2006/5/31

提灯  

 Audio Accessory誌には毎回様々なアクセサリーが紹介されている。最新号で紹介されているアクセサリーのなかで気になるものがひとつあった。それはSound Stageの「Air Stage1」である。素材は美濃和紙、骨組みは竹ひご。形は横長の提灯といった風情。天井からスピーカーの上に吊るし、高いところの空間の音響を調整する製品である。定価は34,800円。原価はどう見ても3,000円程度。オーディオアクセサリーって原価を考えると、バカらしくて買えなくなってしまう。

 実はリスニングルームにある二つの窓にはプリーツスクリーンがカーテン代わりにセットされている。その素材が和紙なのである。この和紙製のプリーツスクリーンは結構音に良い影響を与えているような気がする。プリーツスクリーンを上げるとガラスが音に悪い影響をあたえるので、オーディオを聞くときには常に閉めている。このスクリーンの襞には音の拡散効果があるのではないかとその形状から思ってしまう。このAir Stage1も素材は和紙。良い影響がありそうだ。

 Audio Accessory誌での評価は「もやつきやもたつきが解消され、すっきりとクリーンになる。ヌケがよく響きが明瞭で、ボーカリストや楽器の位置そのものやステレオイメージがくっきりと眼前に浮かび上がった。」と書かれており、相当な効果があるもよう。

 しかし、オーディオ雑誌の評価はあまり当てにはならないもの。と思っていたら、島田さんのブログにも、Air Stage1が紹介されていた。島田さんの評価であれば、相当信憑性が高くなる。Air Stage1の使用による効果について、島田さんは次のように書かれていた。
 @高域の拡散能力と自然な減衰効果の為か、高域の刺激が減少し、しなやかに感じられ  ます。肌合いの良いものです。
 A提灯内部が空洞になっている効果か、ボーカル帯域のエネルギーが増して感じられま  す。
 B高い位置に設置した場合、空間の天井が高く感じられます。

 この記事を読んでいたら、「う〜ん、試してみたい・・・」と 思ってしまった。見た目的には、それほど良いとは思わないが、書かれているとおりの効果があるのであれば、ぜひ導入したいものだ。「論より証拠」ということで、早速島田さんいに自宅モニターをお願いした。島田さんから自宅モニターしたものは過去100%購入している。その実績からすれば、このAir Stage1もリスニングルームの天井を飾ることとなる可能性が高い。

和紙も天然素材!
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2006/5/30

Gallery basso  

 先日サーロジックのLVパネルの効果を検証した際、LVパネルを一旦全て部屋の外に出した。しかし、床に設置していたGallery bassoはそのままにしていた。そのため、LVパネルの有用性は確認できたが、Gallery bassoはその必要が本当にあるのかという確認はできてなかった。

 そこで、このGallary bassoが音にどうのような影響を与えているのか確認してみようと思い立った。来週には松浦さんのクリニックがある予定であるので、その前に部屋の特性や設置してある音調パネル等の効果を自分なりに把握しておきたい。

 Gallery bassoは、当初スピーカーボードの前に若干のスペースを空けて設置していたが今はスピーカーボードよりも内側に設置している。今の位置の方が音のエネルギー感が高まるような気がして、この配置になっているのだが、もう一度設置場所も含めて検証してみよう。

 まずはGallery bassoを部屋の外に出してみる。スピーカーの間の床は絨毯のみとなる。以前一度QRDのBADも床に設置したことがあったが、今は全てリスニングポイント後方の壁に集約して設置してある。この状態で音だし、曲は最近もっとも良く聞いている「展覧会の絵」。決して悪い音ではないのだが、今までの音がイメージとして残っているので、それとの比較では少しぱさつき感がある。音の潤い感とハーモニーの絡み合いの濃度が少し足りなく感じる。

 次にGallery bassoを部屋に入れ、今までの場所ではなくスピーカーボードの前に20cmほど空けて置いてみる。当初はこの位置に設置していた。二つのGallery bassoの間隔はスピーカーボードと同じで約190cmと広くなる。この状態での音のチェック。空間的な広がり感はこちらの方があるが、少しエネルギー感が散漫気味で、特にコントラバスの音が軽くなったように感じた。しかし、横の広さはこちらのほうが出る。空間的な広がり感を最優先するならこの設置方法がベストだ。しかし、音の質感的にはより内側に設置した方が良くなる。

