2007/4/30

412:家庭崩壊?  

 今日は4月最後の日であったが、あえて「五月晴れ」と言いたいような快晴であった。この好天候のなか、ゴルフに行ってきた。行ったゴルフ場はかさまロイヤルクラブ。茨城県にあるゴルフ場である。

 ゴールデンウィークであるので、高速道路の渋滞が気がかりであったが、常磐道はほとんど渋滞もなくスムースであった。

 このゴルフ場は顧問先の会社の社長がバブル期に700万円で会員権を購入したものを、ほとんど行かないのというので、2年前に5万円で譲ってもらったものである。100分の1以下の価格である。バブル期のゴルフ会員権の金額の法外さにあきれるばかりである。このコースには年に3,4回しか行かないが、一応メンバーである。オフィシャルハンディは14。

 このコースはまあまあのレベル、決して名門でもチャンピオンコースでもないがそこそこ楽しめる。何より価格が安い。土日であってもセルフであれば8,000円程度で回れる。4人で1台の車で行けば高速代やガソリン代も一人当たり2,000円で充分である。

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 快晴のもと広大な自然のなかで、ゴルフをする。人生における大いなる楽しみのひとつである。しかも半袖のポロシャツで充分な暖かさである。肝心なスコアは午前45、午後45でトータル90であった。可もなく不可もなくといったスコアである。言ってみれば自分の平均スコアがでた、という感じで落胆も高揚感もないスコアである。しかし、今日はゴルフをすることの幸福感をしみじみ味わうことができた。

 土曜・日曜とOFF会、月曜はゴルフ、何時家族サービスをしているのか?という疑問の声が聞こえてきそうであるが、土曜のOFF会は夕方5時から、日曜のOFF会は午前中のみ、その他の時間は家族サービスに精をだした。下の子をクレヨンしんちゃんの映画やプラネタリウムに連れて行き。吉祥寺での妻の洋服の買い物にも付き合った。どうにかやりくりしながらの三連休であった。

 1日2日は仕事の予定がびっしと入ってしまった。3日からは4連休。3日4日は家族旅行。行き先は那須・・・・那須といえばそうサウンドデザインの試聴室があるのである。4日の午前中はそっと抜け出してサウンドデザインの試聴室にも行く予定をたてている。家族には温泉にでもゆっくりつかっていてもらって、その隙に1時間半ほどT3を聴いてくる計画である。昼食までには戻らなければならないので、じっくりゆっくりの試聴はできないが、ここもやりくりで何とか両立させなければ・・・家族サービスに充てる時間とオーディオやゴルフといった趣味に費やす時間とのバランス感覚は上手くとらないといけない。さもないと、家庭崩壊に陥りかねない。

2007/4/29

412:グランコンフォート  

 ル・コルビジェは1887年の生まれである。今年で生誕120年となる。建築家として有名であるが、モダンなソファなどもデザインしている。もっとも有名なのはLC2。グランコンフォート(大いなる快適)の別名を持つソファである。今日の午前中は2時間ほど、そのLC2にゆったりと腰を下ろし、素晴らしい一時を過ごすことができた。

 昨日のShuks邸でのOFF会のときに御一緒させていただいたA氏のお宅に今日の午前中急遽お邪魔させていただいたのである。Shuks邸から程近い閑静な住宅地の一角にA氏の御自宅はあるのであるが、「渡辺篤史の建もの探訪」にでてきそうな極めて高度にデザインされた建物である。

 思わず「あ〜こうなっているんですか〜、いや〜素晴らしい造詣ですね〜」と渡辺篤志風に感心してしまう。玄関を一歩入った瞬間からきりっとした空気感に包まれる。リスニングルームは半地下になっている。壁は漆喰である。とても美しい白である。その漆喰の効果か、空気感が澄んでいる。部屋の広さは10畳ほど、充分な天井高があり、その天井は不規則な窪みが設けてられており、音響的な配慮も怠りない。声楽家等の音楽家の部屋などを設計された経験のある知り合いの設計士さんに依頼されたというだけあって、部屋の響きが豊でありながら、とても澄んでいて美しい。音が出る前から、その素晴らしさが予見できる気がした。

