直前の記事は「全然大丈夫」という映画の「感想」でした
私も記事の中で
「『全然大丈夫』というムジュンした日本語は、ちょっとひっかかります。
と書いてるように、
違和感があります。
「気になって」調べてみました。
「全然+肯定」は誤用ではないかということを論調しているサイトをいくつか。そうすると・・・・
1、漱石、鴎外、竜之介、啄木なども「全然+肯定」を使っていたこと。
2、戦前(第2次大戦前)は今より「全然+肯定」が使われていたということ。
3、戦後の国語教育方針で「全然」は「否定」に続く副詞と「決められた」とのこと。
これらは私にとってもかなりのカルチャーショックでした。
戦後昭和31年頃の出版物にも「全然美味しい」という言葉があり、戦後もしばらくは「今より」違和感なく使われていたらしいです。
さらに、驚くことに、NHKの基準や広辞苑をはじめとしたあらゆる辞典でも「『俗に』肯定につけて使われる」とありました。(孫引きです)
ただし、あくまで
「俗に」であり「正式な用法」とされていないようです。
どこかのサイトに「仮に『全然+肯定』がある程度市民権を得ているとしても、就職試験の面接などで『肉?全然好きです』と答えるのは抵抗があります」とあり、それには私も同感です。
もうひとつ、何故「全然+肯定」が一定の市民権を持ったかについて考察があり「全然のあとには通常否定形が来ます。例えば「全然心配ない」などと。ただ、こうした表現の延長に『全然(心配しなくていい)大丈夫ですよ』という文章になったのでは?つまり「全然+肯定」の文章には大方「全然+(否定)+大丈夫」などの
「隠れた」言葉があるからではないか?と
「全然OK」→「全然(問題ないです。)OKです」
「全然美味しい」→「全然不味くないですよ美味しいですよ」
等々
だから、この映画の「全然大丈夫」という言葉は、「ヘタレている登場人物」に対して「全然(心配しなくていいですよ)大丈夫ですよ」という意味が込められているようです。
ただ問題は、
こうした
「省略」がこれからもどんどん市民権を得ていいのか?ということですね。
昨今問題になった
「ら抜き表現」→「このテレビは地デジも見れますか?」(変換するとき「ら抜き表現」と出ますよね)などもひところ、あれほど違和感があったのに、今やいい歳した人まで使っています。(私も時々つい・・・)
さらに
「ハンパない」とか、美味しいことに
「ヤバイ」などと言う言い回しも市民権を持っていくとしたら
「オッサン」としては、ちょっと気にはなりますね。
ついでに急に思い出しましたが
私の「職場」では
外側に出す文書の宛名の欄には
「○○○○殿」を使っていたころがありましたが
「外部」の「受け取る側の人たち」から指摘があり
15年くらい前でしょうか
全て「外部には『様』をつけるように」と通達がありました
それは
「現在」は「殿」は「同等もしくは目下に使用する、と決められているから」という理由でした
「殿」で文書をもらった人から不快感の抗議があったからです
今は
内部の文書では「殿」ですが
外部は全て「様」です
言葉は難しいです
そして
面白いものでもあります
さらに
私の過去の記事で
「オレは鰻だ」も
読んでいただくと幸いです

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