 ということで、結局現在の設置方法が、私の音の好みからすると一番良いようだ。ダイナミックオーディオ5555 6Fの東さんの小さい方の試聴室でもBAD FLOORはスピーカーの正面ではなくより内側に設置されていた。商品は違うが、床に設置する音調パネルである点は同じである。両者ともほぼ同じ場所に設置した場合が良い結果が得られたようだ。きっと東さんもBAD FLOORの設置場所をいろいろ変えてみて、この場所に落ち着いたのだろう。

結構働いている。
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2006/5/29

鹿革  

 昨日の上遠野さんとの会話の中で、スピーカーボードとフローリングの床との間の共振対策について「やはり何か柔らかい素材のものを挟んだ方がいいでしょう。」とのアドバイスをいただいた。フローリングの床、フィンランドバーチ合板のボードいずれも硬い素材である。硬い素材同士の場合緩衝材として柔らかい素材のものを入れると良い結果がでることが多い、とのことである。

 以前にも、Akimitsuさんからのアドバイスでスピーカーボードの下にタイルカーペットを敷いてみたことがあった。しかし、その時は、確かに音は落ち着くのだが、落ち着きすぎて面白みがなくなってしまった。おそらくその原因は、近所のホームセンターで購入したタイルカーペットの裏側に滑り止めとしてゴム状の層があったことだと思われる。ゴム素材は大半の場合オーディオには良い効果をもたらさない。

 ボードの下に敷くものは、どのような素材が良いか?上遠野さんは「フェルトも良いでしょう。あと、皮も良いと思いますよ。天然素材の方が音には良い影響があります。」とアドバイスしてくれた。「皮か・・・スピーカーとボードの間に挟んでいるSONORITEも皮製だし、ボードはフィンランドバーチ合板、どちらも天然素材・・・ここはひとつ天然素材で統一してみるか。」

 そこで今日とある革製品を製作販売している工房に連絡を取り、皮を分けてくれるよう頼んだら、多少怪訝そうであったが、分けてもらえることとなった。帰宅途中に訪ねてみると、革が保管されている倉庫に案内された。たくさんある革の中から比較的薄手で柔らかな手触りの鹿革を選んで、ボードと同じサイズにカットしてもらった。

 帰宅して、早速実験タイム。まず現状でここ最近毎日聞いている「展覧会の絵」をかける。そして、スピーカーをボードから降ろし、ボードの下に鹿革を敷き、またスピーカーを元の位置に戻す。結構重労働である。しかし、こんな時比較的軽いスピーカーでよかった、と心から思う。重量級のスピーカーの場合一人ではこんな実験はしたくてもできない。

 さて、もう一度「展覧会の絵」をかける。冒頭の金管楽器の響きが澄んでいてとても良い印象。音の密度感が増し、音の網目がより小さくぎゅっと詰まって形がそろった感じである。低域も自然でわざとらしさや不自然さがない。木管楽器の響きも深く、暖かみがある。やはり天然素材は素晴らしい。この鹿革は手触りがソフトでしっとりした感触であるが、その手触り感と同じような効果を音楽にもたらしてくれる。


2006/5/28

ナビゲーター  

 今日はサウンドハウスの上遠野さんが我が家のシステムの音を聞きに来てくれた。上遠野さんには、GERMAN PHYSIKSの試聴イベントで初めてお会いして、その後HRS-120 CARBONを購入する際にいろいろお世話になった。サウンドハウスの2階を任されたのは、昨年の9月からで、それ以前は5555(フォーファイブ)7Fの川又さんのアシスタントとして活躍されていた。したがって、何年もの間錚々たるハイエンド機器の音を日常的に耳にしてきたわけで、相当に耳が肥えてフォアグラ状態のはずなので、下手な音ではごまかしがきかない相手である。

 HRS-120が納品されて2ケ月、この間私なりにいろいろな対策をしてきたつもりである。セッティングや電源、さらに音調パネルやケーブル、結構めまぐるしく変更を繰り返してきた。目指してきたのは、コンサートホールでの空間表現を感じさせる音場と生の音の生命感・躍動感をイメージさせる音色。もちろん、まだまだいたらないところがあるわけだが、納品直後よりもその理想には近づきつつあるように感じている。上遠野さんは納品時に立ち会ってくれて、そのときの音を聞いてくれているので、現在の音との比較が客観的にできる唯一の人である。