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 A氏のGRFは1957年製である。丁度50年前のスピーカーである。そのエンクロージャーは溜息が出るほど美しい。「手入れは時々乾拭きしているぐらいです。」とおっしゃられていたが、美しい光沢と深い色合いである。経過した時の重さを感じさせる。

 CDから聴かせていただく。CDプレーヤーではなくPCをお使いである。ピアノ、声楽、チェンバロその他様々な曲を聴かせていただいた。A氏はTANNOY GRFの音をはじめて聴かれたとき「極めて自然に感じた。」とおっしゃられていたが、私の印象にもその言葉をそのまま使わせていただきたい。

 身体にす〜と染み入ってくる。そして全く抵抗感がないのである。思わず「白血球が全く機能しない音ですね。」とつぶやいてしまった。身体に入ってきても全く異物としての認識がなされないため、白血球は手持ち無沙汰にあくびをしているのである。その浸透力の高さと違和感の無さは「グランコンフォート!」そのものである。

 プリはマランツの「7」パワーはマランツの「2」。そのコンディションはきめ細かいメンテナンスによって最上の状態に保たれているようであった。数字による型番というのものは、極めて機能的でありながら、どこかしら神秘性というか不思議な魅力を醸し出す場合がある。マランツの「7」などはその好例であろう。

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 レコードプレーヤーはROKSANとガラードをお使いである。今日はROKSANで数曲聴かせていただいたが、彫りの深い陰影感を漂わせる芯のある音であった。部屋、スピーカー、駆動機器その全てが調和した稀有なる空間で過ごした素晴らしい一時であった。

2007/4/28

411:秘密の部屋  

 自宅に帰りついたときには日付が変わっていた。いつものようにブログの時間を巻き戻して記事を書いている。今日はShuks邸でのOFF会であった。私以外の参加メンバーはTANNOY GRFをお使いのA氏、TANNOY ロックウッドをお使いのY氏と合計4名でのOFF会である。

 私が一番乗りであった。Shuksさんの秘密の隠れ家は中央線沿線の利便性の高いマンションの最上階にあった。部屋に通されたが、薄暗い。というのも、部屋の雰囲気造りのため照明は落とし、ロウソクの明かりによるライティングがなされていたからである。

 ロウソクの明かりというのはロマンティックであり幻想的ですらある。その薄暗さに目が少し慣れてくると入り口を入って正面に、エベレストの淡いシルエットが浮かんでくる。そしてその隣には小さくキュートなスピーカーの姿も浮かんできた。

 まずは女性ボーカルが、薄暗いなかムーディに流れた。良いバランスである。「さすが、エベレスト・・・充分な情報量をしっかり送り出してくる。体のわりにスッキリとした味わいのある音だな・・・」内心思っていると、その曲が終わったところでShuksさんは照明を付け「今のはBrilonが鳴っていたんですよ。分かりました?」といたっずらっぽく笑った。

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 小さいなりだが、相当凄い音を出していた。「これは侮れない・・・」とてもコンパクトでキュートであるが、その実力は相当なものであった。続いて、エベレストを聴かせていただく。まだ鳴らし込みがほとんどされていない状態であるので、豊潤なふくよかさはこれからでてくるものと思われるが、その音からは「磐石である。」という印象を受ける。ゆるぎないしっかり感があるのである。昔「象が踏んでも大丈夫!」というコマーシャルがあったが、そのフレーズが頭に浮かんだ。エベレストを駆動するマークレビンソの蒼々たるメンバーがまた凄い。

