何でも明日、衆議院では丸山穂高議員から話を聞くことを決めた、とのことである。
ようやく人の話をマジメに聴く態度になったのか、と安心できる決定である。
さて、詳しくは本人から話を聴けば良いのであるが、一応予習として、政治における軍事力、というテーマで私見を述べて置きたい。
今日の国際政治において、領土紛争の解決手段としてどんなものがあるのだろうか。仮に自分の家の庭に食い込むようにして隣家が塀をつくったとすれば、まず隣家にクレームをつけるだろう。そして、隣家のオヤジが話の分からないヤツであった場合は、地方裁判所に訴える、というのが、日本国内における民事訴訟の一般的な姿だ。
しかし、国際政治の舞台で領土紛争が起こった場合、たとえば国際連合が何かしてくれるかと言うと、そんなことはない。自分や隣家のオヤジ以上に強権を持つ権威は、国際政治にはない。そこでは、国家の主権(sovereignty)が最高の権威であるために、庭の領有権はあくまでも主権国家同士が争って結着をつけるしかない。
そのために、紛争解決の手段として戦力を保持するのが、現在の世界の基本的な常識である。
もちろん、戦力を保持するのは、他国の領土を侵略するためである、と憲法に書いてあるような国はひとつもない。どの国も、たいていは自国の安全を守るために戦力を保持する、と書いてあるのが普通だ。そして、隣家の庭を自分が奪おうとするオヤジと同様、領土を奪う国家は口を揃えて、その土地は元々自国の領土である、と主張するのが当然である。
物理的に土地はひとつなのに、A国は、それが自国であると言い、B国もまたそれは自国である、と主張する。数学的にはそれは矛盾があるために成立できない命題であるが、政治の世界ではそういう事例が頻発する。それで主に領土問題を解決する手段として存在するのが戦争であり、戦争するために存在するのが軍隊である、というのが、国際政治の常識だ、と言うことになる。
さて、北方領土問題というのは、典型的な領土紛争である。ポツダム宣言とかサンフランシスコ平和条約では、日本は樺太や千島列島の領有権を放棄している。それで千島列島とはどこまでか、ということになるのであるが、サンフランシスコ平和条約締結時において、ソ連の赤軍はいわゆる北方領土を軍事力によって占領していた。北海道にまで乗り込む予定だったのだが、北海道への侵攻作戦が実現するより先に日本がポツダム宣言を受諾してしまったので、ソ連は北海道を実力で占拠することはできなかった。
さて、歴史上とか学術的にとか地質学的にとか、いろんな角度から北方領土は北海道なのか千島列島なのかという議論をすることはできるだろう。だが、同地域が軍事的に占拠されてしまった以上、それを変更するためには、普通ならやはり軍事的な手段に訴える必要が出て来る。
ところが、日本の佐藤栄作首相という人物は、アメリカとの外交交渉で沖縄を日本に返還させることに成功した。領土を戦争によらず、外交交渉で奪い返したのであるから、その外交手腕は驚嘆に値する、平和的に領土を取り戻したその功績には、ノーベル賞を与えたい、ということになって、佐藤栄作氏はノーベル平和賞を受賞した。
すなわち、領土問題の平和的な解決というのは、もしそれを実現したら、ノーベル賞級の偉業だ、というのが世界の常識だ、ということである。
しかるに、おそらくは憲法第9条を勉強した日本国民の中には、世界の現実をろくに勉強もせず、憲法には何でも平和的に解決しろと書いてあるので、何でも平和的に解決することが「可能」だ、と勘違いしている人々がいる。憲法にそれが書かれているのは、それが「可能」あるいは「容易」だからそう書かれているのではなく、それが非常に困難で限りなく実現不可能なことを承知で、理想論が書かれているのである。
理想論というのは、実現が困難だから無視して良いというものではない。理想はあくまでもそれを追求すべきものである。しかし一方、二次元の紙にだったら何を書くのもカンタンだが、三次元の現実政治では、そんなにカンタンなことにはならないので、理想を目指しつつ、現実的な解決を目指す、というのが政治家のやるべき仕事だ、ということになる。
それで戦力の不保持ということが憲法に書かれているものの、警察予備隊をつくり、さらには自衛隊をつくったのである。その名も自衛隊なのだから、自衛のための戦力でしかないはずのところであるが、空母も建艦する必要があったのである。
理想は堅持するものの、その理想を実現するためには、書いてあることをそのまま実行してはいけない、というパラドックスがそこにある。もしも日本が文字通りに戦力を持つことをやめてしまえば、そこに軍事力の空白が生じ、ちょうど真空が生まれれば、必ずそこに気体が流入するように外国の軍事力が攻め込んで来る。だから、戦争を阻止するための憲法をそのまま実行したら、かえって戦争を誘発する、というのが、戦争のパラドックスである。
かかる現実の中で、領土問題の紛争解決を目指す、という場面では、戦争と平和をどのようにコントロールするのか、という「議論」が非常に重要であることは論を待たない。それで、実際に領土を取り返したい、と切望している旧島民に対して、戦争までして取り戻す意志があるのかどうかを確認することは、日本の政治家として、当然に必要なことだ、ということになる。
これまで日本政治の中では軍事力の保有というテーマは、一種のタブー扱いになって来た。しかし、もはやアメリカが日本に対して、自前の安全保障を求めている時代なのだから、それを公然と議論する必要が出て来た。
そういう文脈で、いよいよ衆議院は、丸山議員のお話を聴くことになる。ぜひ清聴して、議員たちが日本の安全保障について真剣に考える契機にしていただきたいものだと思う。

4