 仕事が一段落してからの訪問であったので、自宅到着時には夕飯時となっていたため、軽く腹ごしらえをしてから、音を聞いていただいた。まずムソルグスキー/ラベル「展覧会の絵」とSARA GAZAREK「all or nothing at all」をかける。気になる判定は、「かなり良くなりましたね。強奏時床が少し鳴っているようでそこが気になりましたが、相当レベルアップしました。」

 気を良くして、マーラーの交響曲第2番やJENNIFER WARNES「the panther」もかける。マーラーの交響曲第2番はSACDで録音も非常に良く、この音には上遠野さんもうなずいて聞いてくれていた。どうにかGERMAN PHYSIKS本来の音に近い音が出ているようだ。その後上遠野さんが持参されたCDを何枚か聞き、最後にその広い空間表現と美しい音色が魅力のRUTTER「Requiem」をかけた。

 「2ケ月でこの向上振りなら、1年経ったらこの部屋は結構すごいことになっている可能性がある。」との嬉しいコメントもいただけた。スピーカーを変えて2ケ月ぐらい経って多少音がなじんできたから、微調整を始めるというペースが本来なのかもしれないが、じっくり腰を落ち着けていられない私は、多少フライング気味に駆け出してしまった。そのため、つまずいたりもしたが、それでもどうにかスタートラインよりは前に進んでいるようだ。

 その後お茶を飲みながら、オーディオ談義のひと時。GERMAN PHYSIKSのスピーカーのことやGERMAN PHYSIKSに合うアンプの話などいろいろ興味深いお話を伺うことができた。特にGERMAN PHYSIKSの音色を真に活かす真空管パワーアンプの話は興味深かった。

 早速指摘をしていただいた、床の対策にも取り掛かろうと思っている。建物自体ごく普通の木造軸組みで、強度的にもあまり強くない構造なのでカーペットなどでとりあえずの対策をしてみることにしよう。「低域を征するものオーディオを征す」なので床や壁の強度不足をどうするか、これからの重要課題だ。根本的には補強工事をするしかないのだが、それはいずれやらざる得ないだろうが、その前に一次的な対策で乗り切れるか検討してみよう。

 DDDユニットのエージングは相当時間がかかるもののようなので、また1年後ぐらいに無理を言って聞きに来てもらおう。そして進んでいる方向が正しいか、その正確なコンパスで判定してもらおう。 

2006/5/27

バーチャルリアリティー  

 今日は何気なくつけたテレビで、映画「アイ・ロボット」をみた。コンピューターグラフィックスの技術には目を見張るものがある。その高度な技術がなければ、このような映画は全く成り立たない。そしてこのような映像を体験することもできない。そういう意味ではこの技術は素晴らしい。しかし、いくらリアリティのレベルが向上したとしても、実写の映像との違いははっきりと認識できる。自然さという観点から見るとやはり違和感を感じてしまう。

 デジタルオーディオの世界に相通じるものをふと感じてしまった。精度を上げていっても真の自然な質感とはまだ乖離感がある。アナログは未体験であるが、アナログの方がより自然な質感が得られるのであろうか?ここまでデジタル機器に投資しては、後戻りはできないが、高度なアナログの音というものを一度は体験してみたいと思っている。聞いてしまうとはまってしまうかも。アナログも凝りだすと底無しなんだろうな。いやきっとアナログのほうが底無しのような気がする。

 今日は昨日のコンサートの休憩時間に買ったCDを聞いた。演奏者は当然ウラディーミル・フェドセーエフ指揮モスクワ放送交響楽団で、曲目は当日のコンサートのプログラムにも入っていたムソルグスキー/ラベルの「展覧会の絵」である。録音は1993年とやや古いが、音はなかなか良かった。昨日のコンサートの音の感じがまだ鮮明に耳に残っているうちに、聞き比べてみる。

 弦楽器の爽やかな風のようなそよぎ感や、ピチカートの野うさぎが草原を跳ね回るような躍動感、風のように体を駆け抜けていく低域の質感など、コンサートホールでの音の独特の生命感とはまだ乖離しているところがある。しかし、オーディオの音はまた別な側面から音楽の躍動感や生命感を感じ取らせてくれる。