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 エンジンパワーをガンガン送り込んでもタイヤがグリップを失わない。エベレストの懐の深さを十二分に感じ取ることができた。このラインナップを実際目で見て、そして耳で聞いてみて「やはり、凄い。凄いものは凄い。まさに磐石である!」という印象を受けるのである。
 
 1時間ほど経過してから、お二人も到着。ひととおりエベレストとBrilonを聴いた後、椅子の位置を入り口を背にしていた場所から逆の位置へ移動。エベレストを背にして入り口方向を向くポジションに変わった。

 180度聴くポジションが変わったことになるのであるが、そこには全く今までとは違う、文字どおり180度違うイメージの世界が広がっていた。

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 JBLのハーツフィールド、ガラードのレコードプレーヤー、マッキントッシュのプリアンプとパワーアンプというラインナップである。最初のエベレストを中心としたラインナップは外観からも「凄み」を感じさせたが、このラインアップの外観からは「暖かさ」を感じる。木のぬくもり、あるいは人肌の温かさ、そういったイメージを自然と感じさせる外観なのである。

 そして、その音は・・・その最初に受けたイメージどおりである。有機的な風合いや味わいの豊かさは、聴く者を音楽の核心部分へすぐさまいざなってくれる感じである。聴かせてていただいた女性ボーカルにはうっとりと心酔することができた。思わず拍手したくなる衝動を禁じえなかった。このラインナップのオーディオ機器は、何十年も前の機器であるのであるが、人間の手で作られた、そして魂を込めて作られた機器であるということが、その音から強く感じられるのである。

 このラインナップでもっと聴かせていただきたかったのであるが、夕方から始まったOFF会であるので、既に時間も遅くなってきたので食事をすることに、近くの串焼き屋さんでオーディオ談義をしながら串焼きなどをつまむ。その会話はいつものことながら新鮮な驚き満載であった。私はオーディオのことは聞きかじった程度の知識しかないのであるが、他の方はその豊富な経験から凄まじい知識とノウハウをお持ちなのである。

 いわゆるビンテージと呼ばれているオーディオ機器に対する誤った思い込みはこれからは全く捨て去る必要があるようだ。確かに現代のハイエンドオーディオは素晴らしい。しかし、古い機器には味わい深さや音楽のエッセンスのようなものを伝える能力において独自のものがあるような気がした。

 この部屋にあるオーディオ機器の数は全てあわせると相当な数になる。そのなかでもっとも心をぞわぞわさせる魅力を感じたのは、マッキントッシュのプリアンプであった。

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2007/4/27

410:森のくまさん  

ある日森の中 くまさんに 出会った
花咲く森の道 くまさんに 出会った
くまさんの 言うことにゃ お嬢さん おにげなさい
スタコラ サッササノサ スタコラ サッササノサ

ところが くまさんが あとから ついてくる
トコトコ トコトコと トコトコ トコトコと

お嬢さん お待ちなさい ちょっと 落とし物
白い貝がらの 小さな イヤリング

あら くまさん ありがとう お礼に うたいましょう
ラララ ララララ ラララ ララララ

 「森のくまさん」はやはりどこか矛盾している。冒頭部分は私には本能と理性のせめぎ合いのようにも受け止められるのである。くまさんは動物的本能にのみ従えば、花咲く森の道で偶然出会ったお嬢さんを襲って殺してしまい、食べてしまう。

 しかし、くまさんの理性がその満開に咲く花が真っ赤な血に染まるような惨劇を避けるために「お嬢さん おにげなさい。」と悲痛な調子でお嬢さんに告げる。理性で必死に動物的本能を抑えているのである。おかけで、お嬢さんは「スタコラ サッササノサ スタコラ サッササノサ」と逃げる。個人的にはもっと必死で逃げて欲しいところである。

