2009/11/23

1349:タコはち  

 最近の若い人は言葉を省略する傾向がある。「コンビニエンスストア」は「コンビニ」、「アラウンドフォーティー」は「アラフォー」、さらには「空気の読めない人」は「KYな人」となってしまう。

 そういった言葉を短縮する傾向はクラシックの世界にも持ち込まれているようで、「ショスタコーヴィチ」は「ショスタコ」となってしまう。

 さらにその傾向が増大した結果「ショスタコーヴィチ作曲 交響曲第8番」のことを「タコはち」と言ったりするようになった。「これはないのではないか・・・」と思ったりもするが、語呂合わせとしては確かにユーモラスである。

 この場合の「タコはち」は一般的には「ショスタコーヴィチ作曲 交響曲第8番」をさすが、私の場合よく聴くのはもう一つの「タコはち」である。それは「ショスタコーヴィチ作曲 弦楽四重奏曲 第8番」である。

 これは名曲である。暗く沈うつな要素もあるが、躍動感があり緊張感溢れる緩みのない構成である。おもわず「これはクラシック界のKING CRIMZONや〜」と彦麻呂風につぶやきたくなった。

 KING CRIMZONの後期3部作(Larks' Tongues in Aspic 、Starless and Bible Black、Red)は、うねるような緊迫感がその底辺を覆っている。

 「タコはち」も同種の緊迫感がその空気を支配している。そして、時折その緊張感が沸点に達し、一気にエネルギーを噴出する。

 「タコはち」と言うと、どうしてもとある人物が頭に浮かぶ。「たこ八郎」である。あの独特の存在感はやはり凄いものがあった。元プロボクサーと言う異例の経歴を持ち、バンチドランカーとしての後遺症があったためか、どこまでが演技でどこまでが地が定かではない芸風が人気を呼んだ。

 しかし、1985年焼酎をあおって海に入っていってしまい帰らぬ人となった。表舞台からの去り方もたこ八郎らしかった。

 「タコはち」の最終楽章は静かに終わる。何かしら終末観漂う終わり方である。この最終楽章を聴いていると、海に沈む夕陽を連想する。オレンジ色に輝く夕陽が水平線に徐々に沈んでいき、やがて見えなくなってしまう。そんなシーンが思い浮かぶのである。

 そして、その海には何故かたこ八郎がいる。沖に向かってゆっくり進んでいる。向こう側を向いているためその表情は窺い知れない。

 しかし、首まで海につかったとき、たこ八郎はくるっとこちらを向き直って一言言い放った・・・有名なギャグの「たこで〜す!!」ではなく、無表情で「もう、帰るよ・・・」とつぶやいたような気がするのである。



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