 オーディオの楽しさは、単に音楽の受け手として受動態であるだけでなく、その音の質感を自分の理想とするものに作り上げていくことができることにあるのだろう。自分が心地よいと感じる音空間を構築する。そこに喜びがある。手の込んだジオラマを作り、精密な鉄道模型を走らせる。中腰になって模型の鉄道と目線を合わせて、そのバーチャルリアリティ体験を心から楽しむ。鉄道模型マニアのことを何かのテレビで見たが、その気持ちが良く分かる。

2006/5/26

モスクワ放送交響楽団  

 今日は月に1〜2回必ず行くクラシックのコンサートの日である。聞いてきたのは、ウラディーミル・フェドセーエフ指揮モスクワ放送交響楽団である。プログラムはグリンカ:歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲、チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲、ムソルグスキー/ラベル:組曲「展覧会の絵」であった。チャイコフスキーのヴァイオィン協奏曲のソリストは樫本大進。

 やはり、生のオーケストラは良かった。初夏の風を思わせるような、ふわっとした浮遊感のある、それでいてしっとりとした量感と密度感を持った音色は聞いていて耳にとても快適である。席はほぼセンターであったが、一階席の前列3列目、相当至近距離である。目線の高さが、ステージの床面と重なり、指揮者をやや仰ぎ見る格好となる。後方にいる木管楽器や金管楽器の奏者は視界には入らない。もう少し後列が良かったのだが、予約するのが遅かったため、取れなかった。

 そのようなポジションであったが、演奏は満喫できた。特にチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は素晴らしかった。ソリストの樫本大進の繊細で抑揚感溢れたヴァイオィンの音色はグッと聴衆を挽きつけ離さないものがあった。オーケストラ全体をバランスよく俯瞰するには席が前過ぎたが、ソリストの演奏をダイナミックに感じとるには調度良い位置であった。

 「展覧会の絵」はとても変化に富んだ組曲で、幽玄で幻想的な曲や、時に激しいまでの感情の高まりを感じさせる曲など、変幻自在で緻密な構成の、素晴らしい曲だ。そしてラベルのオーケストレーションによって、目もくらむような色彩感豊な、華麗なまでの響きに仕立てられている。モスクワ放送交響楽団の演奏は、最初から最後まで集中力が途切れることのない、張り詰めたような緊張感のある快演であった。

 先月行った千住真理子のコンサートは席が少し後ろ過ぎて、音のダイナミックさ加減では物足りなく感じたが、今日はそういう点では大満足であった。クラシックのコンサートに行っていつも思うのは、我が家のシステムでもこのコンサートホールの音の質感を出したいということである。あの独特の風や空気の息吹を感じさせる音の生命感をオーディオの音でも満喫したい。音量の大きさうんぬんではなく、音の生きている躍動感を表現できたらと、思ってしまう。もちろん部屋のエアーボリュームの制約や音響的な環境の不十分さなどから完全なる再現は無理としても、それに近い生命感の表出はできるはず。

 

 

2006/5/25

雷鳴  

 昨晩の雷鳴とどろく嵐のような豪雨はすさまじかった。外にいてあの雨にあった人には災難でしかないのだが、建物の中にいてあのような豪雨を眺めるのは、一種の爽快感というか、圧倒される感じがして意外と好きである。

 雷も、あまりに近いものはさすがに胆を冷やすが、遠雷に近いものであれば、美しさをも感じられる。昨晩の嵐は交響曲のフォルテシモを連想させるような豪快さがあった。

 今日は打って変わって、初夏を思わせるさわやかな一日であった。このさわやかな天気のなかゴルフをしてきた。仕事の関係でゴルフは年に20回程度はプレイする。顧問先の会社の社長と回ることが多いので、仕事の一部ではあるのだが、今日のようにさわやかな気候の中でのプレイであれば、心もリフレッシュされてレクレーション的な楽しみとなる。

 ゴルフ暦は約7年なので、オーディオ暦よりもはるかに長いことになる。ゴルフをした日はオーディオはあまり聞かない。体が相当疲れているので、音楽を聴いているとすぐに眠くなってしまうからである。やはり音楽は、心も体もある程度集中できる状態で聞きたい。ながら聞きはしたくない性質である。
 
 私の音楽の聞き方は少し変わっている。クラシックであっても、第1楽章から順番に全ての楽章を通して聞くことはあまりない。気に入っている楽章だけを聞くことが多い。あまり感心した聞き方ではない。女性ボーカルもアルバムを通して聞くことはなく、一枚のCDで2,3曲聞いたら次のCDに変えるというように、落ち着きがない。