 しかし、「ところが くまさんが あとから ついてくる」・・・やはり強力な支配力を持つ動物的本能の方が理性よりも勝っていたのか!危機に瀕したお嬢さん、鋭い爪と、獰猛な牙の犠牲になってしまうのかと思ったら、くまさんはお嬢さんが落とした小さな貝殻のイヤリングを届けにきただけというオチ。

 どうせなら、強力な動物的本能に突き動かされいまやお嬢さんに襲いかかろうとするくまさんが、わずかに残った理性でどうにかその衝動を抑えようともがき苦しむさまを続けて欲しかった。いまやその可憐な体を切り刻もうとする右手を理性を代表する左手が必死に抑えて、のた打ち回る。

 その極限状態の恐怖のなか、お嬢さんは正気を失い、わけもなく歌を歌い続ける「ラララ ララララ ラララ ララララ・・・」その声は妙に上ずった調子ぱづれであった。なんてオチであれば・・・しかし、これではどう転んでも「童謡」にはなれない。

 オーディオを始めたばかりである私にとって、強力な本能は「物欲」である。昨年はその強力な本能を抑えきれず、お嬢さんを鋭い爪で切り刻んでしまったのであるが、その痙攣を起こしながら断末魔の叫びをあげたお嬢さんの悲惨な形相を目にして、ハッと我に返り、今年はおとなしくしている。

 しかし、その内部にはふつふつと湧き上がる本能の火は消えることはない。今一番気になるターゲットは「ユニコーン」であろう。MARKUではなくオリジナルである。現行品ではないので中古でしか手に入らないのであるが、中古で一つショップに有るのである。まさに目の毒である。「これ下さい。」とメールを送ろうする右手を左手で必死に押さえている今日この頃である。

2007/4/26

409:ひよこパン  

 東久留米市にあるクライアントに行くために新青梅街道を車で走っていると、右手に山崎パンの大きな工場が見えてきた。今日はここ数日と違い、好天候に恵まれ気温も結構上がったので、車の窓を開けていた。そのため山崎パンの工場から出ているパンを焼く際の独特の香ばしい良い匂いが車内にも入ってきた。

 その香りを嗅ぎながら、とてもなつかしい感じがした。小学校の給食時にパンを運んでくるトラックのことを思い出したのである。今では給食にご飯も出るようであるが、私が小学生であった30年以上前は食パンのみであった。小学校には給食の1時間前ほどにパン工場からパンがトラックで運ばれてくるのであるが、そのトラックは薄い緑色にペイントされてその側面に2,3羽のひよこの絵が描かれていた。そして「ひよこパン」と、そのひよこの上に丸っこい文字が並んでいた。

 この「ひよこパン」、今の食パンに比べると「みみ」が固く、全体的にもしっとりとした柔らかさには欠けていた。小学生にとっては、結構噛む力が必要とされるものであった。

 風邪などで休んだ子には、その近くに住むクラスメイトが、この「ひよこパン」を半紙か何かに包んで帰りがけに持って行ってあげるのであるが、ただでさえ固めなパンが時間の経過とともにさらに固くなったしまう。そのパンを風邪でやつれているだろう級友がかぶりつくとは考えられなかったものである。今でも休んだ子には、近くのクラスメイトがパンを帰りがけに届けるのであろうか?

 しかし、この「ひよこパン」が途端に高性能化する時期がある。それは冬である。冬には暖房用に教室の前面にガスストーブが設置されるのであるが、その天板で「ひよこパン」をトーストするのである。その熱々の表面には、普段は固くて塗りにくいマーガリンが載せられ、そのマーガリンがゆっくり溶けていく様をうっとり眺めるのである。

 パンの香ばしい香りとマーガリンが溶け出してパンの表面に広がる美しさに頬を緩めながらかぶりつくのであるが、その時は普段食べなれた「ひよこパン」とは別物の美味なのであった。

 今日はアナログの音が、「ひよこパン」から「熱々トースト+とろりマーガリン」に変わったような印象を受ける経験をした。「ひよこパン」にとってのガスストーブのような存在は、レイカのスタイラスクリーナー「ドクタースタイラス」である。

