでは中学生の頃友人の影響でよく聴いたプログレッシブロックのレコードを中心に物色。

 中学生の頃、プログレッシブロックの御三家と言えばKING CRIMSON、YES、GENESISであった。なかでもいかにもイギリス的な雰囲気を持っていたGENESISは好きであった。リーダーでボーカリストのPeter Gabrielの独特の声は今聴いても惹かれるものがある。

 そのGENESISの「SELLINNG ENGLAND BY THE POUND」を見かけたので購入した。U.S.A.盤であった。今から34年前の1973年の録音である。値段は735円・・・安い。

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 帰宅後早速聴いてみるが、盤の状態はそれほどいいわけではなく、スクラッチノイズもそれなりにある。が、音の生気は結構あり、Peter Gabrielのボーカルもいい感じの音色である。

 アナログはフォノイコライザーの変更を予定している。先日スパイダーさんにお借りしたROKSANのフォノイコライザーが予想以上に良かったので、発注した。入荷までにしばらくかかるようであるが、待ち遠しいところである。

 オペアンプ変更についてもヤフーオークションでオペアンプは入手できるようである。その取替え作業も半田ごてを使うことなくできそうなので私でも大丈夫であろう。オリジナルとの聴き比べなんてこともできるかもしれない。

 しかし、昨日のCADENZAの電源ケーブルのように簡単に工作できるものと思っていたら、とんでもなく大変そうである、なんてことにならなければいいのであるが・・・

2007/6/12

455:脱工作派  

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 「あのケーブルの端子は、D-sub 15pinのような形状をしていますよね。15本のピンのうち、どれがホットで、どれがコールドで、それがグランドか、情報をお持ちでしょうか。」

 昨日の記事に対するへい。さんのコメントを読んで、「もちろん知る由もない・・・」と心の中でつぶやいた。

 Audio Accessory誌に評論家の福田さんが「電源ケーブルを自作してみよう!」といった記事をよく載せているが、そういったノリでできるものかと勘違いしていたようである。ことはそう単純ではなさそうである。

 試しにその接続端子をあけてみると、上の写真のようになっていた。細い15本のケーブルが渦巻いていたのである。「何がなんだか、さっぱり分からん。無知とは恐ろしいものである。」これでは、切り売りの電源ケーブルを買ってきても何の役にも立たない。

 もし誤って買ってきてしまっていたら、「ダビンチ・コード」に出てきた狂信的な修道士のように、そのコードで自分の背中を鞭打つしか用途がなかったであろう。

 と言うことで、「前言撤回」である。CADENZAの電源部と本体を結ぶ電源ケーブルについては純正を継続的に使用することになった。もともと「自作派」でも「工作派」でもないので、背伸びすることはやめよう。CADENZAの電源ケーブルの端子のネジをドライバーではずして、中身を確認し、また締める。この一連の作業を完了して、私の短い「工作」は終わった。そして、そのケーブルはしずしずと元の位置に戻された。

 ケーブルの取り回しが結構音に影響するようなので、今日はケーブルの取り回しについて、互いに重なったり触れ合ったりしないようカーボンインシュレーターなどを活用して工夫してみた。

 もちろん全く触れないようにするのは物理的に不可能なのであるが、工夫次第では結構スッキリするし、見た目的に整然としていて気持ちのいいものである。スピーカーケーブルも左右対称にゆったりとS字カーブを描くように這わせてみた。これは音には影響ないかもしれないが、左右対称の曲線は見ているものに安心感と言うか穏やかな心境を与えてくれる。

2007/6/11

454:工作派  

 オーディオを趣味とされている方の中には「自作派」と呼ばれる人がいる。もっともポピュラーなのはスピーカーの自作である。

 stereo誌は年に一回必ず自作特集号を出す。その中にはプロ顔負けの美しい仕上げのスピーカーもあったりする。そういったものを見ていると、私などは畏敬の念を抱くのである。と言うのも、手先が不器用で、「工作」と名の付くものは、遠回りしてでも避けたいたちなので、自分でスピーカーを作り上げるという行為そのものにいたく感心するのである。

 スピーカーのみならず、アンプやケーブルを自作される方も多く、いずれも感心するのであるが、自分でやってみたいとは正直思わない。

 しかし、そんな私ではあるが、一つ「工作」にチャレンジしてみようかなと思っていることがある。「自作」と言うのはおこがましいと言うか、程遠い気がするのであるが、CADENZAの電源部と本体を繋いでいるケーブルをいじってみたい気がしているのである。

 k1xv1xさんのコメントに「AYREは片方が固着されていますのでケーブルの変更は少々面倒ですが、カデンッアは両端に接続端子があるので、色々線材を代えて試すことができそうで、うらやましいです。」とあったので、これは試してみる価値があるのでは・・・と思いついたのである。

 電源ケーブル用の切り売りケーブルはいくつか出ているようである。全くこの分野には知識のない私ではあるが、確かオヤイデから出ていたような気がするのである。長さはなるべく短くしたほうがいいと思われるの1mだけ買ってきて、両方の接続端子はそのままで、ケーブルのみを換えてみた場合、どうなるのか試してみたい。

 この程度の工作であれば、超初心者の私でもできるかもしれない、という気がしている。先日このケーブルの取り回しを工夫しただけで、結構音に影響があったので、長さを短くし、さらに線材を換えれば当然大きな変化が期待できる。

 電源ケーブルはじめオーディオケーブルは一般的には短い方が音質的には有利と言われている。電源部と本体をラックの棚一つぐらい離しておく分には1mもいらず50cmでいいかもしれない。そのほうが取り回しも楽である。

 今週の金曜日には都心の方のクライアントに行く予定があるので秋葉原まで足を伸ばすことにしよう。オヤイデに寄っていくつかの切り売りケーブルを買ってみよう。



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