 そうしないと集中力が続かないのである。飽きっぽい性質なのであろうか。そして1日のうちオーディオと向かい合う時間は大体1時間程度である。しかし、唯一時間を忘れて集中できるのは聞き比べなどの実験タイムである。ケーブルやインシュレーター、はたまた音調パネルなど、オーディオアクセサリーをとっかえひっかえしながら聞き比べるているときは結構長時間でも集中できる。家族には同じ曲を繰り返し聴いているので、相当変に思われることがあるが・・・

 しかし、ここ数日はそういった実験タイムは行っていない。それが当たり前であるのだが、私の場合なんとなくさびしく思えて、また微調整したくなってしまう。今度の日曜日にはサウンドハウスの上遠野さんが我が家のシステムの音を聞きに来てくれることとなっている。GERMAN PHYSIKSの伝道師である上遠野さんに、我が家のHRS120 CARBONの音がどのように聞こえるのか、楽しみでもあり不安でもある。今は下手に微調整するとバランスが悪くなるだろうから、上遠野さんのアドバイスをいただいて調整することにしよう。

2006/5/24

親バカ  

 最新号のAudio Accessory誌を昨日買った。パラパラめくって見ていると、Antelope AudioのOCXの紹介記事が出ていた。相当マイナーな存在だと思っていたので、オーディオ雑誌に紹介記事が載っているだけでも意外で嬉しく思えた。

 その記事の冒頭で「いかにもスタジオ仕様らしい、シンプルな使い勝手だ。」と述べられているが、確かに見た目はそっけなく、その作りも安っぽい印象があるのはいがめない。しかし、その効果については、「クロックの鬼である。一点の揺らぎや曖昧さもなく、溢れる緻密さと安定感が郡を抜く。」と絶賛調である。確かに効果があることは自分で体験して知っているが「クロックの鬼」という表現にはいささか面食らった。

 自分の使っている機器がオーディオ雑誌で紹介されるのは、やはり嬉しいものである。オーディオ雑誌の場合は、そのほとんどのケースが褒め言葉で表現されるために、余計である。父兄参観日に自分の子供が、「はい!」と手を上げ、先生に指名されて正解を答えたときのような嬉しさがある。思わずにやけてしまい、2度3度と同じ記事の文章を読み返したりしてしまう。一種の「親バカ」である。

 「親バカ」ついでにもうひとつ。同じAudio Accessory誌のカラー広告にGERMAN PHYSIKSのHRS120 CARBONが載っていた。センス良くまとめられた写真で思わずうっとり眺めた。しかし、多くの人にとっては、この一見スピーカーと判別しがたい形状のHRS120 CARBONは、それほど魅力的には映らないだろうな、と同時に思ったりもする。親の欲目で見るから「シャープなソリッド感がありなかなか良いね〜」などと思ってしまうのだろう。

 相当マイナーだと思っていたAntelopeAudioのOCXはオーディオ雑誌に紹介記事が載ったが、それに負けず劣らずマイナーな存在である、我が家のシステムの指揮者であるBALANCED AUDIO TECHNOLOGYのVK-51SEは小さな紹介記事さえ載ったことがない。それが少し寂しい。

2006/5/23

BLACK BOX  

 STEREOの5月号にオクターブMRE130の記事が出ていた。そこで3人の評論家の方が試聴記を書かれているのだが、概ね高い評価を得ていた。そのなかで気になるところがあった。それは「電源強化オプションのBLACK BOX(\134,400)を追加することで、スピーカー駆動能力をさらに高めることが可能。」とのプロフィール記事。そのBLACK BOXの写真は出ていなかったがどのようなものなのだろうか。

 評論家の石田氏は、「BLACK BOXを組み合わせると明らかにそのグラデーションが見事になり、窮屈感がとれてステレオとしての開放感や音場性が表現され、明らかにもう1ランク高くなる。」と評されており、そのBLACK BOXが相当な効果をもたらすことが推測される。

 このMRE130は今一番聞いてみたいパワーアンプである。以前であれば、この姿を美しいとは感じなかったかもしれないが、今はこの朴訥とした佇まいに惹かれる。これはモノラルアンプなので、使用時には2台並ぶことになるのだが、スピーカーの間の床に並んで置かれているところを想像すると、部屋の空気感が凛としてとても清々しいものになるだろうなと思われる。