 従前はLYRAの「SPT]を使用していた。確か3千円程度であったと記憶している。一方「ドクタースタイラス」は1万7千程の価格。結構高い・・・先日「高いけどこれは抜群です。」と勧められなければ、決して買わなかったであろう。見た目的にはこの両者ほとんど変わらないのである。

 しかし、その効果のほどは・・・結構差がある。まるで「ひよこパン」のノーマルバージョンとトーストバージョンぐらいの差があるのである。これは良い物を教えていただいた。 

2007/4/25

408:バックロードホーン  

 バックロードホーンを採用したスピーカーは量産向けではない。コストと手間がかかるので、価格が高くなってしまい、価格を抑えると利益が得られにくい。メーカーとしてはあまりメリットがない。しかも、フルレンジ一発でバックロードホーンとなると現在主流のシンセサイザーを使った打ち込み系の音楽に対応できない可能性が高く、ビジネスとしては成り立たない。

 バックロードホーンという言葉からは、自作派にとってカリスマであった長岡鉄男氏の設計した数々のスピーカーが思い出される。小さなフルレンジスピーカーユニットを使用し、複雑に込み入った大型のエンクロージャーに取り付ける。極めて効率の良いエネルギッシュな音がする、といったイメージがある。

 なぜフルレンジ一発のバックロードホーンスピーカーがエネルギー効率が高いのか?それは一般のスピーカーにあるリミッターの要素が無いから・・・フルレンジユニットを使用するのでネットワークが無いため、振動板が楽々と動き、細かい音をよく再生し、鳴りっぷりが良いというのがその理由のようだ。

 ここのところ、「フルレンジ一発バックロ−ドホーン」ということに強く興味を持っている。ユニコーンを先日聴かせていただいたのがその大きな原因であるのだが、その音の質感が相当自分自身の音の好みにマッチしていることが分かってきたのである。

 少し前GRFの部屋さんが、ユニコーンを聴いて「自分の部屋のGRFの音を聴いているようで、全く違和感がなった」とおっしゃられていたことも、記憶に鮮明に残る言葉であった。GRFの構造はよくは分からないが、そのエンクロージャーはバックロードホーンのような構造だったような気がする。音の出方というか、その鳴りっぷり・・・得に軽くて深いといった印象を持つ低音の質感が共通するテイストのような気がする。

 低音に重さを求めると不向きであるが、バックロードホーンの音の質感には独特の開放感がある。あまりこだわり感のない自由な息吹のようなものが感じられるのである。

2007/4/24

407:粋人  

 一昨日竹内邸にお邪魔した時、リスニングルームの快適性ということについて、いろいろと考えさせられた。氏のリスニングルームの広さは8畳程であろうか、それほどの広さはない。しかし、その空間の居心地の良さは、今まで経験したことのない、とても特別なものを感じた。

 オーディオ機器のみならず、椅子や棚などの家具、卓上ランプや置物、さらに壁にかかる絵など、その空間においてある全ての物が、「そこにあるべきしてある」といった印象を与えるほどに調和しているのである。

 それらの家具や調度品の類は、アンティークな雰囲気を醸し出すとても趣味の良いものである。極めて研ぎ澄まされた感性によって慎重に選択されてものであることが伺える。個々に目を向けると「西洋」を感じさせるものであって、決して「和」のものではないのであるが、空間全体としての印象は「和」の調和を感じた。日本人特有の繊細なバランス感覚でまとめられているからなのか、茶室の清楚にして静謐な空気感のようなものすら感じるのである。

 氏のリスニングルームで音楽を聞かせていただくと、ついつい「粋」という文字が頭に浮かぶ。そしてこの空間をプロデュースしている竹内氏はまさに「粋人」といった印象を受ける方なのである。