 さてBLACK BOXの話であるが、我が家のPOWER AMP CLASSE CA-2200にもBLACK BOXが付いている。もちろんメーカーのオプションではなく、勝手に私がそう呼んでいるだけであるのだが・・・しかし、その効果はおそらくMRE130のBLACK BOXに負けず劣らずで、POWER AMPのランクを確実に1ランク上げてくれる。

 それはTRANSPARENT PIXL。無骨な黒い箱で、まさにBLACK BOX。壁コンセントとPOWER AMPの電源ケーブルの間にこれを設置するだけのシンプルな構成である。Versar1000のように複数のアウトレットがあるわけでなく、たった1個のアウトレットしかない。相当割り切った、ある意味潔い構成だ。

 これにPOWER AMPを接続すると、まず音の密度感と余韻の精細さの向上が感じられる。特に弦楽器の音色にはとても効果的な働きがある。濡れたような潤い感が得られるようになる。最近よく聞くBRUCKNER SYMPHONY NO.7 NIKOLAUS HARNONCOURT・WIENER PHILHARMONIKERの第1楽章の冒頭のところなど、このBLACK BOX有り無しだと、ずいぶん印象が違ってくる。

 この部分を聞くといつも、低い山並みをシルエットのように浮かび上がらせながら広がる、淡い色の朝焼けをイメージしてしまうのだが、BLACK BOX有りで聞いた方が、その色彩の感じが、よりリアリティを持ってイメージできるようになる。

 残念ながら、このPIXLは製造中止となり、新たにPIMMとなって生まれ変わった。固定式だった電源ケーブルが着脱式となり、1個だったアウトレットが2個になり使い勝手の向上が図られた。しかし、同時にPIXLが持っていた潔さも失われたような気がする。

 貪欲な私は、「PIMMはアウトレットが2個になったからモノラルパワーアンプに最適だな〜」とMRE130のことを夢想しながらつい考えてしまう。だが、その価格を考えると夢想にとどめておくのが無難なようだ。

BLACK BOX!
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2006/5/22

祈り  

 やはり、音のたたずまいが変わってきている。こけおどし的な脚色のない、自然な感じのする音だ。迫力があるというわけではなく、低域の力感が力強いというわけでもなく、高域が肌理こまやかに飛散して空間を漂い、頭から振ってくるというわけでもないが、必要にして十分な音の質感が得られている。清楚にして必要な密度感と実在感を伴ってたたずんでいる。昨日は「清廉な音」という言葉が自然と頭に浮かんだが、余分なものがないという意味で、その言葉の持つイメージと今聞ける音のイメージが重なった。

 意図的に追い込んでいったというわけでもなく、(もちろんそんな経験も技量もないのだが)気づいたらそうなった、という感じで特別な達成感があるわけではないのだが、この音の感じは心地よい。これはDDDユニットの持つ自然な音の質感なのだろうか?とするとDDDユニットの本来の実力が徐々に発揮されつつあるのかもしれない。

 AVALON ASCENDANTは2年3ヶ月使用したので、後半はエージングもほぼ完了していたはずであるが、このような音の質感は感じたことがなかった。もう少しあざとさがあった方がソフトによってはしっくりと来る場合もあるだろうが、私が聞くソフトの大半とは相性が良いようである。

 今日はこの音の質感につられて、Pedro Aznar「en vivo」とHayley Westenra「ODYSSEY」を聞いた。Pedro Aznarはよく聞きこんでみると、とても洗練された、緻密な音楽であることが分かる。最初に聞いたときにはその独特のメロディやリズムから土の香りのするエネルギッシュな音楽との印象であったが、今はその印象がずいぶんと変わった。特に13曲目「manifiesto」と14曲目「plegaria para el alma de laula」と聞くと、日常の現実的で卑近な表層的な時間の流れとは違う、そのはるかに深い層で、たゆたうことなく流れる清澄な時間の流れを感じさせてくれる。

 そして、敬虔な祈りをささげたような気にしてくれるのが、Hayley Westenraの独特の声である。その透明感のある響きは一種瞑想的な気分に浸らせてくれる。特に4曲目「Ave Maria」と8曲目「Quanta Qualia」はそのような効果が高い。現実的でささくれがちな時間の流れにより磨り減ってしまう心をリセットしてくれる音楽だ。



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