 リスニングルームは、普段は自分ひとりの空間であるので、自分が落ち着ける雰囲気造りを心がけることが大切である。それはひとりひとり違って当然なので、こうあらねばならないという基準は全くない。
 
 私は部屋が片付いていないと落ち着かない。しかし、私以外の家族は3人とも片付けができないタイプの人間なので、孤軍奮闘状態である。休みの日は片付けと掃除に結構労力を要する。何故片付け上手と片付け下手がいるのかわからないが、何度注意しても直らないところをみると、結構その個人の性格に根深く食い込んでいるもののようだ。

 というわけで、リスニングルームもすっきりしていないと落ち着けない。その性格から私のリスニングルームはすっきりはしているのであるが、けっして「粋」ではない。そういった趣味性の高いセンスに欠けているのである。これからの課題の一つかもしれない。

2007/4/23

406:さう脳  

 少し前にテレビで人間の脳を4分類する番組を観た。なんという番組名であったかは忘れてしまった。「あるある大辞典」ではなかったような気がする。

 その4分類とは「ささ脳」「うう脳」「さう脳」「うさ脳」の4つ。「さ」は左脳、「う」は右脳の意味であり、最初の文字は脳へのインプット、次の文字は脳からのアウトプットにおいて主導権を握る脳を示している。

 たとえば「さう脳」であれば、情報のインプットは左脳を中心に行い、脳からのアウトプットは右脳を中心に行われる脳のタイプということになる。

 その見分け方は、まず両手を指が交互になるように組み合わせる。その際右手の親指が下になっていれば「う」、左手の親指が下になっていれば「さ」。次に両腕を組む。その際右腕が下になっていれば「う」、左腕が下になっていれば「さ」である。両手の組み合わせは脳へのインプット、両腕を組む方は脳からのアウトプットの判定に使う。

 両手や両腕を組む際には、より自然に感じられる方にする。大概の人はどちらか一方がより自然に感じられ、逆だと不自然に感じられるようである。

 私の場合は両手を組み合わせる際には左手の親指が下になり、両腕を自然に組むと右腕が下になる。したがって「さう脳」である。脳へのインプットは、左脳の働きにより理論的・論理的に整理されて情報は蓄積されていく。逆に脳からのアウトプットは右脳が中心的な役割を担い、直感的・感覚的である。

 脳からのアウトプットは平たく言えば、行動や言動と言い換えられるが、私の行動や言動が比較的思いとのタイムラグがなく早急で落ち着きがないのは、この脳のタイプのせいなのかと合点がいったのであった。

 もちろん血液型と一緒でその分類が実質的に意味があるものなのかどうかは不明である。ちなみに「ささ脳」は「石橋を叩いてわたる」タイプ、「うう脳」は「芸術は爆発だ〜!」といった感じの芸術家タイプ。「うさ脳」は情報を感覚的にすばやく捉え、論理的に説明できるタイプということができる。

 文章を書くうえで「さう脳」のいいところは、左脳によって論理的に蓄積された情報が、右脳によるアウトプットが直感的・感覚的なので、比較的スムースにポンポン文章が自然に出てくることである。ブログを頻繁に更新するうえではこの「さう脳」は結構好都合なのである。  

2007/4/22

405:双体道祖神  

 双体道祖神は男女一対の石像。夫婦と思われる男女が仲良く肩を組み手をつないだものが多い。双方にこにこと笑って仲むつまじい。その様子は見ていて思わずほほえんでしまう。「道祖神」という名の通り、道行く人を見守る役目もあるが、夫婦円満・子孫繁栄・五穀豊穣などを願って拝まれることも多い。

 今日はGerman Physiksのユニコーンをお使いのT氏邸を訪問した。そしてそこで過ごさせていただいた数時間において、音楽とオーディオが、文化という枠のなかで双体道祖神のように仲良くにっこりと微笑んで腕を組んでいる様をしっかりと体感することができた。その様は本当に心温まる経験であると共に、自分のオーディオと音楽に対する姿勢が「付け焼刃」的なものにすぎない、と反省せざる得ない一時でもあった。

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 T氏のオーディオ歴は50年近くにもなられるそうであるが、その時間の累積のなかで豊潤な香りと味わいが熟成されてきたようである。ユニコーン以外の使用機器は、レコードプレーヤーがトーレンス、CDプレーヤーはバング・アンド・オルフセン、プリアンプがマランツ、パワーアンプが是枝重治氏製作のもの。

 物はそこに存在すると当然その空間を占有する。そして占有した空間に対して一種の責任のようなものが生じる気がする。その責任をしっかり果たしている物もあれば、惰性で少しばかり果たしている物もある。全くその責任を果たすことなく、その空間をうめてしまっている物も当然ある。

 そういう尺度で計れば、ここにあるオーディオ機器は全てその存在の責任を十二分に果たしている。音も本当に素晴らしいのであるが、素晴らしい料理が舌でも目でも堪能できるように、T氏のシステムは目でもその素晴らしさを感じさせてくれるものであった。

 特に気になったのがパワーアンプ。色合いといい、その形といい、ものすごく惹かれるものを感じる。T氏は「管球王国」でこのパワーアンプの写真を見かけ一目ぼれされたようであるが、その気持ちがよく分かる気がした。そしてその姿形だけでなく、音色の生々しさにも心をグッとわしづかみにされた。

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2007/4/21

404:Ayre MX-R Mono Power Amplifier  

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 パワーアンプは個人的にはどっしりしているタイプが好きである。一人ではびくともしないほど巨大で重量のあるのもどうかと思うが、なんとなくどっしり感があったほうが安心する。

 プリアンプはできれば高さはあまりないほうが好きである。プリアンプは女性的な繊細さが、そしてパワーアンプには男性的などっしり感があったほうが、なんとなく落ち着く。

 もちろん、音質が最優先課題なのであるが、個人的な好みのみからはそういったペアが見た目にはしっくりくる。

 最近、比較的小型のモノラルパワーアンプが製品としてよく登場してきている。ジェフ・ローランドのMODEL501、VIOLAのFORTEなどがその代表なのであるが、AyreのMX-Rもその分類に入るかもしれない。

 小型と言うほど小さくはないのであるが、従来のパワーアンプからすると比較的スマートな容姿である。AyreはV1Xeが今までのフラッグシップ機であったが、少し趣向が変わった印象を受けるMX-Rが新たなフラッグシップ機として登場した。

 従来のK-1Xe、V-1Xeのデザインテイストとは結構変わったという印象を受ける。個人的な好みからすれば従来のテイストのほうが好きである。しかし、これはこれでなかなか優れものである。

 見た目は比較的コンパクトであるが、作りは極めて堅牢であり、重量も予想以上にある。さらに見た目はクールであるが、その発熱量は冬には暖房機代わりになるほどである。

 今日はPontaさんのお宅で、自宅試聴のため借りていらっしゃるMX-Rを聴かせていただいた。通常使用していらっしゃるのはクレルのパワーアンプである。かなり対照的なこの両者。一方は黒を基調とした男性的なごつい感じのするデザインで音も厚い。

 一方MX-Rはスマートなシルバー。音も爽やか感のあるもの。しかし、爽やかな感じだけでなく、MX-Rはじっくり聴き込んでみるとその奥行き深い空間表現が独特の魅力であると共に、音の実在感もこれ見よがしさのないレベルで高いと言える。温度感は若干低めのように感じたが、その基本的な実力が高いため、使いこなしにより、色んな方向へ持っていけそうである。

 事実今日はインシュレーターの使い方でかなりの変化を見せた。見た目のみの判断では従来のV1Xeのほうに軍配を上げたいが、その音に関しては前評判どおり相当な実力を有しているようである。



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